Week 5

相変わらず資料に埋もれた様な研究室。
やってもやってもいっこうに終わりの見えない仕事にうんざりと溜め息をついて、火村は先程助手が淹れていったコーヒーに手を伸ばした。
 窓の外はそろそろ茜色に染まる。
 冬の日暮れは早い。
 思わず時計を見て、まだこんな時間なのかともう一度安堵と落胆の混ざったような溜め息を落としながら、火村は有栖のマンションからも同じようにこの赤い夕日が見えているのだろうか等と埒もない事を考えてカップを机の上に戻した。
『嫌やったやろ・・?』
 おずおずとそう口にした表情が忘れられない。
『君・・男とも・・』
 信じられないと言うように見開かれた瞳と、その後で“他の奴にもそんな事をしていたのか”と言い返されて怒ったような、傷ついたような顔をしていた有栖。
 あの夜、好きなだけ人の気持ちを掻き回して眠ってしまった有栖の服を脱がせる事に躊躇いはなかった。
 そしてその肌に唇を寄せた瞬間、いっそこのまま等と盛りのついたガキのように思いながら赤い跡を残した自分についつい失笑が浮かんで、端から見たら薄気味悪い事この上ないなと火村は再びすっかり冷たくなってしまったコーヒーを口に含む。
 あの日から5日。
 火村自身が決めた期限が近づいてきている。
 有栖は何を考えて、どういう答えを出すのだろうか。
 そう思うそばから有栖がどんな答えを出したとしても自分はもう有栖を逃すつもりはないのだと火村は思っていた。
 長年の付き合いである。もしも本当にそれが嫌だったら、例え自分自身が誘ったのだとしても、有栖は自分を抱いた火村を許さなかっただろう。
 有栖川有栖はそういう男だ。もしかすると誘ったと言う事さえも信じなかったかもしれない。
 けれど有栖は信じた。
 自分が火村を誘ったと。そして、火村に抱かれたと思いこんでいる。
 それなのに『一週間』という時間を有栖は受け入れたのだ。あまつさえ火村に向かって「自分も考えろ」とさえ言った。もう手放せるわけがない。
「人間の欲ってぇのは恐ろしいな、アリス・・」
 ほんの一週間ほど前までは己の気持ちを告げるつもりなど火村には全くなかった。
 このままの関係でいられればいいのだと気持ちを殺してそばに居る事だけが願いだった。それなのに、今はあの存在が欲しくてたまらない。
 あの日のように口づけて、何もかもを奪ってしまいたいと思っている自分がいる。
 もしも有栖が抱かれてもいいと火村を受け入れるならば、驚かせないように、けれど確実に彼の心までも手に入れよう。
 そして、有栖がやはりそんな事は嫌なのだと自分を遠ざけようとするならば、徹底的に彼を避けお前がそれを望んだのだと冷たい言葉を浴びせよう。
 その上で、彼が自分の手に中に落ちてくるのを待っていればいい。勝算は十分にある。有栖はきっとその仕打ちには耐えられない。有栖は火村を切り捨てる事は出来ない。
 例え有栖本人を泣かせてもあの存在は失えないのだ。
「・・・まるで犯罪者だな・・」
 自嘲気味にそう呟いて、火村は資料に埋もれた机の上から真新しいキャメルのパッケージを取ると、フィルムを開けてトンと一本取り出した。
 そうしてふと、その一本を逆さにして元に戻し、違う
一本を取り出して銜える。
 それはいつか有栖が話していた他愛のない「まじない」 だった。

“なぁなぁ、煙草のまじないって知っとる?”
“興味がない”
“そう言い切るなって。聞くだけはただやろ?あのな。封を開けるやろ?で、はじめの一本を取り出して、それは吸わずに中に戻すんや。しかも入れてあった時とは逆さまに”
“くだらない。その根拠は?大体その戻した一本はどうするんだ?吸わずに溜めていくのか?”
“そいつは『お願い煙草』になって一番最後に吸うんやて。その箱が終わるまで願掛けをしてるんやな。ようするに”
“で、その一箱が吸い終わっても願いが叶わなければ新たな箱で願いをかけると”
“大正解!・・って君なぁ、そのあからさまに聞くんやなかったって態度はないやろ?”
“思っている事がついつい顔に出やすいタチなんでね”
“嘘をつけ!!いつだってポーカーフェイスのくせに”

 あの時のまじないを勿論信じているわけではない。
 けれど有栖が言ったそれを試してみるのも悪くはないと火村は2本目に取り出したキャメルに火を点ける。
「この箱が終わるまでに答えをくれるんだろう?」
 そう言ったそばから、それならば少し節煙をしなければ等と思いつつ、火村はクスリと笑って広げたままの資料の束に視線を落とした。


何だか余裕な火村ってむかつく・・・・のは私だけでしょうか(;^^)ヘ..