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月の出てない月夜の晩に 2

 夏はうだる程暑くて、冬はシンシンと底冷えする様に寒いという素晴らしい自然環境を備えている古都。
 紅葉シーズンの観光客も一息つき、これからいよいよ本格的な冬に突入してゆこうとするその街を嫌な事件が騒がせていた。
『昨夜、午後11時頃、左京区上大路町の路上で−−−−さん(23)が頭を殴られ、腕など数ケ所をナイフの様な刃物で切られるという事件がありました。幸い−−−−さんに命の別状はありませんでしたが、今回の事件も、最近連続して起こっている通り魔事件と同一犯との見方が強く、京都府警では・・・』
 今出川通沿いの行きつけの喫茶店。
 すでに定番のタラコスパゲティを口に運びながら、有栖たち推理研のメンバーは、聞こえてくるテレビのアナウンサーの声を聞くともなしに聞いていた。
「いやぁね、又出たんでしょ?例の連続通り魔」
 クルクルとスプーンの上で器用にフォークを動かして、推理研の紅一点・有馬麻里亜はいきなりそう切り出した。
「死人が出ないだけマシってヤツやな」
 それにもぐもぐと口を動かしながら織田が合いの手を入れる。
「死ななきゃいいってもんじゃないわよ!髪の毛切ったり、腕切ったり、一体女を何だと思ってるのかしら!」
「・・・“若い女性”の代表意見や」
 言いながら水を一口飲んでそう言った経済学部名物コンビのもう一方の片割れである望月周平の言葉通り、連日新聞やテレビを賑わしているその事件は20代前半の“若い女性”を狙った通り魔の連続傷害事件で、死者は出ていないものの被害者の女性たちは頭部を殴られたり、髪を切られたり、腕や顔、背中などを切りつけられて精神的にも肉体的にも大きなショックを受けていた。
「大体手の皮一枚だって切られりゃ痛いのよ!そうでしょ?」
「・・・・・手の皮一枚・・・すごい表現やな・・」
「アリス・・」
 思わずポツリとそう漏らしてしまった有栖に麻里亜の鋭い視線が向けられた。
「あ・・いや・・痛い。確かに痛い」
「・・・全く早く捕まってくれないと安心出来ないわ」
「そうやな、マリアも“若い女性”の一人やもんな」
「しみじみと言われると何か無性に腹が立つわね、アリス」
「何でや!?」
 麻里亜の言葉に慌てた様に声を上げた有栖。そのやりとりを見て江神はプッと小さく吹き出した。
「あ、江神さん。何でそこで笑うんですか!?」
「アリス。今のやりとりに笑うなって言う方が無理やで。ねぇ部長?」
「そうそう、まるでかけ合い夫婦漫才。ほんまええコンビや」
「ちょっと待って下さいよ、モチさん!なんで俺とマリアで夫婦漫才なんですか?江神さん、いつまで笑うてるんですか!」
「失礼ね、そこで怒りたいのは私の方よ、アリス。アリスと漫才コンビなんて情け無くて涙も出ないわ」
「あのなぁ・・」
 終わりのない様な言葉のやりとり。それに困った様に小さく笑うと江神はゆっくりと口を開いた。
「アリス。モチたちもええ加減にせんと、営業妨害や。とにかく物騒な事には変わりないんやから、マリアも夜一人歩きはせんように気ぃつけなあかんで」
 その言葉に4人はそれぞれにうなづきながら再びタラコスパゲティに気持ちを戻してフォークを動かし始めた。
「・・でも通り魔とかってどういう神経なんですかねぇ。誰でもいいから傷付けたいっていう気持ちが理解出来ないのよ。こ
れがまだ強姦目的って言うなら話は早いって言うか・・」
 どうしてもそれから気持ちが逸れないらしい麻里亜の言葉に織田と有栖がグフッとむせる。
「・・・もの食ってる時の話題やないで・・マリア」
「あ、ごめんね」
 恨みがましい有栖の声にケロリと笑って、彼女は残りのスパゲティをパッパと口に放り込んだ。
