ペーパーラジオショウ2

連載私生活ベースのパラレルです。1はこちら




 …悟浄だ。
 何事だ。夜ならともかくまだ夕方だ。テレビ局という職場が夕方のニュースとゴールデンタイムを前に最も殺気立つ時間。
 一秒も休む間もなく延々開閉を繰り返す正面玄関の自動ドアに軽く同情しつつ、捲簾は携帯に耳を押し当てた。
「んだよ、こんな時間に。忙しいんだよてめぇと違って」
「あ…ごめん」
 毎度毎度そんな心底傷ついたかのよーな甘え声に俺がほだされると思ってんのか、ちったあ手口ひねれクソガキ。
「…ちょっと急ぎで頼まれて欲しかったんだけど…えーと…かけ直そうか」
 だいたいその微妙にぼやけた口調からして今まで寝てたろ。寝てたな。何がスーパーフレックスだふざけんな出版社。などと口に出したら最後、一晩中宥めすかしてご機嫌とる羽目になる。
 捲簾は煙草に火をつけて深々と吸い込むと、携帯を握り直した。
「…もうすぐ会議だ早口で頼む」
「瑞穂が今日何時までそっちにいるか教えてくんない?今、お宅の社スタにいるはずなんだけど」
「みずほって誰」
 悟浄は盛大に舌打ちした。
「あんたほんとにマスコミ関係者?去年シーズンでデビューしたタレント、ほら胸でかくて色白くて、あ、今ガムのCMでてる。梅ガムの。グミだっけ」
 ああ、その瑞穂か。納得しかけて煙にむせた。
「どこの世界に部外者にタレントのスケジュールばらすアホがいる!」
 顔は見えないが、多分悟浄は笑った。確かに普通いない。…タダじゃ。
「分かったら携帯頂戴。待ってる」
 向こうから切れた。
 
 悟浄の頼まれ事なんか現場勤務の同期に内線かけりゃ10秒で片づく話だが。
 捲簾はちらりと壁の時計を見上げると、その10秒を後回しにしてまっすぐ会議室に入った。
 たまには泣きやがれ。

 行きつけのカウンターで熱燗2合空けたところで、首筋にふわっと長い髪が触れた。
「…酷ぇな捲簾」
 あらら。これはほんとにしょげてるな。
 悟浄は上着に両手を突っこんで俯いたまま、ガタガタ捲簾の隣に腰かけた。
「どっちが。ちゃんと教えてやったろ、クビかけて」
「…顔が笑ってる」
「おっと失礼。こらえたつもりだったのに」
 悟浄は捲簾の手から乱暴にメニューをひったくった。
「急ぎっつったじゃん俺!あんまり待たすから上司には罵倒されるわ何度かけ直してもあんた留守電にしてるわ、何なの。嫌なの?迷惑ならそう言えよ、もう何も頼まねえから」
「ふーん」
「ふーんじゃねえよ。嫌なのどうなの」
「さあ」
 捲簾の、灰皿の外まで葉が飛び散るような煙草の消し方で、悟浄はようやく目の前の相手がさほど上機嫌でもないことに気が付いた。
「…捲簾?」
「河岸替えっか」
 こういう時の悟浄の引き際はいちいち見事だ。捲簾が店を出て一度も振り向かずに新宿通りまでズカズカ出てくる間、口答えひとつせず大人しく着いてくる。
 プライベートは何も知らないまま偶然出会って何となく懐かれて半年。悟浄には助けてもらってる。愛想がよくて顔が広いから、悟浄に物書きにつないでもらって作った企画が幾つもある。貴重な資料を調達してもらったことも情報を流してもらったこともある。だから悟浄からの頼まれ事なら何でも喜んで聞いてやってるつもりだ。
 だがしかし。「悟浄からの頼まれ事」が本当に「悟浄からの頼まれ事」だったことが一体全体何度あろうか。
 出所は全部こいつの上司だ。
「…おまえの上司。八戒だっけ。会わせろ」
「は?」
 唐突に口を開いた捲簾に、悟浄は慌てて歩調を早めて右隣に並んだ。
「何で八戒?」
「出版じゃそこそこ有名人なんだろ。コネ作っといて損はねえじゃん。呼び出せよ」
 悟浄は軽く溜息をついた。
「…今、瑞穂を口説いてる最中だから無理」
 やっぱり。
「なるほど八戒とやらは俺の言った時間に張りこんで瑞穂を拉致った訳だ。そんで交渉が成立してグラビアのひとつも取って部数跳ね上げて金稼いで出世して俺には礼のひとつもない訳だ。んで礼は部下のおまえが代わりにしてくれるって訳だ。流石八戒様、是非一度その厚顔拝んで御利益に与りたいね」
 悟浄は何か…多分八戒を弁護しかけたのだろうが、言いかけてやめた。
 代わりに捲簾の左手を一瞬握って、すぐ離した。
「…賢明だな悟浄」
「学習した。あんたは単に俺の困った顔が見たいだけでしょ」
「何でだと思う」
 悟浄は真顔で呟いた。
「可愛いから」
 自分で言うな。

