電気 act7
捲簾の性格からして剣もまったく我流の力押しかと思ったところが、部下の話と一度だけみた立ち合いから察するに、意外にも基本にのっとった正統派らしい。無駄な動きを極限まで押さえて正確に急所を狙う打ち方は、攻撃の効率は良くても防御に弱い。相手をかわす動きがどうしても単調になるのだ。
あの身の軽さに惑わされなければ勝てない相手じゃない。
「本気でこいよ」
「勿論です」
先手必勝と踏んだ天蓬は、言い終わる前に床を蹴った。
真正面から振り下ろした剣を、捲簾は上体を左に捻って紙一重でかわした。予想通りだ。次は左から横薙ぎに切り込んでくる。
ひゅっと耳元で風が吹いたと思った時には、勝負がついていた。
「あ…」
何十人と膨れあがった観客が、ようやく事態を理解して騒ぎ出したのは、捲簾が何食わぬ顔でパチンと刀を鞘に収めてしまってからだ。
「何、今の…」
「大将、何した?」
たちまち数メートル頭上に弾き飛ばされた剣は、天蓬の背後数メートルの床に突き刺さった。
刀捕り。
知識としては知っていても、実際に目にしたのは初めてだ。
いつ、どう手元から攫われたか分からない。捲簾の体勢すら見極める暇もなかった。焼けつくように熱い両の掌に目を落とすと、見る見るうちに赤黒く腫れ上がった。
天蓬の腕前は、捲簾の前から西方軍にいた連中ならみんな知っている。滅多に前線に出てこないブレーンだが、出たら最後、流れるような剣裁きで決して打ち負けることはなかった。その軍師が、力でなく技であっという間に捻られるなんて。
「反則で無効試合にしとく?」
いつもの捲簾の、小憎らしい笑顔が、今はまったく別のものに見える。
「……いえ…」
声が掠れた。
この男は。
ギャラリーの激しすぎる反応から見て、目の前の男は演習でも実力の十分の一も出していなかったに違いないが、だからといって今、本気を出した保証がどこにある。
もっと速いかもしれない。
もっともっと強いかもしれない。
「大将、今の酷いですよ!!」
「あんな必殺技知ってるんなら、すぐに勝てちゃうじゃないですか!教えてくださいよ!」
瞬く間に本日のビッグイベントが終わってしまったと見るやいなや、部下達は失望と興奮のあまり好き勝手喚き立てた。
「おまえらは知らなくていいの」
捲簾は、天蓬の脇を通り抜け、床に転がった剣を拾い上げた。
「刀を持った人間にしか使えねえんだから」
「じゃあまた明日ね、天ちゃん、ケン兄ちゃん!」
軍部棟の入り口まで悟空を見送りに出た天蓬と捲簾に手を振って、ほとんど走り出していた悟空の襟を不意に捲簾がひっつかんだ。
「おい猿、金蝉にちゃーんと話とけよ?」
「うん、ケン兄ちゃんがズルして勝ったって」
「かっわいくねー!勝ったって言やーいいの!ついでにケン兄ちゃんが世界で一番大好きって言ってこい」
「…捲簾、子供に嘘つかせちゃダメですよ」
天蓬は、まだ微かに痛む手の平をそおっと悟空の頭にのせた。
「悟空。金蝉、元気ですか?」
捲簾が聞こえよがしに舌打ちしたのに気がつかないふりで、天蓬は視線の高さを悟空にあわせた。
「うーん…元気だと思うけど…なんか前よりすぐ怒る」
「そうですか。申し訳ありませんが、金蝉に伝言お願いできますか?」
「おい」
捲簾が白衣の裾を引っ張るのを無視して、天蓬は微笑を浮かべた。
「愛してるって」
あいつは天界に向かない。
観世音菩薩のあの言葉は、決して人を人とも思わない傍若無人な言動のせいだけじゃないのかもしれない。捲簾についてまわる、天界にあるまじき血の匂いと、天界人に似つかわしくないあの目つき。
最初は殺気だと思った。
天界人がもつことの許されない感情だ。
だが、だとしたら、あの時の説明がつかない。軍会議の直前に地下2階の書庫で見たあの目。相手は本だ。
「おまえ俺の金蝉焦らし計画にのったんじゃなかったのー?」
