金蝉は双子を見ると憂鬱になった。とてつもなく。
八戒…本名はなんだったか…と花喃は聡明かつ容姿端麗で、身のこなしの端々から生まれついての気品(というものが皆無である人間とはどういうものかは悟浄を目の当たりにして初めて知った)が砂金のように零れ落ちた。贅沢に慣れきった傲慢さも、天真爛漫な愛らしさに器用にくるんで見せた。なのにふたりが爵位にふさわしい微笑を浮かべて目の端を横切ると、後ろから殴りつけたい気分になった。
「おはようございます金蝉」
「おはようございます」
その双子は、今朝は珍しくバラで姿を現した。いつものように並んでいれば一度で挨拶が済むものを。
「おはようございます!」
昨日からやたらめったら歯切れ良く挨拶を寄越す新顔、朝食前に珈琲をどぼどぼ注いでは滝のように胃に流し込んでいる三蔵、新聞に埋まらんばかりに没頭している天蓬、仕事中のメイドに片っ端から声をかけて朝食の支度を妨害する捲簾、ボタンを留めながらだのベルトを通しながらだの毎朝着替えしながら入ってくる悟浄。
「おはよう諸君」
全員が席に収まる頃には三蔵の腹は珈琲で膨れ、天蓬は経済面の数字に至るまですべて暗記し終わっている。
「おはようございます」
「本日は取り立てて行事はない、よって通常運営。…末弟と挨拶が済んでいない者はいないな?」
「はい!」
「発言は金蝉の許可を得ろ悟空」
「…はい」
はいぐらいはいいだろうが。
金蝉は三蔵に、おまえこそ煙草を消せと言おうかどうしようか考えて、やめた。昨日の言動から察するに、三蔵は根本的に躾直す必要がある。彼には誇りはあるが自信がない。今些細なことで叱りつけては台無しだ。
「悟空、今後この家で暮らすにあたって何か不都合な点があるならこの場で言っておけ」
三蔵以外の全員が一斉に悟空を見た。
…おや珍しい。捲簾や天蓬まで素早く悟空の顔色を窺った。何か気がかりでも作られたか、9番目の末弟に。
悟空は戸惑ったように隣の悟浄を見た。
「悟空。俺はおまえに聞いている」
「…今は、まだ」
あちこちで空間が緩むような吐息が漏れた。今は、まだ。まぁまぁの返事だ。
「なら結構。おまえは今日から受験勉強だ」
悟空はバターナイフを落っことしたが、今度は誰も咎めなかった。
「来年の編入試験までに…何月だ天蓬」
「9月」
「それまでに年相応かそれ以上の学力と礼儀をそのちっこい体に叩き込め。試験自体はどうでもいいが地ならしは必要だ、入学後にあまり酷い成績と素行じゃ先輩である兄弟全員が恥をかく」
「入るだけは金積めば入れてくれるんだよ」
悟浄が真顔で補足した。
「そ、そうなの?」
「自慢じゃねえが俺読み書きも怪しかったし」
「そんなできそこないですら今は四カ国語いける」
だからおまえも楽勝だ、と金蝉は言いたかったのだが悟空の血の気はひいたままだ。
「…追い込みには教師はつけるがそれとは別に」
金蝉は一同をぐるりと見渡した。
「三蔵。悟空の勉強みてやれ」
「なんで俺が!?」
八戒が微かに眉を上げ、何故自分ではないのかという抗議の意を控えめに示したが、金蝉は気付かないふりをした。
「庶子の面倒は庶子がみるんじゃなかったか!?」
「おまえより下は自分の学業が済んでない。おまえ後は論文だけだろ、天蓬のでも捲簾のでも丸写して悟空に集中しろ。これは伯爵家の名をかけた立派な使命だ」
「金蝉!」
「俺が、やれと、言っている」
三蔵は舌打ちして悟空を睨み付け、悟空は慌ててぺこんと頭を下げた。
「花喃、御用達の商家筋に話つけて悟空と面通せ。礼服の仕立てもまとめて済ませろ」
「了解」
「捲簾、柳井一帯の不動産は全部おまえに任せる。仕切れ」
「…あのへんの土地持ち全員ヤー公だぜ」
「死なない程度に無茶して巻き上げろ」
捲簾は肩を竦めて、サラダにフォークを突き刺した。
「天蓬、おまえはいつもどおりだ。夜の会食は俺が出るから夕方には戻っていい」
「分かりました」
「八戒、前期の成績はおおむねたいしたものだ。父上もお喜びだろう。しかしこうも書いてある、時に協調性に欠ける傾向が見受けられるが」
「気をつけます」
「悟浄。3番目のボタンを留めろ」
