千年の居留守
act8
三蔵。
僕は…
…誰ですか。
「なーんで2時なのー。2時なんていかにもな時間に行ったら出ないもんも出るじゃん」
俺の愚痴に辛抱強く応対してくれていた八戒は、とうとう「しつこい」を最後にくるりと背を向けて、返事をしなくなった。
あーあー先刻坊さんに「丑三つ時に出やすい」と言われる根拠を蕩々と語ってもらいましたよ。頼みもしないのに怪談までふたつみっつ披露してもらいましたよ。二度手間踏まないように一寝入りしてから出掛けようという計画は実に理にかなってますよ。
でもさ。寺だぜ。俺の生活区域じゃあり得ないほど静かで真っ暗な板間で、あんな話聞いたあとですやすや寝られるか。枕は硬いし天井は木の節ばっかだし。
すぐ隣に八戒が寝てても怖い。いや余計怖い。
振り返ったら別の顔だったりして。
…別の。
「……八戒!!!」
一瞬の沈黙の後、八戒はもの凄い勢いで起きあがり、俺の胸倉を掴んで怒鳴り散らした。
「うるさいですね貴方は!なんなんですかいい歳こいてぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーどうせ女と一緒だったら平気なんでしょうが甘えないでくださいよ鬱陶しい僕が怒らないとでも思ってんですか貴方に付き合って徹夜して脳細胞減らして貴方なみの馬鹿にでもなれっていうんですかそんなに怖いなら格安で今すぐ眠れる秘孔でも突いてあげますよ起きるかどうか保証はできませんがね!」
「ごめんなさい」
八戒がちゃんと八戒だったので俺は大層嬉しそうにあやまってしまい、それがますます八戒を怒らせた。
「霊魂に祟られる覚えがないなら怖がらなくていいでしょう。それとも貴方を恨んで亡くなった方でもいるんですか」
「母さん」
当然何か聞いてくるものと思ったら、八戒は視線を少し揺らすと極軽い溜息をついた。
「…こっち来ます?」
「…おう」
どうやら、俺はまた知らないうちに身の上話を済ませていたらしい。三蔵に聞いたはずはない、言ってないんだから。
八戒の布団は今まで人が入ってたとは思えないほど冷たくて、とりあえず俺の体温の高さが八戒に感謝されたので、それ以上責められずに済んだ。
「…悟浄、さっき何言いかけたんです」
「なんだっけ」
「俺、ほんとは…って言ったでしょ。石段の途中で」
八戒はもう半分寝ているのか、やたらゆっくりと喋った。俺の左肩に柔らかい前髪があたってくすぐったい。
「…俺、物わかりのいいふりしてっけど、ほんとは全部聞きてえって」
今いきなりぶちまけられても困るが。
「だからまあ、さしあたって俺のこと全部話そうかと思っただけ」
「…貴方のことはわりと知ってますよ」
「俺が失恋した話とかは?もうした?」
随分長い間、八戒は黙っていた。
「…聞いたら落ち込みそうですね」
なんで。
「僕のこと、ひとつ話しましょうか」
八戒は手を延ばして枕元の腕時計を確認すると、頭までばさっと布団をかぶった。
「話しましょうかって言うか話すまでもないですけど」
「ちょっと!頼むから顔出してろ!怖いから!」
「僕は何も企んでません。貴方に嘘ついて三蔵や悟空を巻き込んで貴方の家にあがりこんだのは貴方を毎日見たかったからです」
ひっぺがそうと布団を握りしめていた手から力が抜けた。
「それだけです」
結局1時間ほどうとうとしたかしないかで、俺はこれも半分寝かかってフラフラしているパグ2歳を借り受け、霊スポットに向かった。
風が生暖かく月も見えない山道が、妙なことに全然怖くなくなってた。
認めたくはないが、俺は八戒が怖かったんだと思う。何考えて何をどこまで知ってて何者なのかすらさっぱり分からない男が四六時中そばにいることで、どっか緊張していたんだと思う。別に今だって何も解決してないが。
「その幽霊だか幽霊もどきだかが出たらどうすればいいわけ」
「幽霊だったら話すしかないんじゃないですか、誠心誠意。幽霊もどきだったら殺すしかないんじゃないですか、さくっと。…こらジープ。足下ちょろちょろしてると悟浄に踏み殺されますよ」
パグ2歳は名前がないので(坊さんは名前がパグだと言い張った)八戒は好き勝手に呼んでいる。
「なんで名前つけねえんだろ」
「僧侶だからでしょう。ほら、名前ひとつつけるにも無料じゃ、ねえ」
「でも名前だぜ」
「ただの記号ですよ」
そうかな。…そうか?
