SayYou SayMe  2

「お前等自分の所で見ろ。自分の所で」
 呆れたような、疲れたような江神さんの声。
「下宿の大家がうるさいんですヨォ」
 それに情けなく答えを返したのは経済学部3回生の織田光二郎で・・・
「俺のとこかて同じ条件やろ」
「でもビデオ見てる時いきなり部屋に入ってきたりはせぇへんでしょう?」
「・・・・・・・・そないな事あるんか?」
 さすがにちょっと驚いたというような江神さんに、横手から同じく経済学部3回生の望月周平が口を割り込ませる。
「よっぽどでかい音量で見とるんやないか?江神さん同情の余地なしですよ」
「お前なぁ!判ったもう見んでええから。大体お前が借りたんなら見せろっていうからこうなったんやないか」
「そない怒鳴る事ないやん。ちょっとしたお茶目や」
「アホ、気色悪い言葉を使うんやない!」
「あー、もう、うるさい!見るなら見るでええからせめて静かに見ろよ」
「ラッキー!!江神さんも見たってくださいね。秋島緑の新作ですから。アリスも良かったなぁ」
「・・・・・・・・・はぁ・・・・」
 いきなり話を振らないで欲しいとは言えずに僕に、二人の先輩方はにっこりと笑ってビデオのセットをし始めた。
 一体何のやりとりなのか・・・・・判る人はもう判っていると思うが、AVである。
 大学はすでに補講期間となり、その後は長い春休みに突入する。久しぶりに顔を合わせた推理研のメンバーでーーーーと言っても総勢5名だがーーーー河原町に繰り出して、いつもに比べるといやに早い、もとい早すぎる時間にお開きになった飲み会の後、紅一点の麻里亜を紳士宜しく途中まで送ってゆくという技まで見せて、経済学部コンビに引きずられるようにしながら西陣の江神さんの下宿に押し掛けた。そして現在に至っているのである。
 テーブルの上は二次会の様相を呈して適当なつまみやらビール・焼酎・ウーロン茶(これは僕の希望)だのの他に、二人の計画性を物語るようにスコッチの角瓶がドンと置かれている。
「やっぱりこういうを大勢で見るっていうのもまたオツっちゅうか、健全だよなぁ」
 どこがやねんと言いたいのを僕は必死に堪える。
「そうそう。一人で見てナニすんのもナニだよなぁ・・・」
 ・・・・・・あまりにも下品である。
「・・・お前等ええ加減にせぇ・・・・」
 ゲラゲラと笑いながらの織田の言葉にさすがに江神さんがボソリと言葉を挟んだ。
 ようするに酔っているのだ。そうでなければ江神さん相手にここまで大胆な計画は実行出来ない筈である。
(・・まさに『キチガイ茶会』やな・・・)
 そう考えながら僕は頭を抱えるようにして白い紙コップにウーロン茶を注いだ。それを見つけて織田が許しませんと言ったように口を開く。
「何やアリス、もうお茶かぁ!情けないで」
「せやかて店で信長さん達が滅茶苦茶な飲ませ方するんですもん」
 どこから見つけてきたのか望月の持ち込んだミステリー仕立てのクロスワードパズル。やった事がある(これも凄いと思ったが)という江神さんを審判役に縦横のチームに分かれて答えられないと飲む。女性である麻里亜にはハンデが与えられたが(チャンポンなしで一回一口)男である僕には容赦なく、ビールに酎ハイ、日本酒、水割り・・・・。例え少量ずつでもこれは結構堪えるものなのだ。
「答えられんお前が悪いんや」
「そんなん、信長さんかて同じチームだったやないですか」
「俺はちゃんと答えた」
「・・・・・信長さんが答えてた所は僕も答えられました」
「済んだことや。それに最後には江神さんが助け船を出してたやろ。それもちゃんと計算に入れてあったんやで」
・・・・・限りなく嘘くさい・・・
 その言葉を飲み込んで僕は再びウーロン茶を啜った。その途端、あまりにも酔っぱらいらしい唐突さで望月が口を開いた。
「でも江神さん。マジな話、AVを全く見た事がない野郎なんていないと思うんですよ。そうでしょう?」
「・・・・・・・・・・・何で俺に振るんや?」
 どこからどう出てきた話題なのか、いきなりのそれにこめかみの辺りをヒクヒクさせている江神さんがちょっとだけおかしいと僕は思った。
「話がちゃんと出来そうなのが江神さんだけだから」
 一応は的を射ている答えである。それを認めたらしく江神さんはキャビンを取り出しながら苦笑に近い笑みを浮かべて口を開いた。
「まぁな・・・ミステリーを一度も読んだ事がないという奴よりも珍しいわな」
(・・・・そういうもんなんやろか・・・)
 再びウーロン茶のボトルに手を伸ばしながら僕はぼんやりとそう思った。そして・・・
(あれ・・・?でも・・・・)
「やっぱり需要と供給があるわけで、それが一概にスケベという次元で・・」
 望月の熱弁は続く。しまったという顔の江神さんとゲラゲラと笑いながらヤジを入れる織田。けれどそのどれもが僕の頭の上を素通りしていた。
(え・・・?・・・って事は・・・・・・・・・・・あれ??)
