電気 act6


 西方軍の下界遠征まであと4日。
 だいたい夜の7時から2時間、下手をすれば日付が変わるまで延長可の「捲簾大将の個人レッスン」は、毎日キャンセル待ちがでるほどの盛況ぶりだという。
「個別の時もあるんですけど、大抵4人ずつくらいグループで個別に剣の稽古つけてくださるんです。実戦にすぐに役立つ分かりやすく適切な指導、アットホームな雰囲気が評判でですね」
 夜になるといつも行方をくらます捲簾の居場所を尋ねると、部下のひとりは「予約状況」の紙を懐から取り出して、こう説明した。まるでどっかの英会話学校だ。
「今日は大人数ですね。8人の予約入ってます」
「…まさか金とってんじゃないでしょうね」
 半分呆れて問い返した天蓬に、心外だと言わんばかりに部下は目を瞬かせた。
「たまに奢らされますけど、それだけですよ。仕事というより、大将の場合、趣味じゃないですかね」
 趣味。
 この部下の言葉は、何となく天蓬の心に小骨のように引っかかった。
 何だか…腑に落ちない。何だろう、この感じは。捲簾の、何か大事なことを忘れているような気がする。

 金蝉はどうしてるだろう。
 天蓬は、溜息をついて部屋の窓を開け放った。澄み切った夜風が、部屋の淀みまくった空気を掻き回す。
 もう1週間顔も見ていない。
 捲簾のことを考えると、砂糖とミルクのようにセットになって金蝉が浮かぶ。わざわざ会いに行かなければ、彼とは偶然廊下ですれ違うこともない。悟空のほうは、捲簾に教えられた「秘密のぬけ道」とやらを通って、誰にも咎められず二日とあけずに天蓬の部屋にやってくるのに。
「悟空、捲簾のこと、どう思います?」
 ある日、急に思いついて悟空に聞いてみた。
「大好き」
「…僕は?」
「大好き」
「金蝉は?」
「大好き!」
「あはは、みんな大好きなんですねえ」
 僕も、捲簾も金蝉も悟空もみんな大好きですよ。
 …本当ですよ。


「まーた金ちゃんのこと考えてるー」
「わ!」
 急に耳元で囁かれて飛び上がった。
「何です捲簾、いつ来たんですか!」
「今。ちゃんとノックしたぜ?おまえ本当に軍人か?」
 捲簾がすっと体を離した瞬間。
 血の匂い。
 天蓬は僅かに眉を潜めた。
「ケガ、見せてください」
 捲簾はぎょっとして副官を見下ろしたが、ようやく苦笑して服の袖を捲り上げた。
「ちょーっと掠っただけなんだけどよ。何でバレるかね」
「天界じゃ異質極まりない匂いに慣れきってる貴方がおかしいんですよ」
 天蓬は最近急激に慣れた手つきで消毒液をガーゼにとると、傷口をぽんぽん叩きながら何気なく切り出した。
「今度の遠征、どう考えても変です」
 意外にも捲簾は軽く頷いた。
「俺もそう思う」
「上からは領地占拠に等しい指令が下りてます。下界の不逞な輩を討伐すればいいだけなはずなのに、基地を広げろと」
「資源の採掘権でも狙ってんのかね」
「あり得ますね。資源ですめばまだ良い方ですが、下界の人間自体をどうにかする気かも。殺生より酷いことなど、際限なく考えつきますからね人は」
 くるくる包帯を巻き終えると、天蓬は正面から捲簾の目を見据えた。
「貴方、ひょっとして楽しいんじゃないですか?」
「何が?」
「個人レッスンが」
 捲簾は怪訝そうに何度か瞬きを繰り返した。
「楽しくちゃ悪いか?あいつらがどんどん巧くなってくの見てっと面白いぜ?」
「…それだけですか?」
 思い出した。
 しばらく見ていなかったから、考えることを忘れていた。
 最初に部下とケンカ沙汰を起こした中庭で、その後は地下の書庫で見た、捲簾のあの目。あの目の正体がずっとずっと引っかかって、捲簾に腹を割れなかった。あれは何だろう。あの違和感。
「おめえさんよ、言いてえことはハッキリ言えよ」
 不意に黙り込んだ天蓬に痺れを切らして、捲簾が語気を荒げた。
「明日もやるんですよねえ、個人レッスン」
「うん」
 どんなに急に話題を変えても間髪いれずについてくるのがこの人らしい。
「僕も飛び入りしていいですかね」
 余程驚いたらしく、捲簾はたっぷり30秒は黙ったまま天蓬を見詰めていた。
「…俺と手合わせしてえってこと?」
「ええ。ぜひ。必要なことだと思いますけど」
「そりゃ願ったりだけどよ」
 捲簾は軍服の袖を直しながら、真顔で呟いた。
「大将と副官の一騎打ちだろ。見物人でごったがえすぜ、きっと」