 悟浄が「八戒」と本当のところどういう関係なのかは知らない。何故知らないかというと聞かないからだ。何故聞かないかというとお互い都合のいい男以上でも以下でもないからだ。悟浄は弱るととことん人に甘えるのが好きだし、捲簾は捲簾で甘えられると和むタチだが、男もいい年になると本気の相手に早々無防備になれない。プライドもあるし意地も張る。
「…もー6時か」
 捲簾の部屋は東京湾に面した高層マンションの38階で、遮る物が何もない。何度か瞼を擦って見上げた天井に、ブラインドを割って容赦なく差し込んだ朝日が既にストライプを作っている。あの後2軒回って、終電が無くなったところで悟浄を連れてタクシーで帰ってきたまでは覚えているのだが、頭が痛いということは、さてその後また家で呑んだっけか。怒濤のように喋りまくり人に時計を見る間を与えないで終電を逃させ「タクシー代がない」を口実に自宅に押し掛ける、という見え見えの手口になんだって毎度毎度のってしまうのだ。
「…いいけどな」
 どうせ経費でおちるし。悟浄がぽろっと「社会人になってから外泊したの捲簾んちだけ」と言ったもんだから気がすんだ。
 人の膝を枕にして寝ている悟浄のせいで上半身しか自由がきかず、捲簾は必死で手を延ばして散乱している服を掻き分け灰皿と煙草とライターを四方八方から手繰り寄せた。煙を吐きかけてやっても悟浄はぴくりとも動かない。でけぇ犬みたいだ。
 よく恋人を犬猫に例える輩がいるが、それはつまり対等ではないということであって、自分の大事なパートナーに対しては少々失敬な形容じゃなかろうか。悟浄だって本当は人に甘えなくても自分で何でもできるのだ。捲簾は勿論、八戒だろうが誰だろうが、いなけりゃいないで平気だろう。一緒にいる間は一緒にいる相手を一生懸命気持ちよくしてくれるだけだ。だから捲簾には甘えるし、八戒には八戒がしたい事をしたいようにさせてやる。したがって自分が悟浄を犬猫と同じように甘やかすのは、別に悟浄への侮辱ではないのだ。
 と自分を納得させたところで、捲簾は悟浄を振り落とした。
「……痛ぁ…」
「起きて服着て帰れ」
 悟浄は一旦目を開けたが、またすぐ閉めた。
「朝飯まで粘る気か?」
「…やったー…」
 対等じゃないと。
 足で悟浄の頭を撫でてやって、のろのろそのへんのシャツを引っかけた。
 俺の相手は俺と対等じゃないと。戦える相手じゃないと。手強くて共犯者になってくれるような。あいつみたいな。
「悟浄、それ以上散らかすな。煙草ならテーブルの上」
「…はい」
 米をとぎながら窺うと、悟浄はようやく起きあがって煙草を銜え、携帯をチェックし始めた。
「…捲簾、パリダカのスペシャルやってたのあんたの局」
 いきなりハキハキ喋るな。
「多分…ああ、そう。うちだな」
「今度うちで特集組むからビデオ貸して。それから瑞穂の件、御礼にあんたとこでやってる番組の宣材くれりゃタダでページとるからって八戒が」
「…おまえ八戒にいつメールした」
「え?…ああ、2軒目であんたがトイレ行った時」
 でも、こいつは。
 ただのペットにしとくには、ちょっと。

「…二番目にしてやろうか」
 派手に喜ぶかと思ったら、悟浄は携帯の画面を眺めたまま、ちょっと微笑った。
「じゃああんたも俺の二番目にしとくか」
 
 …ちょっと待て犬。悔しいぞなんか。


fin

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