act.7


 困った。
 雲の上かと思うほどふかふかの布団を味わうのにも飽きて、悟空はもう1時間ばかり困り続けていた。眠れない。
 ベッドの上を2回転半してようやくぶつかった壁に耳を押し当ててみたが、当たり前だがコトリともしない。一番近い悟浄の部屋でさえ廊下の端と端だ。
 悟空は決死の覚悟で起き上がり、スリッパを引っかけて廊下に出た。早い話が寂しいんだと認めるのは、悟空の年の、しかも男にはとてつもなく勇気がいった。
「…みっともね」
 悟空は自分に悪態をつきながらも慣れない家のせいにして自分を慰めた。悟浄や八戒になら馬鹿にされても構わない。今夜だけは許してもらおう。
 ところが泣きつく勇気を振り絞ったにも拘わらず、ふたりとも部屋にいなかった。悟空は途方にくれて立ちすくんだ。いくら何でも女性である花喃に頼るのはプライドが許さない。だからといって泣き言を吐いて許されそうな兄にはもう心当たりがない。捲簾は…なんか怖いし。
 おまえの目は危ないかもなぁ。
 食事中、悟浄がのんびりそう言った。捲簾が怖く見えるのが、どう危ないんだ。誰が見ても捲簾はやばい。
 悟空はようやく順番を覚えつつある兄弟を、指を折って数えた。1…2…3…4………三蔵。三蔵はどうだろ。怒鳴りつつも相手ぐらいはしてくれそうな気がするけど、どっちにしろ四兄弟の部屋なんか知らないし。
 もしかしたら八戒、まだ温室にいるかも。
 悟空は寝間着の前をかき合わせて踵を返した。このまま部屋に戻って冷え切ったに違いない布団に潜り込むよりは、無駄足でも気が紛れる。外階段を渡るのは面倒で、本館を突っ切り西館の階段の手すりに手をかけた。
 誰にも会わない。物音もしない。照明は半分落ちて、どこもかしこも薄暗い。悟空は階段の途中で何度となく腕を擦り、何度となく振り返った。皆どこにいるんだろう。寂しくないんだろうか。
 2階の踊り場を曲がったところで、悟空はぎょっとして足を止めた。
 視界の端に白いものがふっと過ぎって、自分の一歩先の階段を上るように消えた。
 部屋着?使用人じゃない。金蝉?三蔵?
 足を速めてまた踊り場を曲がった。途端、また一歩先に人影が過ぎった。どっちでもない。もっと小柄だ。
 悟空は今度はほとんど全力疾走で駆け上がり、また曲がった。
 人影は窓の前で立ち止まっていた。ふわふわと、長い髪が揺れる。
 女。
「かな…」
 ほっとして思わず呼んだ声は千切れて飛んだ。背筋を寒気が這い上がる。
 …花喃じゃない。そんな訳ない。庶子の中でも彼女は一番頑なだ。西館には立ち入らないとはっきり言っていた。天蓬と顔を合わせるのが嫌だからって。それに花喃より背が高い。髪の色も薄い。外の明かりに反射して、髪の縁がほとんど金色に光ってる。…金色?

 この家には女性は花喃しかいません。

 誰。
 女がゆっくり振り向いた。思わず叫んだ口を、後ろから誰かが凄い力で塞いだ。
 止めようとしても後から後から風のような悲鳴が漏れる。
「…静かに」
 背中から雪崩れ込む体温の暖かさに、悟空は我を忘れてしがみついた。何故か悟浄だと信じて疑わなかった。
「あ、あ、あの人!あの人…今…窓の、あの」
「落ち着きなさい。息を吸って」
「だって今…!」
 人影は消えていた。
 窓の外にぼんやりと、半月とそれを遮る雲が凄い早さで流れていくのがはっきり見えた。
「………」
「…ほら。誰もいないでしょう」
 風の音がうるさいと思ったら、自分が呼吸する音だった。体の震えが収まらない。喉が痛い。今更目の前にいるのが天蓬だと分かったところで何を繕う気にもならず、悟空はやっとの思いで首を振った。
「…いたよ」
「立って」
 天蓬はへたり込んだ悟空に手を貸すでもなく、上着の裾を握られたまま人形のような顔で見下ろしている。
「…天蓬」
「部屋に戻りなさい。眠れないなら何か温かい…」
「天蓬も見たんだろ!?今の…」
 次の瞬間、右の頬が鳴った。
 …殴られた。
 目を見開いたまま壁伝いにずり落ちた悟空に天蓬はもう一度立てと命令し、立てないと見ると溜息をつき、右手でタイを緩めながら左手で悟空を抱き上げた。
「…見えたものを全部、口に出すのは愚かなことですよ。悟空」
 理解はできなくても従うことはできた。殴られたおかげで押し戻されたセリフを、悟空は掌で握りつぶした。
 あの人、天蓬の、お母さんだよね?


