Platonicじゃいられない 2 広いキャンパスの中で学部の違う、しかも学年も違う知り合いに偶然に会うという事は滅多にない。
ほとんど毎日の様に会っている推理研のメンバーも、実はラウンジだの、馴染みの喫茶店だのに顔を出すから会
えるわけで、特に講義時間がこれでもかという程バラバラな水曜日はラウンジ等に顔を出しても相手が来るかどうかは賭けという日なのである。
本日はその水曜日。ましてや今日は江神さんのバイトが入っている。何となく学生会館に向かう気になれず河原
町辺りで本屋を覗いて返ろうと門に向かって歩き出した僕の耳にいつもに比べいささか精彩の欠けた気のするよ
く知った声が飛び込んできた。
「よぉ、アリス」
軽く手を上げて少しだけ疲れた様に笑う顔。
「信長さん!?」
滅多にない偶然に僕はパタパタとその人影に走り寄った
「もう終わりか?」
「ええ。信長さんはこれからですか?」
「ああ」
肩にバックを掛けたまま織田は短くそう答えた。けれどその姿が何だかいつもと少し違う。
「・・・・・?・・信長さん・・メットは?今日はバイクで来てへんのですか?」
そうなのだ。いつも彼が手にしているメットがないのだ
僕の問いに織田は少しだけ驚いた顔をして次に苦い笑みを浮かべた。
「ああ・・実は江神さんの所に置かして貰うとるんや」
「江神さんの?」
突然出てきた名前にドキリと鳴った鼓動。けれどそれに気付く筈もなく織田はバツの悪そうな表情のまま言葉を
繋げた。
「それが・・夕べ江神さんの所にモチと二人で押しかけて、何やかんや喋っているうちに日付変更線を遥かに越え
た時間になってもうて。そんな時間に下宿帰るのも気が
引けるし、何より酒が入ってたもんやからバイクには乗られへんしで・・」
「泊まったんですか?」
「ああ。珍しくモチの奴が潰れて、江神さんもそうしろって言うてくれたもんやから。雑魚寝状態」
「・・・・・・」
“実は今さっき起きたばっかりなんや”と頭をかく織田に僕は思わず眉間に皴を寄せてしまった。
「・・・昨日も今日もバイトやなかったんですか?」
そう。だから昨日は行かれなかったのだ。なのに・・
「えっ?・・ああ、江神さんか?よぉ知っとるな。3人して大爆睡こいてたんで慌てて電話して何やシフト替え
てもろうてさっき3人揃って下宿を出てきたとこや。ほんまに当分西陣に足を向けて眠られへんわ」
苦笑を浮かべながらのその話を聞きながら、僕は自分の胸の中にムカムカとする気持ちが湧き上がるのを感じていた。
それはちゃんと考えれば判る事で、置かれている状況が違うとか、意味が違うとか、仲間と一応・・その・・好
きだと言った相手とはやっぱり絶対違うのは判る。
判るけれど・・。
(・・・釈然としない・・)
なぜ、昨日なのか。
なぜ、泊まれと言ったのか。
頭で判るけれど気持ちが判りたくない。
「・・アリス?」
いきなりムッとした様に黙り込んでしまった僕に織田がいぶかしげに口を開いた。それに慌てて俯き掛けていた
顔を上げて。
「・・狡いです。そんな楽しい事やってて呼んでくれへんなんて」
「いや、押しかけた時間が時間やったから。今度奇襲をかける時はちゃんとアリスも呼んだるからな」
笑いながら返ってきた言葉。どうやら僕は仲間外れにされてむくれてしまった後輩をうまく演じられたらしい。
「ほんなら、アリス又な」
腕時計をチラリと見てバックを掛け直すと織田は小さく片手を上げた。それに笑ってうなづいて、ペコリと頭を
下げて僕はゆっくりと歩き出す。けれど一歩歩くごとに沈んでゆく気持ち。
「・・・・・サイテー・・・知らんかったわ・・」
そう。こんな気持ちは知らなかった。
けれどこんな気持ちを何と呼ぶのかは知っている。
「・・・決心もつかんかったくせに・・」
チリチリと胸が焼ける。
自嘲的な言葉の奥で、けれど何故泊めるのだと彼を責めている自分が判る。
「・・アホや・・・ほんまに・・」
呟いた声は自分でも驚く程情け無いものだった。
「やきもちか・・・」
よもや自分がそんなものを焼く人間になるとは思わなかった。けれどそれ以外にこの気持ちは何と言えばいいの
だろう?
“そろそろ時間やぞ”
フワリと耳の奥に甦ったその言葉。
今度会うのはバイトのない金曜日。
又金曜日に江神さんはこの言葉を口にするのだろうか?
「・・・・・・・」
いきなりピタリと足を止めて。
グッと唇を結んで。
不思議そうに振り返る視線を完全に無視しながら僕は苦い思いを噛み締めた。
(・・・・やきもち焼いとる場合やないわ・・)
そう昔から男は度胸と言うではないか。
(ちょお違う気もするけど・・・ )
でも・・・。
「好きなら言える」
それは我ながらどこか悲愴感の漂う声だったけれど、好きだと言う気持ちに偽りはないから。
だから・・・。
「−−−−−−−−−−」
この1ケ月の間幾度も口にしようとして口に出来なかった言葉を、確認するかの様にそっとそっと胸の中で呟い
て・・・。そうして僕はその決心通りに、金曜の夜いつもの言葉を口にした江神さんにその言葉を告げたのだ。
「・・・・泊まっていってもええですか?」−−−−−
あはははは・・・言っちゃったよ、おい。って感じですね。