電気 act11


「…さて」
 景気づけに呟いてみて、天蓬はコーヒーを片手に図面を広げた。
「何でこんなに布陣を広げなきゃいけないんですかね。大陸まるまる制圧しろとでも言うんですか上は。これじゃまるで侵略戦争ですよ。どう思います?捲簾」
 …なーんちゃって。
 天蓬はガランとペンを放りだした。
 捲簾がいない。
 もしかしたら、これから先もずっと。
 用事もないのにふらっとやってきて、頼みもしないのに部屋を片づけて、何をするでもなく居座って、気まぐれにちょっかいだしてくることもない。
 どちらにしろあと1時間後には出陣前の軍議で会うことになるのだが、部下の前では何もなかったように笑顔を見せるに違いない捲簾を思うと、久々の軍服が急に重くなった。
 今夜からは戦場でまともに眠れやしないのに、昨日は正味2時間寝たかどうか。あの人と出会ってから初めて、一度も顔を見なかったせいだ。
 なんででしょうね。毎日見たいほどたいした顔でもないのに。
 天蓬は配置図をくるくる丸めると、溜息をひとつついて、部屋を片づけ始めた。何となくそういう気分になったのだ。捲簾なら15分ですむだろうところを1時間たっぷりかけて整理整頓してしまうと、時計に目をやり書類を抱え、ドアノブに手をかけた。
「…行ってきます」

 二度とこの部屋に戻れないとは知らずに。
 

「大方の奴が感づいてるとおり、今回の遠征は敵をやっつけて終わりじゃねえ。戦闘区域は軽くいつもの14倍、天帝が危険とみなすであろう全ての生き物を、その区域から排除するのが目的だ。ふたつだけ言っとく。戦闘区域が広いということは西方軍全体の統率を計るのがいつもよりちょーっとばかり難しいってことだ。各自通信機の電源は二日間入れっぱなしにしろ。急に俺が声を聞きたくなって電波飛ばしたときに応答がない奴は死んだとみなして泣くぞ。いいな」
 あちこちからしのび笑いがもれた。何故、いつもと戦闘の目的が違うのかを問う者はいない。捲簾大将があえて言わないということは、自分たちが知る必要がないということだと納得しているからだ。
 …少なくとも、天蓬以外。
 天蓬は捲簾の訓辞を、すぐ横で聞いていた。いつもと同じ距離で、軍大将の右腕の顔をして。
 上司の思惑などすべてお見通しの軍師の顔をして。それが仕事だ。
「もうひとつ。余計な想像は絶対にするな」
 天蓬はちらりと捲簾を見た。
 同じだ。初めて会った時から、捲簾はちっとも変わらない。
 そうだ、戻っただけだ。この人と初めて会った時に戻っただけ。自分はこの人の部下で、金蝉は友人。
 何もなかった。
 何も。
「追いつめられようが、怪我をしようが、最悪な事態は想像するな。おまえらは大丈夫だ。頭か心臓をぶち抜かれるか、満腹の時に腹をやられなきゃおまえらは死なねえ。俺と天蓬が必ず助ける。案ずるな」
 捲簾は号令代わりに靴の踵を鳴らした。
「行け」


 

…ねえ金蝉。なんであの人は僕にキスなんかしたんでしょうね。
「おまえにヤりたいって言わせたかったからだろ」
 何故ですか?
「節操なしって言いたかったからだろ」
 何故?
「おまえに嫌われたかったんだろ」
 ……何故です?
「さあな。あいつはおまえが思ってるほどややこしい男じゃねえよ。ああしたいからこうするってだけの奴だ」
 …何で分かるんです。
「それはな。俺が捲簾大将のことを好きでも何でもねえからだ」




 土煙で視界がきかない。
 天蓬は左耳を塞ぎ、右耳にトランシーバーを押し当てた。そうしないと聞こえないのだ。
「捲簾、衛星対応レーダーは役に立ちませんよ!アナログに切り替えてください!貴方の抜刀隊は血気盛んなのは結構ですが前に出すぎです、後方部隊が戸惑ってるじゃないですか!!」
 酷い雑音に紛れて、捲簾の罵声が響いた。
「敬語をやめろ!」
「は!?何て仰いました!?」
「戦闘中に敬語はやめろ、言いたいことはずばっと言え!伝達速度が落ちる!」
 天蓬は戦闘が一段落した自分の隊に手を上げて待機を命じ、トランシーバーを構えなおした。
「撤退!!!」
「了解」
 返答を確認して、天蓬は手元の地図に目を落とした。
 順調だ。A地点を攻略するために、B地点を抑える。至極単純なことの積み重ねだ。
「元帥。抜刀隊というのは…何なんでしょうか」
「何なんでしょうかとは?」
 傍らの士官が、麻酔銃の照準を調整しながら首を傾げる。
「大将のシンパというより…大将のほうから狙ってひっかけたって感じがしなくもないんですよ」
 軍大将に対してひっかけたはないだろう。
「素質のある方々をある程度は選抜したでしょうね。先陣切らせるつもりだったんでしょうから」
「剣の腕も銃の腕も、抜刀隊より私の方が遥かに上だと自負しておりますが」
「…貴方は、捲簾のお声がかりがなかったのを気にしてるんですか?」
 天蓬はからかいを込めて微笑んだが、部下は笑わなかった。
「声はかかったんです、別口の」
「…どういう意味です」
「おまえは天蓬につけと」
 天蓬は地図から顔を上げた。
「おまえは性格に何も問題がないから、天蓬のそばにいて天蓬を守れと」
 頭の中で、何かが割れた。
「…天界にいろ、と」