「目立ってるぜ」
「そりゃそうでしょう」
 下町の娼館。正確にはその1階のバーラウンジ。つかず離れず笑いさざめく女たちの中に気に入ったのがいれば呼び、交渉が成立すれば上の部屋にあがり、そうでなければ普通に酒を飲んで帰ればいい。値段は手頃でレベルも手頃。要するに中の下。社交界の連中は近よりもしない。客の半分は外国人で、髪が赤かろうが黄色かろうが誰も気にしない。にも関わらず悟浄と八戒は浮いていた。
「いい男がふたり並んでりゃ当然です」
「そうね…いい男がね…女には目もくれずにこんなとこで仲良く飲んでりゃね…」
「あぁもう洋酒にはうんざり」
 八戒は空になった焼酎の瓶をグラスの上で最後の一滴が落ちるまで振ると、勢いよく舌打ちした。
「すいませーん、これもう1本」
 言外に場所を変えるか、真っ当に女と遊ばない?と言ってみたつもりだったが、八戒には毛ほどもその気がないらしい。この男には自分の目的さえ達せられれば場は読まないという大層便利な特技がある。悟浄はようやく女遊びを諦めて、やれやれと煙草に火をつけた。どうせ八戒がいないと夜間外出できないのだ。そう強くも出られない。
「…花喃、いいの?」
「喧嘩中」
「道理で」
「貴方のせいです」
 八戒の声が半オクターブ下がった。
「おや。心当たりありませんけど」
「何で黙ってたんです」
「何を」
「捲簾のことですよ」
 黒ずくめの店員が影のように寄ってきて、替えたばかりの灰皿をまた替えた。悟浄は彼に目で精一杯の侘びをいれたが八戒は見向きもしない。
「僕は屋敷に入ってからずっと、天蓬は庶子…まあ庶子じゃなくても、人を人とも思わない冷血漢だと思っておりました」
「ふんふん」
「ところが本日突然に、そのように思いこんでいる情報の出所がすべて捲簾だということに気がついたのです」
「…何だその英文和訳みてえな喋りは」
「真面目に聞いてくださいよ悟浄!鼓膜揺れてます!?」
「でけぇ声であいつらの名前出すな!」
 一瞬集まった周囲の視線がまた逸れると、八戒は素早く悟浄の煙草を奪い取ってピカピカの皿に押しつけた。
「ほんとに馬鹿でしたよ僕らは。一度あの人はこうだと思いこむと、行動が全部そう見えるんです。懲罰だって本家会議だってそう。天蓬が怒ってたなんて捲簾が言ってるだけで、僕ら何一つ本人に確かめたこともない。それというのも捲簾が“天蓬には近づくな”って言うからろくに喋ったこともないんです。捲簾に言われりゃ信じますよ、長いことあの人だけが頼りだったんですから。…貴方も言われたはずですが」
「忘れた」
「なのに貴方は、捲簾は勿論、僕らにも黙って天蓬と接触した」
「…接触て」
「同じ匂いがしましたよ。花の」
 八戒がこれに気付いた時の驚愕と言ったらなかった。匂いにではなく、悟浄と天蓬の両方に、残香に気付く程近付いた人間が、今まで一人もいなかったことにだ。嫡子は悟浄をさけるし、庶子は天蓬に近寄らない。自分だって懲罰室で天蓬とふたりきりにならなかったら気付かなかった。
 悟浄が八戒を避けて斜め前に煙を流し、それをしばらく目で追った後にこちらを向いてにっこり笑うという、実に魅力的で場違いな動作をしてよこしたので、八戒は自分が心から怒っていることを示すために灰皿を肘で遠ざけた。
