電気 act3
西方軍の月例会議は今日の14時から。
15時から個別の査定面談。
「…査定?」
金蝉は眉を顰めた。
「ええ。上司と部下の個別面談。捲簾と僕は竜王と一対一の面談をして、明日以降は大将以下の役職の方と僕が個別に面談を。それによって昇格降格が決定するわけです。…って、そんなこともご存じないんですか?」
金蝉の、軍部に対する関心の薄さを自嘲混じりに皮肉ったつもりの天蓬だったが。
「ちょっと待て、変じゃねえか?」
「なにがです?」
「明日以降の面談はおまえがするって?軍大将の捲簾が部下を査定するのが筋だろう」
充分予測できるつっこみだったにも関わらず、天蓬は、いかにも驚いたふうに「ああ」と呟いた。
「もしもですよ。今日の面談で、捲簾は軍大将としてふさわしくありませんと僕が竜王に諫言したとしたらですよ。捲簾は本日限りで大将を解任、後任の大将が決定するまでは僕が査定をすることになりますよね。元々、この1ヶ月は捲簾大将試用期間でしたから」
「…もしもだろ?」
「もしもです」
「そうするのか?」
「分かりません」
天蓬のあるかないかの微笑の意味は、長年付き合ってきた金蝉にも即座には計りかねた。彼の言う「分からない」や「知らない」ほどあてにならないものはない。
「…そんなに大将が気に入らねえのか」
「気に入る、気に入らないじゃありません。観音も仰ったじゃないですか、御せないと思ったら今のうちにクビにしろって」
天蓬がふざけているのではない証拠に、口に銜えた煙草に、いつまでも火をつけようとしない。
「ようやく附に落ちました。1ヶ月傍で見てきましたけど、あの人には魅力が」
何故か、そこで天蓬は一拍おいた。
「…魅力…というか…何かがあります」
「…ほお」
そりゃあるだろう。
「天界の…天帝のための組織であるべき西方軍が、近い将来、軍や誇りのためではなく、あの人のために動いていきそうな気がします」
「結構じゃねえか。おまえだって天帝のために働いてるわけじゃないだろ。軍だ誇りだなんてのはくだらねえ建前で」
「建前は建前で必要なんです。でないと西方軍全体が天帝から疎まれることになる」
天蓬は溜息をつくと、ようやく煙草に火をつけた。
「観音の言うとおり、建前も繕えないような男は、大将はおろか軍人にも天界にも向きません。僕には今のうちに彼をさっさと見捨てるか、精魂傾けて彼を操縦するか、彼と一緒に上から疎まれてみるかのどれかしか手がないようなんですが……正直、どれも嫌ですねぇ…」
金蝉は危うく手にした自慢のペンを取り落とすところだった。流れるような英断が売りの天蓬がさっきから浮かべている曖昧な微笑は、文字通り曖昧な心境そのものだったらしい。彼が臆面もなく迷うところなど、おそらくあと何百年も見ないだろう。
「捲簾に言ったんですよ。貴方はきっと多くの人間を巻き込んだうえで派手に自滅するって」
「…で?」
「そんなことも知らずに俺の副官を引き受けたのか、と」
言う方も言う方だが返す方も返す方だ。
金蝉には意外と似たもの同士に映ったが、だからこそ衝突するのかもしれない。どっちにしろ、金蝉の思考はそれ以上前に進みようがなかった。何せ、まだ当の捲簾大将と面識がないのだ。会いたいような、会いたくないような。
「…ああ、もう行かないと」
時計は2時5分前をさしている。わざわざ会議の直前に自分に会いに来るには、天蓬なりの理由があるはずだ。金蝉が思った通り、出て行く直前、天蓬はそっと呟いた。
「…好きですよ、金蝉」
聞こえない振りで、扉が閉まるまで印鑑を朱肉にしつこく押しつけていた金蝉は、パタンという音と同時に印鑑を投げ出した。
ここ数日、天蓬はやたら好きだの何だの口にする。それも必ず捲簾の話をした後で。
確かに天蓬は、揺らいでる。
あと1時間後には…つまり月例会議終了後には捲簾をどうするか決めなければいけない。巻き込まれるか、逃げるか。今、自分の中で揺るがない気持ちは金蝉への想いしかない。今のところ、それ以外の思考は全て捲簾で、そのくせ酷く曖昧だ。確固たる金蝉への想いが、正体不明の捲簾への複雑怪奇な想いの重みに負けるなんて。
会議場の入り口で、明らかに燃料補給したての捲簾に肩を叩かれた。
抱いてみようか。
いきなり頭に過ぎったのは奇妙なことに金蝉のこと。天蓬が今まで大切に大切にしていた金色の太陽。彼はあまりにも遠くて、だからこんなに身近にいてズカズカ踏み込んでくる男に意識を持って行かれるのだ。自分のものにしてしまえば、こんな葛藤はなくなるはず。
「また金蝉のとこ?」
「そうですが」
「美人なんだってな」