「はーい」
金蝉はゆうべ天蓬が徹夜した事に気付いたし、悟浄と八戒の夜間外出に気付いたし、三蔵の二日酔いに気付いたし、双子が喧嘩でもしたらしい事に気付いたし、悟空がわずか一晩で顔と名前以上のことを全員から吸い上げたことにも気付いた。
そして今、金蝉が兄弟達を、平等とは言わないまでも指揮者として均等に扱っている、と悟空が思ったことにも。
当然だ。自分が双子やすぐ下の弟たちに抱いている、あまり愉快でない葛藤になど誰が気付く。
双子。
金蝉の最初の記憶は、春真っ盛りの午後だ。中庭の桜が吹雪のように舞っていた4月。
長男としてのスパルタ教育が始まる前、貴族精神の根幹「身分高き者は義務を負う」を体感する遙か前、傷ひとつつけまいと親族総出で大切にされていた、まさに蜜月。
弟だ。
父親が言った。おまえの弟だよ。
ぷくぷくと丸い手を振る弟とやらは、白い肌に薄い桃色の頬と唇で、黒く柔らかな髪をしていた。
ふたりとも。
金蝉は5歳になったばかりだったが、6歳だろうが7歳だろうが同じ事を思っただろう。なんだこれは、と。
まったく見分けがつかなかった。同じものに思えた。違うところがどこにもない。片方が捲簾で、片方が天蓬という名であること、片方は妾の子で、片方が自分と同じ母親から生まれた子供であること、今後はありとあらゆる面で明確に差をつけられて育つだろうということ、そのすべてを金蝉は正確に把握したが、肝腎のどちらがどちらなのかがさっぱり分からなかった。勿論父親に指し示されたが、位置が変わった途端に分からなくなった。
乳母はふたりを別々の乳母車に乗せ、桜の下を押して回った。金蝉はどこまでもついて歩き、大人達から微笑ましいと頭を撫でられた。が弟を可愛いと思う余裕など金蝉にはなかった。どこが違うのかを必死で見分けようとした。
ふたりはほとんど同じ時に生まれただけでなく、同じ大きさで、同じ重さで、同じ声で同じぐらい泣き、同じぐらい眠り、どちらも自分とは同じぐらい似ていなかった。
金蝉は混乱した。これじゃまるで双子じゃないか?
「金蝉様、少しお願いできますか。風が出てきたので毛布を取って参ります」
乳母がふたりを残したまま屋敷に走って戻っていき、金蝉は乳母車の中を交互に覗き込んだ。片方が緑で片方が淡い橙の着物。この色は印だ。緑は母が好きな色だ。だから緑を自分の生んだ子に着せたがるはずだ。すなわちこっちが天蓬だ。
乳母はまだ戻らない。金蝉は素早く天蓬を抱き起こした。少し身じろいだだけで、大人しい人形のような弟の服を脱がせるのは簡単だった。次に捲簾。こちらも同じぐらい大人しかった。ぽかんとされるがままになっていた。金蝉は服を着せ替えると、元通りに寝かせた。それから、乳母車を押して場所を交換した。
金蝉は終始落ち着き払ってそれを行い、乳母が息せきって戻ってきた時には「遅いよ」と文句を言う余裕すらあった。彼女は中身が入れ違ったことになどまるで注意を払わず、金蝉を促して屋敷に引き返した。
ふたりは立って歩き出した頃には同じ屋敷で別々の待遇を受け始めたが、この家の者が代々はいることになっている学校へ同じ年に入学した。あろうことか馬鹿な親戚達は世間体を気にして「双子」で押し通す気だったらしい。さんざん差をつけて捲簾をぐれさせておいて無茶をする。ふたりはわざとやってるんじゃないかと思うほど似たような成績を取り(金蝉より遙かに出来が良かった)学科から実技に至るまで同じ科目を選択し、卒業時には捲簾が首席をとったが15点の僅差だった。
さて。
本当にふたりは見分けがつかないほどよく似ていたのだろうか?似ていたのは確かだ。だが生んだ親にも見分けがつかないなんてことが常識で考えてあり得るか?すぐに母か乳母か…誰か大人が気付いて、本来いるべき地位に戻した。そのはずだ。だからあの春の日に金蝉がした悪戯は、何も起こさなかった。きっと何も起こっていない。
だが金蝉は1日も忘れたことがない。もしかしたらと思わなかった日がない。四六時中傍に控えている3番目の弟に、内心問わずに済んだ日が1日もない。
おまえは本当に天蓬か?捲簾じゃなく?
