千年の居留守
act2




 あ、ごめんなさい。笑っちゃって。
 貴方の口からそういう質問がでるのが、ちょっと意外だったから。
 そういうところからかけ離れた次元にいる印象があったから。
 改めて好きかって聞かれるとどうなんでしょう。嫌いではないですよ勿論。
 でも嫌いな人なんて、僕、いないですからね。
 好きってなんでしょう。どういう意味なんでしょう。
 好きっていいことですよね。言われて悪い気はしませんよね。でもそこで終わる感じしませんか。「好きだから」って言えばそこで許される気がするんです。「だって好きだから」って言えば済んじゃうような気がするんです。
 そんなのじゃないですね。
 ええ、許されないでしょうね。

 悟浄は僕を許さないでしょうね。
 
 
 

 その晩、俺は八戒とふたりになった。
 
「三蔵、悟空、今日泊まっていってくれませんか」
 八戒は案外普通の顔で居間に戻ってくると妙に落ち着いた声でこう言い、俺をチラリと見た。
「…というか、僕も泊めてくださいって言うべきですか?初対面の僕とふたりじゃ悟浄も落ち着かないでしょうから」
 …笑いやがった。
 おいおい見たかこいつ笑いやがったぞ。この非常時に。
 ちょっと綺麗な顔してちょっと傷ついた顔なんか見せたもんだから優しくしてやんなきゃいけないような気がしてたのに。
 動揺してうっかり忘れかけてたが俺は悪くない。
 例え世界中の奴が俺の頭がおかしいと言ったとしても俺は俺だ。
 俺が信じてやんなきゃ誰が信じる。
「…馬鹿にしてんのか?」
「じゃあどうします。僕は貴方の同居人だって言ってるんです。貴方が違うっていうならとりあえず今どうするか決めて下さいよ。僕と住むんですか追い出すんですか。そりゃ見ず知らずの他人とひとつ屋根の下じゃ怖くて当然ですからね、出てけって言われても恨みませんからご安心を」
「何で俺がてめぇ相手に怖がらなきゃ」
「じゃあどうします」
 この名前と顔しか知らない男の片鱗を、俺はようやく掴んだ。
 俺はこいつを知らないが、こいつは俺の性格をよく知ってる。
「…悪いな、心配かけて。こいつとふたりでじっくり話つけるわ」
 俺は八戒を睨んだまま、八戒にかじりついている悟空に言った。
「でも悟浄、喧嘩しない?」
「しねえよ?だっておまえの友達なんだろ?」
 
 
 ふたりが家を出た途端俺は踵を返し、八戒が後ろで何か喚くのを無視して家の一番奥の部屋をバンと開けた。八戒の部屋といえばここしかない。俺の記憶ではここは物置だが、扉の向こうにいきなりカントリーな世界が広がっていてパッチワークのベッドカバー付きベッドがあってチェックのカーテンの下の揺り椅子にテディベアが座ってて壁でドライフラワーが揺れてても驚かないぞっと!
 という勢いで開けた扉の向こうは。
 物置だった。
 俺の記憶どおり、そこは埃まみれで、賭場のビンゴ大会で当てた布団乾燥機やら加湿器やらこたつやら古い毛布やら雀卓やらが俺が放り込んだとおりの順序でそこにあった。
「…あれ?」
「何かご質問が?」
 いつの間にやら後ろに立っていた八戒は、まったくの無表情で俺を見ていた。
「…おかしいじゃねえか」
「何がです」
「俺は同居人にてめえの部屋も作ってやらねえほど無神経な男じゃねえ…はずだ」
 自分で言ってて何だが妙な台詞だ。
 八戒が黙ってしまったので、俺は再び自信を取り戻した。三蔵と悟空の言うことなんざ知ったことか。俺は俺に従うぞ。文句あるか。
「おい、聞いてんのか。今朝みてえにサクサク言い訳してみろよ。一緒に住んでてなんでおまえの部屋がねえんだ?それとも住んではいたけど俺はおまえを歓迎してなかったのか?」
「………さあ」
 なんだその間は。
「いやおかしいなそれも。住みたくねえ奴と我慢して住んだりしねえもん、俺。絶対」
「別に部屋がなくても不都合なかったんで、そのままきちゃったんです」
「は?」
 八戒は深い溜息をついた。
 それでようやく、俺は酷く疲れてることに気が付いた。
「…コーヒーでも淹れましょうか」
「…おう」
 つくづく変な日だ。
 そろそろ夜も更けようという居間で、八戒と向かい合ってコーヒーを啜った。俺は象も飛び起きるほど真っ黒でどろっどろの濃いモカが好きなのだが、そのとおりのコーヒーだ。
 これはちょっと卑怯じゃないか?なんとなく。
「話を整理しましょう」
 たっぷり10分は黙りこくっていた八戒が、視線をあげた。
 綺麗な翠。人間の目じゃねえみたい。ガラスみたい。
「どうやって」
「貴方の言うことが正しいとしましょう」
「ほお」
「貴方の言うとおり、僕は今朝急に貴方の前に現れたとしましょう。目的は謎ですが」
「だな」
 そう、目的が謎だ。
「僕は何らかの目的でまるで前から貴方と暮らしていたかのように小細工を施したとします。簡単ですよ、歯ブラシ足して食器足して、事前に貴方のこともこの家のことも調べておけば。流石に部屋までは手が回りませんでしたけど。と、それが本当のことだとします」
 八戒は突然微笑んだ。

「貴方の言うことなんか誰も信じませんよ」

 もし。
 もし俺がこいつを同居人に、いや友人に選ぶとしたら、その理由はなんだろう。
「主張すればするほど貴方は信用をなくして気味悪がられて狂人扱いされて病院に放り込まれますよ。三蔵と悟空は元々貴方なんか信用してないですしね。意外と貴方ガード堅いから、貴方がずっと一人暮らしだったなんて証言できる女性もいないでしょう。僕は貴方を知ってます。貴方がどう言えば怒ってどう言えば喜ぶか、ある程度は把握してます。でも貴方は僕を知らない。僕がどう言えばどうでるか予測もつかない。貴方のほうが圧倒的に不利です」
「だから?」
 俺が即座に返したので、八戒はちょっと驚いたようだった。
「だから記憶喪失ってことにしとけって?」
「…それが貴方のためです。それで納得いかないなら、悟空や三蔵のためです」
 八戒がここにいることに、何か不都合があるだろうか。
 ない。今は。
 今は。
 知らない奴を嫌う理由もない。
 何より三蔵と悟空をこれ以上困らせたくないのは俺も同じだ。あいつらが俺を信用してなくても、俺はしてる。
「ひとつ聞いていいか」
「どうぞ。ひとつと言わず」
「おまえは毎晩どこで寝てんの」
 八戒の顔からゆっくり笑みがひいた。
「どこでって…そこのソファーとか」
「とか?」
 随分長い間、八戒は黙っていた。
 俺の部屋とか?
 と言う代わりに、俺はコーヒーをもう一杯注いでくれと頼んだ。
 眠れそうにない。
 


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