電気 act4


「…本日をもって貴殿を西海竜王配下西方軍大将に任ずる」
 天蓬が淡々と読み上げた辞令を、捲簾は書棚に並んだ本の背に薄く積もった埃を拭いながら鼻歌交じりに聞いていた。
「嬉しいですか」
「別に?」
「貴方、大将になりたかった訳じゃないんでしょう」
「さあ?」
「あのスタンドプレーについて僕は御礼を言わなきゃいけませんかね」
 さっきまで「西方軍軍歌」だった鼻歌が突如「星に願いを」になった。
 正式に捲簾の大将職就任を決めたことで、竜王と天蓬の株は一気に高騰していた。「公衆の面前で堂々と上級神をコケにした男」を登用した、その度胸に。
「ひとつ命令していいか、元帥」
 メイドの働きっぷりを監視する旦那様の如くプカプカ煙草をふかしていた天蓬は、今初めて目の前にいるのはメイドじゃなく上司だという状況に気が付いたように「ああ」と呟いた。気が付いたからといって頼んだ訳でもない部屋の掃除に礼を言う気は更々ないが。
「…何なりと」
「俺に惚れろ」
「は?」
 捲簾は雑巾がけの手を止めない。
「おまえは何で俺がこうやって毎日部屋に顔出してっか考えたことがあるのか?大将と副官の不仲に感づいた。さて、おまえが部下ならどーする」
「派閥抗争ですね」
「分かってんじゃねえか」
 副官の即答に満足気な捲簾だったが、当の天蓬はますます首を傾げた。
「…もしかして、仲の良さを装うために日参してくださってた訳ですか?」
「人聞き悪ぃな。装ってりゃ外堀から埋まってってホントに仲良くなるかもしんねえだろ。ほら周囲にワイワイ言われてるうちにその気もないのにくっつくカップルみてえによ。仕事やってりゃ必ず表立ってぶつかることがあんだろ?そん時に、プライベートでも付き合いがあって相手の本心が推し量れる相手なら譲れるだろうが」
 天蓬は、親の敵のように雑巾を絞る捲簾を呆気にとられて眺めた。
「…意外と小心ですね。僕に嫌われてる自覚があったんですか」
「慎重と言え」
 仲良く。ねえ。
 上官として尊敬できなくもない事は(嫌々ながら)認めつつあるし、眺めていて飽きないと言えば飽きない。が、人として腹を割れるかというと話はまったく別だ。
「…仲良く…はならないと思いますよ。基本的に貴方と性格合いません」
「なれよ」
「なりませんて」
「大丈夫、させるから」
「どーやって」
 捲簾はようやく顔を上げた。天蓬がこの時、灰皿ではなく捲簾を見ていたら、僅かな躊躇を見破ったかもしれない。
「一途な奴ってイイと思わねえ?」
 また訳の分からないことを言い出した。飽きないが、疲れる。
「俺、女癖悪ぃってよく言われっけど、その瞬間はマジなのよ。ただ長続きしないんだわ、困ったことに」
「困ってるのは貴方だけです」
 コイバナから友達にというパターンだろうか、これは。随分安くみられたもんだ。捲簾の女遊びが激しい事など上層部から軍士官、食堂のおばちゃんまでご存じだ。
「おまえみたいに辛抱強く、性別も時間も飛び越えてたったひとりを想い続けるその根性に、俺は拍手を贈りたい。後はおまえが俺に何かしら拍手できるようなところを見つけてくれれば相思相愛と、西方軍も安泰と、まあこういう訳だ」
 どういう訳だ。
 …どういう訳だ?
「貴方…何でそんなこと知ってるんです。金蝉に会ったんですか?」
 捲簾はふいっと、窓の外に今日も舞い散る桜に目をやった。
「…何で目ぇ逸らすんです」
「悪い。カマかけた」
 どさっと音をたてて天蓬はソファーに倒れ込んだ。
「…拍手」
「怒ったか?」
 そうでもなかった。誰かに気が付いて欲しかったのかもしれない。切れすぎる頭と整っているらしい容貌のおかげで、仕事中でも夢想に耽り、悟空に嫉妬するような大人げない感情を知らないように思われる。人の期待に応え続けるのは、弱っている時には結構辛い。
「…弱味のひとつやふたつ握ったくらいで僕に勝ったと思わないでくださいね。貴方に恋愛相談するくらいなら友達の悟空にします」
「おまえの判断基準は勝つか負けるかしかねえのか?」
 不思議でしょうがない、といった子供のような捲簾の口調につられて、天蓬も素直に本音を漏らした。
「…そう、ですねぇ。自分よりレベルが上か下かで決めちゃいますね」
「俺は下かよ」
「今のところは」
 思いの外萎んだ捲簾の口調に、自分より上は金蝉しかいないと言おうとして流石に止めた。好きになった方が負けだ。金蝉になら負けても構わないのに。…あの人のためなら何でもするのに。
 ここでこうして、自分と一緒にいるのが普通になっていくのが、どうしてこの男なんだろう。
 天蓬はいきなり体を起こした。
「ちょっと出てきます。帰るときは鍵締めといてくださいね」
「…金蝉か?」
「ええ、会いたくてたまらなくなってきました、貴方のせいで」
 きっぱり言い切ってネクタイを締め直す天蓬を、捲簾は眩しいような訝しそうな複雑な顔で眺めていた。捲簾の頭の中で何が起こっているのか考えるのはとうに止めた天蓬だが、何か言いかけて、また窓の外に目をやった捲簾の態度が勘にさわった。
「…何か?」
「行かないほうがいーんじゃねーか?」
「は?」
 一途な奴はイイとか言った舌の根も乾かないうちに、どういう理屈だ。
「…と、思ったんだが、まあダチでもねえのに余計なお世話だな」
「なんだか知りませんが、喧嘩なら買いませんよ」
 後ろ手でドアを閉めて、天蓬は大きく息を吐いた。
 今まで何度も直属の上司が替わった。大量の部下も捌いてきた。捲簾に限ってスタンスに迷うのは何故だろう。
 思うに、自分は年齢にしろ階級にしろ惚れたはれたにしろ、何かしら上下の区別をつけて距離を保つ以外の人付き合いを知らないのだ。金蝉とすら、付き合いこそ長いがトモダチとは言い難い距離が開いている。向こうが心を開かないせいもあるが、手厳しく拒絶されるのが怖くて自分が一歩引いているからだ。
 捲簾は上下の区別なく誰とでも対等であろうとするから、部下に慕われ上に嫌われる。


