友情と愛情の境で 8


「なん…で…」
『開けないなら容赦なくドアを叩き壊すからな』
「ち…ちょっと待て!」
 物騒な言葉に有栖は慌てて玄関へと走った。そうしてガチャリと鍵を開けると有栖が開けるよりも早く扉が開かれる。
「うわ!危ないやろ!!」
「生憎余裕がないもんでね。上がるぜ?」
 答えを聞く間も与えずに玄関に入ると火村はそのままドカドカとリビングに向かって歩き出した。手にしているのはいつものバッグだ。
それではカナダに行っているというのはガセネタだったのだろうか。
「なんだ?今頃朝飯か?しかもトーストとコーヒーだけ。相変わらず貧弱な食生活を送っているんだな」
「お蔭さんでな。何やそないな事を言いに来んか?」
「勿論別のことさ。この間は誰かさんがまともに話をさせてくれなかったんでね」
「………」
 言いながら火村は勝手知ったる様子で灰皿を出して有栖が座っていた椅子の向かい側に腰を下ろした。
 取り出されてカチリと点けられた火。
 どこか忙しなく吸って吐き出された白い煙。
「2月くらいに島田教授からカナダのビクトリア大学への客員教授の話が飛び込んできた」
 話はいきなり始まった。
「とりあえず推薦をするがいいだろうかという話だった。この時点ではまだ雲を掴むような現実味のない話だったのさ。ところが3月半ばを過ぎて一度会って
話をしてみたいと言ってきたと展開があった。でもこの時点でも具体的なことは何もなかったんだ。それが4月の頭にはいつなら来られるのかと言う話になった」
「2月……4月……」
 火村が有栖に告白をしてきたのは12月の半ば過ぎだ。それではカナダに招かれる話がきたから言おうと思ったわけではないのだ。
それならばなぜ火村は10年以上も経って思いを口にしたのか。
 そんな有栖の疑問が伝わったかのように火村は灰を灰皿の上でトンと落として再び口を開いた。
「言うつもりはないと言う気持ちと、いっそ言っちまえって気持ちの両方が自分の中にあったんだ。去年の終わりごろのフィールドワークで」
「え…?」
「お前は年末進行とかでガタガタしてたみたいだから声はかけなかったんだけどな。告白をしようと思っていたら事件に巻き込まれてその相手が自分の知らない
ところで殺された。はじめはその男に容疑がかかっていたんだけどな。言わずに後悔するなら言って後悔した方がどれほどかマシだったかってさ。こんな風に
何かにいきなり奪われてしまうことなんか考えてもみなかったって。振り向いてもらう努力さえしなかったのが何より辛いとさ。笑っていいぜ?そんな今時の
恋愛ドラマにもならないような話を聞いて俺は大いにうろたえたわけだ。ずっとこのままでいい。ほんとにそれでいいのか。言わずにいることは本当に傷つけ
ないことなのか。何も変わらないことが幸せなのか。でもその考えは自分の独りよがりな考えではないのか。重本や学生たちに具合が悪いのかと心配されるく
らい考えた。笑えるだろう?いい年をして」
「…そんな…」
 それならば自分の気持ちすら気づけなかった自分の方がもっと滑稽だ。
「それで年末に久しぶりにお前に会ったらたまらなくなった。考えていたことなんか馬鹿みたいに吹っ飛んでいたさ。困らせるかもしれないと思ったけれど
それでもいいと勝手なことを思った。予測はしていたがその後何となくぎこちなくなってしまったお前にやっぱり言うんじゃなかったとも思ったよ。だから
できる限りいつものように、今までと変わりなく振舞おう。ところがそのうちに今度はあまりにも変わらなくなりすぎて、正直に言えば忘れられてしまったか
夢だと思われてしまったかと思ったりもした」
「…わ…忘れるはずがないやろ…」
「ああ、そうだな」
「俺かて色々考えて、でも判らなくて、でも…」
 途切れた言葉。
