Week 6

 ついに訪れた約束の日。
 当たり前だが有栖がどう願っても時間は止まらず、かといってその日だけが抜かされてしまう事もなく、無情にも今日と言う日はやってきた。
 さすがに夕べ辺りはいっそこのまま逃げ出してしまおうかとも考えたのだが、それでは何の解決にもならないのだと自分自身に言い聞かせて有栖はどうにか逃走を思いとどまった。
 そうして朝からブツブツと何かを呟いたり、泣き出したくなったり、そうかと思えばヒステリー(だろう)を起こし、洗っていたカップに八つ当たりをして反対に指に怪我をしてしまったりと有栖の神経はすでに焼き切れる寸前だった。
 そんな中、2時間ほど前に火村から『9時頃になる』という電話が入って、有栖は先程からクッションを抱えたままソファの上をゴロゴロと転がっては唸るという奇行を繰り返しているのだ。
「・・・死にそう・・」
 ポツリとそう呟いて有栖はクシャリと顔を歪めた。
 この一週間、考えて考えて考えて、それでも納得のいく答えは出なかった。何故なのかと言う事を突き詰めて考えてゆくと『火村だったから』にしかなれなくて、もう一つの方は口にするのも憚られるのだが『自分だったから』とかなり自惚れているのかとしか思えない答えしか引き当てられなかったのだ。
 仮にも推理小説作家なのだからと考えてみたが、自分は推理小説を書く人間であって、間違っても『抱く』だの『寝る』だのという所謂「恋愛」ものやあまつさえ「官能」もののようなアイテムは無縁なのだ。更にそれが男同士等とくればお手上げで当然ではないか。
 開き直るつもりはないが、判らないものは判らないし
火村という男を自分の生活から切る事は出来ない。
 それが有栖の答えだった。
 だから・・・・。
「ううう・・よぉ言われへんで・・」
 低く呻いて有栖は抱えていたクッションにバフッと音がする程勢いよく顔を埋めた。
 時計はそろそろ火村が伝えてきた時間に近づいてきている。
「しっかりしろ、アリス」
 自分が蒔いた種は自分で始末しなければならない。
 無意識のうちに自分が「寝よう」等と言っていたのならばそういう事なのだろう。
「・・・・コーヒーでも落とそう」
 フラリと立ち上がると有栖はキッチンに向かって歩き出した。
 そう言えばあの夜も確かコーヒーを淹れるとごねていたんだなと有栖はうっすらと残っている記憶に顔を顰めた。
「どうせ覚えとるんやったらもっと肝心な事覚えてればええのに」
 後に悔いると書いて後悔と読む。
 そんな事を考えながらコーヒーメーカーの用意を終えたその瞬間、ドアフォンが鳴った。
「!!」
 思わずビクリと震えた身体。
 けれど次の瞬間、そんな事ではいけないと自らを奮い立たせるようにして有栖は玄関に行き、勢いよくドアを開けた。その途端瞳に飛び込んできた、少しだけ怒ったような火村の顔。
「火・・村?」
「お前なぁ、いつも相手を確かめてから開けろって言ってるだろう?」
 開口一番は小言だった。それに虚勢を削がれて有栖はムッと口を尖らせる。
「せやかて来るっていう約束してたの君だけやもん」
「予約をする強盗はいないぜ」
ああ言えばこう言う。思わず頭の中に浮かんだ言葉。
 だがここでこんな事の言い合いをしている程、今の自分には余裕がない。
「・・・判った。今度からはちゃんと確認する」
 ボソボソとそう口にしながら火村が入る隙を開けて廊下の方に移動したした有栖に「そう言ってやった試しはないけどな」と言って火村はパタンとドアを閉めた。
「コーヒーかいい香りだな」
「ああ。ちょうど淹れてるところや」
 言いながら踵を返して歩き出すと後ろから当たり前のようについてくる足音。
 それを聞きながらまずは普段通りに話が出来た事にホッとして、有栖はリビングに入るなりいつもと同じようにソファの上にコートを放り投げそのままその脇にドカリと腰を下ろす火村を視線の端で捕らえてキッチンへと向かった。