「貴方、悟空にも天蓬に近づくなって言いましたよね。天蓬が原因じゃないんでしょう。天蓬に懐いたりしたら捲簾がぶちギれて何するか分からないからでしょう。ねえ。なんで黙ってたんです」
「なんでも何も。天蓬には俺じゃ吸えない高い煙草恵んでもらって、兄貴からの手紙回してもらってるだけ。それだけのことでおまえの許可がいるとは知らなかった」
「貴方がのらくらしてる理由がやっと分かりましたよ。どっちにも尻尾振ってりゃそりゃ曖昧になりますよね。やだやだ末っ子は要領が良くて」
「もう末っ子じゃねえけど」
「花喃ときたら捲簾を信用しきってまったく聞く耳持っちゃくれないし、それもこれも貴方が適当に調子あわせてふらふらしてるからじゃないですか。僕らがまんまと捲簾に転がされて天蓬を嫌って逃げ回るのが面白かったですか?そんなに僕らのことが信用できませ」
「八戒」
「何です」
「僕ら僕らうるせぇ」
 店員がこの世の厄災を全て背負ったような顔で灰皿を交換する間、八戒は悟浄の耳の辺りをじっと見た。
「そんなことで姉御と喧嘩か。捲簾が悪いか天蓬が悪いかで」
「…まとめれば」
「くだらねぇ」
 悟浄の煙を浴びて、八戒は二、三度瞬きした。
「俺の意見を言えば捲簾はどうかしてるし天蓬も充分おかしいな。金蝉も三蔵も問題がない人間とは思えねえな。俺はどいつのことも嫌いじゃねえな。だいたい捲簾にとっちゃ天蓬が悪だろうし天蓬にとっちゃ逆だろうよ。今日おまえの中で捲簾が悪になったとしても、そりゃおまえのことだ。花喃にとっちゃ何の問題もない兄貴だ。捲簾についてるほうが庶子にとっちゃ平穏無事だろ。わざわざ掻き回すな。それとも何か?双子だから?姉貴だから?一心同体だから?自分と同じ考えでないと許せねえのか?俺の兄貴は…ほんとの兄貴はってことだが、おまえにとっちゃ悪みたいだが俺には逆だ。でもおまえはそのことで俺に喧嘩は売らねえ。なのに何で花喃をほっといてやらねえのよ。姉貴とおまえは一心同体でも一心二体でもねえんだよ。二度と俺の前で僕らとか言うな。言ったからって何も起こらねえが、俺が不機嫌になる」
 爪の形まで天蓬にそっくりだと評判の八戒の指がしばらくカウンターを苛々と叩いていたが、一際強く音を鳴らしたのを最後にぴたりと止まった。
「…つまり貴方は妬いてる訳ですね。僕と花喃の絆に」
「なんでそうなるんだよ、てめぇこそちったぁ鼓膜揺らせよ。変なんだよおまえらは」
「やっぱり独角がいなくて寂しいんだ。貴方をひとりにするなんて間違いなく悪です悪。そうか、寂しいから構ってくれる人のとこ行っちゃうんですね。貴方がやたら落ち着き払ってるもんだから、うっかりまだ子供だってこと忘れてました。貴方の孤独に気づいてあげられないなんて僕ったら兄失格」
「上からモノ言うな!同い年じゃねえか!!」
「あーあ、可哀想な悟浄。僕の胸で泣きますか?」
 店員は灰皿を下げたが、代わりの皿は出さなかった。賢明だ。
「…てめぇ表出ろ」
「…いいんですか。泣かせますよ。腕の怪我ぐらいじゃハンデに足りませんよ」
「上等じゃねえか、へし折ってやらぁ。ついでに新品のあそこもな童貞野郎」
「泣かすぐらいじゃ足りませんね」
「それ以上喋ったら撃ち殺す」
 最後の一言は悟浄のでも八戒のでもなかった。
 カウンターに並んで凍り付いたふたりの背中に均等に、固いものがゴンと当たった。
