Platonic 2プラトニック

 相も変わらぬ学生会館の2F。そのラウンジの奥の椅子に腰掛けて、僕はまるでそこに親の仇が居るかの様に窓の外を睨みつけていた。
 望月たちと学食で話をしてから更に3日。
 ようするにあの日から1週間経っている。
 そして僕は1週間経ってもまだその謎を解けずにいた。
 江神さんがこんな風に何日も、何も言わずに姿を見せないというのは初めての事で、さすがに心配になった織田がサークル代表で西陣の下宿先に様子を見に行ったのが昨日。
 けれど先ほど聞いたその結果は「留守やった」というあまりに簡潔明瞭すぎるもので、それが更に僕のイライラに拍車をかけているのだ。
(・・・何なんや一体・・)
 胸の中で呟いた言葉。
 あの日−−−−−−1週間前のあの日から僕はそれこそ色々と考えたのだ。
 なぜ、キスをしたのか?
 あの言葉は何なのか?
 どうして姿を見せないのか?
(・・・もう会われへんつもりやろか?)
 そう考えただけで胸の奥がキリキリと締めつけられる気がして、僕はコトンと堅い木のテーブルに頭を乗せた。
(・・ほんまに・・そうなんやろか・・?)
 情け無くも鼻の奥がツンとして瞼が熱くなってくる。
(・・・二度と・・会えないんやろか?)
 答える者のいない胸の中の問いかけにギュッと目を閉じて、込み上げてくる気持ちを堪えて。
(・・・どないしたらええんや・・)
 そうして僕はもう何度も思い返した1週間前のその記憶を、何かに縋る様に再びゆっくりと手繰り寄せた。




「江神さーん・・見つかりませーん・・」
「そんな筈ない。ちゃんと捜してみぃ」
「・・えー・・でもこの山なんですよねぇ?」
 西陣にある、もうすっかり慣れ親しんだ江神さんの下宿先。
 いつもの様に他合いない話をして、そのうち少し前に手に入れたという本の話題になり、お約束の様に読んでみたいという事になった。
“そこに重なってるから捜して持って行ってええよ”
 その言葉に嬉々として物色し始めたのだが目当ての物は見つからない。
「・・・・あったか?」
 キャビンを銜えながら文庫を片手にした江神さんの言葉に僕は思わず首を横に振った。
 それにハァッと小さな溜め息が返ってくる。
「・・ちょお退いてみぃ。おととい置いたんやから無い筈ないんや」
「すみません・・」
 ゆっくりと近づいてきた江神さんに僕は少しだけ身体をずらして場所を空けた。
 座り込んで積み上げられた本の山に触れた長い指。それが背表紙を辿って下がってゆくのをぼんやりと見つめる。
「あ・・れ・・?」
「ねっ?ありませんでしょ?」
 ヒョイと覗き込むと江神さんは小さく眉間に皴を寄せた。
 あくまでもそんな筈はないと言ったその顔がおかしくてつい小さく笑ってしまう。
「笑うてる場合やないやろ?アリス。無かったら借りていけへんのはお前なんやで?」
「捜しましょう!」
 思わず力んでそう返した僕に江神さんはクスリと笑いを漏らした。
「・・・文庫なんですよねぇ・・?」
「ああ・・なるまで待っとったからな」
「へぇ・・じゃあはじめは」
「上製本。高校の時じゃ結構痛い金額やったし、その後は入手困難になってた」
「・・・江神さんが高校の時。じゃあ結構・・」
「アリス・・」
「あ・・」
 雑多に積まれた本の山の間を二人でしゃがみこんで捜しながらの会話。思わずポロリと口にしてしまった言葉に名前を呼ばれて僕は小さな声を上げてしまった。
「結構、なんや?」
「いえ・・その・・・」
 背中を伝う冷や汗。
「アリス、ほら、言うてみぃ」
「い・・あの・・えっと・・すみません!!」
 こういう時は素直に謝ってしまうに限る。
 本の山の中、向き合う様にしゃがんだまま僕はガバリと頭を下げた。それに一瞬遅れて江神さんが吹き出す。
「え・・がみさん?」
「いや・・っ・・・ガマの油並みやったな・・」
「!!人を蛙と一緒にせんといて下さい!」
 赤い顔で怒鳴っても迫力も説得力もない。元より目の前のこの人にそんな事が通用する筈もない。
「・・・もうええです。又今度貸して下さい」
 プイと子供の様に横を向いてしまった僕に江神さんはまだ喉の奥で小さく笑いながら何かをそっと差し出した。
「江神さん?」
「捜し物や。これで蛙と一緒にしたんわ帳消しやな」
「あ・・ありがとうございます。でも何処に?」
「隣の山に紛れとった。少しこれも整理せなあかんな」
 本を受け取りながら聞こえてきた溜め息と苦笑に近い色を交えた声。思わず僕もその山々を眺めてしみじみと口を開く。
「・・・大変そうですねぇ」
「手伝いにくるか?」
「えっ?」
「堀だし物がみつかるかもしれへんぞ?」
 それは確かにそうかもしれない・・・
 つい真剣に考えてしまった僕に江神さんは又小さくクスリと笑った。その瞬間−−−−−・・。
「あ・・雨や・・」
「えっ・・?」
「いつの間に降って来たんやろ?」
 窓にポツポツと落ちて細い糸を描く水滴。
「・・・降るって言うてませんでしたよねぇ?」
「ああ」
 行っているそばからもそれは激しさを増して窓の外を重い銀色の世界に変えてゆく。
「・・・・・本降りやな」
「・・・はい・・」
 本の山に囲まれたまま僕達はぼんやりと外を眺めてしまった。
 途切れてしまった会話。
 何気無く見上げた視線の先で、同じ様にこちらを見た江神さんの瞳と会う。
「・・・・・・・・」
 それはひどく不思議な沈黙だった。
 部屋の中に響く雨音。
「・・・・・っ・・」
 何か言おうとして、何も言えなくて、微かに唇を動かしただけで視線を外すことも出来なくなってしまった僕に、やがて江神さんが小さく眉を寄せた。そして。
(・・え・・?)
「−−−−−−−−」
 サラリと揺れた髪。
 ゆっくりと近づいてきた顔。
 頬に触れた指に何故か判らないまま瞳を閉じる。
「・・・・・・っ・」
 キスをしたのだ、と判ったのは唇が離れてからだった。
 ついで離れて行く頬にかかった指。
「・・・・・すまん」
「・・・・・・・・」
 聞こえてきた小さな声がひどく遠くて、なぜか・・・切ないと思った。
 逸らされたままの瞳。
 カチリとつけられた煙草の火。
 ユラリと立ち上る紫煙。
「・・それ持って、もう帰り。傘は貸したるから」
 そうして僕は、聞こえてきたその言葉通りにする以外何も・・何も出来なかった−−−−−−−−・・・。





