千年の居留守
act4




 問題は心だと思ってたんです。
 ほら、催眠術で、割り箸を腕に押しつけただけで火ぶくれできたりするじゃないですか。思いこみで体なんかどうとでもなるでしょう。体なんか動くための道具だと思ってたんです。心の方が強いでしょう。だから輪廻転生の思想があるんでしょう。
 でも自信がなくなってきた。
 僕はあの人の髪が好きでした。目も好きでした。手とか背中とか声とか急に素に戻るときの顔とか匂いとかいちいち好きでしたよ。
 でもそれってあの人を好きってことですか?
 見かけがあの人だったら中身はあの人じゃなくてもいいかもしれない。まあ、そりゃ中身が女性だったりしたらかなり嫌ですけど。
 ちょっとくらい違っても僕は気づかないんじゃないかな。
 気づいても、見かけがあの人だったら好きになっちゃうんじゃないかな。
 問題が心だったら、何故見かけで人を判断する人間がこんなに多いんでしょう。
 何故人殺しするような男が世間一般で綺麗とか言われるような顔してるんでしょう。

 もしですよ。
 もし体のほうが強かったら。

 僕がしたことはいったい何だったんでしょうか。
 
 

 
 ごめんなさい。

 八戒はそう言った。
 ごめんなさい。
「…何がごめんなさいだ」
 降参が早すぎるじゃねえか。
「何だそのごめんなさいは。言い返せよポンポンとよ。面白くねーじゃねーか、嘘つくならずっとつきとおせ!」
「もう無理です」
 八戒は言い返すかわりに上着を俺に剛速球で投げて寄越した。
「そういえば貴方がいつも朝食食べないなんて知らなかったんであせりましたよ。ベッドはいっつも貴方が譲ってくれてたし」
「待て待て待て待て」
 てっきり同居してた事自体が全部嘘で3人示し合わせて俺をたばかったんだと思いこんでた俺は慌てて止めた。
 ベッドはいつも俺が譲ってた?いつ?誰が?
 俺はやっぱり記憶喪失中なのか?そんな馬鹿な。
「えーとえーとちょっと待て、落ち着いてゆっくりじっくり整理しよう」
 俺が部屋の中をぐるぐる歩き回るのを、八戒はやたらさばさばした目で眺めていた。
「目が回りませんか」
「俺がおまえと住んでたってのは嘘だよな」
「ちょっとほんとです」
「ちょっとって何!」
「じゃあもう嘘でいいです」
「ああっなんかもうすげ殴りてぇ!こんなことに中間はねえだろ、嘘でなきゃほんとでほんとでなきゃ嘘だろ、どっ…」
 八戒はやんわり俺の腕を掴んだ。
 そこで俺はようやく止まり、ついでにふらついてソファーにすとんと腰を下ろした。
「中間はないですかね」
 上の方にある八戒の顔は逆光でよく見えなかったが、少なくとも冗談を言うに相応しい顔ではない。そんな顔があるとしてだが。
「別にどっちでもいいじゃないですか」
 なんて厳かにお茶目なことを言う奴だ。
「目出たきゃ黒豆でも小豆でもいいじゃないですかとか元気なら男の子でも女の子でもいいんじゃないですかとは訳が違うぞおい!」
「貴方は記憶喪失なんかじゃありません」
「いやそれは分かってっから俺が知りたいのは」
「僕が覚えてて貴方が忘れてることは確かにありますが、そんなこと言ってたら総人類記憶喪失です」
 俺が知りたいのはそっちのほうだ。
 おまえのことだ。

 2時間は黙ってた。ソファーの端と端で。
 記憶喪失でなきゃあの日八戒は帰ってきたんじゃなく初めてうちに来たことになる。
 でもそれにしてはあまりにも自然で。
 何で俺は聞かないんだろ。どこからどこまでが嘘でホントで、何を俺は忘れてるのか。本人に聞けなきゃ三蔵でもいい。あいつは何か知ってる。あいつは何でも知ってんだ胸くそ悪ぃ。
 それに、体が。
 俺は右手を開いてみて、また閉じた。
 俺は例え相手が兄貴でも友人でも黙りこくって何時間も一緒にいられるような奴じゃなかった。俺が邪魔じゃないか、俺がいて気詰まりじゃないか、俺が嫌いなんじゃないか、そう思うと切れ間なく喋って笑わせてないと怖かった。そうじゃなくなる仲になるまで、いつも随分時間がかかる。
 こいつと会って、まだ2日。
「…どうするか決めよっか」
 八戒は壁が喋ったかのように怪訝そうな顔を向けた。
「何をです」
「だからベッド買うか、このまま交代でソファーに寝るか、毎晩一緒に寝るか。あと俺の週休も決めて大物の買い出しの日も決めて合い鍵どこに置いとくか決めて煙草吸っていい場所も決めて月に何度外食OKか決めよう」
「…僕を追い出さないことはいつ決めたんですか」
「難しいこと聞くな」
 こいつが引きずってきた毛布にくるまって、ソファーの上で一晩かけてそれを決めた。
「買い物だけ時々付き合ってくださいね」
「じゃあおまえも時々俺の仕事手伝わねえとな」
「八百長の片棒ですか?」
「おまえ強そうじゃねえか、そういうの」
 八戒は毛布を掻き合わせて小さく欠伸した。
「カードなんか全然できませんよ。何でそんなこと思ったんです」
 何か。何か思い出しそうなんだけど。
 俺はそのまま思考を放り投げた。嘘でもほんとでもどっちでもよくなっていた。少なくとも今は。
 眠気に負けてそのままふたりして眠り込み、俺は早速翌日「朝夕の挨拶はちゃんとする」と「昼飯の献立には文句言わない」という約束を破って叱りとばされた。


 三蔵がひとりでトコトコやってきたのは1週間後の夕方だった。


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