「そうですね」
「食っていいか?」
ぶん殴る前に捲簾が飛んで逃げてくれて助かった。
あまりにも違いすぎて、金蝉は捲簾を、捲簾は金蝉を思い出させる。
この1ヶ月で一度も出陣命令がなかったため、千人規模で集まった西方軍の中には捲簾を初めてみる部下も多かった。
「…なんか軽そうな大将だなあ、おい。女癖悪くてとばされたっての、あの人だろ」
「副官が天蓬元帥だから余計な…見劣りするってゆーか…見劣りしすぎて目立つっつーか…」
「西方軍は使えねえ役職野郎の天下り部署か」
「でも強いは強いんだろ?」
「でなきゃいいとこねーじゃん」
随分な言われようだ。
「あなたがた、気がすんだら席についてください」
真後ろで響いた天蓬の声に、連中は飛び上がった。
「元帥!!」
「軍大将に意見があるなら、僕を通して頂ければ然るべき手順で上にあげます」
男女を問わず魅了する美貌の笑顔と裏腹に、喉にひやりと剃刀を当てるような冷ややかな声音。あわてふためいて席に散っていく部下達を後目に、天蓬は退屈そうに議事録を繰っている捲簾の隣に座った。
「それでは最初に会計報告と来月行われる生誕祭の…」
進行役を務める部下は頬に派手な絆創膏を貼っている。
「…どうしたんですかね、アレ」
「俺がやった」
造作もなく答えた捲簾に、怒鳴りかけてすんでのところで踏みとどまった。
「貴方、また手合わせとか称して」
「悪いか?あいつ、すっげえ身が軽いし勘もいい。もっと前からきちんと誰かが鍛えてやってれば、今頃天界でも一、二の腕前だぜ。素質あるもん腐らせて何が大将かね」
「だからって部下に怪我させていいわけないでしょう」
「いいんだよ、男の子は傷の一つや二つ勲章…っと」
話題の進行役が天蓬の元に駆け寄ってきた。
「元帥、大将の挨拶、今回はどうしますか?」
恒例では、軍大将の口上の後に具体的な軍議に入ることになっている。が、この後の面談如何で明日から軍大将でなくなるかもしれない捲簾に、着任の挨拶もなにもあったものじゃない。
「…そうですね、今回は」
天蓬が言い終わらないうちに、捲簾は音を立てて立ちあがった。すたすたと壇上に上がった捲簾の声は、マイクもなしに会場の隅々に響き渡った。
「誠に唐突だが、10日後に西方軍は下界に出陣する」
一斉にどよめきが起こった。
「捲簾!!」
天蓬と、直前に様子見に会場入りした竜王が同時に声をあげた。
そういう命令は確かに天帝から下されてはいたが、軍大将の進退が決まらないうちは下には伏せておく方針だったのに。久しぶりの「出陣」宣言に血が沸き立った部下たちが注目する中、捲簾は飲み屋で世間話でもしているかのようなノリで平然と続けた。
「これは明日以降も俺が大将だった場合の話なんだが、総指揮は天蓬にとらせる」
「大将が指揮とんなくて何すんだよ!」
隅の方で野次がとんだ。
「てめえ、万年遊軍の汐冠だな!? 去年下界で日和見決め込んだ罰に懲罰房に放りこまれたやんちゃ癖がまだ直ねえのか、後でゆっくり相手してやっからいい子にしてろ」
初対面でいきなり名指しされた汐冠は、みるみる真っ赤になった。
「まあいい、俺が大将でいる間は先陣は俺がきる。前には俺、後ろには天蓬だ。俺の下にいる限りおまえらは戦場じゃ死にたくても死ねねえから、今日家に帰ったら死ぬときはおまえの腹の上だって可愛い奥サンによく言っとけ。これも明日以降も俺が大将だったと仮定してだけど」
捲簾は壇上からちらっと天蓬に目をやった。
「口を開きゃ嫌味しか出ねえ、頭下げられりゃ満足な能なしのクソジジイどもに西方軍の手並み見せてやれ。俺んとこに1週間通えばそこらの闘神相手でも勝率5割は確実に打たせてやる。一旦戦場に出たら好き放題暴れろ。手柄は俺からでも天蓬からでもひったくれ。外野から文句言われたら何でもかんでも俺のせいにしろ。上に煙たがられてる奴の下につく最強にして唯一のメリットだ。使い倒せ」
「やられた」
竜王が呟いた。
「…そうですね」
やられた。ここまで言われて、一度も出陣させないまま捲簾をクビにしようものなら完全にふたりとも悪者だ。この後誰が軍大将についても、今の捲簾を越えられない。
捲簾は不意ににっこり笑った。
「楽しもうな」
この無茶苦茶な男を操縦できたとしたら、それはもう楽しいに違いないが。
天蓬はぼんやりと、期せずして起こった拍手を聞きながら考えた。
この人が現れる前に自分を支配していた漠然とした「退屈」は、いったいどこへ消えてしまったのかと。
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