「・・・・いきなり“すまん”じゃどうしてええのか判らんですよ・・」
 木のテーブルに懐いたまま僕はボソリとそう口にした。
 なぜ・・キスをしたのか。
 −−−−−−何となく。
 なぜ謝るのか。
 −−−−−−悪いと思ったから。
 なぜ姿を見せないのか。
 −−−−−−何か事情があるから。又は・・・僕に会いたくなから。
「・・・・・っ・・」
 もう何度もめくったカード。
 その度にやり切れずに唇を噛み締める。
 悪いと思う位なら始めからキスなどしなければいいのだ。
 してしまってから“すまん 等と謝られてどうすればいいというのだ。
 謝って、姿を見せなくなって・・・・それで終わりになる様な存在だったのかと悲しくて、口惜しくて寝不足になる程思い詰めたこの気持ちをどうしてくれるのだ!!
 あのキスの後、すまんと言った彼に気にしていないとでも言えば良かったのだろうか?
 そうすれば今まで通りに何事もなく時間が過ぎて言ったのだろうか?
「・・・・あまりにも・・理不尽や・・」
 ボソリとそう漏らした途端、それはひどく道理が通っている言葉の様な気がして僕はガバッと頭を起こした。
 そうなのだ。この1週間。彼が姿を見せない事をまるで自分のせいの様に思っていたが、よく考えてみればキスをされたのは僕なのだ。だから怒っていいのも、何故だと責めていいのも僕で、こんな風に悩む必要はないのだ。
「・・・・アホや・・俺は・・」
 呟いて今度はガタンと立ち上がる。
 そう、探偵物の謎解きだってきちんと全てが明らかにならないと気が済まないタチなのだ。
 こんな風にどうめくっても同じ答えしか引き当てられなくてグルグルと回っているなんて絶対に納得がいかない。
「・・・あんな言葉一つで消えてしまうなんて許せへんもん」
 待ち伏せしてやる。
 会ってしっかり確かめてやる。
 なぜ、キスをしたのか。
 なぜ謝ったのか。
 なぜ姿を見せなかったのか。
 そして・・・・。
「会わなくなるなんて・・・許さへんもん・・」
 彼の謎を追い駆けてきたのだ。
 今更いきなり勝手にいなくなってしまうなんて絶対に絶対に認められない。
 人間ウジウジとさんざん悩んだ後でキレたら怖いのだ。
 ギュッと唇を結んで、肩に勢いよくバックを掛けて。
 そして僕は周りの驚くような視線をものともせずにラウンジを飛び出した。



はーい、第2話です。うーん・・・そろそろまずい??