セル act10
「先生はもう管理課だっけ。はは、残念でした」
「残念だったな管理課で。今更戻せっつっても無理だぞ」
わざわざ時間差で悟浄と三蔵に追い討ちをかけられるまでもない、面会の立ち合いは「保安課職員」と決まっている。八戒には無理だ。
…畜生。
思わず朝の点呼中に物騒な台詞を口に出してしまい、隣にいた看守長が思わず一歩離れたが知ったことじゃない。悟浄が外の人間と会うのだ。たった15分とはいえ、自分の知らない外の人間に会う。
兄貴か。弁護士か。両親か。女か。
点呼待ちの列の一番後ろで眠そうに瞼を擦っていた悟浄は、八戒と目が合った途端、凄い勢いで神経を逆なでする笑顔を見せた。看守長がいなければ危うく警棒を抜くところだ。面会が受刑者にとって一番の楽しみなのは知っている。しかも悟浄には2年ぶり。面会予定日の受刑者たちはそれはそれは嬉しそうで何をしていても頬が緩む有様で、悟浄に会う前だったらその笑顔に和んだりしたものだ。
したものだが。
「三蔵、やっぱり無理ですかね」
「しつこい」
「立ち合いは誰です」
「おまえに脅されたら気の毒だから教えない」
三蔵の口から気の毒なんて言葉を聞くなんてある意味収穫だが、最後の希望を砕かれた八戒にはそれどころではなかった。普段は呼んでもなかなか寄ってこない八戒が、昨日から日に何度も尻尾ふって部屋を覗きにくる様はちょっと面白かったが、同時に不気味だ。
三蔵は八戒が出ていくと同時に書類を伏せると内線を取り上げた。
「面談室の鍵あけとけ。1024番には俺が立ち合う」
薄暗い廊下を部下に連れられてトコトコ進んできた悟浄は、三蔵を見るなり「げ」と言った。
「げ?」
「ご苦労様です。本日はよろしくお願い致します」
悟浄は素早く一礼した。流石に5年もここに住んでいるだけあって、姿勢が悪いとか語尾がのびたとか、殴る口実なら空気からでも製造できる三蔵が見ても一分の隙もない。完璧な礼儀だ。
それだけできるなら、何故いつもやらない。
悟浄を間近にみるのは相当ひさしぶりだが、少し痩せた以外は入所時と変わらない。普通はもっと歪むものだ。卑屈になったり憎悪を滾らせたり、逆に枯れて表情がなくなったり。だから出所後も、ムショ独特のオーラが拭われて社会にとけ込めるまで時間がかかる。
こいつはどうだ。服を着せて街に放り出したら、すぐさまナンパでも始めそうだ。ずっとそこで生きていたみたいに。
…気持ち悪い。気持ち悪い奴。
三蔵は手元のファイルに目をおとした。
「面会時間は15分。分かってると思うが物騒なこと喋りやがったら5分でも10分でも切り上げる」
「はい」
「面会人はおまえの弁護士と兄貴」
悟浄は驚いたはずだが、特に顔には出さなかった。規則では一度に3人の面会が可能だが、普通は滅多にない。バラのほうが持ち時間が増えるし受刑者も喜ぶからだが、悟浄の場合はいつ独房に入るか分からないので、面会許可がおりると同時にふたりまとめてすっ飛んできたのだろう。
「部長殿。ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」
面談室の扉を先に立って開けようとすると、後ろから相変わらず生真面目な声がした。
「余計な口をきくな」
「なんであんたが来たの」
奇妙な間だった。この瞬間の妙な感じを三蔵は後々まで覚えていた。振り返れない。後頭部を後ろから押さえつけられたようだ。
結局、三蔵はそのままノブを回した。
「八戒ならもう壊しちゃったよ」
面会者と悟浄の間にはアクリル板と鉄格子。悟浄を斜め後ろから眺める位置の机の前に、三蔵は腰を下ろした。
見慣れた風景だ。新米の頃から何人も何人も、こうやって我が身の置かれた状況を恨んだり哀れんだりする受刑者と、複雑な表情で対峙する面会者を見てきた。面会が終わると、外気に触れて放心した彼らを牢に送り返す。哀れだ。本当に小さい奴らだ。
それがこいつは。壊した?壊したってなんだ。八戒はそんなに脆くない。俺の部下だ、ただひとりの。
