act.1


 悟空が9番目の子供として屋敷に連れてこられたのは11の時で、8番目の悟浄が呼ばれた年よりまだ下だ。
 当主の爵位である伯爵は諸侯出身華族としては真ん中の少し上ではあるが、華族=金持ちなんて時代ではもうなかったし、爵位が上であればあるほど子供の養育に手間も金もかかる訳だから、嫡子がいるにも関わらずわざわざ他の女に生ませた子供を集める伯爵の博愛精神及び旺盛な性欲は少々異様と言える。
「この時代に子孫を残す本能がびんびんに滾ってる。男の鏡とも言えるな」
「おまえが言うか!」
 弟から飛んできたフォークは捲簾のグラスに盛大に罅を入れた。
「だいたいてめえって前例があるからこんな有様なんだろうが!立場わきまえろ!」
「…俺もちったぁ可愛げのある弟が欲しいね。親父の気持ちが良く分かる。今いる息子じゃ物足りねぇって訳だ」
「やめなさい」
 天蓬の視線はいつものように、捲簾を通り越して三蔵に直進した。
「食事時のマナーも守れないなら貴方は捲簾以下です」 
 事実、ひとり家族が増えるたびに家の中で戦争が起こったことは確かだが、ピークは8人目だ。9人目に至っては兄弟も親族も、目に見える程には動揺しなかった。飽きたのでも呆れたのでもない。単にそれどころではなかったのだ。
 悟空は勿論、まだ兄弟のほとんどが知らないことだが、ちょうどその日は一族にとっての記念日だった。
 風と、何かが入ってくる。
 悟空はそのついでに舞い込んだ、埃だ。



「なんで俺が…」
 悟浄は車の中で何度目かの愚痴をこぼした。
「悟浄様。7度目です」
「なんで俺が。庶子の迎えは庶子が行けってことなら八戒に行かせりゃいいじゃねえか、ガキの扱い慣れてんだし」
「金蝉様がお決めになったことです。それに本日は本家会議で皆様出払ってらっしゃいます」
「だからよ。八戒がなんで本家の会合に呼ばれんだよ」
「金蝉様がお決めになったことです」
「7番目が呼ばれて8番目が呼ばれない。ん?八捨七入?」
「金蝉様がお決めに」
「うるせぇ黙れ」
 運転手は黙ってしまい、悟浄は欠伸ひとつして外の景色に目をやった。目に入るものは建物から道路から、きっと空に至るまで長兄金蝉の所有物だ。父上が死に際に妙な仏心で愛人に作らせた子供をいっせいに屋敷に集め出したりしなければ、今頃こんな窮屈なスーツを着て無愛想な運転手とドライブしていなくてもいいし、家名だ品位だと小煩いこと言われ続けなくてもいいし、貧乏ながらも兄とふたり、楽しく暮らしていられたのに。きっと。
 そもそも父上は育ちが堅い割に女の好みが広すぎる。性別が女なら他はどうでもいいんじゃないかと思うほどだ。正妻は金髪の異人だし、2号は15も年が上の未亡人、3号は売春婦ときた。
 とはいえ。悟浄は深々と溜息をついた。
 うじゃうじゃいる兄弟達の容姿を見る限り、母親が美女揃いだったのは確かだ。俺の母親だって性格はともかく顔はそう悪くはなかった。…気持ち悪い赤毛でも無かったし。

 本日敬愛すべき前伯爵の意向にのっとり、9番目の末弟を我が家に迎える。

 金蝉の今朝の演説を思い出す。貴族というものはつくづく妙だ。体面を繕うかと思えば義理堅い。親父はとうに死んだのだ。気に入らなければ遺言など、塗り潰してしまえばいいものを。
 女好きで面食いの血をくれた敬愛なる伯爵、俺はあんたのせいでただひとりの本当の兄貴と離ればなれだ。だけど今日だけは、ちょっとばかり感謝してやってもいい。まさか俺に弟ができるとは思わなかった。贅沢言えば妹のほうがよかったが。あの家では女のほうが気楽に暮らせる。
 とにかく、少なくとも、もう、兄にはうんざりだ。
 

