Platonicじゃいられない 3

「・・・・泊まっていってもええですか?」−−−−−


 言ったはいいがやっぱり恥ずかしすぎるものは恥ずかしすぎて、恐いものは恐いのである。
 ずっと言えずにいたその言葉の後、少し驚いた様に小さく瞳を見開いて、江神さんはふわりと笑いながら「ええ
よ」と言った。これが物語ならば場面は一足飛びに変わってしまうのだが現実はそうはいかない。
 頭がガンガンして、心臓が口から飛び出してしまいそうなまま、泊まるなら何か飲むものでも買ってくるかとか
片付けをして布団を敷くだとか、じゃあ風呂はどうするかとか・・この際もうどうでもいいような事が山の様にあって、1秒1秒が律義にきちんと刻まれてゆくのだ。
「アリス?」
「は・・はい!」
「・・・・・掛け布団」
「あ・・・・はい・・すみません・・」
 手渡された布団を受け取りながら僕はがっくりと肩を落とした。
 決心をした水曜の午後から加速度的に舞い上がっている気持ちはここに至って更にグレードアップをしていてと
にかく自分でも頭を抱えてしまう程一つ一つの事に過剰な反応をしているのだ。
(・・・ああ・・もうほんまに・・)
 バサリと勢いよく広げた布団がフワリと白いシーツを被う。
「ビールでええか?」
 いつの間にか台所に移動していた江神さんの声に再びビクリと身体を震わせて僕は胸の中で溜め息を落とした。
「・・はい・・」
 何となく、こうなればシラフよりも少し飲んでいた方がいいかもしれない。
 端に寄せたテーブルに向かって壁際を伝う様に歩き、僅かに空いているスペースにペタリと座ると何本かの缶ビ
ールとおそらくこの前の名残であろうつまみを抱えて江神さんがやってきた。
 途端にドキドキと鳴り始める鼓動が何だかちょっと情け無い。
「ほら、アリス」
「・・有難うございます」
 小さなテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろしながら差し出されたビール。
 それにペコリと頭を下げて手を伸ばす。
「−−−−−−−−っ!」
 そしてその瞬間、微かに触れた指先に僕は思わずその手を引っ込めてしまったのだ。
「・・アリス・・?」
 敷いてある布団の上に音もなく落ちたビール缶。
「・・あ・・・」
 さすがに自分でもこれはまずいと思った。これではいくら何でも・・・。
「・・・あのなぁ・・頼むからそんなに警戒せんといてくれ」
「!!」
 聞こえてきた溜め息混じりの困った様な言葉に慌てて顔を上げると、苦い笑みを浮かべた江神さんの表情が見えた。
「いえ・・あの・・」
 別に警戒をしているわけではなくて、ただ単に舞い上がっているだけなのだけれど、今までの言動を考えればそ
う取られて当然であって・・でも・・・だけど・・・。
「・・・・っ・・」
 途端に瞼が熱くなって、僕は慌ててグッと唇を噛み締めた。こんなところで泣いている場合ではない。けれどそれをどう取ったのかやがて江神さんはその苦笑を労る様な微笑みに変えて次の瞬間とんでもない言葉を続けてくれた。
「お前が嫌がる事は何にもせぇへんから安心してええよ」
「−−−−−−−−−−!?」
 ちょっと待て。今なんて言った?嫌がる事は何にもしない!?それって・・それって・・・
「どういう事ですか!?」
「アリス?」
 いきなりガバッと顔を上げて掴みかかるような勢いで口を開いた僕に江神さんが瞳を見開く。
 けれどそんな事には構っていられないのだ。
「それってどういう事ですか?嫌がる事って・・」
 一瞬訪れた沈黙。
 やがて江神さんはフワリと笑って僕の身体を引き寄せた
「え・・がみさん・・?」
 反射的にビクリと震えた身体。
「・・こういう事や。アリス、お前自分がどういう顔してるか判っとるか?」
「・・・・・・・・」
「怯えて、引き吊って、今にも泣き出しそうな顔や」
 言いながら覗き込まれて思わずクシャリと顔を歪める。それはそうだろう。江神さんの言う通り、僕は彼の一挙
一動に過敏に反応をしていたのだから。けれどそれは別に嫌だとか、警戒をしているとかそういう事ではなくて、どうしていいのか判らなくてそうなってしまったわけで・・・。
「・・江神さんずるい」
「アリス?」
「いつもは色んな事判るのに、何で判ってくれへんのですか?それとも判らん振りしとるだけなんですか?」
「・・・・・・・」
 困惑したようなその顔が切なくて僕は眉間の皴を更に深くした。
「嫌やったらここに居ませんもん・・」
「アリス」
「言われへん事を悩んだりもせぇへんし、そもそも好きやて言うてへん」
「・・・・アリス・・」
「信長さんたちには泊まっていけって言うたくせに」
「・・・・・・」
「僕には時間やて・・せやから・・」
 あちこちに滅茶苦茶に飛んでいる事を口にしている自覚はあった。けれど、これ以上何をどう話していいのかも
判らなかった。
「ずっと・・言いたくて・・言われへんで。やっと言ったら嫌がる事とか言いはるし・・じゃあ何で僕はここに居るんですか!?」
 不覚にも堪えていた涙が頬を伝って流れ落ちた。
 何だか凄い事を言っている気もしたけれど考える前に口が動く。
「恥ずかしいもんは恥ずかしいし、恐いもんは恐いけどそれ以前に判らへん事が多すぎて、もうどないしたらええねんかほんまに・・・!こんなんやったら押し切られた方がなんぼか楽や!!」
「アリス・・!?」
「せやって!・・・せやって・・・嫌かどうか判れへんもん・・・!」
 言いながら顔から火が噴く気がした。
 きっとこれは後から考えたら何でこんな事が言えたのだろう!?と思ってしまう言葉になるに違いない。
「すまん」
「・・えっ?」
 いきなり聞こえてきた謝罪の言葉に僕は一瞬ポカンとしてしまった。何か謝られるような事をしただろうか?
 そんな僕に江神さんはクスリと笑う。
「恐がらせたらあかんと思うてたら裏目に出てたとは気付かんかった」
「・・・・」
 それで謝られたのかと判って半瞬遅れて赤くなる顔。再び聞こえてきた微かな笑い声。
「アリスがそういう気持ちなら、遠慮なく押し切らせて貰うわ」
 それはどこか楽しそうな声だった。
「え・・がみさん!?」
 いきなりの急展開とクラリと揺れた視界。
 瞳の端に入った布団の上に転がったままのアルミ缶。
「・・・っ・・」
 重なる唇にギュッと瞳を閉じて。
「・・・アリス」
 そっと離れた唇が紡ぐ自分の名前におずおずと背中に手を回す。
 そうしてその夜、僕は“恥ずかしい”という事は本当はこういう事だったのだと身を持って知った−−−−−。



ほーほほほほ・・・・。ハーイそこのお嬢さん。行間攫っても何も出てきませんから(笑)
いやー・・・昔の原稿って見直すだけで赤面ものだわ(*^^*ゞ