電気 act9


「…っ大将!大将、ちょっと待って!!」
 いつもならわざと余裕たっぷりに挑発して部下を煽る軍大将が、今日は刀風で皮膚が切れそうな殺気。捲簾直属の選抜隊すら、立ち合うどころか足が竦んで動けない。
「何が待てだ。だるまさんがころんだやってんじゃねえぞ」
 そのくせ声だけはいつも以上に平坦なのが、返って部下達の背筋を凍らせる。
 金属音とともに捲簾の愛刀が本日7本目の剣を跳ね上げた。
「おら、次!」
「そこまで!!」
 次は誰が血祭りにと壁に貼り付いていた部下達が、助かったとばかりに声のした方に視線を向け、再び体を硬直させた。捲簾はといえばさほど驚いたふうもなく軽く刀を振って鞘に収めると、いつもの笑顔で来訪者を迎えた。
「そろそろ、あんたが会いに来てくれそうな気がした」
「休暇じゃなかったのか。遠征の前に大事な戦力を減らすな」
 西海竜王。
 大将との不仲は既に周知の事実なだけに、見守る部下は気が気ではない。
「捲簾大将。仕事熱心なのは大変結構だが、ついでに執務室に来てもらえると有り難い。至急だ」
「喜んで。天蓬は連れてったほうがいいの?」
「用があるのは軍大将だ」
 捲簾はふっと息を吐いた。
「なあ、天蓬に聞かれても言わないでくれる?」
 竜王が演習場を出たのを見計らって、捲簾は早口で手近の部下に囁いた。
「何をです?」
「俺の居場所。つか竜王に呼ばれたってこと」
「ええ、それは構いませんけど。大将、大丈夫ですか?」
 捲簾は心底怪訝そうに問い返した。
「何が?」


 どうしよう。
 どうしよう。
 どうしよう。
 天蓬の辞書に「どうしよう」なんて無意味で幼稚な言葉はない。どうしようもこうしようも、どうにかするしかないのだ、大抵のことは。
 しかしどうすればいいのだ。金蝉が。あの金蝉が。
「捲簾!いないんですか!?」
 捲簾を探すのに最初に自分の部屋に戻るのは何だか不思議な感じだが、とにかくここ1ヶ月は捲簾はここにいるのだ一日の大半は。それが普通だ。
 いないと分かると腹立ち紛れに本の山をひとつ蹴り崩して、天蓬は廊下を見渡した。
「あ、惷怜!捲簾どこにいるか知りません?」
 いつもより人口密度の薄い館内で、捲簾抜刀隊(またの名を捲簾親衛隊)の部下を見つけて廊下の端から呼びかけると、いや呼びかけようとすると、「あ」まで言ったところで、彼はその場でUターンした。
 まさか便所下駄で追いかけろとでも言うんじゃないでしょうね。
 天蓬は大きく息を吸った。
「待ちなさい!」
 足元の床を鞭打たれたようにその場に立ち竦んだ部下のところまで、天蓬は悠々と歩いていき、前に回り込んで出来うる限り優しく微笑んだ。これだけでも今の天蓬には非常な苦労だ。
「捲簾に用事があるんですけど」
「…30分前まで演習場にいらっしゃいましたが、その後は分かりかねます」
「そうですか。さすが捲簾のシンパだけあってなかなか堂々としたとぼけっぷりですね」
 天蓬は無造作に懐に手を突っ込むと、惷怜の額に銃口を向けた。
「覚えておきなさい。僕にそういう態度をとっていいのは捲簾だけです」
「げ……元帥…!?」
 捲簾といい天蓬といい、今日はいったいどうしてしまったのだ。元帥のガンマニアっぷりも、お手製の銃のとんでもない威力もよく知っている惷怜は、怯えるを通り越して自分の人生を回顧し始めた。
「申し訳ありませんが、僕には今一片たりとも心の余裕がないんです。貴方の身のためです、どこですかあの人は」


