SayYou SayMe 3


 遠くで声がする。
「・・・・・・・・・・・やから・・・・・」
「・・・・したら・・・・・・ません・・」
 それが会話らしい事がぼんやりと判る。
「ああ、もうええから。気ぃつけて帰れよ」
 聞き覚えのある声。
 ゆっくりと瞳を開けるとクラリとするような発行色に明かりが視界に飛び込んでくる。
「・・・・・・・っ・・」
 思わず顔を顰めて再びゆるゆると瞳を開けると見えてくる、見覚えのある木目の天井。
(・・・・あれ・・・?)
「気付いたんか?アリス」
「・・・・・・・江神さ・・・ん?」
 何でこんなところで寝ているのだろう?回らない頭で考えながら慌てて身体を起きあがらせた。が、その途端・・・。
「・・・え・・」
「アリス!」
 グラリと立ちくらみにも似た目眩を起こして、僕は江神さんの腕に抱きとめられていた。
「な・・・何や・・・??」
「・・・何ややないわ。ほんまにお前は時々とんでもない無茶をするんやな。ほら、横になって。水飲むか?」
 言われるとひどく喉が渇いている事に気付いて、僕は大人しく「はい」と返事を返した。
 けれど勿論、返事をしても疑問が無くなるわけではない。何で江神さんの部屋で寝ていたのだろう。そして、この重苦しい、頭と胃の痛みは何なのだろう?
「ほら水。ああ、起き上がらんでええ、起こしたるから。コップ持てるか?ゆっくり飲むんやぞ」
「・・・あの・・・」
「何や?」
「・・・・僕どうして・・・それに・・・モチさんたちは?」
 抱きかかえられるようにして水を飲みながらそう言った僕に江神さんは一瞬驚いたように瞳を見開いて、次にガックリと肩を落とした。
「・・・覚えてへんのか?」
「・・・・・・・・4人でAV見てたんわ覚えてるんですけど」
 そう。江神さんに「トイレは向こうだ」と言われた事も記憶にある。けれど・・・・・。
「・・・スコッチが駄目だとは知らんかったわ」
「は・・・?」
「もっともあんな風に飲めば誰でもぶっ倒れるか」
「・・あの・・・」
 スコッチ?ぶっ倒れる??よく判らない。・・・・と言うよりも全然判らない。
 そんな僕の様子に江神さんはハァと溜め息まじりに髪を掻き上げて一挙に事の真相を明らかにしてくれた。
「お前はウーロン茶と間違えて信長の入れておいたスコッチを一気のみしてぶっ倒れたんや」
「−−−−−−!!!」
「推理研の歴史に楽しい1ページを残してくれたな。AV見てて、間違えて酒を一気のみしてぶっ倒れる。こう言うのは結構語り継がれるもんやで、アリス」
(そんなん語り継がんで下さい!)
 勿論そんな反論も出来ない程青ざめてしまった僕に、江神さんはクスリと笑ってまだ半分ほど水の残っていたコップを僕の手からスルリと取った。
「まぁ、信長達もだいぶ反省しとったようやから伝説入りは免れるかもしれへんぞ。ほら、とにかくもう少し眠り」
 言いながら再び横にされた身体。
「・・・・・・・はい」
 頭は重くて、身体は熱くて、けれど妙に冴えてしまったような不思議な感覚に、ホォと思わず息をつく。迷惑を掛けて申し訳ないと言う気持ちは山ほどあった。
 けれどその中で、少しずつ少しずつ、そうなってしまった経緯を思い出して僕は息が苦しくなるような気がしていた。
「気分が悪いんか?」
 掛けられた優しい言葉。
「・・・いいえ・・・」
 それが嬉しくて、どうしてだか苦しくて、すぐそばにいてくれるぬくもりにまだ幾分残っているのだろうアルコールが僕の中から何かの枷を外してゆく。
「・・・終電、まだ間に合うけど帰るか?」
「迷惑・・・・ですか?」
「アホ、迷惑やったら信長達に押しつけて帰しとるわ。眠り」
「はい・・・・」
 優しい言葉と優しい声。また一つ、抑えていた筈の何かが滲み出すのが判る。
「・・・・・・・・・江神さん」
「うん?」
 すぐに返ってきた返事。
