電気 act12


「前者だな」
「そうですか」
「俺のことは信じてねえくせに自分のことは信用しろってのはちょーっとムシが良すぎねえか」
 もしここが天界で、いつものように自分の部屋だったら、二日前のあの時のように動けなくなったかもしれない。だがここは戦場だ。迷って立ち止まったら死ぬ場所だ。
 捲簾は自分を天界に帰したいのだ。
 そして自分は帰りたくない。
 簡単だ。
「明日、連中連れて天界に戻れよ」
「嫌ですね」
「戻れっつの」
「嫌です」
「命令だ」
「聞けません」
 言い終わる前に銃口がこちらを向いた。
 天蓬は瞬きもしないで、見覚えのある銃口を見詰め返した。この銃には殺傷能力はない。小動物を撃てばショック死するかもしれないが、飛び出す弾丸は皮膚に食い込んだ時点で回転をやめ、その場で弾け飛ぶ。派手な裂傷による大量出血と激痛で相手を止める。浅く広い傷は派手に跡を残す。
 天蓬は昔、懲罰房でこれを使われた部下を看た。その時の彼の言葉は今も覚えている。死んだ方がマシだ、だ。
「おまえの手足ぶち抜いて強制的に送り返すしかなくなる。頼むから大人しく帰れ」
「へえ。不思議ですね。貴方が上の命に大人しく従って僕が反抗するなんて。貴方の教育の成果ですかね」
 視線を揺らしたのは捲簾で、天蓬は微笑さえ浮かべる余裕があった。
「撃っていいですよ」
 天蓬が一歩近づくと、捲簾が一歩下がった。
「…撃たねえと思ってんのか」
「いいえ。それくらいされなきゃ諦めがつきませんから撃ってください」
 できれば足がいい。本が読めるように。
「撃ちたくねえんだよ」
「貴方が撃たなきゃ僕が撃ちますよ。怪我すれば天界に戻るしかないでしょう」
「元帥職と引き替えにか?」
「あんまりなめないでくださいね。軍師の名は伊達じゃないんです。上が僕と、実質天界から追放された貴方のどちらを信用すると思ってるんです。いくらでも言いくるめてみせますよ」
 天蓬が懐から無造作に銃を取り出して、ひょいと捲簾の額に向けた。
「…ちょっと待て。俺は下界に駐留するだけで、何も今生の別れってわけじゃ」
「当たり前ですよ縁起でもない」
「大将、失礼しま…」
 テントの入り口を跳ね上げた部下が、小さく声をあげて立ちつくした。真っ当な反応だ。
「おふたりとも、何なさってるんです!!」
「用は?」
「は!?」
「用事は何だ」
「……はっ」
 返事はしたものの、明らかに合点がいかない芳准の視線はふたりの間を右往左往したままだ。
「…裏手の森から…妙な音が聞こえるものですから…見張りを走らせた方がいいかとお伺いを…」
「僕と捲簾で見てきます」
 あっさり銃を引っ込めると、天蓬は部下の脇をすり抜けて外へ出た。
「天蓬!」
「どっちが撃つにしても外の方が言い訳しやすいじゃないですか。流れ弾に当たったことにしてしまえば」
 捲簾は呆然とする部下に手を振って下がらせると、溜息をついて天蓬に並んだ。
「おまえがそんな無茶苦茶な奴だったとは思わなかった」
「無茶苦茶になったんです、貴方のせいで」
「何で俺だよ」
「好きなんです」
 捲簾はまた溜息をついた。
 お互い、お互いに気を取られて、森の奥まで何をしにきたのかうっかり忘れていた。覚えていたらだらだら喋ったりしなかった。
「俺の相手はおめえじゃ無理。金蝉と仲良くやんな」
「無理って何です」
「無理だと言ったら無理なんだよ」
「僕は貴方が好きなんですっ…て」
 言い終わる前に捲簾が体ごとぶつかってきた。
「伏せろ!」
 紙風船を割ったような乾いた音はたいしたことなかったが、頭上を吹き抜けた熱風は凄まじい。天蓬は舞い上がった土煙と衝撃波を目を閉じてやり過ごし、手探りで銃を握った。髪が焦げる嫌な匂いと、手の甲に火傷の痛み。ようやく瞼を押し開けると、ほんの5センチのところに捲簾の顔があった。こめかみにうっすら血が滲んでいるのは、飛んできた石か枝が掠めたのだろう。
 今さっき本気で撃とうとしていた捲簾に庇われるとは。
「…何です今の」
「っかしいな、気配ねえな…暗視スコープ持ってねえか」
「持ってる訳ないじゃないですか、ドラえもんじゃあるまいし」
「何だそりゃ」
 捲簾は地面に俯せた姿勢のまま周囲の木々に目を凝らした。微かにじりじりと人工的な音がする。しかも四方八方。
「…罠かな?」
「地雷とか?赤外線感知で発射されるレーザー砲とか?そんなハイテクなもの下界の人間が?」
 言いながら、それでも天蓬はさっきの爆風はただごとではないと気がついていた。音がさほどでもなかったのは消音装置だ。音に反応して援軍がくるのを防ぐつもりだ。
「こんなに技術が進んでるんじゃ天界が欲しがる訳ですよ」
「とりあえず早く戻らねえと、心配して奴らが追っかけてきたら全員一気に吹っ飛ばされるな〜しょうがねえなあ〜走るか」
 のんびりした口調と逆に、闇を見詰める捲簾の目は鋭さを増した。
「天蓬、このまままっすぐ突っ切れ。俺は右から抜ける」
「何でバラなんです」
 言った途端に向けられた非難の目はそれこそ触ったら切れそうな代物だったが、それをやんわり受ける自分の余裕が自分でも不思議だ。地面についた自分の腕が捲簾の脇腹に触れている、その熱さまで感じる余裕。
「一緒にいたら一緒に吹っ飛ぶだろうが!」
「結構じゃないですか」
「部下まで巻き添えにする気か!どっちか片方でも抜けられりゃそれでいいんだ、こんなとこにまで公私混同持ち込むな」
「すいませんね。僕は貴方と僕さえ助かれば誰がどうなろうといいもんで」
「バカか」
「正直なんです」
 捲簾はしばらく黙っていたが、そろそろと体を起こしながら呟いた。
「…おめえに騙されたっつったろ」
「節操なしと一緒にね」
「訂正するわ」
 続きはなかったが充分だ。同じ方向に走ってくれればそれだけで。
 掴んだ捲簾の手が燃えるように熱い。
「暗視スコープがなけりゃ狼煙でも照明弾でも伝書鳩でも出しやがれっつーんだ、この役立たず」
「声に反応する仕組みかもしれませんから、あまり大声出さないでください」
 体温に反応するんだったら、きっともう撃ち抜かれてる。
「行くぞ」