本家会議で「何故捲簾を家から出さないのか」と親族に耳打ちされた時も、金蝉は曖昧にかわした。有能なんです彼は。次に心の中で言う。それにもしかしたら、捲簾のほうが天蓬かもしれないんです。
実際捲簾は有能だった。経営に回したのは正解だ。伯爵家にふさわしい態度とは言えないが、従業員を実に乱暴に、それこそ家族のように手懐ける。
「そうは言うが、あいつに地ならしさせた会社に親族まわすと皆閉口するぞ、社員の馴れ馴れしさに。伯爵家の次男だ、大工の棟梁じゃないんだ。品ってものがまるでない。さすが頭のおかしな女の血が混じってるだけあるよ」
まあ捲簾が捲簾なら喜ばしい評判だが。
何故あんなことをしたのか。簡単だ。弟に嫉妬した。それまでは自分が両親にとってたったひとりの宝物だったのだから。それが突然、よりによってふたりも似た容姿で現れた。一族にとって大事なのは跡継ぎだけ。最初に生まれた男子だけ。後は予備。だったら、どっちがどっちでもいいじゃないか。
金蝉にはふたりが、意志の力で、力の限り真逆に、それこそ東と西に向かって成長した結果、容姿も性格もまったくかけ離れた今の姿に、望んでなったように思える。でなければ。
「ごっそさん」
「ごちそうさま」
「お先に失礼します」
でなければ何故あそこまでいける。
単に憎み合ったり、いがみ合っていたりするなら話は簡単だが、もう既に片方は、片方を殺し終わっている。
要するに金蝉の前に現れた真の双子たちはそのあおりを食った訳だ。自分の血筋に双子がいるという現実が金蝉を動揺させた。双子のくせにたいして似ておらず、時々赤の他人のように…要するに「男と女」のように見える仲むつまじい姉弟は、金蝉をムカムカさせた。おまえらよりよほどあいつらのほうが似て見える。
勿論金蝉は一族の長であり、そんな動揺など一滴も外には漏らさない。皆、何をぬけぬけと幼い末弟に秘密を握らせる。
「花喃」
金蝉はナプキンをテーブルに放り投げ、席を立とうとした妹を呼んだ。
「何でまた今日に限って片割れはおまえをエスコートしない。喧嘩でもしたか」
「そういう訳じゃありません。ただ、意見が食い違って」
「意見が食い違ったぐらいで距離を取るな。俺は外で食い違った意見を纏める仕事に手一杯だ、家の中ぐらいおまえが上手くやってくれ」
「でも」
花喃は下品ではない眉の顰め方をした。
「異例なんです」
「意見の食い違いがか。普通だ。弟はおまえの家来じゃない。一生傅く男が必要ならそう言え」
花喃はすぐに金蝉の言わんとしていることを理解した。
「…まだ結婚は」
「悟空以外は早くない」
天蓬が、カップの向こうから呆れたように金蝉を見た。
「妹だから言うんじゃないが、早い者勝ちだと言えば向こう2ブロックは車が並ぶぞ。見物だな」
「競市の魚みたいな例えは心外ですが、考えておきます」
「参考までに好みを聞いておこうか」
「黒髪」
花喃が憤然と裾を翻して出て行き、食堂には金蝉と天蓬だけが残った。
「おい黒髪。金髪だの赤毛だのでなくて喜ぶべきなのかここは」
「…何故急に結婚結婚と。気のせいでなければ僕の好みは聞いていただいてませんし」
「そんなこと聞いたら羽根が生えたのとか肌が銀色とか言うに決まってる」
金蝉は珈琲の追加を命じると、軽く眉間を揉んだ。
「…いい加減、人数減らしたくなっただけだ」
「まあ気楽にな」
「健闘を祈ります」
「あいつ銃持ってるから防弾着とけよ」
「おやつは一緒にしましょうねー」
何を呑気な。
悟浄と八戒がひらひら手を振って出かけるのを、悟空は玄関でぎくしゃくと見送った。
…そうか、学生だったのかふたりは。
制服はないがれっきとしたセミフォーマルで悠々と車に乗り込む様子は、庶子だ庶子だと言うわりに華族のご子息様以外の何にも見えない。場違いなのは自分だけだ。絶対あんなかっこ似合わない。