「詰めて考えれば俺等が存在しているのはぁ、結局スケベの産物やと言う・・」
「・・じゃあ、江神さんも見た事があるんですか?AV」
「ーーーーーーーーー!」
 瞬間空気が凍り付くような沈黙が落ちた。
「・・・・ア、リス・・・・?」
 ポロリと指から落ちたキャビン。
「・・え?・・あ!・・あの・・・!!!」
 とんでもない事を口にしたのだと気付いた時は後の祭。その次の瞬間、織田と望月のもの凄い笑い声が僕を襲ってきた。
「アリス!もの凄いツッコミやな!!」
「いやもう・・誰にも真似出来へんわ!!!!」
「え・・いえ・・あの・・・・」
 体中の血が顔に上る。クラクラとする頭。
「いやーウケた!こいつのしょーもない話の最中っちゅぅのかまたナイスや。今日一番の大ウケや!」
 ゲラゲラと笑いながら目尻に涙を浮かべる織田。
「話を遮られても頭にきぃへんかったわ。で、江神さんどうなんです?」
 ニヤニヤと笑いながらビーフジャーキーをマイク代わりに差し出す望月。
「・・・・お前等荷物まとめて帰るか?」
 「冗談デース!」と言いながらまだクスクスと笑う両先輩達を、自業自得と知りながら恨めしく思ってしまった僕の耳に、やがて江神さんの疲れ切った声が聞こえてきた。
「アリス・・」
「は・・はい!すみませんでした!!」
 謝ろう。謝ってしまうしかない!そんな僕に江神さんは又しても苦笑に近い笑みをうかべて小さな溜め息をついた。
「謝られると余計に情けないから顔上げ。さっきの質問の答えはノーコメントという事にしとくわ。モチ、ボリューム上げすぎるなよ」
「判ってますって!」
 嬉々として答えて再生のスイッチを押すと、カバーの女の子の上にタイトルが重なって現れた。
「イェーイ!秋島緑の新作やー!ほら、アリス見とるか?」
「・・・・・・・・・・・はぁ・・・」
 ブルーな僕を更にブルーに追い立てるような織田の有り難い心遣いである。
江神さんを含む先輩方に囲まれてAVを見る。・・・・・・あまりに嬉しすぎる状況だ。
「・・・新妻シリーズって結構出とるよなぁ」
「これで3本目。お前AVにまでうんちくつけるなよ」
「まだ何も言うてへんやん」
「言う前にクギ刺したんや」
 ボソボソとした相変わらずのやりとりの向こうでは早くもという勢いで“まずいんちゃうか・・?”という程少女めいた女が上半身を露わにして喘ぎ始めていた。白く滑らかな肌の上を這ってゆく無骨な指。
そのコントラストが醜猥で痛ましい気さえして僕は思わず眉を顰める。
“・・・ん・・・いやぁ・・・!・・あぁ・・っ!” 