「ごちそうさまでした。さてと、じゃあ私は今日はこれで」
「え?午後の講義はどないするんや?」
「アリス、掲示板見てないのね。休講よ、休講。あっそれから私、明後日パスします」
「・・・・・」
 驚いたような有栖の顔に彼女は再び、今度は少しだけ苦笑に近い笑みを浮かべて口を開く。
「借りたノートを写すのよ」
 言いながら小さく竦めた肩。
「写すって・・・コピーすればええのに」
「それで済むところは済ませたけど、譲れないところは自分の字で自分が判るように書き直すの。まぁ、こだわりっていうか休んだのは自分だから。というわけで又誘って下さい。その時は絶対に行きます」
「無理はせんようにな」
「はい!」
 江神の言葉ににっこりと笑って麻里亜はカウベルを鳴らしながらドアの向こうに消えた。
 一瞬だけ訪れた沈黙。
 そしてその次の瞬間、おずおずと言った様子で織田がゆっくりと口を開いた。
「・・あの・・俺たちも・・・あさっての予定はパス・・」
「信長さんたちも!?」
 有栖の声に口を開きかけて閉じてしまった織田の後を受ける様に望月が話し始める。
「言うとくけど俺は不可抗力やけどこいつはただの自業自得やからな」
「・・・・古寺アーンド古本屋巡りはメチャメチャ魅力的なんやけど、どーしてもレポートが終われへんねん・・」
 ガックリと肩を落とした織田にフゥッと溜め息を零して再び望月が口を開いた。
「というわけや。俺は企業の就職説明会とかいうのがある言われてな。まぁ、有名会社やエリートコースを望むる気持ちはあれへんし、そんなとこ入りたいとこれっぽっちも思うてへんけど、人生何事も自分の目で一度は見なならんからな」
 うんうんと自分の言葉にうなづく望月に有栖は驚いた様に口を開いていた。
「・・もう・・就職ですか・・」
「甘い!甘いでアリス!俺等はこれでも遅すぎる位なんや」
 「やってる奴は1年の時から動いている」と言われ、やっと受験から解放されたと思った途端今度は4年後の就職に向けて動き出す等自分には到底真似出来ないと有栖は胸の中で深い深い溜め息を漏らした。
「ほんまにすんません!行きたい気持ちは海よりも深く、山よりも高くあった、いえ、あるんです!」
 頭を下げる織田に江神は困ったような笑みを浮かべてキャビンを取り出した手を小さく振った。
「もうええって。行けなくなったんは仕方のない事やろ?でもマリアもモチも信長も行かれへんとなると、俺とアリスの二人
だけか・・・」
 カチリとライターの音がしてジワリと煙草に赤い火がつく。
 どうする?という様に振り向いた顔に有栖は自分の鼓動がドクンと一つ跳ね上がった様な気がした。
「又今度にするか・・?」
 吐き出された白い煙。
「・・あ・・・」
「そんなん駄目です!部長もアリスも予定を空けてあったんでしょう?そしたら行って下さい!それでなきゃ申し訳がたたんわ。思い立ったが吉日・・はちょお違うけど、俺等の分も見てきて下さい!」
「ついでに堀だしもんがあったら買っておいて下さいやろ?お前の場合は」
「それはお前の台詞やろ!俺にフルな!」
 相変わらずの、これぞかけ合い漫才。それに江神はクスリと笑いを漏らしてもう一度有栖を見た。
「だそうや。予定通りに行くか?」
「はい!」
 ホッとした様な両先輩の顔と穏やかな笑みを浮かべてコーヒーをすすり始めた江神の顔。
 それをチラリと見つめて、有栖は純粋に嬉しい気持ちと、二人きりという状況で果たして自分はうまく“ただの後輩”を演じ切れるのかという不安を抱えながらすでに冷め切ってしまったスパゲティの最後の一口を口に入れた。


EMCのやりとりは基本的にとても好きです。
あの雰囲気はぜひ味わいたいなと思う。なんかいい人だよね、みんな。個性的な感じだけど(笑)