 勝つか負けるかしかねえのか。

 そのとおりだ。金蝉には負けた。捲簾に負けるわけにいかない。
「金蝉、入りますよ!」
 言い終わる頃には部屋の中央までツカツカ進んでおり、金蝉が気づいて振り返った時には目の前まで来ていた。明らかにいつもより勢いのついた来訪に、金蝉は何となく後ずさった。
「……どうした?」
「どうしたもこうしたも」
 悟空の影がないのを確かめると、天蓬は書机に乗り上げた。
「おい、待て」
 軽いキスならいつものことだ。が、何度も何度もしつこく口づけを繰り返した挙げ句、やんわり押し返そうとした手首を掴まれて舌を差し込まれた時には、流石の金蝉も仰天した。
「ちょっと待て、何事だ!?」
 書類が滑り落ち、床に散乱する。
「…何がです?」
「何をしやがる、何を!!」
「僕は貴方が好きですって言ってますよね、何度も何度も何度も!お喋りしたいだけの相手に、わざわざ好きとか愛してるとかこっ恥ずかしいこと言うほどの自虐趣味ないですよ」
 もっともだ。もっともだが、天蓬の引き金をひいた奴がいる。
「また捲簾か!?」
 金蝉が不用意に声に出した禁句は、天蓬の火に油を注いだ。
「何でそいつが出てくるんです、今!!」
 ふたりを隔てていた机を、筆立てや卓上カレンダーを倒しながら乗り越えた天蓬は、ようやく本格的に逃げかけた金蝉を易々と壁際に追いつめた。
「待て待て待て、分かったからまずは落ち着け!」
「この期に及んでまだ何か?」
「だめだ」
 天蓬の動きが止まった。
「…何て言いました?」
「おまえとそーゆー事する気はねえよ」
 金蝉とて、何もいきなり痛恨の一撃を食らわすつもりはなかったのだ。いずれキチンと、天蓬が自分に寄せている好意に対して誠意をもって返答するつもりだった。だが天蓬のまったく唐突な暴挙の前にそんな礼儀正しい作法はふっとんでしまった。更に、目の前で固まった「古くからの知人」に、金蝉は慌てるあまりますます言葉を選ぶ余裕がなくなった。
「おまえ、好きとか何とか自分の気持ちばっかで、だから俺にどうして欲しいなんて一言だって言ったことねえじゃねーか!」
「どうしてもこうしても」
 天蓬は天蓬で言葉にまで神経が回らないらしい。
「好きなら欲しいに決まってるでしょうが、枯れたじじいじゃあるまいし!!」
「だから、それならはなっからそう言やあ、また別の対応をしたっつってんだ!今まで猫かぶっといて誰に感化されたんだか知らねえが、おまえは俺のプラスαではあるが、俺の唯一無比じゃねえ!」
「そうですか」
 天蓬は、いきなり金蝉の肩に食い込んでいた指を離した。
 分かっていたから踏み込まずにいた一線をいきなり踏み越えて、わざわざ傷ついた自分の行動が既に自分の理解の範疇を越えている。
「…そうですよね。そうでした」
「だ、大丈夫か?」
「…金蝉、貴方、日常考えてることを円グラフにすると」
「えええええ円グラフ!?」
 抑揚のまったくない天蓬の声音は、内容は差し置いても相当怖い。
「何の割合が一番大きいですか」
 今度も深く考えず、金蝉は思ったままを口にした。
「…悟空かな」
 悟空。自分は。
「お邪魔しまーす」
 ノックもなしに奇妙な沈黙を破って乱入した人物を認めた途端、金蝉には分かってしまった。ああ、こいつなら人を壊すかも知れない。何の自覚も悪気もなく。
「お、お兄さんが金蝉童子?悪いね、こいつ引き取るわ」
 子供のような笑顔につられて、金蝉は思わず「助かる」と言いそうになり大慌てで呑み込んだ。
「…今、貴方をさくっと刺したい気分なんですけどね捲簾」
「だと思った」
 触ったら静電気が走りそうなオーラを難なく破って、捲簾は天蓬の襟首をひっつかんだ。
「じゃあな兄ちゃん。今度ゆっくり一杯やろーや」
 有無を言わさず廊下に引きずり出された天蓬が口を開く前に、捲簾の冷めた声が降ってきた。

「鏡見ろ。俺の副官が盛った犬みてえな顔でその辺うろつくな」


novels top
act5→