 孤児が貧乏な家に引き取られてこき使われてるけど、本当は大金持ちの家の跡継ぎで、ある日突然家来が戸を叩いて「お探ししましたおぼっちゃま」と迎えに現れる。
 みたいなことが今悟空に起こっているわけだが(養父母は親切だし自分は跡継ぎでもなかったが)悟空が一番驚いたのは、戸を叩いたのが家来ではなく、すぐ上の兄らしいことだった。伯爵のご子息がわざわざご足労をと恐縮しまくる養い親を手で制し、悟浄は初対面の弟を見下ろした。
 …兄弟の誰にも似てねぇな。また上が騒ぐぞこりゃ。
「おまえが悟空?」
 悟空が何とか頷くと、悟浄は後ろで控える運転手が文句を言いかけるのを無視して煙草を投げ捨て、腕を伸ばして悟空の頭を撫でた。
「初めまして。おまえの兄貴だ」
「……」
「…や、もうちょっと見栄えがいいのや優しそうなのもいるんだけどな。たまたま今日は俺が一番暇で」
「……」
「……あ、髪?気持ち悪いか?大丈夫、赤いの俺しかいねえから。背も、俺が一番高ぇからもうちょっと話しやすい丈の奴もいるし、胸のでかい姉ちゃんもいるし」
 運転手が吸い殻を拾い上げた。
「悟浄様」
「何だよ」
「抱いておあげになったら」
「は?」
 気がついたら悟空は悟浄を見上げたまま、ぼろぼろ涙を零していた。
「ええ!?泣く!?」
「…俺…俺、俺、俺」
 これは大変だ、上に会わせる前に最低限の心得は教えておかないと。あの家で、人前で泣いたり挨拶を省いたりしたらどんな目にあうか分かったもんじゃない。
 悟浄は弟をよいしょと抱き上げた。ちっせえな。
「ほら悟空、ちゃんと喋れ。分かんねぇだろ」
「…俺、俺、ずっとひとりだと思ってたから…」
「…ああ」
「兄ちゃんがいて嬉しい…」
「そ、そうか。良かったな」
「すっげぇ嬉しい!」
「嬉しがってるとこ申し訳ねえけど、夜にはもう兄貴なんかいらねえと思ってるぞ多分」
「悟浄様!!!」
 

