Platonicプラトニック

−−−プロローグ−−−


キスを・・・してしまった−−−−−−−。

 どうしてなのか、なぜなのかそんな事は判らない。
 ただふと会話が途切れて、視線が重なって、何か言おうとして、言えなくなって・・・・気付いたら近づいてきた顔に瞳を閉じていた。
 そっと触れた唇は少しだけ冷たくて。
 すぐに離れたその後に聞こえてきた小さな言葉。
「−−−−−−−−−−」
 だから、何も言えなかった。
 何も・・・・聞けなかった。

 そして−−−−−−・・・。
 あの日から彼−−−江神二郎は、僕・有栖川有栖の前からふっつりと姿を消してしまったのだ。

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「・・・・あのなぁ・・アリス。その辛気臭い顔と溜め息をどうにかしろ」
「ほんまに飯が不味うなるで」
「・・・・・・・・」
 程好く込み合った学食内。経済学部の名物凸凹コンビであり、同じ推理研のメンバーでもある織田と望月の言葉に僕はチラリと顔を上げて視線を外すとボソボソと口を開いた。
「・・・すみませんね、辛気臭くて。これが元々の顔ですから直されへんです。食べ終わったら消えますから」
 その言葉に望月が眉間に皴を寄せる。
「誰もそないな事言うてへんやろ?何や心配事でもあるんやったら聞くぞ」
「せや、話をするだけで結構すっきりする事もあるで?なっ?話してみぃ」
 コロッケ定食を食べながらの望月と、カツカレーを食べながらの織田の言葉は、それはそれなりに有り難いけれどとても話せる内容ではないのだ。
「・・いえ・・別に」
 再びボソリとそう返した僕に二人はフゥッと溜め息をついた。
「・・・・俺等はそんなに頼りないんか」
「いえ、そんな事は・・ないです。ただ・・・ちょっと・・」
「言えない事、なんやな?」
「・・・・その・・内輪の事やから・・・」
「・・・・そうか。まぁ・・そのうちどうにかなるもんやで?
 無責任やて思うかもしれへんけど悩み事言うんわ結構時間が解決するもんや。せやからこんなとこに深ーい縦皺作ってへんで忘れられる時は忘れとき」
 どういう“内輪の事情”と取ったのか、箸を置いてポンポンと肩を叩く望月に僕は申し訳ないような気持ちになっていた。
 けれどこればかりはどうしようもない。
 まさかキスをされてその後その相手が姿を見せないって言うのはどういう事だと思いますか?等どんな顔をして言えばいいと言うのだ?しかも相手は・・・・。
(・・・・・・言える筈ないやん・・)
 そんな僕の気持ちを知る筈もなく織田が溜め息混じりに口を開いた。
「・・・・ほんまになぁ、こんな時に江神さんが居ったら、きっともう少しマシな事言ってやれるんやけどなぁ」
「−−−−−−−!」
 しみじみとしたその言葉にドキリと鳴った鼓動。
「音沙汰なしで3日も現れへんなんて初めてや。アリス何か聞いとるか?」
 その後を受ける様な望月の問いかけに僕は小さく首を横に振った。
「・・いえ・・特に。バイトとか・・ですかね・・」
「まぁ・・十中八九そうやろうけどな。あの人の事やから」
 小さく肩を竦めて望月はどんぶりのような茶碗に盛られていた白飯の最後の一口をパクリと口に放り込む。
 ふと訪れた沈黙。
 そう、文学部哲学科の4回生で推理研の部長でもある江神二郎こと“江神さん”はこの3日間僕らの前から姿を消していた。
 けれど僕にはその理由に少しばかり心当りがあるのだ。
(・・・一応僕かて翌日は会うの躇われたもんなぁ・・)
 多分、きっとそれだけが理由ではないと思うけれど、思うそばから胸の中に溜め息の花が咲き乱れる。
(でも・・全く関係ない筈はない・・よなぁ・・)
 脳裏に浮かんで消えた横顔。
(・・・大体・・あの言葉はどういう意味なんやろ・・)
 確かに驚いたのだ。
 ものすごく、ものすごく驚いたけれど・・。
「・・アリス?箸が進んでへんぞ?」
 すっかり箸を休ませてしまった僕に織田がおずおずと声をかけてくる。それにハッとして慌てて味噌汁をかき回して、口に運ぶ僕を見つめる4つの『心配してます!』という瞳。
 それが何だかやりきれなくて、身の置きどころがないような気がして、僕はカタンと箸を置いた。
「アリス?」
「・・すみません・・このところ、よぉ眠れなくて・・あの・帰ります」
 言いながらガタリとトレーを持って立ち上がった僕に織田が慌てて口を開いた。
「あーええよ!アリス。そのままにしとき。何やったら駅まで送ろか?」
「とんでもないです!ほんまに呆けててすみませんでした」
 ペコリと下げた頭に聞こえてくる望月の声。
「ゆっくり休むんやぞ?今度飲みに行こうな。アリス」
「はい・・・」
 優しい言葉が今は何故か後ろめたくて、辛かった。言葉に甘えて−−−−と言うよりトレーを押さえて離さなかっ
た織田に負けて−−−−食べた後もそのままに、もう3日も解けないままのミステリーを抱えながら、トボトボと学食を後にした。


うちの初の壊れちゃった江神さんの登場です。