幽霊がよく出るというのは、寺の裏手の山道を登ってきたのと反対方向に下って、一番近い町の舗装道路と山道との境目。比較的なだらかな中腹の木々を切り払い、平らに均して作った小さな畑や地蔵や墓が転々としている。
「怪しい」
「何がです」
「墓がある」
俺は目を離すと暗闇で見失いそうなパグを肩に担ぎ、一番近い墓石の前にしゃがんで絡みついていた雑草を払った。古い墓だが、ちゃんと手入れされた跡がある。少なくとも誰かが数ヶ月もおかずに手を合わせにきたのだ。
「墓があるところに幽霊がでるって、あまりにもまんまじゃねえか。墓って供養された死体が埋まってんだから、ほんとは一番出にくいところじゃねえの?何となく誰かが話作ったっぽーい。やっぱ妖怪?とすると、幽霊って式神か?」
返事がない。
「八戒」
しゃがんだまま振り返ると、八戒は俺の真後ろに突っ立っていた。
一点を凝視したまま。
視線の先には何もない。木の陰と隙間から微かに見える群青の空だけ。
「八戒?」
「………か…」
何か言おうとしたのだろうが、唇が動いただけで声はでない。
「おい、何だよ。何もいねーじゃん」
「…見えないんですか?」
蒼白だ。
気配に敏感なはずの犬もまったく反応しない。相も変わらず俺の髪に顔を突っこんで、呑気に鼻を鳴らしている。
「おまえ、やっぱ霊感あるんじゃ…」
途端に八戒が一歩後ずさった。ほとんどつんのめるような下がり方だ。
「…おいって」
「見えないんですか!?」
「おいおい頼むからしっかりしろよ、どこに何が見え」
「今」
「今?」
「…僕の手掴んでる」
最後まで聞く前に俺はパグを振り落とし(振り落とす気じゃなかったがそうなった)八戒の上着を掴むと地面に引きずり倒す勢いで引き寄せた。
「八戒。まだいるか?」
いきなり膝をつかされてぶんぶん揺すられた八戒の目の焦点が、いきなり俺に合った。
「…ああ」
「ああじゃねえ、消えたのかまだいるのかどっちだ!ちゃんと喋んねえとぶん殴るぞ!」
「…消えたみたい、です」
パグは俺に唐突にくらった惨い仕打ちにもめげず、膝によじ登ってきた。
やっぱり役に立たねえ。
「幽霊じゃねえよ。妖怪だ妖怪。幻術系」
「…幻覚ですか?なんでそんなこと分かるんです」
「今、おまえの後ろに俺の母親がいるもん」
「お宝ゲットだ」
俺は一瞬自分の耳を疑った。さては眠いな三蔵。
「お…おたから?げっと?」
「何か、そのあたりにあるだろ、宝っぽいのが。妖怪だったらそのへんに人間が近づかないように術かけてんだろうが」
「あ、そっか。そうね」
八戒はカウンターでバーボン舐めながらバーテン相手に情報収集中だ。寺に戻るより町に降りる方が早かったので、俺は八戒と麓の酒場に入って電話を借りた。幸いそのへんを動物が走ってても許してくれる寛大な店だったので(つうか客もほとんどいねえが)俺は足にパグをまとわりつかせたまま煙草に火をつけた。
「幻術って何が見えた。どういう類だ」
「俺は母親。…俺のせいで死んだんだけど。いつも見てる夢みたいな感じ」
「八戒は?」
俺は受話器を塞いで八戒を呼んだ。
「あそこで何が見えたかって、三蔵が」
「姉です」
八戒は振り返りもせずさらりと言ったので、俺もそのままを三蔵に伝えた。
「姉だと」
間があいた。時刻はもうすぐ3時半だ。朝が早い低血圧の坊主をこんな時間に叩き起こしたんだから寝惚けもするだろうと、俺はさして気にも止めずに待った。
「全部聞いたか?」
「え?」
「いやいい。とにかくトラウマが出るってことはおまえらの頭の中にないものは出ない訳だ。幻覚でもされるままになってたら殺されるが本体はたいした妖力じゃねえ、ずばっと殺ってこい」
あっさり言うな。
欠伸混じりに「じゃあな」と言って切ろうとした三蔵を、俺は慌てて止めた。
「あのさ、あの、こういうのってトラウマって、なんか強烈なのが出るんじゃねえの」
「…何語だか分からんが、まあそうだ。…何だ」
何で悟能が出ないんだ。
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