「大将と元帥が銃向けあってたぁ?」
 テントに戻った芳准の言動が余りにも怪しいので問いつめた同僚達は、しどろもどろの説明に頓狂な声をあげた。
「…ケンカ?とか?」
「遠征中にケンカ?つかケンカで銃向けるか?銃ったって水鉄砲じゃねえぞ、あの例の拷問銃。そりゃあの人達ならケンカすると言ったら極限までするだろうけどよ」
「思うんだけど、あれじゃない?遠征終わったらバラバラになるじゃん?大将と元帥」
「ああ…」
 このテントには抜刀隊しかいない。事前に捲簾から、下界駐留のことを天蓬に口止めされていた連中ばかりだ。
「殺生だよなぁ」
「でも俺だって戦闘中に大将といるとロケット砲ぶっ放したくなってくるぜ?俺らや大将と、元帥は違うんだからさ。一緒にいねえほうがいいんだよ。元帥がおかしくなっちまう」
「元帥が人を殺したことがねえから?」
 芳准はぽつんと口を挟んだ。
「なあ、才能ってあるじゃん?元帥はめちゃくちゃ頭が切れるし、おまえは機械いじりのプロだし、俺だって米粒に文字かけるし」
 それは才能じゃなくて特技だ、と全員が思ったがつっこまなかった。
「大将はひょっとしたら人を殺すのが好きなんじゃねえかな。好きとまで言わなくても、まったく躊躇わないんじゃねえかな。大将は人付き合い以外は何でもこなすけど、もしあの人の一番の才能が人を殺すことだったら、それが一概にあの人のせいかな。天界に生まれて、無殺生の軍隊なんつう訳の分かんねえとこで大将になっちまったのって、あの人が悪いのかな」
 捲簾に惚れ込んだのは、捲簾が戦うのを見たからだ。ここにいる全員がそうだ。だとしたら。
「…俺は天蓬元帥しかあの人を止めらんない気がしてるんだけど」
「俺はもう遅いような気がするんだけど。銃向けあってる時点で」
 一同は顔を見合わせた。
「…じゃあどっちにしても元帥は残った方がいいんじゃねえの?」
「人さえ殺せばな」