 そんなルートは予定にないとぶつくさ言う運転手を怒鳴りつけ、悟空を馴染みにしてるホテルのラウンジに座らせて、餌をやってから屋敷に1本電話を入れた。
「俺。誰か呼んで、この際誰でもいいから。…誰もいねえ?いらねえ時は山ほどいて肝腎な時に誰もいねえって何だよ。…ああ、まだ会議終わってねえのか。じゃあ花喃でいいや」
 しばらく待つと、あからさまに不機嫌な紅一点が出てきた。
「お姉様、ひとつお願いが」
『何』
 八戒がいねえからって八つ当たるな。
「今から悟空連れてそっち行くけど、行く前に何教えとけばいい?あいつ真っ白だぜ。天使のようだ」
『…嫡子に挨拶できるようにしとけばいいんじゃないの。まだ11でしょ。多少やんちゃでも許されるわよ』
「俺は13でそっち行ってしょっぱなから三蔵に張り倒されたぞ。13は奴の厄数かなんかか」
『私だって天蓬に張り倒されたわよ。片割れなんか空飛んだわ』
「おっけー。何しても無駄という希望が見えた」
『強いて言えば歯を食いしばる』
「どうもありがとう」
 電話を切ってテーブルに戻ると、悟空は一族御用達でイベントのたびに食わされるラムケーキを頬張ったまま満面の笑みで悟浄を見上げた。
「すっげー美味い!」
「…初心は大切にな」
 少なくとも予備知識なしに突然殴られるのはショックがでかすぎるだろうなぁ。今はもうかばってくれる親父もいねえし。
 運転手が外で暇そうに待機しているのを確かめてから、悟浄はひとつ咳払いして身を乗り出した。
「さて悟空。おまえは俺の弟にはなった訳だが、俺の上の7人の弟にもなるためには多少の試練が待っている」
 悟空は二、三度瞬いてからこっくり頷いた。
「平民が華族様の家なんか行ったら大変だって聞いてる」
 悟空は頭の回転は早いし、養親に最低限の躾はされている。浮浪児同然だった自分よりはマシなはず。
「じゃあモノ食いながら喋るな」
 悟空は慌ててフォークを置いた。
「食器置くときには音を立てるな」
 悟空は慌てて両手を膝にのせた。
「よし。今から兄上達のことを話すが1回しか言わねえから1度で頭に入れろ。これは大事なことだ、2度同じ事を言わされるのが連中は大嫌いだ」
「分かった」
「まず一番上の金蝉。今の伯爵様。屋敷で一番偉いのはこいつだ。というかこのあたりで一番偉いと思っていい。偉すぎるぐらい偉いから常に敬意を払い命令には速やかに従え」
「何で偉いの?」
 悟浄はしばし考えた。何気に当を得た質問だ。確かに何が偉いんだろうな。
「…こんなに大勢の面倒みてるんだから偉いだろ?」
「怖い人?」
「や、仏頂面だから顔は怖いが話せば分かる。さすがにあんまり性格悪いと爵位継げねえからよ。ただしあの兄ちゃんは卑屈な態度が嫌いだ。聞かれたことには目を見てはっきり答えろ。曖昧な返事はするな。胸はってしゃきっとしてれば大丈夫だ。金蝉にさえ気に入られれば大概のことは許されるからな。ぜひ頑張れ」
「うん」
「俺にはいいけど金蝉にはその返事はダメ」
「はい!」
「2番目の捲簾。こいつには出会い頭に跳び蹴り食らわしても大丈夫だ。何の問題もない」
「はい?」
 何だその大差。
 聞き返そうとして、悟空は危うく飲み込んだ。つまり、それだけ金蝉が特別に偉いということだろう。
「で3番目の天蓬には」
「腕ひしぎ逆十字をかけても大丈夫?」
「そんなことしたらおまえは次の瞬間死ぬ!」
「は、はい」
「天蓬には近づくな。呼ばれない限りは逃げまくれ。どうしても喋らなきゃならねぇ時は俺を呼べ。おまえの出来うる最上級の敬語と態度で応対しろ。下手に好かれようとしてまとわりついたりすんな。時間の無駄だ」
「無駄だったの?」
 ほんの一瞬悟浄の顔に苦しそうな影がよぎり、悟空がはっとした次の瞬間には消えてなくなった。
「4番目は独角。こいつは屋敷にはいねぇが年に1度位は顔出すから、そん時に挨拶すりゃいい」
「何でいないの?」
「ん?…んー…何でかなぁ」
 悟空は自分が何か聞くたび悟浄の痛いところを突いているのに気がついて黙った。きっと悟浄は必要なことは言うだろう。言わないということは言えないんだ。会ってまだ2時間だが、悟浄は、何だかそんなふうな感じがする。
「…5番目は?」
 悟浄はふと夢から覚めたように悟空を見て、また頭を撫でた。癖になったようだ。
「三蔵。基本的に金蝉と同じ態度でいい。しょっちゅう怒鳴り散らしてるが気にすんな、怒鳴るのが趣味なんだ。金蝉と仲いいからこいつの前であまり弱音吐くとチクられる。6番目と7番目は双子で、花喃と八戒」
「双子…俺双子見るの初めてだ…」
「威勢のいい姉ちゃんと根暗な兄ちゃん。全然似てねぇよ」
 悟空があからさまにがっかりしたので、悟浄はしばらく考えて「雰囲気は似てるかも」と付け足した。
「こいつらが一番話しやすいかな。特に根暗眼鏡のほうはガキが好きだし頭もいいから勉強なんかはみてもらえ」
 悟浄は話しながらレシートをひっくり返し、兄姉全員の名前を書いた。
「字は読めるな」
「うん」
「金蝉、捲簾、天蓬、三蔵」
 悟浄は4人の上に丸をつけた。
「4人は赤ん坊の時から屋敷で育ってる。元々はあいつらの家な訳。俺らは後からお邪魔した。親戚筋は未だに伯爵家の4兄弟って呼ぶしな。…意味分かるな?」
「…うん、分かる」
「4兄弟のうち捲簾以外の3人が」
 次男の名前の上に線が引かれた。
「嫡子だ。伯爵と奥様との間の由緒正しき正式な子。であるからそうでない俺らは兄上や親族に冷たくされたり、嫌なこと言われたりすることが多々ある。それはもうしょうがねえことだ、今からある程度の覚悟はしとけ。慣れれば屁でもなくなる。今は庶子は庶子で団結もできるしな」
 悟空は名前一覧をじっと見つめてから頷いた。
「…捲簾はひとりで大変だった?」
「よくできました」
 悟浄の長い指が悟空の髪を掻き回した。この兄からは、嗅いだことのない種類の煙草と、ほんの少し、花みたいな匂いがする。…この花、なんだっけ。
「それじゃ帰るか楽しい我が家へ。ちなみにあの運転手、口うるさいだけじゃなく運転も荒い。俺乗せてる時限定で」
「俺言おう言おうと思ってたんだけど」
「ん?」
「悟浄の髪は綺麗だ」
「…俺も言おう言おうと思ってたけど、おまえに会えて嬉しいよ」

 悟空は確かに慣れない環境を前にして不安ではあったが、自分の血縁がこの世に大勢いると思うとそれだけで乗り切れそうな気がした。
 それ以上に不安なのは…
 悟空が手に力を込めると、悟浄は運転手と口論しながらもちゃんと握り返した。
 今手をひいてくれている、この親切な兄だ。

 なんでそんな暗い目をしてる。
 


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