電気 act2



 捲簾が天蓬の部屋に入り浸るようになった。
 時間はまちまちだが、日に最低一度はいきなりやってくる。片づけやら虫干しやら書類整理やら、頼みもしないのにサクサク片づけると、その後は勝手にソファーでゴロゴロしたり灰皿をいっぱいにしたり酒盛りしたりして、またふいっと出ていく。
 天蓬のほうも大抵読書に没頭していて、捲簾の来訪に気が付かない。いきなり手元に日が射したと思って顔を上げると、本の山が綺麗に消えている。
「…ああ、捲簾。いつからいたんです」
「30分前」
「そうですか」
 それだけ言って、また本に戻る。次に顔を上げた時にはもういない。
 そんなことが、もう2週間も続いていた。


「おふたりでいる時って、何話されてるんですか?」
 書類を抱えて部屋を訪れた部下に問われて初めて天蓬は、捲簾はいったい何をしに来ているんだろうという根本的な疑問につきあたった。
「…特に何も話してませんね、そういえば」
「何もってことはないでしょう」
 彼に限らず部下たちの態度は、最近やたらにフレンドリーだ。よくよく考えると大将が副官の部屋に用もないのに出入りしていたら当然「仲がいい」ように見えるだろうし、そのフレンドリーなガキ大将と仲のいいらしい副官にかしこまれというのも無茶な話だ。
「勝手にきて勝手に帰るだけですからねぇ…ろくに顔も見てませんよ」
「じゃあ何しにいらしてるんですか大将は」
 こっちが聞きたい。
 捲簾を扱いかねて迷ったのはほんの数日。ことさら憎まれたり嫌われたりしていないことだけを確認して、天蓬はあっさり割り切った。必要な時には引き寄せて、不要な時には突き放す。基本的には無視だ。
「…暇つぶしじゃないですか?」
 部下はあやうく噴き出しかけて、口元を押さえた。
「元帥って意外と…天然っていうか…」
「は?」
「着任したばかりの軍大将に暇なんて全然ないですよ。資料頭に入れるだけで徹夜続きで、食事する暇もろくにないのに。上に睨まれるから、いつもボードに『犬の餌やり』って書いて元帥の部屋に行くんですよ。わりとうまい言い訳ですよねえ、不殺生の天界じゃ、竜王も犬に餌やるなとは言えませんからね」

「捲簾!!!!!」
 部下が捲簾の行動パターンから割り出した我が大将の居場所は、隣の棟の地下2階にある書庫だった。本来なら大将の行動パターンを把握するのは副官である自分の仕事なのだが、自分の行動パターンすら把握できない天蓬にそんな役目を任せる奴などいない。
 扉を開けた途端、長い間放っておかれた本がもつ独特の匂いがどっと流れてくる。大好物の香りにふらつきながらも、天蓬は目の前の埃をぱたぱた払いつつ奥に進んだ。
「捲簾どこです、捲…」
 危うく正面から脚立にぶつかりそうになった。見上げると床から4、5メートル上のはしごの上で、探し人が厚さ10センチはあろうかという重そうな書物を繰っている。
「捲簾」
 捲簾はぴくりとも反応しなかった。まるっきり聞こえてない。自分の知る限り、彼には自分や金蝉がお得意な「聞こえないふり」をする癖はない。
「捲…」
 言いかけて息を呑んだ。
 またあの目。
 部下との立ち合いを止めに入った自分に叩きつけられたあの目。今、相手にしているのは噛みつきもしないただの本だから、この目は怒りや殺意ではない訳だ。じゃあ何だ。
 読めない視線に苛立って、天蓬は脚立の足を蹴飛ばした。
「うわっ!!!」
 本棚に渡した手摺りに捕まるのと、倒れかかった足場を右足で引き戻すのとを、捲簾は同時にこなした。生憎、手にした書物は手から滑り落ちて天蓬の頭上に降ってきたが。
「反射神経いいですね」
 本を受け止めてにっこり笑ってやる。
「………殺す気か?」
 さすがの捲簾も声を出すまで数秒かかった。
「死にゃしませんよ。話があるんで降りてきてもらえると有り難いんですが」
「後で部屋に行くから、その時でいいだろ」
「もう来ないでください」
 捲簾は手元の棚からもう1冊を抜き出すと、それを抱えて床に飛び降りた。
「…飛べるんなら殺す気も何もないじゃないですか」
「落ちるのと降りるのはちげーだろ」
 捲簾は差し出された本を受け取り、代わりに手にした本を天蓬に押しつけた。
「あんたが探してた芳稿論の2巻、資料漁りついでに見つけた。2刷だけど献本印があるから資料としては信用できるだろ。初版はここにはねえな」
「…僕、探してるって言いましたっけ」
「いんや」
 自分の部屋への来訪を犬の餌やりとはどういう了見だと怒鳴りにきたつもりが、こんな絶妙なタイミングで餌を投げて寄越すことはないだろう。
 流れからいって、数日前から読んでいる八里論の次には芳稿論に手を出すだろう、天蓬の部屋には1巻しかないから、近々2巻を探し始めるだろうことは推測できる。できるけれど、捲簾が自分の読んでいる本や、書棚に並べている本の書名まで頭に入れているとは思わなかった。ただでさえ新任で覚える事が山ほどあるのに、既に部下の名前はおろか年や経歴、過去に西方軍が行った戦闘の経緯まで丸暗記している。記憶力と思考能力はまったく別の能力だが、それにしても大したものだ。
「…捲簾、貴方、何で毎日僕の部屋にくるんです」
 声がとがらないように、一応の注意をはらったつもりだ。
 嫌ではないのだ。邪魔でもない。ただ解せない。
「あんた、本当に変わってるな」
「はい?」
 捲簾は何となく面白そうに天蓬を眺めていた。
「あんたにとって俺はコーヒーを運んでくるウェイターみたいなもんかと思ってた」
「ウェイターは仕事でコーヒー運んでくるんでしょうが。僕の部屋にくるのが仕事の一環なら、犬の餌やりとか言わずに堂々と来たらいいじゃ…」
「わははははは」
「笑うところじゃありませんよ」
 言われて素直に笑いやめる捲簾じゃない。
「天蓬、俺に来て欲しくないの来て欲しいの、どっちよ」
「質問してるのはこっちです」
 嫌じゃないと言ったら素知らぬ顔で通い続けるだろうし、嫌だと言えば明日からぱったり来なくなるだろう。押せばかわすし引けば押してくる。
「あんただって仕事でもねえのに金蝉のとこ毎日通ってんじゃねえか。同じ理由だと思うけど」
 同じな訳がないだろう。天蓬は深々と溜息をついた。
「どうしてすっぱりきっぱり応えないんです。僕の部屋に何しに…」
「会いに」
「…」
「会いによ。他に何があるんだよ」
 捲簾は勢いよく煙を吐き出すと、まだくすくす笑いながら脚立をよじ登った。
「あんた、なんか色々考えすぎじゃねえの?」
 頭上をもう一度見上げる勇気がなかった。


金蝉に会いたい。


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