「今日は祭りか?」
 例によって観音とやり合っていた金蝉は、何となくざわついた雰囲気にふと外に目をやった。
「やたら軍のやつらがウロウロしてんな」
「天界の祭りなんぞ、花見とジジイのお誕生日会しかねえだろ。…それより近頃、おまえのペットを見かけねえが、放牧してんのか?」
 観音はさして興味もなさそうに、書類の束をぽんと机に放り投げた。
「…あいつらのとこに入り浸ってる」
「あいつら?」
「…西方軍の天蓬元帥と捲簾大将」
 金蝉が一瞬躊躇ったのを聞き逃してくれる優しい観音ではない。
「なんだ、妬いてんのか?」
「何だと?」
「まあいい」
 クスクス笑いながら、話は終わりとばかりに観音は立ちあがった。
「気をつけた方がいいぞ。ただでさえ大将は上から煙たがられてんだ、はなっから歓迎されてねえ悟空と一緒にしとくと相乗効果でろくなコトにならねえ」
「ああ、分かってる」
 金蝉は軽く舌打ちして、机の上の書類を抱え上げた。
 軍服を見ると無条件に苛つく理由を考えたくなかった。

「お祭りみたいですねえ」
 天蓬は演習場に押し寄せた人並みを見渡してのんびり呟いた。
「悟空を入れたのは貴方ですか?」
 危ないからここから動くなと厳重に申しつけてはいるものの、いつまで壁際でじっとしているか分かったものじゃない。
「猿が見てえっつったんだよ。どっちにしろ、きっちり見て帰って金蝉に報告してもらわんきゃなんねえし?俺がおまえに鮮やかに勝利する様をっ」
「ああ、そういうことですか」
 このためにわざわざ軍服を出してくるのも面倒だったので、天蓬はネクタイを解いて白衣を脱いだだけの軽装だ。
「てんちゃーん!ケン兄ちゃーん!頑張ってねー」
「おーう!まかしとけー」
 ぶんぶん手を振って声援に応える捲簾が、果たしてどこまで「計画」にのっとって悟空と接しているのか、実は地なのか判断がつきかねるが、はっきりしているのは捲簾が心底はしゃいでいることだ。
 天蓬はひさしぶりに手にした剣の感触に身震いした。
 もう一度、あの目を見ればきっと分かる。この立ち合いで、必ず捲簾はあの目を自分に向けるはず。
「元帥がストレートで勝てば20倍」
「じゃあ俺大将だから、掛け金倍にしとく」
 ギャラリーは予想通りの会話で盛り上がっている。竜王が見たら憤死するに違いない光景だ。
「じゃ、やりますか?」
 捲簾のいたずらっぽい笑顔に、天蓬はにっこり微笑み返した。
 軍師である天蓬が軍事演習に参加することはごく希なので、捲簾の剣さばきは一度中庭で見たっきりだが、一度見れば見切るに充分だった。

負ける気がしない。

novels top
act7→