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月の出てない月夜の晩に 3

「ほんまに晴れて良かったですねぇ」
「そうやな」
「でも、寒いですけどね」
「そら仕方のない事や。これからもっと寒くなる。この位で寒いなんて言うてたらバチが当るわ」
「バチ、ですか・・?」
 クスリと笑う有栖の声。
「そう、バチ」
 それにクスリと笑って江神が同じ言葉を繰り返す。
 穏やかな、穏やかな休日。
 京都の大学に2年間近く在学をしているからと言ってその神社仏閣に精通しているかと言われたら大間違いなのである。それを証拠に大学から近くはないが遠くもないという距離にあるこの寺を有栖が訪れたのは初めてだった。
 もとは烏丸今出川にあり賀茂の神宮寺だったこの寺は、現在は古本市でも有名で、その別名はこの辺りの地名の由来にもなっているのだと言う。
 本殿から、御影堂、釈迦堂、阿弥陀堂などを順々に巡りながら、有栖は隣を歩くその人の横顔をそっと盗み見た。
 気付いているのか無意識の事なのか古い柱を愛おしげに撫でる手。そんな彼の癖を見るのが好きだと有栖は思う。
「・・なんや?立ち止まったりして」
 ピタリと立ち止まってフワリと笑いながら振り向いた顔に「何でもないですよ」と答えて、有栖は再び歩き出した江神に合わせる様にゆっくりとその後に続いた。
「宝物館の方も見ていくか?」
「そうですねぇ。せっかく来たんやし、見たい気が・・あっ、でも江神さんは見た事あるんですか?」
「いや、庫裏に申し出るんが面倒で見てへんのや」
 妙な所で無精(?)な先輩に有栖はクスリと笑って申し込んできますとパッと走り出した。
 実は推理研の部長である江神とこんな風に古寺巡りをするのは初めての事ではない。二人で出かけた事もある。
 ただそれは勿論、有栖が自分の気持ちに気付く以前の事だったが・・・。
(・・・・来て良かった・・)
 二人で行くと決まった時に感じた不安は有栖の中に今はもうなかった。自分の気持ちを伝える事は出来ないが、こんな風に一緒に居られる事がただ純粋に嬉しいと思っている自分がいる。
 ジャリジャリと靴の下で鳴る玉砂利。
「江神さん!」
 振り向く顔と小さく上げられた手に駆け寄って有栖は勢いづいて口を開いた。
「拝観出来るそうですよ」
 思いのままに浮かんだ笑み。けれどその瞬間江神はふと眩しそうに目を細めて、フイと視線を反らしてしまった。
「江神さん?」
「・・・ああ。ごくろうさん。悪かったな」
 小さく答えてポケットのキャビンを探り、境内が禁煙だった事を思い出して手ぶらのままで手を戻す。
 そんな珍しい江神の様子を不思議そうに見つめて有栖は小さく口を開いて、閉じる。僅かな沈黙。
 やがて有栖の耳にいつもと寸分も変わらない穏やかな声が聞こえてきた。
「・・・吉田神社の方まで足を伸ばそうと思うとったんやけどちょっと無理そうやな・・」
「えっ?・・ああ・・そうですねぇ。この後メインの古本屋巡りが・・あっ」
 いきなり話題転換だと思ったけれどそれがどうしてなのか問う事も出来ずに有栖は出された矢印の方向に進んで行く様にそれに答えて・・
「メインの古本屋巡りね」
「いえ・・・あの・・・」
 ニッと笑った江神の顔にしどろもどろになる言葉。そしてその次の瞬間、ガマの油よろしく汗をダラダラとかきそうな有栖の目の前で江神がゲラゲラと笑い出した。
「江神さん!」
「いや・・ほんまに正直な奴やな・・有栖」
 かしげた首にさらりと揺れた長い髪。
「知りません!行きますよ!」
 言いながらズンズンと宝物館の方に進んで行く有栖の後から楽しげな足音が追いかけてくる。
「アリス、アリス」
 追ってくる声。
「吉田神社は2月に大きな『鬼やらい』があるんや」
「−−−−−−!」
 その瞬間、ピタリと立ち止まった目の前の身体に江神はクスリと笑って言葉を続けた。
「“追儺式”とも言うんやけどな、参道にひしめくように露店が出てえらい賑わいになる。今日は行けへんけどその時に合わせて行くか?」
「行く!行きます!」
 クルリと振り返った有栖の瞳の中で江神はフワリと優しい優しい笑みを浮かべた。
「ほんなら決まりや。それじゃあ宝物館を見たら腹ごしらえをしてメインイベントに移ろう」
「・・・江神さん、もう勘弁してくださいよ・・」
 再び聞こえてきた笑い声。
 その中で有栖は思っていた。
 それが自分だけに向けられたものであればいいのにと。二人で行く約束だったらいいのにと。
(・・せやから・・言われへんねん・・・)
  −−−『二人で行きましょう』
  −−−『信長さん達も誘ってみんなで行きましょう』
 頭の中で浮かんで消えた2つの言葉。
 こんな自分がひどく嫌だと思いながら、仕方がないのだと思う自分を有栖はもう知っていた。
「この先に某国立大学のたまり場として確固たる地位を保って
いる喫茶店があるんや。焼きたてパンが食えるぞ」
 穏やかで、優しい、耳に心地の良い声が聞こえる。
「某国立大学ですか?」
「そう、某国立大。なりすまして行くか?」
「ええですねぇ」
 仲間、後輩・・・・けれど・・・でも・・。
 向けられた視線ににっこりと笑って答えながら有栖は果たして自分がきちんとそれを演じ切れているのか判らなかった。そしてふと小さく俯いた自分の顔を江神が見つめていた事も有栖は気付けなかったのだ。


二人が神社巡りをしているのって見てみたいと思うのは私だけかなぁ?