「財布の中身全部カウンターに置いてそこの支配人に頭を下げて、周りの人垣に目をやり自分たちが何をしたか重々省みながら外に出ろ。出たら2,3俺の質問に答えた後、家まで帰り大人しく眠る。簡単だな」
「…はい」
「じゃあやれ」
 ふたりは言われたとおりに有り金を蒔き、頭を下げ、自らを重々省みながらぎくしゃくと外に出た。夜風に煽られて一気に熱が冷めた。
「何故あんな店にいた」
 牽制しあう余裕はなかったので、八戒が答えた。
「…知り合いに会うとまずいかと」
「なら最初から社交界に流れちゃまずい下世話な話をする予定だった訳だ。ただでさえ存在自体が下世話な庶子が」
「…いえ口論の成り行きで多少下世話な…というか童貞とか言ったの悟浄だし」
「そこじゃねぇ。誰の悪口大会だ」
「え?」
 ふたりは思わず振り返った。
「てめぇら公衆の面前で金蝉罵倒したんだったらこの場で頸動脈破るぞ!」
「違いますよ!そんなことひとことも言ってませんよ、ね!」
「ああ、や、ほんとに、他の奴のは言ったけど」
「悟浄!」
「金蝉とあんたの悪口は何ひとつ。神に誓って」
 三蔵は眉間に皺を寄せて交互にふたりを見比べていたが、やがて右手に構えた銃と、左手に構えた銃代わりの円筒ライターを下ろした。
「どこで誰が聞いてるか分からねえんだ、目立つ真似すんな。おまえらの一言で波が立ったら伯爵に行き着くまでに津波になる。充分立場を自覚して常に慎重に行動する、もしくは速やかにそこらへんの木で首でも括る。おまえらの人生は二択だ。分かったか」
「で、あんたは何であんな店に来…」
 三蔵に睨まれ八戒に小突かれて、悟浄は一旦下げた両手をまた挙げた。
「俺には悩みがねえとでも思ってんのか赤毛。たまには知り合いの来ねぇ店でやさぐれてえ時もあるだろうが。ご覧のとおりどこぞの馬の骨に台無しにされた訳だが、にも関わらず俺はおまえらの下世話な騒ぎを寛大にも胸に仕舞う。おまえらもここで俺に会ったことを胸に仕舞う。家に帰って眠りにつき翌朝伯爵におはようを言う頃には、告げ口しようにもお互いゆうべのことなんぞきれいさっぱり忘れてるって寸法だ。何か文句あるか」
「いえ特に」
「ならさっさと帰れ」
 三蔵はくるりと背を向けると、堂々と歩道に乗り上げて停車していた定員5名の自家用車に乗り込み、一応同じ家に住んでいる弟ふたりを置き去りにしてあっという間に走り去った。
「…乗せてくれようという発想はないんですね」
「そこまで望むのは酷だろ…」
 仮に乗りたまえと言われたところで嬉しくもない。すっかり毒気を抜かれたふたりは濃紺の空の下、家までの道を歩いた。火照った体に夜風が気持ちいい。
「…さっきのことですけど」
 八戒は指で煙草をくれと合図し、悟浄が渡すとしばらく指で弄んだあとくるっと回した。
「やっぱり変ですね。ですよね。僕ら。…じゃなくて僕と花喃」
「もうその話はいい。俺も痛いとこ突かれて血が昇ったし」
「貴方にしか聞けないから聞いてるんです」
 ライターの炎が冷えた沼のような緑色を、一瞬燃え上がらせた。
「変ですか。僕ら」


 花喃は目の前を黒猫に横切られたような顔で、ほんの少しだけ扉を開けた。
「…何の用?」
「こんな時間に女性の部屋を訪ねて申し訳ありません」
 天蓬はさらりと侘びを入れ、花喃は今すぐ視界から彼を締め出したい想いを必死に堪えて曖昧に頷いた。
