電気 act1



「あんた、なんかいいな」

 軍議が終わった途端の第一声だった。
 先日軍大将に就任したばかりの傍若無人な男。その程度の認識しかされていない新参者の分際で、遙かに上の階級である元帥にこの口のききようは場を凍らせるに充分だった。
 天蓬元帥のプライドの高さは定評がある。誰が相手でも決して丁重でもの柔らかな口調を崩さないが、彼の前に出ると、その威圧感に下の者は哀れまれたと感じ、上の者は侮蔑されたと感じる。おまけにキレすぎる頭と怖いくらいの美貌、加えて意味不明な奇行とくれば、遠巻きにされて当然だ。「あの男は苦手だ」と言うのが、軍内部の天蓬への共通認識だった。仕事をするにはいいが、プライベートでは関わりたくない。
 天蓬は、手元の書類に影を落とした張本人を見上げた。
「…今、何か言いましたか捲簾」
「なんかいいなって」
 黙って書類を揃えると、天蓬は椅子から立ちあがった。自分のコメントに応じる気がまったくない態度など微塵も意に介さず、捲簾は背を向けた天蓬の肩をぽんと叩いた。
「その有無を言わさずの俺様な態度すっげえいいな。生まれた時から、そんな態度でけーの?」
 あまりの暴言に眩暈を覚えた部下達が、息を呑んだり目をそらせたり何か助け船を出そうとして口を半開きにしたまま固まったりする中、捲簾は眉ひとつ動かさず自分を見詰め返してくる天蓬の額を指で弾いた。
「俺の好みは置いといてだ。軍師だか策士だか知らねえが、今後ひとりでサクサク軍議進めてこいつらの意見片端から無視するような真似したら俺怒るから」
「捲簾大将、お言葉が過ぎます!元帥はそんな」
 見かねた部下がようやく振り絞った声に、さも意外そうに捲簾は首をかしげた。
「そっかあ?俺がおまえさんだったら、んで元帥にあんな物言いされたら哀しいけどな」

 俺がおまえだったら。

 思えばそれが、捲簾の口癖だった。「俺が悟空だったら嬉しい」「俺が金蝉だったら、めちゃくちゃ怒るぜ」そうやって他人の心情を推し量ったことのない天蓬には、それがいかにも偽善的で無意味に思えた。「もし」は卑怯だ。捲簾は捲簾で悟空でも金蝉でもないのだ。そもそも自分が人より遥かに回転の早い頭を持っていることに気がついた子供の頃から、他人の思考など手に取るように読めてしまった。媚び、優越感、嫉妬、僻み、諦め、思慕、恐怖。捲簾は読めないこと、臆しないことの2点で初めて会うタイプの人間だった。
 臆しないというだけなら、捲簾以前に一人知っている。
 ガードが堅いくせに中身は脆い。素直なくせにプライドは自分以上に高い。もう随分前から惹かれていた人。
「金蝉、ちょっとお邪魔しますよ」
 申し訳程度にドアをノックすると、金蝉は手にしたペンで首筋を押しながら短く「ああ」と答えた。
「肩こりですか?」
「…猿がな」
「ああ、悟空」
 不機嫌極まりない金蝉だが、その表情のバリエーションが日に日に増えていくのが分かる。悟空が天界に来る前は、こんな顔はしなかった。
「何年もかけて僕ができなかったことを悟空に簡単にやられちゃうと、ますます自信なくしますね」
「何の用だ」
 反応できないことは聞かなかったことにするあたりは自分と似ている。
「何ってこともないですけど、分かりやすい人に会いたいと思って」
「喧嘩売ってんのか?」
「まさか」
 しばらく居座る気らしい天蓬に目線で椅子を勧めると、金蝉はようやくツボ押しを中断して正面から天蓬を見据えた。居心地が悪くなるまで眺められて、そろそろと反撃しようかと思い出した頃、ようやく。
「捲簾とかいう新参のガキとうまくいってねえらしいな」
「今、その捲簾とかいうガキの話はしたくないんですけど」
 にっこり笑って目で殴る天蓬に唯一怯まない…いや唯一だった金蝉。あの男のせいで金蝉の価値まで下がった気がする。
「おまえを不愉快にする相手がいるとは面白いな。いい薬だ」
「自分のレベルを下げてまで相手にする気にもなりませんからしてません。僕が勝てないのは未来永劫貴方だけです」
「もうすぐ悟空が戻ってくるはずなんだが、遅ぇな」
 あくまで聞かないことにしたいらしい。それでも天蓬がわざと音を立てて立ちあがると、肩に流れる金髪が微かに揺れた。
「…金蝉。これでも色々とあってブルーなんですよ僕。ちょっとは優しくしてくれても罰は当たらないと思いますけどね」
 書机に両手をついて、額にごく軽く唇で触れた。
「おまえ変わったな」
 いつものことだが、金蝉は逃げもしなければ応えもしない。これ以上のことをしても拒まない気もするが、時間がほとんど止まっているに等しい速度で動くこの天界で、触れただけで熱が上がる段階のまま、あと十年は楽しめる。急ぐ必要はない。悟空の登場は予想外だったけれど、まだ悟空ごと愛せる余裕くらいはある。
「俺に優しくしてくれなんて愚痴るキャラじゃなかったはずだがな、俺の知ってる元帥は」
「愚痴ってませんて」
「いや愚痴だな」
 言い返そうとした天蓬を止めたのは騒々しい足音と共に開いた扉。
「あー天ちゃんだー!」
「おや、お邪魔か?」
 飛び込んできた悟空と一緒に、どうした気まぐれか観音がニヤニヤ笑いながら覗いた。
「よお天蓬元帥、相変わらずきれーな顔してんな。今も本の虫やってんのか?」
「おかげさまで」
「気をつけろよ、あの暴れ馬は面食いだから。あ、おまえもか。愛しの甥っ子に手を出すようじゃ」
「誰のことですか?」
 苦笑しつつ返すと、観音は不意に真顔になった。
「御せないと思ったらクビにしろ」
「はい?」
「暴れ馬だよ。手綱がひけないと思ったら今のうちにクビにしちまえ、誰も文句は言わねえよ。動くときは走るわ、礼儀とか建前とか頭から抜け落ちてるわ、新任の身分をわきまえて比較的大人しくしてる今の時点で元帥が手こずるようじゃ、あいつはもうダメだ。天界で生きてくにはむかん奴だ」
 危うく感情が顔に出そうになるギリギリのところで、天蓬はゆったりと笑った。
「何度もお聞きしますが、どなたのお話ですか?」


