電気 act8


 天ちゃんがねえ、愛してるって。

 あほか。
 金蝉は、今日も今日とて際限なく降り注ぎ、髪にまとわりつく桜の花びらを振り払った。
 分かってるっつーんだ、んなことは。子供をダシに使うな。
 天蓬に負けず劣らず高いプライド保持者の金蝉は、真っ正面から自分の苛立ちを分析するのを無意識に避けていた。二日とあけず日参していた天蓬が急にぱったり顔を出さなくなった理由が、自分のせいだとはこれっぽっちも考えなかった。
 金蝉にしてみればあの時の天蓬は普通ではなく、普通ではない天蓬に多少荒っぽい言葉を投げたからといって関係にひびが入ること自体が心外だ。あれはいわば酒の席での言い争いみたいなもんで。
 何故あれくらいのことで、あいつは俺を好きで居続けることをやめるんだ。
 何年も何年もそうしてきたことを、何だってあの程度で。
 確かに今は悟空のことで頭がいっぱいだが、だからって何であいつが怒る。それとも何か?四六時中自分のことを考えてくれる奴を捜してるのか?
 好きか嫌いかと言えば好きに決まってる。同じ目線で話せる男など生まれてこのかたあいつしかいない。それで充分じゃねえか。今は気がねえっつってんだから、俺のことが本当に好きなら待てばいいじゃねえか。急に何をあせってるんだ。
 金蝉の脳裏にふと、一度だけ見た捲簾の顔が浮かんだ。
 あいつが来てからだ。天蓬がおかしくなったのは。

「うわ!」
 ふと日が翳ったと思ったら、頭上に花びらが塊になって落ちてきた。
「わりー、直撃?」
「…てめえ」
 捲簾は足をブラブラさせながら面白そうに花びらまみれの金蝉を見下ろした。
「どちらへ参られるんですか、金蝉童子。この先は軍本部ですが」
「うるせえ、てめえの知ったことか!おまえこそ真っ昼間にんなとこで何油売ってやがる!」
「西方軍は本日から休暇でーす」
「何?」
 遠征を目前にして休暇? 
 捲簾は腰に下げた酒瓶を軽く振ってみせた。
「一緒にどお?絶景だぜ」
「…他をあたれ。暇じゃねえんだ」
「あーそう?やっぱ毎日机にかじりついてデスクワークしてる生っ白いお坊ちゃまは木登りなんかできねえ?まーた筋肉ゼロの柔らかそーな体して。脂肪と骨だけじゃ歳くったらすぐポッキリ…」
「ぶっ殺されてえのか、てめえは!!」
 金蝉が言い終わる前に、捲簾はストンと木から飛び降りた。
「ちなみに天蓬なら中庭」
「…なんのちなみだ。俺は悟空を引き取りに来ただけだ」
「だから、悟空と一緒に中庭でお花摘んでますってば。おまえさんのために」
 目の前のやたら人なつっこい男に話すこともなければ、長く顔を合わせて楽しそうな相手でもない。ただでさえ天蓬が少しずつ少しずつ、訳の分からない方向に変わっていくのを目の当たりにしているのだ。静かで穏やかなものから、激しくて熱いものに。
「…休暇ってのは何だ」
 行きがかり上中庭に足を向けた金蝉は、後ろをついてくる捲簾に、これも行きがかり上、話しかけた。
「体力温存、筋肉冷却、精神鎮静。アドレナリン滾らせたまま戦場に出したら、勢いあまってヒトゴロシしちゃうかもしんねーだろ。まる二日のんびりさせときゃ、体動かしたくてたまらなくなった頃に非常に健康な精神状態で戦闘に望める」
 理屈としては分かるが、そんな軍令は初めて聞いた。
「休暇なら休暇らしく帰省するなり女といちゃつくなりしたらどうだ」
 捲簾は微かに笑っただけで、直接返事はしなかった。
 彼が撒き散らすどこまでも異質な空気と、人をくった軽々しい言動が、どうにも金蝉の性にあわなかった。自分の知る限り、天蓬が最も嫌うタイプに見える。部下連中になつかれているらしいが、階級がすべての軍で大将と名がつけば誰でもゴマのひとつもするだろう。上官の気分ひとつで合法的に死地に追いやられることだってありえるのだ。
 西方軍宿舎と天界軍本部棟の間を抜けると、軍敷地内で一番広い中庭にでる。
「昨日はご活躍だったらしいな」
「はは、ズルしたって悟空言ってなかった?軍大将がまともに打ち合って副官に負けたら志気に関わるからねえ」
「よく言うぜ。まともに打ち合ったら負けるとでも言うのか?」
「負けるね」
 金蝉は思わず振り返った。捲簾は相変わらず涼しい顔で煙草をふかしている。
「…何?」
「負ける」
「負ける?」
「ああいうのは技術と体力はあとからついてくるもんで、結局はここでしょ」
 捲簾は自分のこめかみを指さした。
「あいつの方が頭いいだろ、どー見ても」
 正直、金蝉はさっき捲簾に桜をぶつけられたことにも、木から飛び降りた時にまったく音がしなかったことにも、彼が話している内容にも相当驚いていた。だが捲簾は自分の言動がいちいち人の不意をつくことなど、まったく考えもしないらしい。
「…最初っからまともにやる気はなかったのか」
「ていうか、俺がああいう卑怯極まりない手をうつ奴かもしれないってことを、天蓬が考えに入れてるかどうか試した。あいつは人よりデータ容量がずばぬけて大きいだけで、自分のデータにない手がうてねーな。そこんとこ、もうちょっと鍛えねえと。大将として」
 もの凄いことを平然という奴だ。
「勝つための要領って同じだろ。カードに勝つ手も、酔っぱらいとのケンカに勝つ手も、女を口で言い負かす手も同じ。ただ酔っぱらいを前にロイヤルストレートフラッシュを出そうと思いつけるかどうかってこと」
「はっ。要するに人の不意をついて面白がってるガキだってことか。家柄も人脈も人徳も身分もないうえ才覚もないんじゃ、首がないのも同然だからな」
 捲簾はいきなり金蝉の肩に腕をまわした。
「気安く触んな!」
 振り払おうとして、金蝉は思わず体を硬くした。
 さっきまで捲簾にうっすら浮かんでいた微笑が消えた。
「…おにーさんよ。俺がこの世で一番嫌いなのは、家柄と人脈と人徳と身分しかなくて文句が多い受け身の奴なんだわ」
 捲簾の低音につられて金蝉も思わず声を殺した。
「…何が言いたい」
「もしおめえさんがそうだったら容赦しねえ。天蓬は俺がもらう」
 言葉は聞こえたが、言葉の意味が金蝉に浸透するまで時間がかかった。
 悟空のはしゃぎ声が微かに聞こえてくる。
「…おまえ本気…」
「なーんて、な」
 同じくらい唐突に、捲簾は金蝉を突き放した。
「捲簾!」
「おーっと俺、デートの約束が」
 捲簾は宿舎の窓枠に手をかけ、ぽんと飛び上がった。
「天蓬には今のナイショね」
「おい、ちょっと待てこら!」
 言ったところで猿でもなければ追いつける訳がなかった。
「…なんなんだ」
 あいつは天蓬に惚れてんのか?…あいつが?
 眩暈がした。