「飯は?」
「まだ。お前は?」
「・・まだや」
 そう。大体それどころではなかったのだ。更に付け足して言えば昨日あたりから何を口にしていたのか今ひとつはっきりしない。
「参ったな。やっぱり何か買ってくるべきだったな。コーヒーだけじゃ腹の足しにならないし。冷蔵庫の中に何かあるか?」
「何って言われても・・・」
 何か出来そうな食材があっただろうか。 
「えー・・・っと・・・」
開いた冷蔵庫。
「・・まさかひからびた野菜や肉が入っているんじゃないだろうな」
「生鮮食料品の類は買わんもん」
「威張って言える事じゃないだろう?」
「うるさいな・・あー・・うーん・・・」
「アリス」
「ちょっと待てって・・」
「アリス、退けよ」
「退けって・・・うわっ!!」
 いつの間にやってきたのか、後ろから覗き込まれるようにそう言われて、有栖は思わず声を上げると飛び上がるようにして2.3歩後退ってしまった。
 途端に向けられた訝しげな眼差し。
 そうして僅かばかりの沈黙の後で、火村は今までとは打って変わったような、どこか暗い色を浮かべた瞳を有栖に向けた。
「なるほど・・・」
「ひ・・むら?」
「それがお前の出した答えなんだな」
「なに・・」
 ヒクリと喉が鳴った。
引きつる顔。
「判った。悪かったな、もう来ない。電話もしない。安心していいぜ」
「火村!?」
 言うが早いかクルリと踵を返すと火村はソファにあったコートとバッグを掴みそのまま玄関に向かって歩き出した。
「ちょ・ちょっと待・・火村!待てって!!」
 クルリと振り返った冷たい横顔。
「何でだ?お前は俺が近づくのが嫌なんだろう?一週間考えて出した答えがそれなら仕方がないじゃないか」
「・・仕方がない?」
「違うのか?今後も何も考える余地はないって事なんだろう?それともこの前の事は無かった事にしてもしも今後そうなった時はそうなった時だ、なんていうお気楽な事を考えてたんじゃないだろうな?そんな事をしても事実は変わらないぜ?なぜお前は【寝よう】なんて言ったんだ?」
 たたみかけるような言葉を聞きながら有栖は自分の気持ちが冷えて行くのを感じていた。それと同時にこの一週間考えもしなかった一つの仮定が頭の中に広がってゆく。
 もしかしたら・・・・
 もしかしたら火村自身が“そう”なのではないのか。
 今後がどうだとか、考えてみろ等と言ったのは火村自身が嫌になっているからなのではないか。
 どう考えても火村が男を、それも友人である自分を抱く等という方がおかしい。そんな事を言って火村こそが有栖川有栖という人間を切ろうと考えているのではないか。もしそうだとしたら、自分は一体いつからそんな風に火村に疎まれてしまうようになったのだろう。そして火村はいつからそんな気持ちを殺して有栖と付き合いをしていたのだろう。
 考えれば考えるほどそれはひどく的を射ているように
思えて有栖の気持ちを悲しくさせた。
 自分はこの一週間こんなにも悩んで、ただひとつ“火村は失えない”と答えを出したのに。
「・・仕方ないって・・」
「アリス?」
「仕方ないって何でそんなに簡単に言い切れるんや?君こそ・・君の方こそ俺を切りたかったんと違うんか?」
「・・何を言って・・」
 お互いの気持ちがすれ違っている事が判らないまま、二人は立ち竦んでいた。そして今度の沈黙を破ったのは有栖だった。
「俺は・・俺は考えた。すごく・・ものすごく考えた。いっそ逃げ出してしまおうかとも思ったし、その記憶だけでなく全部忘れてしまえば良かったなんて後ろ向きな事まで考えた!でもちゃんと今日ここにこうして君と向き合ってる。俺は君を切る事は出来へんて答えを出したのに何で君は仕方ないで終われるんや!?このボケ!カス!アホんだら!!」