 俺は、ハッピーエンドが好きなだけ。

 下界の夜に馴染めないのは、闇でも静寂でもなく、砂漠特有の寒さだ。
 現在10箇所に散ってキャンプをはっている分隊の中でも、森林地帯には戦場経験の浅い者を回してある。よって天蓬と捲簾のいる場所は日が沈むと一気に零下になる最悪の環境で、周囲は遠征に慣れきった手練ればかりだ。
「おおむね、順調です」
 戦況報告をこう締めくくった天蓬に頷いて、捲簾は酒瓶を放って寄越した。
「…酒ですか」
「一口であったまるようにできてる」
 天蓬はこの男が直接らっぱ呑みしていた注口を軽く指で拭って唇をつけた。外は漆黒の闇。テントの灯りは白熱灯ひとつ。アルコールで血管が一気に広がるのをやり過ごしてから、天蓬はゆっくり口を開いた。
「捲簾。お聞きしたいことがあるんですが」
「仕事の話なら何なりと」
「指揮官である僕に遠征の目的を明かさないのは何故ですか」
 捲簾は、しばらく黙って自分の爪をはじいていた。
「もうひとつ。竜王から僕に伝言があるはずですが」
「立ち聞きか」
「貴方の職務怠慢を棚に上げて非難される筋合いありませんね」
 戦場で限界まで張りつめていた神経とは、明らかに別の緊張が全身を包んでいく。流石に首まで引き上げていた軍服の襟を緩めると、捲簾は懐から煙草を引き出した。奥にしまっておかないと、戦闘中にすぐ葉がダメになるのだ。
「…まとめて返事するけどよ」
「はい」
「俺はもう天界には戻らない」
 天蓬は一瞬、目を閉じた。
「天界人は、下界を自分たちより下等な生き物が這いずる世界だと信じて疑わねえ。だからこうして頼まれもしねえのにこの世界に降りてきて、無意味な戦闘で自分たちが畏れられるべき存在だと主張しなきゃなんねえんだ。本当は、この世界には誰ひとり神なんぞ崇める奴はいねえのに」
 捲簾の表情にも声にも、何の感情もなかった。むしろ穏やかに見えた。
 あまりに長い間自分の手の中で転がし続けたせいで、既にこの問題は遥か昔に死んだ者の思い出を語るに等しいのかもしれない。
「上の奴らは、何万人も地上の生き物を殺してる」
 天蓬が弾かれたように目をあげると、まともに捲簾と目が合った。
「俺やおまえが生まれるずっとずっと前のことだけどな。俺が書庫で見たってのは、その資料。あいつらは地上が欲しいんだよ。支配してえんだ。下等生物しかいねえはずのこの世界に惹かれてる。そのために地上に駐留軍を置きたがってた」
「それが貴方と、抜刀隊ですか」
 捲簾は初めて笑った。
「おまえも俺が天界に向かねえと思ってたろ?」
「何故貴方と抜刀隊なんです」
 いきなり捲簾が、痛いくらいの力で天蓬の左手を握った。
 そうされて初めて、震えているのに気がついた。
「もう少し呑むか?」
 大丈夫です。そう言いたかったがやめた。嘘になる。
「抜刀隊の連中の目、見たろ。あいつらは何のために戦ってるか分かってる。俺のためだ。少しも迷いがない。だからあいつらは強いんだ。俺は何のために戦えばいいのか分からない。それでも人より少しは腕がたつのは、俺が戦うことが好きだからだ。根っから。ヤバいくらい」

 捲簾は、過去に人を殺してる。

 直感だった。
 一度立ち合ったときに姿が消えたように見えたのは、動き自体が速かったからじゃない。あまりにも滑らかで、無駄も隙も迷いもなかったからだ。目の前の敵を倒すという明確な意志があったからだ。天界にあの意志はない。存在しない。
「俺とあいつらは駐留軍にはおあつらえむきなんだわ。上は、いくらでも手を汚せて腕の立つ奴らが必要なんだよ。天界では邪魔者でも地上では」
「そんなことはどうでもいいです。貴方はいつ地上駐留の命を受けたんですか」
 捲簾は目を逸らさなかった。
「おまえと立ち合った日の夜」
 だから金蝉と自分をくっつけようと急いだのか。だからあんなに怒ったのか。
「…何故黙ってたんです」
「言ったらどうした。とめたのか?竜王に直談判でもするか?志願したのは俺だぞ」
「何…」
「四方軍の中から駐留軍を選抜すると聞いて、向こうが言う前に俺が志願した。俺がいかなきゃ、天界でせっかくうまく生きてる立派な天界人が転勤の憂き目にあう。ついでに言うと命令されてから従うのはまっぴらだ」
「…抜刀隊の方々は承知なんですね。貴方の副官で総指揮官である僕にそれを伝えないのは、職務怠慢以前に僕に対する素晴らしい侮辱ですね。僕は信頼するに値する部下ではないと言うことですか。それとも僕が貴方を好きになりかけているのに気がついていて、言いづらかったんですか。前者だったら、僕の軍師としてのプライドをかけて今すぐ殴らせていただきますが」
 天蓬の静かな怒りに、捲簾は優しいと言えば言えるほど柔らかく返した。
「後者だったら?」
「離れません」



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