「・・・・・・・っ・・」
 まるで罪を犯す人の様だと僕の中で僕が泣き出しそうな笑いを浮かべた。
「・・・・・どうした?」
 言いながら子供にするようにそっと髪を撫でてくる大きな手に、僕はゆっくりと口を開いた。
「・・・・・・・付き合うてる人、いるんですか?」
「え・・?」
 ピタリと髪を撫でる手が止まった。
「何やいきなり」
 それが悲しくて、僕は思わず彼のシャツの裾を握りしめる。
「アリス?」
「・・・ちゃんと答えてくれるまで離しません」
 自分の言った台詞に、自分で“ああやっぱり酔ってるんだ”と納得しつつ、何だかそれが免罪符のような気がして、僕は握る指に更に力を込めた。
「・・・・・あのなぁ・・・・」
「誰かと付き合うてるんですか?」
「・・・・・・・それが何かお前と関係あるんか?」
「・・・・・・・・・・・」
 あまりと言えばあまりな台詞に−−勿論、江神さんにとってはそれは至極当たり前の事なのだが−−僕は思わず掴んでいたシャツを頼りにズルズルと彼の腰に腕を巻き付けていた。
「アリス!?」
 驚いた声。当たり前だろう。蛇女(口にするのも嫌だが・・)宜しく後輩が腰にしがみついて来たのだから驚かない方がどうかしている。
「・・・・そんな言い方せんでもいいでしょう。聞きたいんですもん。教えてくれたかてええやないですか」
 酔っている事を逆手に使う位に酔って、けれどそれに反比例するようにはっきりとする頭。
「アリス・・・離し」
「嫌や・・」
「アリス!」
 今度の声は少しだけ怒っていた。でも、だからと言ってはいごめんなさいと離せるほど簡単なものではないのだ。あの日に見た情景が思い出されるたびに苦しくて、彼の隣に『誰か』が居るのだろうか思うと切ない。だからせめて、姑息と言われようと、何と言われようと、ここで本人の口から聞いてしまうのが一番なのだ。そしてもしも、『誰か』が居るというのならば・・・・
「・・・アリス・・離せ・・」
「・・嫌や、何でか判らんけど、嫌や!」
「何が?」
「・・・・・・・そうだったら。え・・江神さんが誰かと付き合うてたら嫌や」
「・・・・アリス?」
「・・・・・・・あ・・れ・・?」
 一瞬止まった時間。僕は一体何を言っているのだろう?
 無言のまま重なる視線。そして言い出した事に理由もつけられないまま、僕はもう一度ポロリと子供じみた短い言葉を落とした。
「・・・・嫌や・・」
 半瞬おいて聞こえてきた小さな溜め息。
「・・・・・・・ったく・・この酔っぱらい。ほんまに仕方のない奴やな。ほら、ちゃんと布団に入って眠り」
 言った意味すら分からずに落ちた言葉を江神さんがなかったものにしてくれようとしているのが判った。それが多分いい事なんだろうと僕はさすがにクラクラとするような頭で思った。
 けれど、でも・・・・
「・・・酔ってません」
「酔っぱらいは大抵そう言うんや。ここに居るから早よ寝てしまえ」
 静かな、いつもと変わらない江神さんの声。呆れたような、けれど優しい響きのあるその言葉に僕は彼の腰に絡めた手を一度離して、必死に身体を起こすと、そのまま目の前の胸に倒れ込んだ。
「アリス!?」
「・・・しんどい・・・」
「・・当たり前や。アホ」
 言いなから支えるように背中に回された手がひどく嬉しく思える。
「・・・・・せやって・・・江神さんが言うてくれへんから」
 何故か頬を暖かな雫が伝って落ちた。再び落ちた沈黙。
 確かに、どう考えても涙ながらに言う言葉ではない。それは判っている。判っているのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・誰とも付き合うてない。これでええやろ?ほんまの事や。ほら、もう離せ。さすがにこの体勢はしんどい」