 自分の行動が異常なのは分かるのだが、何だかだんだん理性で感情が抑えられなくなっていて、それだけでも充分問題だが捲簾のそばにいるとそれでもいいような気はしてくるし、ああ、もう。
 それでも流石に竜王の部屋に乱入して恋愛相談などしようものなら明日から病院暮らしだ。天蓬が、執務室の前の廊下で暇つぶしに煙草に火をつけた、その時。
「分かってるっつってんだよ、しつけえな!」
 執務室の厚いマホガニーもぶち抜いて捲簾の怒号が聞こえた。
「なんだそのネガティブシンキングは!胃に穴あくぞ!」
「………」
 当然の事ながら、話し相手であろう竜王の返答は届かない。
 天蓬は辺りを見回して周囲に人影がないことを確認すると、そっと扉に耳を押し当てた。まったく、捲簾と付き合いだしてからだんだん下品になる。
「…おまえの副官だろうが。大人しく決定に従うとは思えんが」
「あんたが一喝すりゃすむ話だ、馬鹿馬鹿しい」
「一喝して聞かない場合は?」
「二喝しろ」
「おまえな…」
 呆れたような竜王の声。
「あいつは面倒事にわざわざ首突っ込むような物好きじゃねえよ。縦のものを横にもしやしねえ」
「最近、プライベートでも仲良くやってると聞いてるが?」
「それは色々あってだな、とにかくそうじゃねえの!見たら分かるだろ、俺らぜんっぜん性格あわねえんだよ。だいたいあの物臭の面倒見てんのは俺だぞ」
 …何だと?
「あーもー分かった、分かりました!あんたのただでさえ愛想のない顔がますます青白くなんないように俺がよくよく言ってきかせます。それでいいんだろ?一言だって文句言わさねえから安心して胃薬でも飲め」
「捲簾大将…」
「んじゃな。時間外勤務だぞこれ、請求するからなきっちりと!」
 天蓬は慌てて身を翻し、捲簾が扉を開けると同時に数メートル先の角を曲がって息を整えた。
 詳細は不明だが、自分にとって面白くない事が近々起こる。
 …恋愛相談どころじゃないか。
「てーんぽーじゃーんっ!!!」
 突如後ろから突き飛ばされた。
「うわ!」
「やったね!」
「は?」
「金ちゃんのハート、ガッチリ!?」
 いつもの捲簾。
「ホラ見ろ。俺様の言ったとおり、ちゃんと金蝉から来たろ?もう勝負あったな!」
 捲簾がさっさと歩き出したので、天蓬はずれた眼鏡を押し上げながら後を追った。
「…なんだか彼、貴方に妬いてるみたいなんですが」
「そりゃそうだ。遠征の前に3人で会ってケリをつけるか。そうしよう」
「え」
「あいつの前で俺がこう」
 捲簾はいきなり笑顔を消して、天蓬の両肩を掴んだ。
「捲簾?」
「…好きだよ」
 捲簾の声が心臓を直に撫で上げた。
「そこでおまえは目を伏せて、ごめんなさい捲簾、やっぱり僕には金蝉しかいない、貴方の気持ちには応えられません…。俺は寂しげに微笑、そう言うと思ったぜ、あばよ似合いのおふたりさん、俺のぶんまで幸せにな」
「……」
「おい聞いてるか?ひとりにするなよ俺を。バカみたいじゃねーか。おまえだぞ主役は」
「…貴方、最低ですね」
「あれ、知らなかった?」
「芝居であんな顔ができるんですね」
 捲簾は天蓬の肩から手を離すと、ゆっくり微笑んだ。
「できるよ」
 昼下がりの真っ白な日差しと、宿舎の静けさで、白昼夢でも見ているように何もかも現実感がない。金蝉といい、この男といい、自分といい…何だか…変だ。

「何を…したかったんでしたっけ」
 部屋に戻ってソファーに腰を下ろすと、天蓬はぽつんと呟いた。
「おいおい、どーした。もっと喜ぶかと思ったのに」
「そうなんですけど…夢みたいで」
 俺の代わりに誰にするつもりだ。
 そう金蝉に言われた時には、頭の中が真っ白になった。嬉しいと言うより混乱して、あるべきではない方に事態をねじ曲げてしまったんじゃないかと怖くなった。
 金蝉は自分と捲簾がどうにかなるところを想像しただろうか。
 捲簾の、さっきのあの声。あの顔。好きでもない相手にあんな熱っぽい、熔けるような嘘がつけるのか。
「天蓬、明日金蝉と約束しとけよ。俺が途中で乱入してやるから、あいつの前で俺をふりな。遠征のお守りに、行ってらっしゃいのキスでももらってこいよ」
 いつものように窓を開け、煙草に火をつけながら。明日が遠足の子供にお小遣いを渡す父親のようだ。穏やかで優しい横顔を、天蓬はソファーに片頬を押しつけたまま眺めた。いつもどおり。昔も今も信じられない。捲簾がまったく信じられない。
 なのに剃刀を掌で弄ぶような彼との付き合いがないまま、今までどうやって生きていたのか思い出せない。
 竜王の前で、金蝉の前で、悟空の前で、部下の前で、女の前で、まったく違う顔を見せているに違いない彼の本当が、自分の前の捲簾だとどうして言い切れる?
「…捲簾、貴方、今日荒れてたらしいですね。部下の方々が演習で殺されかけたって言ってましたよ」
「そっかあ?」
「別にどうでもいいんですけどね。ほんとに明日やるんですか?遠征終わってからにしません?なんか混乱しちゃって」
「この期に及んで混乱してる場合か。こういうのは状況が変わらないうちにやっちゃったほうがいいって」
「何で急ぐんです」
「おまえこそ何を脳天気に構えてんだよ。遠征でドジってくたばったらどうすんだ?俺はハッピーエンドが好きなだけ」
 …ハッピーエンド。
 捲簾は煙草を揉み消すと、ソファーの背にトンと手をついた。
「はい、練習」
「…ごめんなさい捲簾、僕にはやっぱり金蝉しかいません」
「…ナニ、その棒読み」
「捲簾」
「はいよ」
「好きですよ」
「セリフ違うぞ」
「本当に好きです」
「だから違うって」
「本気に聞こえません?」
 捲簾は何度か瞬きした。
「聞こえるよ」


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