Yuzu
変な話ですが。
僕はあの会社の集団面接でそう言った。
最後に残るものを作りたいと思って。
「おまえ変なこと言ってたよなあ」
入社式で悟浄に肩を叩かれた。
「友達いねえだろ。なってやろーか」
初対面から失礼な男だった。もしかしたら子供の頃、映画か何かで見たのかもしれない。白く輝く建物が整然と、見渡す限り並んでいて、でも人はひとりもいない。動くものは何もない。なんとなく、最後はこうなるのかと納得した。人が滅んだあと、文明が滅んだあと、土や水の下に残るものはこれかと。かくいう悟浄は「選ぶホテルや住んでる家や町や勤めてるビルで女は男を決めるから」とかなんとか意味不明なことを言い社長を喜ばせていたが、部屋を出た途端「知り合いに引っ張り込まれて内定ここに決まってる」とぶつくさ言った(今思えばそれが捲簾だったわけだ)。
「八戒、思ってることは全部言え。好きとか嫌いとか、全部」
僕が天蓬を好きになった時、何故僕より先に悟浄が気づいたのか。少し考えれば分かったものを、その時は余裕がなかった。生まれて初めての暴力的にふってわいた恋に夢中だった。
相手は上司だ、迷惑にきまってる。
言い終わる前に悟浄はバンとテーブルを(QUARTETだったかどこだったか)叩いた。
「言っても言わなくても気づかれるんなら言うのが親切。向こうに対策がとれる。言わないで後悔したら一生引きずる。言わなきゃ可能性はゼロで、言えばゼロに近いがゼロじゃねえ、ほら行け!」
どんと背中を押されて、この恋が動き出した。何度も何度も諦めかけて泣きかけて、そのたびに悟浄に引っ張り上げられた。
いつもいつも悟浄がいたから。悟浄の恋になんかこれっぽっちも気づかずに。
あれから1年もたってない。誰も変わってない。
悟浄は悟浄のまま、僕は僕のまま、捲簾も天蓬も、みんな変われなかった。
ほんとは悟浄は分かってる。捲簾と天蓬がくっついちゃいないこと。でもいつかそうなること。どうなっても僕が天蓬を忘れないこと。悟浄が捲簾を忘れないこと。
だから、こうして僕の中の天蓬を許してくれる。
「浮気していいよ」
水族館を出て冷え切った手に息を吐きかけたら、悟浄はいきなり僕の手を握るとぼすっと自分のポケットに突っこんだ。
「浮気していい」
「何でです?」
「俺もするから」
石畳にポツン、ポツンと水の跡がつきだした。
「俺は世界中の誰にでも何にでも浮気するから、おまえもしていいよ」
「いそぎんちゃくとか」
「うん。深海魚とか。メスの」
悟浄の赤が綺麗に映える。
雪になれ。
電車が、先に僕の最寄り駅に止まった。
「ついたぜ」
「…ですね」
目の前で扉がゆっくり開いて、僕らの見ている前で、またゆっくり閉まった。
「…雪だしな」
しばらくして悟浄が呟き、それが何だか可笑しくて笑いが止まらなくなり、悟浄に頭を殴られるまで笑い続け、ようやく「貴方のとこじゃ止んでるかもしれないから行っていいですか」と言ったときには、いっそう酷く雪が降りしきる悟浄の最寄り駅に電車が止まったところだった。
「さっむ!悟浄、ラーメン食べましょラーメン」
「おまえQUARTETで食ってきたんじゃねえの?」
「ラーメンは食べてないです」
僕はまだ一度も、言葉で悟浄に答えていない。
悟浄も僕に言わせない。
結局恋人同士だって片思いだ。同じくらい好きなんて絶対ない。追っかけてる時はいいけれど、捕まえたら今度はいつ逃げるかいつ逃げるか毎日不安で弱くなる。ずっと一緒にいる約束はできない。世の中はタイミングだ。天蓬が来たら、天地がひっくり返ってもそんなことがあり得ないにしても、もし天蓬が僕のところに来たら、タイミングによったら僕は天蓬をとるかもしれない。捲簾が悟浄のところにきたら、悟浄は捲簾をとるかもしれない。絶対は言えない。だから言わない。
弱くて不安で道を間違える。迷って考えすぎて一歩踏み出すのが遅れ意地で言葉を呑み込む。
抱き合っても貪り合っても、いつも間に天蓬と捲簾がいる。
凭れ合って眠りこけていた、あの光景がずっとある。
「八戒、胡椒とって胡椒」
「チャーシューいります?」
「あ、いんねーならもらう」
でもふたりだ。
今、ふたり。
同じ電車に乗って、同じものを見て、同じ寄り道をして、一緒に泣いて、一緒にものを食べて、一緒に雪に降られて。この恋がもし失敗しても、いつか二度と会えなくなっても、悟浄がありとあらゆるものに僕を思いだすように。次に悟浄が愛する人が、悟浄と新しい想い出なんか作れないように。何をしても僕が重なるように。
「にんにくの匂いする」
「おまえもだっ…つの」
玄関を閉めるなり縺れ合って壁に凭れたまま、靴も上着もそのままで、声も出さない短いセックスをした。崩れたあとも、髪にとまった雪が吐く息で緩く溶けて、お互いの顔をびしょ濡れにしながらぼたぼた滴っていくのが、濡れた髪がべったり吸い付いて離れないのが、気持ち悪くてだるくて寒くて熱くてもう滅茶苦茶に気持ちよくて、冷たい床でまた痛いほど抱き合った。
水の中みたいだ。
「…絶対風邪ひく」
「まあそれもありです」
「おまえ、してる時人の顔ばっか見ないでくれる?」
「見ちゃうんですからしょうがないでしょう」
揺れても遠くても、少しずつ悟浄を僕のものにしてみせる。
そうやって、悟浄に勝ってみせる。
負けて負けて手に入らなくて、悔しい時には天蓬のことを考えて。
「いつかさあ、ほとぼりさめたら同窓会しようなQUARTETで」
「…何を言ってんだか」
悟浄が眠ってしまった後、僕は4人がバラバラとQUARTETに集まって席につく図を想像してみた。季節はやっぱり冬で、悟浄と捲簾はわあわあ五月蠅くて、天蓬は相変わらず「僕はちっともこんなところにいたくない」という顔をしていたが、その様子はどうしても、そんなに悪い景色には思えなかった。
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