 このままやっぱり好きだと言ってもいいのだろうかを有栖は思った。それはムシが良すぎる話ではないのか。
「…それで…カナダは決まったんか?いつ行くんや?」
「行って来た」
「は…?」
「客員教授に推薦をされていたのは俺だけじゃないんだ。色々なところに声がかけられて、色々な人間が候補になっている。今回はいわば面接ってやつかもしれ
ないな。でも行く気はない」
「どうして!?だってせっかくのチャンスやろ!」
「他の候補者の中にいい論文を出している学者がいるんだ。どうやら俺は今回はおよびじゃないらしい。島田教授も本決まりじゃないって何度も言っていたからな。
行ってみてはっきりしたよ。いつかは考えるかもしれないが、今はまだ俺のフィールドは日本国内だな。それに」
「それに?」
 思わず繰り返してしまった言葉に、火村はニヤリと笑ってほとんど吸わないまま短くなってしまったキャメルを灰皿の上に押し付けた。
「色呆けてて今はそれどころじゃない」
「はぁ!?」
「俺に言うことがあるだろう?アリス」
「なに…俺は…この前ちゃんと…」
「好きって言葉が判らない」
「…そう…や」
「友情と愛情の違いが判らない」
「そう…」
「でもお前はこうも言ったんだ。いつでも応援していると。居てくれて良かったと。大切だと思ってるってな」
「……」
「俺には最高の愛の告白に聞こえた」
「!君、耳おかしいで!」
「おかしくはないさ。行くなって、好きだって叫んでいただろう?」
「そんなん言うてへん!」
「俺には聞こえた」
「…随分都合のいい耳やな、先生」
「ああ。だからちゃんと聞きに来たんだ。一週間の予定を早めて帰ってきた。荷物は関空から送ってここに直行だ。中々情熱的だろう?」
「…ふざけんな」
「勿論ふざけちゃいない。時差ぼけもない。いたってまともだぜ?あの日ここに来なかったのは、来たらお前に酷いことをしてしまいそうだったからだ。今何を
言ってもパニックを起こしているようなお前が俺の言葉を聞くとも思えなかったし。それに3日後には一度カナダに行くことも決まったしな。それでも誕生日前
には戻ってくる。自分の誕生日をこんなに待っていたのは生まれて初めてだ。一足早いが俺にプレゼントをくれるんだろう?」
「……」
「会いたかったって言えよ」
「……」
「何も知らなくてムカついて、悲しかったって」
「……」
「あんな風に言ったけど、本当はもうちゃんと判っているって」
 次々と言い当てられていく有栖の感情。そして。
「俺が好きだろう?アリス」
「……」
「言ってくれよ」
「……」
「アリス…」
「自信過剰や…」
「…ああ…」
「10年も隠し続けて来たのに隣にいて気づけへんかった。まったくどんな詐欺師や」
「…ああ」
「ギリギリまで言わへんで。俺がどれだけショックだったか判るか、アホゥ!」
「……」
「他の人間から聞かされた時の気持ちが…」
「今度何かあったら真っ先に言う」
「当たり前や!一番でなかったら許さへん!」
「ああ。判ってる」
「約束やからな」
「約束だ」
「ほんまやで」
「本当だよ」
「……なら…許したる。ちゃんと…俺も言う。君が好きや。俺も、君が好きや」
「…ああ」
「判ったんか?」
「ああ、判ったよ。よくね」
 そう言うと火村は座っていた椅子から立ち上がって有栖の唇を掠めるように奪った。
「!!!!」
「立派に愛情。恋愛感情ってやつだ」
「…」
 ニヤリと笑って火村は再びキャメルを取り出し、そして口も聞けずにいる有栖を見て少しだけ困ったような顔をする。
「そんな顔をするなよ。理性がもたなくなるだろう」
「そんな顔って…大体理性って…」
「真っ赤になって可愛い顔。理性は勿論そういうことだ」
 真顔でそんな事を言わないで欲しいと有栖は心の底から思った。


うおおおおおおお!