僕
の
犯
罪
学
「…っつ…」
悟浄のごく軽い呻き声をせっかく聞き流したのに、三蔵が余計な口を出す。
「どうした?」
「…んー…なんか起き抜けに頭痛ぇんだよなぁ…。酒も呑んでねえのに」
「毎日か?」
「んーん、二日に一回とか、そんなもん。たいしたこっちゃねえけど」
二日に一回は大げさだ。せいぜい週に二、三回。
三人に背中を向けて朝のコーヒーを淹れながら、忙しなく他の話題を探した。このまま「頭痛」について三蔵にしつこく問いただし続けられると、悟浄はきっと、まるで「たいしたこと」のように考え出してしまう。
ちょっとしたもやもやを人に話しているうちに、悩みの正体がはっきりしてきてしまうみたいに。
「…そういえば三蔵、午後に出発ですけど何か買い足しておくものありますか?」
ちょっと唐突だったか。
「煙草。…と、あと薬」
「薬?」
「悟浄に鎮痛剤」
話が戻ってしまった。
「…いいって。いつも1時間ほどで治まるし」
「朝っぱらからしけたツラ拝まされるとうざってえんだよ」
朝食の皿をしつこくつつき回していた悟空まで、気がかりな視線を悟浄に向け始めた。
「痛いってどのくらい?」
健康優良児の悟空には、外傷以外の漠然とした痛みは想像がつかないのだ。
胸の痛みも知らないのだ。
「だからたいしたこっちゃないって…」
言わなきゃよかった、といううんざりした調子が悟浄の口調に混じり始めた。
そうそう、心配されたくなきゃ言わなければいいんですよ。貴方の心配は僕がします。
「最近夜は冷えますから、そのせいじゃないですか? 野宿が続くと僕も肩こりのせいで頭痛くなりますしねえ」
つとめて爽やかな笑顔でコーヒーを差し出すと、悟浄は救われたように律儀に笑みを返した。
すみませんね悟浄。明後日にはまた、ほんのちょっと頭痛くなっちゃいますけど、今度はいちいち三蔵に報告なんかしないでいただけると有り難いんですが。
でないと頭痛より厄介なことになっちゃいますよ。
眺めているだけでサイケな幻覚が見れてしまいそうな、カラフルなカプセル。中身は、そこにあることすら気づかれないような白くてキラキラ光る粉。悟空くらい体が小さければ一粒ぶんですむんだろうが、敵はアルコールに慣れてるうえ体もできあがっちゃってる大人だから、その3倍。
「週一ペースに戻した方がいいんでしょうかねえ…」
今頃になって後遺症がでてくるとは思わなかった。飛ばしてしまわないよう細心の注意をはらって薄い紙の上に粉を盛ると、そっと湯気の上がるカップに落としてゆっくりかき混ぜる。
「これ」が必要なのは自分のほうだ。見た目は同じ二つのカップ。いつも直前まで、どちらを彼に手渡そうか迷うのだが、結局いつも、キラキラした粉入りの方を。
「はい、悟浄」
「さーんキュ」
何の警戒もなくカップを受け取る悟浄。彼のことが、最初は純粋に好きだったのだ。だから彼を騙すことに少しは罪悪感もあった。悟浄はこんなに優しくて、自分を大切にしてくれているのにと。でも少しずつ、確実に広がってくる暗雲はどうしようもなかった。三蔵や悟空に向ける笑顔と、自分に向けるそれが寸分違わないことへの苛立たしさ。近くにいてくれるだけで良かった。ふざけて肩を叩いてくれるだけで良かった。そんなのは、もうずっとずっと昔の話だ。今はもう、例え悟浄が自分を愛してくれて、心も体もくれたとしても追いつかない。悟浄が自由に身勝手に、生きて動いていることすら許せない。
もしかしたら、自分は悟浄のことをこの世で一番憎んでいるのかもしれない。よく動く目も、意外とよく回る頭も、ぽんぽん叩く軽口も、人目を惹く髪も、すべてが苛立たしい。
貴方にそんなものは必要ない。
他愛ない話をしながら夜が更けて、悟浄があくびを始めるのをただひたすら待っている。朝になるまで決して覚めない眠りにつくのを。
「…悟浄? 寝ちゃいました?」
寝返りもうたないほどぐっすり寝込んだ悟浄の上にそっと乗り上げる時の征服感。
…そうやって一生眠ってればいいんですよ。
というのが本音ですが、まあ、そんな訳にもいきませんので。
いつか鳴き声を聞いてみたいけど、そこまで贅沢は言いません。だから、朝方のほんのちょっとの頭痛くらい我慢できるでしょう? 僕はもう何年もずうっと痛いんですから。これから先も一生この痛みを抱えて生きていかなきゃいけないんですから。この世のすべてのモノに嫉妬し続けるなんて苦しみ、貴方には分からないでしょうから。
熱くてさらさらした頬に、唇に何度も何度も口づけながら、右手を服の中に滑り込ませる。
貴方のイカせ方も随分上手くなっちゃいましたよ。
ねえ。殺されるよりましでしょう?
午前5時半。ようやく悟浄のベッドを抜け出して、サイドボードに投げ出してあるハイライトを一本引き抜いた。三蔵なら、たとえ一本でも減っていたらすぐ大騒ぎするところだ。多少大ざっぱなほうが人は扱いやすい。…いろんな意味で。
悟浄のベッドの端に腰掛けて火をつけた。
煙草の効用は多い。何につけ、事が済んで頭を切り換えるきっかけ。高ぶった神経を落ち着かせる鎮静効果。こんなものに四六時中頼りきってる悟浄や三蔵より、他人は自分の方が忍耐力が足りないというのだろうか。
悟浄は自分の何も知らない。
知らないままで自分に煙草の味を教えて、人をこんなに憎むことを教えてしまった。
「八戒」
心臓が跳ね上がった。
寝起きにしては妙に冴えきった声。滑り落ちそうな煙草をなんとか支えている人差し指と中指が、まるで他人のもののように震えている。
「…おまえと同室になると、いっつも頭痛い」
とん。さっきまで好きなように貪っていた熱い体が背中にもたれかかってきた。
「……美味い? ソレ」
振り返る勇気はなかった。
薄く煙の立ち上るハイライトを引き抜くと、悟浄は自分の口に銜えて深く吸い込んだ。
その後に、煙と一緒に吐き出されるであろう言葉によっては、僕は、多分。
fin
「5巻挿入話」か「悟浄の我が儘」か「思わず煙草吸っちゃう八戒(悟浄絡み)」
と甘い感じで第3希望までいただいたリクをすべて蹴倒してこの有様はなんですか…
と言いつつなんかちょっと痛い続き。
嫌な人は帰ろう。