SayYou SayMe  1

「あら、江神さん」
 トントンと短い階段を降りながら、隣を歩く麻里亜の少しだけ驚いたような声に、僕は思わず条件反射のように顔を上げた。
 彼女の視線を追うと確かに“江神さん”の姿が見える。
 但し・・・・・
(・・・え・・?)
「へぇ・・・江神さんも隅に置けないんだ」
 どこか楽しげな麻里亜の言葉と裏腹に、僕は驚きを隠せないまま呆然とその光景を見つめてしまった。
 トレードマークのような肩につく長めの髪と長身の身体。
 見間違いなく文学部哲学科の4回生で、推理小説研究会・略してEMCの部長である“江神二郎”の傍らでまだどこか少女の面影を残したような女性が笑っているのだ。
「・・・アリス・・・ちょっと・・」
 口を開けたまま二人を見つめる僕に麻里亜が眉を寄せて口を開く。
「あ・・ああ・・・・いや・・・その・・・・・びっくりして・・・」
 張りついてしまいそうな視線をベリッと無理矢理はがして、僕はトンと階段の手すりに背中を預けた。
 それに習うように麻里亜も又段の違うそこでクルリと向きを変えると、手摺に背中を預けながら小さな溜め息を漏らした。
「うん。私もびっくりした。何かこう言うととっても失礼なんだけど、江神さんってこういういわゆる恋愛関係みたいなのってかけ離れてるって言うか、超越しちゃってるって言うか、そんな気がしてたのよね」
 同じように並んで手摺に背中を預けながら、麻里亜はチラリと後方を盗み見た。
 
 ここで少し話を中断する。
 アリスだの、マリアだのとキテレツな名前が続いたがそれはまごう事なく僕等の本名である。
 僕、アリスこと有栖川有栖とマリアこと有馬麻里亜は揃ってここ英都大学の法学部に在籍する2回生で、推理小説研究会というサークルのメンバーでもある。
 話を元に戻そう。

「・・・・・あの人院生でしょう?」
 視線を後ろに向けたまま麻里亜が言った。
「知っとるんか?」
「んー・・・詳しくは知らないけど、多分」
「何や頼りない話やな」
 僕の言葉に麻里亜は小さく唇を尖らせた。
「だってアリス、他の学部なんだもん断定は出来ないわよ。でも私が入った、あ・アリスもそうだけど、その年の学祭でミスコンに選ばれた人だと思うのよね。その後も何度か見かけた事があるし」
 何故か小声になる会話。別に普通に話していても江神さん達に聞こえる距離ではないと思うのに、そうなってしまうのは悲しいかな人間の習性だ。
「・・・ふうーん・・・全然覚えとらんなぁ・・・」
 確か学祭にはいた筈なのだが・・・・。
 そう言った僕に麻里亜は小さく肩を竦めた。
「記憶力の違いね」
「・・・別にそんなん覚えてなくても困らんわ」
「でもちょっと役には立ったでしょう?そう言えば前にもこんな風に江神さんと話をしているのを見たことがある気がする。ねぇ、もしかして付き合っているのかしら?」
 最後の言葉のどこかワクワクとした響きに、僕は小さく顔を顰めた。
「・・・・・そんなん俺に判る筈ないやろ」
「・・・何でそこで怒るのよ」
「誰が!?」
「アリスが」
「アホ、何で俺が怒らなあかんのや。マリアもいつまでもデバカメしとらんと図書館行くんやろ」
「失礼ね!何がデバカメよ。口を開けて見てたのはアリスの方でしょ!」
 言いながら階段を降りてゆく麻里亜の赤っぽい髪がフワフワと揺れる。
 その後を追うように足を踏み出して、一瞬だけ肩越しに振り返ると、そんなに近くでもないのに何故か笑って話をしている二人がはっきりと見えて、僕は慌てて視線を前に戻した。
「気になるんでしょ?」
「・・・・・・気にならない、と言ったら嘘になる」
「素直じゃない言い方ね。でも本当に意外だったな。今度問いつめちゃおうか、アリス」
 悪戯っぽくそう言って笑う麻里亜に「そうやな」と返しながらチクリと痛む胸。
(・・・・何や・・・・・・?)
 理由の判らない胸の痛みに、頭の中に先程の情景が浮かぶ。
 話をしながら笑っていた江神さんと院生の女性。
(・・・・可愛い人やったな・・・・・)
 それはほんの一瞬の事だったと言うのに、理由の判らない胸の痛みと共に何故か僕の記憶の中に深く刻み込まれた。