 天蓬の来訪など初めてだ。しかも、さぁ寝るかと寛ぎきったこんな時間にやってくるなんて男でなくても反則だ。天蓬の前に出るときは頭のてっぺんから爪先まで一分の隙もなく身だしなみを整え、絶対に威圧されまいと限界まで気を張りつめていたのに。
 それにしても扉の隙間から覗く天蓬の顔の綺麗なこと。男はいいわね、たいした手入れもせずにすんで。
「貴女の弟たちの部屋に先に伺ったんですが、ふたりとも今夜は留守のようで、やむなくこちらへ」
「ごめんなさいね、躾がなってなくて。ちなみに貴方は知らないみたいだけど、貴方の弟でもあるのよ」
「悟空をお願いします」
「はい?」
 言われて初めて、天蓬が悟空を抱いていることに気がついた。
「え?何?悟空、どうしたの?…起きてる?」
「半分寝てます。ベッドに下ろそうとしても離してくれないんです、ひとりで眠るのが辛そうで。僕が預かってもいいんですが」
 言葉の途中で花喃は勢いよく扉を全開にし、天蓬の手から悟空を奪い取った。
「…抱けますか」
「鍛えてるわ、馬鹿にしないで。庶子の面倒は庶子でみる約束だものね。事情はさっぱり分からないけど、ご多忙のところお手を煩わせて本当に申し訳なかったわ。おやすみなさい!」
 天蓬が何か言いかけたが構わず扉を閉め悟空をベッドに下ろすと、花喃は扉の前まで駆け戻って耳を押し当てた。遠ざかる足音がまったく聞こえなくなってから、ようやく全身の力を抜いた。
「…あー…死ぬかと思った。なんのつもりよ」
「…てんぽーは?」
「貴方、よく天蓬に抱っこされてうとうとできるわね」
 悟空が瞼を擦りながら起き上がろうとするのを、優しく押し戻すと、花喃はベッドに腰をおろして茶色の髪を撫でた。
「大丈夫?殴られたりしなかった?」
「なぐられた」
「何ですって!?」
「でも痛くなかった」
 花喃はしばらく首を傾げていたが、相手が寝ぼけているのでこれ以上問い詰めるのはやめた。
「寂しいんならまっすぐ私のところに来れば良かったのに。こんな博物館みたいな家じゃ、夜なんか怖くて当然よ。今夜は一緒に寝る?」
「…いいの?」
「いいわよ。ベッドは馬鹿みたいに広いんだし姉弟なんだから普通でしょ?悟能だってよく寝てるし」
 髪を解き照明を落とす間、悟空は目をぱっちり開けたまま花喃の動きを追っていた。
「…どうかした?」
「八戒も寝てるって?」
「そうよ。変かしら」
 変だよ。
 と悟空は思ったが言いとどまった。
 天蓬と悟浄からする甘ったるい匂いと、ふたりが自分に言わんとしたことは、眠る寸前の頭の中でぐるぐるまわってはっきり形にはならなかったが、とにかく、その何かが言いとどめた。
 花喃がくれた予備の枕に顔を埋め、ちょうどいい体勢に収まってから、悟空は言った。
「…珍しいかも」
「そうかな…うん…そうかもね…」
 カーテンを閉めようと窓に手を掛けた時、裏門から八戒と悟浄がぶらりと入ってくるのが見えた。随分酔っている。悟能は酔いが顔にも声にも出ないが、歩幅が変わるのですぐ分かる。
 ふたりがこちらを見上げそうなそぶりをみせたので、花喃は慌ててカーテンを引いた。まだ喧嘩中だ。
 大丈夫よ。私がいなきゃ何もできやしないんだから。明日になったら謝ってくるわ。悟能はいつもそうだもの。
 僕が間違ってたって。
 君の言うとおりだって。
 そうでしょ?



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