 一気にそうまくし立ててハァハァと息をつく有栖を火村は何処か信じられないように見つめていた。
 その沈黙をどう取ったのか、有栖の顔が傷ついた子供のようにクシャリと歪む。
「・・・寝よう、火村」
「!!!!」
 聞こえてきた言葉に火村は思わず持っていたコートと荷物をドサリと床の上に落としてしまった。
「・・アリス・・?」
 何がどうしてどうなっているのか理解が出来ない。
 そんな初めて見るような火村に有栖は僅かに朱を掃いた顔でもう一度口を開く。
「俺・・何で君を誘ったんか判らんけど、でもこれがもしも他の奴だったらと思って、でもすぐにそんなん考えるのも嫌やて思うた」
有栖の言葉に火村は胸の中で“もしもでも考えるな”と毒づいて僅かに顔を顰めた。そんな火村の気持ちが判る筈もなく有栖は言葉を続ける。
「あとなんで君が応じたのかも判らなくて、酔っていたんだとか、溜まっていたのかとか・・」
「・・アリス」
「考えてみたんや、一応!・・俺だったからとか思い上がったような事も思ってみた。笑うなよ。判らなかったんや。でも・・君とは“こんな事”で今までの時間を失いたくないんや。お・・男と寝る・・なんて・・ほんまやったら“こんな事”やなくて“大変な事”なんやて判ってる。でもこんな事って思えてしまう位・・」
「・・・・・」
「・・俺・・俺・・ほんまに今までそんな・・お・・男を誘うなんて事した事ない。本当に・・俺は・・」
「判ってる」
「火村?」
「知ってるよ」
「・・・うん」
 コクンと安心したように頷いて、有栖は先程よりも赤くなった顔を火村に向けた。
「だから・・君が嫌やなかったら、寝よう。これから先も付き合いを続けていくなら、もしかしたら又こんな事があるかもしれへんのやろ?」
「・・・・素面の時に寝てみて大丈夫なら、折り合いをつけていこうって事か?」
 火村の言葉は当たっているようにも、ひどく的はずれなようにも思えた。
 有栖自身、なぜこんな風に考えて答えてしまったのか判らないので、結局何も言えなかったのだが、ただ改めてそうする事で、その時の自分が何を思ったのか。目の前にいるこの男の事をどう思っているのか判るかもしれない。そんな風には思っていた。
「お前は“俺だから誘った”と思った。そして俺は“お前だから誘いに応じた”という答えを出したと思っていいんだな?」
「・・・・ああ」
 有栖は答えながらそっと瞳を閉じて息をついた。
 そうしてすぐにそれを開いて、もう一度火村の顔を見つめた。
「・・こんな言い方は嫌かもしれへんけど、これはこれからも君との付き合いを続けてゆくための儀式や。せやから・・嫌やなかったら寝よう、火村」
 真っ直ぐに重なる視線。
「・・いいぜ。寝よう」
 返ってきた答えにホッとしたような、それでいて今までとは違う意味で緊張をしてきはじめているらしい有栖の様子に火村は微かな笑みを浮かべて小さく口を開く。
「でもそれは勿論、枕を並べてお休みなさいってだけの事じゃないよな?」
「え・・?」
 ニヤリと笑う火村に瞬間、有栖の頭の中を何かが掠めて通った。けれどそれが形にならないうちに火村は有栖の腕を引き寄せてしまう。
「ひ・火村・・?」
「何だ?」
 ドクンドクンと早まる鼓動。それを気付かれたくなくて、有栖は引き寄せられた腕の中から赤く染まった顔をを上げた。
「そ・そういえば俺ばっかり喋って君の答えを聞いてなかった」
「ああ・・」
「君は?君は何で俺が誘ったと思ったんや?何で君は誘いに乗ったんや?」
「・・そうしたいと思ったから」
「え?」
「もう黙れよ。寝るんだろう?」
言いながら頬に触れた唇。
「・・・・・うん」
 もう隠せないほど早くなった鼓動を抱えて、赤い顔を更に赤く染めながら、有栖はゆっくりと頷いた。


こういうのって後から読み返すほど、こっ恥ずかしいものなんですよね(*^^*ゞ