「おっしゃあ、三つ目発見!」
 捲簾が茂みの中に打ち込んだ先で白煙があがった。
「捲簾、ゲームやってんじゃないんですからゴールすればいいんですよ!アイテム拾ってる場合じゃないでしょうが!」
 天蓬は額の汗を拭い、捲簾の肩越しに自分たちを襲った装置を覗き込んだ。20センチ四方のただの箱に見える。
「一発使い捨てにしてもギリギリの大きさですね」
「やっぱ赤外線だな。持って帰って解剖してえなぁ」
「分解でしょ」
 何かしらの危機を目の前にした捲簾はある種異常だ。楽しんでる。ここまでくる間にさっきの爆風を2,3発食らってあちこち負傷して、まだ息もきらせていないのは興奮でアドレナリンが滾っているせいだ。きっと痛みもほとんど感じていない。
 戦うために生まれた男。天界にとっては恐怖以外の何者でもないこの男がいないと、もう退屈で生きていけない。絶対に離れない。
「捲簾、貴方が必要以上に動き回るから体力がもう限界なんですけど」
「あー分かった分かった、もう一気に抜ける」
 天蓬が握りなおした手を、捲簾は振りほどかない。

 森を抜けたら、捲簾を撃とう。

 あと、ほんの少しだったのに。
 微かな音を聞き逃した。
 横薙ぎの風に地面から足が浮いた。
 縺れ合って突っ込んだ茂みの小枝が、頬の両側で鋭い音を立てて折れていき、ふと、視界が切れた。
 崖…
「……っ!!!」
 右手に、捲簾の熱い熱い手。断崖に向かって引きずられる体を止めようとした左の掌が、粘土層の地面をずるっと滑った。かろうじて茂みの根元を掴む。
「捲簾!」
 崖の下は真っ暗だが吹き上げてくる風の重さで、落ちたら終わりだぐらいの見当はつく。
「…うわぁ」
「うわぁじゃない…ですって…!今、引き上げ」
「無理だって」
 捲簾の声は落ち着き払っている。まだ血中薬物がきいているのか。
「離せって、マジで。おまえも落ちるぞ」
 AさんとBさんが崖から落ちそうになっていて…なんて問答があったっけ。こんなベタな夢なら覚めてくれ。頬から顎に、冷や汗が流れた。離したらもう会えない。
「ああ、そっか。こういう時に使うんだな」
 天蓬は目を見開いた。
 捲簾の銃口が、崖下からこちらを向いた。
「…捲……」
「撃っていいって言ったろ」
「……やめ」
 まだ聞いてない。
 何も聞いてない。

「じゃあな」

 銃弾が天蓬の左肩を掠めた。衝撃に弾かれて、右手から、熱いあの手が消えた。

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