 ツルリと現れたまろやかな双璧も、指で弄ばれている桜色の乳首も、汗ばんでほんのりと染まって行く肢体も確かに艶めかしくて扇情的だ。
 けれど、でも・・・・
『ノーコメント言う事にしとくわ』
 そう。僕の頭の中は涙を流してよがって頑張っている彼女には申し訳ないがそれどころではない状況になっていた。
(・・・・って事はやっぱり見た事あるんやろうなぁ・・・)
 チラリと盗み見た横顔はAVを見ているとは思えないほど涼しげでいつもと変わらない。
(・・・・やっぱ・・・江神さんかて男やし・・・見とるだけやなくて・・・こういう事だってしとるよなぁ・・)
 あまりにも性もない考えに僕はガックリと肩を落とした。そうして再び戻した画面の中では少女めいた女がアップで喘いでいる。
“あぁぁん!!・・・いゃ・・・・あ・・・・そこ・・!・・”
(・・・嫌やて言うたり、そこや言うたり滅茶苦茶やな・・・)
 勿論僕だってAVを見るのは今日が初めてではない。高校時代に悪友はつきものだ。けれどこんなに冷めた気持ちでAVを見たのは正真正銘今日が初めてだった。
“・・・あ・ん・・・あぁ・・!・・”
(・・・・ああ、何かこの前見た人にどことなく似とるなぁ・・・・)
 そう思った瞬間、不意に僕の脳裏にあの日の情景が甦った。
微笑んでいた江神さん。その前で笑っていた名前も知らない女性。
『付き合っているのかしら?』
 麻里亜の台詞がリフレインする。
(そうなんやろか・・・)
 ズキンと痛む胸。
(・・・・ほんまに付き合うて・・・こんな事しとるんやろか・・・)
 それはあまりにも下世話で吐き気のするような感情だったけれど、浮かんでしまった思考はすぐには消せない。それどころかすでに妄想の域に突入してしまった思考は、とんでもない事まで空想を広げていってしまう。
 そう・・・例え今彼女と付き合っていなくても過去には誰かと付き合った事があるだろう。その僕の知らない江神さんの時間の中で、あの指は誰かの肌に触れたのだろうか。そして、あの唇は何を囁いたのだろう。
(アホか、俺は!)
 ブンブンと小さく首を横に振って僕はただ瞳に映していただけの画面から視線を逸らした。その途端、あまりにもタイミング良くテーブルの向こう側の江神さんと目が合ってしまった。
 一瞬驚いたような瞳が次の瞬間ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「・・・・・アリス、トイレは向こうや」
 簿祖母と聞こえてきた声。
「!!ち・違います!!」
 それに自分でもそうと判るほど顔を赤くして、僕はブンブンと首を横に振った。
「そうか?」
「そうです!」
「我慢は身体に良くないぞ」
「・・あのですねぇ・・」
 テーブル越しのヒソヒソ話。いつもと変わらない、否、いつもよりも優しげな江神さんの顔。そして切りもなく聞こえてくる甘い喘ぎ声。
(・・・・・あかん・・何だか洒落にならなくなりそうや・・・)
 せめて顔の火照りをどうにかしよう。
 僕は先程コップに注いだウーロン茶を探した。
「ぎぇー・・・エゲツなぁー・・・このシリーズも落ちたな」
「・・お前、ここでそう言う事を言うか!」
 織田の望月の声がする。
(あった。これや)
 コンビニで買った白い紙コップ。
「せやけどこれは・・・」
「江神さん!このうんちく野郎をどうにかして下さい!」
「・・お前ら、何で一々俺に振るんや」
 呆れたような江神さんの声を聞きながら手にしたそれをゆっくりと傾けて。
「!!アリス、それ!」
「え?」
 琥珀色の液体は勢いよく僕の口に流れ込んだ。
「俺のスコッチやぞ!」
(え・・・!?)
 カーッと喉が、顔が、身体が熱くなる。
 クラリと揺れた視界。
「あ・・・・れ・・・・・?」
“あぁぁぁぁぁっ!!!”
「アリス!!」
 そして僕は彼女の【昇天】と同時にコメディ漫画のお約束宜しく、情けなくも空の紙コップを手にしたままバッタリと畳の上に倒れ込んだのだった。