 それは勿論そうだろう。必死に胸の縋り付いたはいいが、自分の身体を自分で支えている力はなくて、僕はまるっきり江神さんにしがみつくように抱きかかえられているのだ。 本気で江神さんが僕を振りほどこうとするならば簡単だ。手を放して立ち上がってしまえばいいのだ。
「・・・・嘘つき」
「・・アリス?」
「そんな事言うてごまかしても駄目です。裏は取れているんですから」
「あのなぁ・・居もしないもん居る言うたかて空しいだけやろ?ほら!ほんまにもう寝てしまえ」
 言うが早いか江神さんは抱きかかえていた僕の身体を布団に戻そうとする。そうはさせじと僕は必死にシャツを掴んで抵抗する。
「嫌・・やー!」
「アリス!」
「嫌やって・・」
 ポロリと止まった筈の涙が零れた。
「あのなぁ・・・泣く程の事か?」
「だって・・・江神さんが・・・」
「あー・・・もう・・・なんもかんも俺が悪い。せやから大人しく寝ろ!」
「・・・・うーーー・・・」
「唸るな。手を離せ」
「・・・離さへんもん・・・」
「アリス・・・」
「嫌や」
「いい加減に・・」
「嫌や、絶対離さへん!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・離さんと襲うぞ」
「!!!!」
 それはギリギリのジョークの筈だった。
 言葉に驚いて顔を上げた途端、ピタリと合った視線。3度目の・・・ひどく短い沈黙。
「ええですよ・・・・。僕、江神さんになら何をされても平気ですもん」
「・・・・アリス・・・・・?」
 信じられないと言った表情が何故か少しだけ口惜しかった。ついで溜め息混じりに囁くように落とされた「ほんまに酔っとるな」という言葉が悲しくて、切ないと思った。
「・・・・・・・・・誰とも付き合うてない。せやから離せ」
「・・・嫌です」
「・・アリス」
「・・・・・・・嫌・・や・・」
 何が嫌なのか、多分僕自身にももう判らなくなっていた。もしかするとそれは向けられるどこか悲しげな、苦しいような、そんな江神さんの眼差しに対して零れた言葉だったのかもしれない。
 まるで癇癪を起こした子供のようだと僕は思っていた。
「・・・・・・・・離し」
「嫌や」
 決められた台詞のように、短い答えを返したその瞬間−−−−−。
「!!」
 何が何だか判らなくなった。
 グラリと視界が揺れて、目の前が真っ暗になって、何かが唇に押し当てられる。
「・・・・・・・っ・・・・」
 ゆっくりと離れてゆく感覚に、もしかしたらキスをされていたんだろうかと何とも間抜けな事を考えた途端、押し殺したような声が聞こえてきた。
「・・・・言うたやろ?襲うって。もう、眠り」
 瞳に映った、おそらく初めて見る江神さんの昏い引きつったような微笑み。
 それが辛くて、そんな顔をさせてしまったのが自分のせいなのだと思って悲しくて、そしてなぜか口惜しくて、僕は離れてゆこうとする彼の手をガシリと掴むと、まるでぶつかるような勢いでその唇に自分の唇を押し当てた。
「・・・アリ・・・・・・・」
「・・・・・・・っ・・・・」
 触れただけ唇が、重なって、少しだけ開いたそこからスルリと舌が入り込んでくる。
「・・・・・・・ふ・・・っ・・・」
 漏れ落ちた短い吐息。
 僅かな時間でゆっくりと離れながら、僕はドクンドクンと早鐘の様にうつ自分の心臓が口から飛び出してしまいそうな錯覚にとらわれていた。
「・・・・アリス・・・」
「・・言うたでしょう?江神さんになら・・・何をされてもいいって」
 再び上げた顔。
 カチリと合った瞳は苦しいような、何かを追いつめてゆくような、今まで僕が見た事のない色をたたえている。
 まるで親の敵のように睨み合う様に見つめ合って・・・・・・・。
 そうして次の瞬間、思わず伸ばした手を引かれるようにしてその腕の中に抱きしめられながら、全てを奪うような口づけに僕は江神さんの背中に腕を回して瞳を閉じた−−−−・・・・。

まだ続く・・・・(・_・、)