 そんな大層な人物とは思えない。
 日が傾いて薄暗くなった渡り廊下を歩きながら、天蓬は今日何度目かの溜息を吐きだした。
 怖いもの知らずのガキ大将に見える。
 確かにいちいち勘には触るが、クビにするほどでもない。ただ、もし彼に反感を抱いた部下達がそのせいで結束力を欠くような羽目になったらその時は。
 ふと中庭に目をやって、天蓬は思わず指に挟んでいた煙草を取り落とした。
 西方軍の部下数名が真剣を手に半円を描いて並んでいる。視線の先には…捲簾。
「!?」
 捲簾が僅かに腰を落とすと同時に、彼目がけて一斉に数人が踊りかかった。
「待ちなさい!!」
 叫んだ途端、地面を蹴った捲簾と目が合った…ような気がした。

 その目。

 剣が薙ぎ払われて宙に飛び、地面に数人が同時に叩き落とされるのを、捲簾が軍服の裾についた埃をポンポンと払うのを、天蓬はフィルムのコマ送りでも見るように眺めた。冷や汗がじっとりと全身を覆いつくそうとしている。
 今のは。
 右手でそっと心臓の位置を探り当てると白衣ごと握りしめた。
「何してるんです、あなた方!こんな場所で喧嘩なんかしたら下手すれば懲罰房行きですよ!?」
 我に返って駆け寄ると、肘や頭をさすりながら起きあがってきた部下たちより前に捲簾が割って入った。
「喧嘩じゃねえって。こいつらが大将の腕知らないまま付いていけねえから手合わせしろ、あんだけ大口叩くんだからさぞかし強いんだろうっつーから」
「そんな無礼な口の利き方してません!」
 血相を変えて反論した部下は、脳震盪でも起こしたのか言葉の途中で上体がグラリと崩れ、捲簾がやたら慣れた態度でひょいっと抱き留めた。
「悪いな。平気か惷怜」
「は、は、はい!!すみません!!」
 惷怜は、いきなり名前で呼ばれた嬉しさと恐縮で、清々しいほど真っ赤になっている。
「…そんなにかしこまんなよ…」
 ぼやいた捲簾の言葉があからさまに自分への皮肉に響き、天蓬は言葉を失った。部下たちの態度が先刻と180度違う。不信も非難もぶっとんだ畏敬の眼。古典的な手だ、実に。
「怪我してねえか、箪秦に十夜に…ああ、狩杜、血が出てる」
 西方軍の精鋭部隊だけでも200人を越えるというのに、着任して数日の捲簾の口からスラスラ名前が出てくるのは部下達同様、天蓬にもかなりの驚きだった。
「舐めてやろーかー?得意よ俺」
「冗談、やめてくださいよ!!」
 応じる部下の嬉しそうなこと。ひととおり声をかけて回ると、捲簾は今発見したとでも言うように天蓬を見た。
「いいぜ元帥。お偉い方にチクるなりなんなりお好きにどうぞ」
 できるもんなら。すれ違いざま軍服がはためいて起こした風が冷えた頬をなぶる。先を争って捲簾をかばう部下達の声は、ほとんど天蓬の耳に入っていなかった。



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