「金蝉?」
 天蓬が、白衣のポケットに花を咲かせて立っていた。大方悟空に突っ込まれたんだろう。
「…おう…」
「ひさしぶりですね。…今、誰かと一緒でした?」
「いや…ああ…えーと悟空は?」
 天蓬はゆっくり瞬きした。
「悟空なら僕の部屋に空き瓶を取りに行きましたけど」
「ああ、そうか」
「悟空に用事なら、すぐ戻らせますから」
 だからとっとと帰れと言わんばかりだ。諸手を挙げて歓迎されずとも、少なくとも笑顔のひとつも期待していた金蝉は、面食らって言葉を失った。見かけの間抜けさに反して愛想笑いのひとつも見せない天蓬の淡々とした態度と、先刻の捲簾のセリフがぐるぐる回る。
 …軍人同士。それどころか同じ隊の大将と副官、いやそれどころか嫌われ者の猛将と女房役の軍師。
 これはひょっとしてつまりそういうことなのか?
 別に捲簾大将に好かれたい訳でもなんでもないが、言われるままに受け身よろしく「お邪魔しました」で帰れるか。
「…天蓬」
「何でしょう」
 何でしょう???
「この間のことだが」
 天蓬はちょっと首を傾げて宙に視線を彷徨わせ「ああ」と口の中で呟いた。
「すいませんでした。どうかしてましたね僕。もう二度としませんから、忘れてください」
「ふざけんな」
 自分でも驚くほど低い声が出た。
「…金蝉?」
「俺にしない代わりに誰にするつもりだ」
 天蓬はその場で凍り付いたように突っ立ったままだ。鉄壁のポーカーフェイスが、驚愕なのか嘲りなのか抗議なのかはたまた感嘆なのかさっぱり分からない。金蝉は横っつらをはり倒したい衝動をようやく抑えた。
「…あー…もーいい。悟空にとっとと帰れっつっとけ」
 金蝉は決して急ぎ足にならないよう細心の注意を払いながらUターンした。追いかけてくるか呼び止めるかするかと思ったが、結局角を曲がりきるまで、天蓬からは何のリアクションもなかった。
「そーか…俺の次はあーゆー男か」
 そーかと言ってみたものの、さっぱり納得がいかない。何で俺の次にあれになる。昨日の「愛してる」はなんなんだ。愛してるけどさようならってことなのか。俺がやらせねえから?
「…気分悪ぃな」
 足音も荒く戻っていく金蝉を上から眺めて、捲簾はふうっと軽い息をついた。
「…上出来、天蓬」
「あー捲簾大将!今日って課外授業もナシですか?」
 背後から声をかけた部下が捲簾に振り向いてもらうまでに、たっぷり5回は大声で名前を連呼させられるハメになった。


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