悟空を見送った後、なんとなく頭を冷やしたくてふらっと外に出た天蓬のあとを、捲簾はスタスタついてきた。
「…のりましたよ?だから会ってないじゃないですか」
濃い夕闇の中に浮き上がる桜が、綺麗を通り越して何か得体の知れない生物のようだ。
捲簾に引きずられそうになるたび、金蝉に逃げるパターンは相変わらずだ。
「怒ってんの?」
「怒ってません」
「まだ痛ぇ?」
後ろから不意に延ばされた手を、天蓬は無意識に振り払った。
「…あ、すいません…」
「…いっけど。相変わらずつれねーこと」
捲簾はそのまま天蓬を追い抜かし、ひときわ大きい桜の木の下にすとんと腰を下ろした。
「おいで」
おいでって。
「いーからおいで。話があるから」
天蓬は一瞬躊躇ったが、先刻の気まずさもあって捲簾の隣に大人しく座った。ただでさえ黒い軍服に真っ黒な髪と瞳の捲簾は、目を離すと闇に溶けそうに滲んで見える。今の天蓬にはそれが救いだった。
「3日後の遠征のことな」
「…ええ」
「隣の棟の書庫で、俺が上の方の棚片っ端から漁ってたの覚えてるか?」
天蓬は無言で頷いたが、どうせ暗闇で捲簾には見えていないだろう。
「あん時、俺が見た資料、もうねえの」
「え?」
「こないだ見に行ったら、きれいさっぱりねえのよ。そのあと、入れ替わり立ち替わり、竜王やらお偉いさんに呼び出されて何が言いたいんだか分かんねえ尋問受けた。俺は読んじゃいけないものを読んでしまって探りを入れられたのではなかろうかと踏んでいるのだが」
「踏んでいるのだがって、そうに決まってるじゃないですか。何ですか?今度の遠征と関係が…」
「おまえは知らなくていーの。分かるよな」
分かりすぎるくらい分かる。知ったことで危険視されるような上層部の泣き所を、自分が大将だったら副官になど漏らさない。
「…一心同体になるんじゃなかったんですか、僕ら」
捲簾は煙草に火をつけると、しばらく黙った。
「…なるけど…まあ…遠征が無事に終わったら、だな」
回りくどい話し方から察しろということかと勝手に判断して、天蓬は周囲を見渡した。気配はない。
「…刀もった人間にしか使えないから知らなくていいって言いましたね、さっきの刀捕り」
「…言ったっけ?」
「敵は刀持った人間じゃないってことですよね」
「いや、人間。とりあえずは。…その後は分かんねえけど」
下界の基地拡張。
上層部の企み事。
人間じゃない敵…?
「捲簾、貴方、その資料見つけたとき、どう思いました?」
「はあ?何で?」
「聞いてるんです。どう思いました?その…上の方々に対して」
捲簾はゆっくり煙を吐き出した。
「たたき殺してぇって」
指先から二の腕にかけて、ざっと鳥肌がたった。
無殺生の天界で、大抵の天界人は、幼い頃から徹底的に殺生が如何に汚れた行為かを叩き込まれる。もちろん、金蝉でなくても「死ね」とか「殺す」なんて言葉は簡単に吐くが、それは死を知らないからだ。
捲簾は違う。
死を知っている。
「天蓬。金蝉に会いたい?」
不意に捲簾が、びっくりするくらい近くで呟いた。
「…会いたいですよ。知ってるくせに」
「辛い?」
「何がです?」
「人を好きになること」
今の捲簾に対する血生臭い警戒とまったく関係なく打ち出す心臓をどうしたらいいのか分からない。捲簾の方に顔を向けると、コツンと額が額に触れた。
「…捲簾?」
吐息が。
「辛いのか楽しいのかどっちよ」
「…簡単に幸せになったり、簡単にこの世の終わりだと思ったりしますよ」
「あ、そ。じゃあ、俺のは違うな」
聞き返す前に、捲簾は勢いよく立ちあがった。
「うまくいくといいな。おめえと金蝉」
捲簾の姿が、闇に慣れてきた目をこらしても見えなくなるまで、天蓬は座り込んだまま眺めていた。
捲簾が怖い。
でも目を離すのは、もっと怖い。
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