「おう9番目、お見送りかい」
後ろからドンと背中を叩かれた。シャツの上から直にコートを引っかけた捲簾、こっちはたいした貫禄だ。
「伯爵家じゃ行ってらっしゃいのキスが家訓だぜ?ほらほっぺに」
「馬鹿、どこの変態家族だ。早く車出せ。次がつかえてる」
「夕方には戻るから頑張ってね悟空!」
「行って参ります」
捲簾、金蝉、花喃、天蓬がバタバタと出て行き、最後に憤懣やるかたない形相の三蔵がのっそり出てきた。
「…本館の2階だ。勉強室」
「…はい」
「隣が書庫。あそこは勝手に入っていい。とにかく本読む習慣をつけろ、読めるものから片っ端に読め。やるからには徹底的にやるからな。恥かかせんな。とはいえうちは血筋的に理系が弱いからそのへんは含んどけ」
「は、はい」
三蔵は先に立って階段を昇り出したが、悟空が玄関のほうを振り返ったのに気付いて足を止めた。
「さっさと来ねえと蹴落とすぞ!」
「あ、あの…いえ…ええと」
「はっきり言え鬱陶しい!」
「…皆、ちゃんと外での生活があるんだなあって思って」
三蔵はちょっと首を傾げた。先を促してくれた、と見た悟空は焦らさないよう早口で続けた。
「庶子とか嫡子とか…凄くこだわってるから、家の外のことがないみたいな気がしてた」
「…何やら無茶苦茶だが言いたいことは理解した」
「やっぱり会社とか学校とか、家と関係ないこともあるんだよね」
「ない」
三蔵はあっさり言った。
「金蝉と天蓬は政界で仕事してるが自分で選んだ訳じゃねえし、捲簾は土地をまわしてるがそれも同じ、代々継いだものを家のために広げて親族を食わしてるだけだ。八戒と悟浄はこの家の人間が行くことに決まってる学校へ行く。花喃は中等部まで出た後は家の看板として取引先を回ってる、侯爵の血をひいた女だと当たりがいいからな。後は家にとって有益な相手に嫁ぐだけ。見ろ、誰も家から出たりしてねえ。どこまで行っても家だ」
「……」
「…別に9番目のおまえに喋るこっちゃねえな」
三蔵は独り言のように呟いて書庫の戸を開け、軽く手を振って空気を掻き回した。
「例え上がばたばた死んだとしても、おまえにまで爵位がまわってきたりしねえよ。悟浄は卒業したら我が家とは縁を切ると宣言済だ。おまえもそうすりゃいい。その後は自由だ」
…縁を切る。兄じゃなくなるのか。
おまえの兄貴だと言って現れた悟浄が、もうずっと前からあと数年で兄じゃなくなるつもりでいたのか。酷い。
「三蔵は嫡子なのが嫌って言ってるみたいに聞こえる」
「…ああ?」
「家から出られないのを嫌がってるみたいに聞こえる」
てっきり怒鳴り返すと思ったが、三蔵は悟空に向かって次々本を放り投げながら不思議でしょうがないといった顔でこちらを見た。
「何で他人のことにいちいち突っ込んでくる?」
「…聞きたかったから」
「卑怯だな。そう見えるとか聞こえるとか言われたら、それについての自分の考えを正しく述べなきゃならなくなるだろうが。人を悪く言うのは好きだが、自分を見つめるのは苦手なんだ俺は」
なんて素直な人だ。
「ごめんなさい」
「構わん。が分からん」
三蔵は辞書をぱらぱらと繰りながら宙に目を据えた。
「嫌も何もそういうもんだからな。生まれてこのかた伯爵の役に立つこと以外考えてなかったんだが…まぁ今もそうなんだが、どうもよく分からなくなってきたな。天蓬ひとりいればいい気もする。金蝉であれば伯爵じゃなくてもいい気もする。…やっぱり分からんな」
三蔵はふと悟空を見た。
「俺は何でおまえにこんなこと喋ってんだ?」
…さあ。
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