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月の出てない月夜の晩に 6

「・・・やっぱり何にもないわよねぇ」
 夕暮れ時の河原町三条の交差点は昨日程ではないもののそれでも十分すぎるほどの人で溢れていた。
「せやから言うたやないか」
「だって現場100回は基本でしょう?」
「何の基本や。何の。ほら、気が済んだやろ?帰るぞ」
「なーにが気が済んだだろよ。自分だって結局気になってたくせに。江神さんに知られるのが嫌なんでしょ」
「え・・?」
 突然出てきた名前にどぎまぎとする気持ちを押し隠して有栖は唇を尖らせたような麻里亜を見つめた。
「私だってあんな風に言った江神さんの言いつけ破ったみたいに思ってるんだから」
「・・・・悪かった。ここまで来てりゃ一蓮托生言うか、同じ穴のムジナやもんな」
「・・・何か・・それもいやね」
「あのなぁ・・」
 言いながらお互いに顔を見合わせて、二人は同時にプッと吹き出してしまった。
 クスクスという笑い声が重なる。
「何だか私たち悪戯してビクビクしてる子供みたいね。アリス、何か食べて帰ろ」
 パッと一歩前を歩き出して麻里亜が振り返った。
「・・・マクドナルド位なら付き合える」
 続く様に歩いて有栖が答える。
「ビンボーね。って私もそれ位がいいな」
「あーあ、バイトせなあかんな」
「私も又バイトしようかな」
 同じ歩調で肩を並べて歩く自分たちは端から見るとどんな風に見えるのだろう?そんな馬鹿げた事を考えた途端有栖はギクリと身体を強張らせた。
「アリス?」
 いぶかしげなその声に応える事も出来ず、まるで油の切れたロボットの様にギシギシと軋むような動きでゆっくりと後ろを振り返る。
「ねぇ、どうかしたの?アリス」
 心配気な色をにじませた麻里亜の声が遠い。
 視界の中には変わらぬ雑踏。
「アリスってばアリス!」
「・・・視線が・・」
「え?」
「背筋がゾクッとするような視線を感じたんや・・・嫌な視線・・・悪意・・というより憎悪のような・・」
 まだゾクゾクとするような背中に思わず両方の二の腕のあたりを自分の手でさすりながら有栖はもう一度グルリと周りを見回した。
 恐ろしいほどのそれはもう何も感じない。
「ねぇ、アリス何もないよ。変な人影も見えないし」
「もう、平気や。ごめん」
「ううん。・・アリス、私やっぱりここからバスで帰る。暗くなる前に家に着くから」
「マリア?」
「何か罪悪感って言うか、約束を破っちゃった後悔みたいな気持ちが押し寄せてきてる。ほら、例の通り魔も捕まってないし。せめて夜一人歩きはしないっていう約束位は守らなきゃ。」
「・・そうやな」
 有栖の返事に麻里亜はホッとしたように笑みを浮かべた。
 肩の辺りでふわりと揺れた赤っぽい髪。
「明日一緒に謝ろう、アリス。で、もうしませんって約束しなおすの。そしたら今度こそ何か食べに行こう?」
「ああ。出来ればもう少しいいものを食べられるといいんやけどな」
「頑張れ勤労青年!期待してるね」
「アホ!」
 「じゃあ」と笑って手を上げてクルリと踵を返すと、向こうから走ってきたバスに向かって走ってゆく背中。
 それを見送って有栖はゆっくりと歩き出した。
 このまま四条まで歩いて阪急に乗ればいい。
 ふと見上げた宵闇の空に浮かぶ、どこか淋しいげな細い月。
 細い月は全て三日月と呼ぶのかと思っていたのだが満月を越えた後のそれは二十六日月と言うのだといつの頃だったか教えて貰った。そうして後3日もすればそれは新しい月に生まれ変わるのだと。
「・・・・・約束か・・」
 月よりも明るく、輝き出したネオンたち。どこからか少し気の早いクリスマスソングが流れてくる。
“深入りはするな”
 別にそれは約束だった訳ではない。どちらかと言えば忠告という方が正しい。けれど、あんな顔の、あんな言葉を聞いたのは多分初めてだと有栖は思った。今まで幾つかの事件に巻き込まれたけれど、それでも彼と一緒なら不思議と大丈夫だという気にさせられたのだ。
 雨に閉じ込められたあの村で離れていた時でさえこんな気持ちにはならなかった。
“江神さん・・”
 これはそれを無視してしまったという罪悪感だけなのだろうかと有栖は自分に問いかける。
“嫌な・・気がするんや”
 江神の言葉が脳裏に甦り、自分の中でじりじりと迫ってくるような何かと、先ほど感じた恐ろしい程の視線に絡んで重なる。
 ゾクンと背筋が震えた。
 有栖は自分が何かとんでも無い事をしてしまった様な気がしていた。ただ昨日のこの場所に麻里亜と一緒に来ただけの事なのに取り返しのつかない一歩を踏み出してしまった気さえして胸の中に絶望感にも似た何かが広がって行く。
「・・・明日・・謝ろう・・」
 叱られた子供の様に二人で頭を下げたら彼は何と言うだろうか怒るだろうか?呆れるだろうか?それとも・・・
「アホみたいや・・・俺・・」
 何だか涙が出そうになり、慌ててグッと唇を引き締めながら有栖は夜の帳が降り始めた街の中を何かから逃げる様に その歩調を早めた。


遠まわしに何かが起こっているって感じかな・・・さて・・どうなるんでしょう・・・・