「死んだ」
いきなり兄から強烈な台詞が飛び出して、三蔵は慌てて顔を上げた。
「え?死ん…」
「死んだ。もう半年も前」
「半年!?なんでんなこと半年も黙ってんだよクソ兄貴!」
「おまえ独房入ってたじゃねぇかよ、どーしろっつんだ」
何の話だ。三蔵はボールペンを握りしめた。どちらも人名を出すと即座に記録されるのをわきまえているから会話には慎重になる。
それにしても似てない兄弟だ。
「…死んだって。死んだって…病気かなんか?」
「まあ、そんなもんだ。だからもういい」
「兄貴が何かしたんじゃねえだろうな」
「だったらなんだ。もういいじゃねえか」
悟浄の体が揺れたように見えたのは気のせいか。あいつがそう簡単に動揺するとは思えない。
兄の隣に腰掛けて彫像のように微動だにしなかった弁護士が、眼鏡を軽く押し上げた。
「もう一度申し立てましょう悟浄さん。やり直すんです」
「…やり直す」
「やり直すというより、ちゃんとやるんです。多少は厄介ですが、貴方さえやる気出してくれれば」
悟浄はしばらく黙っていた。
「…厄介ねぇ。厄介なの嫌いだなぁ。どうしよっかなぁ」
いきなり外からアクリル板がガンと揺れた。
「どうしよっかなぁじゃねえよ!おまえはいつもいつもひとりで勝手に突っ走りやがってこっちのことも考えろ!弟を牢屋に放り込んどいて俺が楽しいとでも思ってんのか、ああ!?」
「はい終わり」
三蔵は溜息をついて立ち上がった。面会者のほうの違反で面談中止なんてことも、まあ滅多にないことだ。兄弟そろって無茶苦茶だ。
「…相変わらず気ぃ短いな兄貴」
「厄介だとか言ってる場合か、へらへらしてねえでたまには真面目に物事考えろ!だいたいおまえは昔から、おい聞いてんのか!」
弁護士にどうどうと宥められつつ外に連れ出された兄に手を振ると、悟浄はゆらりと立ち上がった。
「おい。大丈夫か」
三蔵が思わずこんな台詞を吐くほど、悟浄の顔色は真っ白で視線も宙に浮いていた。
「…大丈夫」
あの人が死んだ。
悟浄は同僚が寝静まった房の壁に凭れて、ゆっくり掌を握りしめ、開き、また閉め、開いた。意図したより随分とゆっくりしか動かない自分の手で、まだショックのまっただ中にいる事を確認すると、ようやく悟浄は運動をやめた。
あの人が死んだ。
そりゃ年上なんだからいつかは死ぬだろうが、思ったより随分早い。健康的な生活を送っていたとは言い難い、心も体も弱い人だった。
何故あの人から、あんな頑丈な兄貴が生まれたのか不思議なくらい。
もういい。
…確かに、兄貴の言うとおり、もういい。もうここには用がない。
だが裁判をやり直しても、一旦確定した刑をひっくり返したとしても、悟浄は模範囚ではないのだ。自分で拘置を引き延ばして引き延ばして、何人もここから逃がしている。
どうする。
同僚たちの安らかな寝息に混じって、遠くから微かに近づいてくる夜勤の靴音が聞こえ、悟浄は慌てて布団に潜り込んだ。
八戒じゃない。今日は日中ずっと勤務していた。物言いた気にずっとこっちを見ていた。助かった。今はあいつをさっくりかわせる余裕がない。
八戒は俺に本気だ。
自分で自分のことを知らないだけで、悟空も、多分三蔵も気がついている。だからわざわざ俺の顔なんぞ見たくもないくせに時間を割いて立ち合いに来たのだ、八戒のために。他の奴に任せたら、どういう情報がどういう形で八戒の耳に入るか分からない。僕は三蔵に嫌われてますから、などと八戒は言ってたが、とんでもない。鬼は鬼なりに精一杯、元部下を気遣って心配しているのだ。全部からぶってるが。
八戒はもう俺以外の言うことなんか聞かない。頭にもない。
遅いんだよ三蔵。もう本気になっちゃったよ、あいつ。
通り過ぎるはずの靴音が、すぐそばで止まった。
「こんばんは、悟浄」
ほら。
眠るのも忘れるくらい。
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