私生活
act2
「…ほんとによく会いますね」
八戒の呆れたような口調に反論したいのはやまやまだったが、まさにその通りだったので悟浄も仕方なく返した。
「…ほんとにな。何、下宿、近いの」
近いに決まってる。深夜3時のコンビニだ。
「歩いて5分くらいですかね。…目覚ましの電池が切れたんで」
聞いてねえっつの。何が目覚ましだ。嫌らしいくらいクソ真面目でつまんねー男。
「ああ、そう。…俺は煙草」
煙草吸ってりゃ大人の男に見えるとでも思ってんですかね。見るからにガキのくせに。
お互いたちどころに本音が見えるだけに、警戒で会話が進まない。
「…弾まない会話」
「…思っても言うもんじゃないですよ」
ふたりは何となく疲れた顔で店を出た。あれから授業で会えばなんとなく挨拶する程度。悟浄から見ると八戒は人をあからさまに見下すタチの悪い優等生に過ぎなかったし、八戒から見ると悟浄はやたら軽薄な今時の大学生に過ぎない。
「んじゃ、おやすみ」
悟浄に言われて、初めて八戒は悟浄がここにいる不自然さに気がついた。大学キャンパスが移転してきたために作られた新設駅が最寄りだから、学生用のアパートは密集しているが住宅はほとんど無い。
「…貴方、家、近くでしたっけ。自宅ですよね」
「んー…バイクで25分くらい」
バイクで言われても見当がつかないが、煙草を買いにくるには少々遠出だ。
「どこか行った帰りとか?…あ!近所に彼女の下宿があるんでしょ。はは、閉めだしくらったとか」
「あんた、ほんっとに余計なことばっか言うよな」
「すいません」
八戒は素直にあやまった。好き嫌いはおいておいて、こういう突っ張った輩はからかいたくなるのだ。しかも八戒は酔っていた。上京して初めての一人暮らし、夜長が退屈で仕方ない。目覚ましの電池と言ったのは悟浄への嫌がらせで、コンビニの袋の中は酒のつまみ。
「早く帰れよ。んな薄着で風邪ひくぞ」
買ったばかりのハイライトの封を切りながら悟浄が苛々とせかした。
「貴方こそ、彼女待ってるんでしょ。追いかけてきてくれるの期待して出てくるなんて可愛いことしますねぇ。男がしても絵になんないですけどね」
「勝手に話を作んな!」
「じゃあどこから閉め出されたんですか。さては親御さんとケンカしてプチ家出」
すぐさま怒鳴り返されるかと思ったら、悟浄はふっつり黙ってしまった。
しまった。
そう思いながら、八戒は笑いそうになるのを必死で耐えた。面白い。
「帰れないんならうちに来ます?」
「帰れないなんて言ってねえだろ」
「帰りたくないんでしょ。同じですよ」
悟浄はいきなり八戒の腕を掴んだ。酔いと油断のせいで他愛もなく引き寄せられた八戒と、悟浄の額が一瞬くっつく。
「やたら絡むと思ったら酔ってんのか。すげえぞ、酒の臭い。顔に出てねーから分かんなかった」
「……びっくりしたぁ。男もいけるのかと思いましたよ」
パチン。悟浄の掌が八戒の頬で鳴った。ごくごく軽く。
「酔いは醒めたか。戯言吐いてねえで大人しく帰って寝ろ」
「…貴方が大人しく帰ったらね」
ああ言えばこう言う。
「貴方が口割らないから悪いんじゃないですか。何でこんなとこにいるんです?さてはストーカーですか、僕の行く先々でチョロチョロと、目立って鬱陶しいんですよ」
口調はいつもどおりだが、言ってることはすこぶる変だ。見た目より相当酔ってるらしい。
「俺が言わねえってことは言いたくねえんだよ!」
「僕にバカにされるから?」
「バカはおまえだ。愚痴になるから言わねえだけ。…酔ってなきゃ後ろのっけてやんだけど落としたらこえーしなー…着てくか?」
八戒は悟浄に投げられた本皮のジャケットを危うく受け止めた。
「ほら、行けって」
「…だから貴方がちゃんと帰ったら」
「ああもう、どうしろっつんだ面倒な男だな!」
悟浄は舌打ちすると、バイクのスタンドをガコンと蹴った。
「乗れ」
正直言って悟浄は途方に暮れていた。深夜までガソリンスタンドでバイトして、さて帰るかと思ったらどうしても足が自宅に向かわない。明らかに病気だ。この歳で帰宅恐怖症なんて情けない。こんなに恵まれていて何が不満だ。外泊が恩人夫婦をどんなに心配させて傷つけているか充分分かってるのに。自分への叱咤は次から次へと湧いて出るが、どうしても理屈に体がついてこない。一息ついたら裏門から構内に忍び込んでサークルのBOXで朝まで寝るつもりだった。
まあ、そんなことこいつに言う義理もない。
だから、これは朝までの暇つぶし。
八戒のアパートの前にCBRを横付けすると、悟浄は八戒の頭からポンとメットを抜いた。
「はい、今度こそおやすみ」
「…言いたくないなら聞きませんけど、布団もう一組ありますよ」
夜風に当たって酔いが醒めた八戒は、それでも悟浄の後ろでしつこく同じコトを考え続けていたらしい。
「嫌なんだよ。ひとんち泊まるの」
他人の家が子供のころから苦手だった。自分の家には絶対ない空気をかぐのが、人の生活空間に足を踏み入れるのが、居心地悪くてたまらない。
「へー。女性んちには泊まるのに」
「女でも泊まんねえよ。絶対ラブホか車か外でやる」
八戒はまだバイクから降りなかった。どう言ったらうまく悟浄に伝わるのか散々考えた挙げ句、どう言ってもこの男は怒るだろうという結論に達したので、八戒は素直に思ったままを言った。
「泊まってってください。なんか心配なんです」
「…心配って何が」
「真夜中の公園で俯いてブランコ漕いでるお隣の子供見ちゃったみたいな感じで。ほっとけないんです」
悟浄がきょとんと八戒を見た。あ、このテの背伸びしたがりのお子様が一番嫌がるツボを押してしまった。
「貴方が子供だって言ってるわけじゃないですよ!?」
「…言ってるじゃねえか」
「じゃなくて、なんか…何だか…えーと、雨の中で鳴いてる子犬見ちゃった感じで」
「何が言いたいんだてめえは」
とうとう「おまえ」から「てめえ」になった。
「てめえみたいな思い上がった勘違い野郎に拾われたくねえと思うぜ、その犬」
悟浄は八戒をバイクから引きずり下ろすと、さっさとエンジンをかけてしまった。
「じゃあな酔っぱらい。あ、上着返せ」
「ちょっと待ってくださいって!」
走り出す直前のバイクの前に、八戒は思わず飛び出した。
「ですからここはひとつ、僕を助けると思って」
「何がどう、ですから、だ。何でてめえを助けなきゃいけねえんだ。轢き殺すぞボケ」
このまま自覚のない悟浄を放したら、延々罪悪感でうなされそうな気がする。
…仕方ないですね。
八戒は内心溜息をついて、充分計算した微笑を浮かべた。
「寂しいんです」
「はあ?」
「一人暮らし初めてなんですよ僕。郷里の友達に長電話したり呑んだりしてんですけど、やっぱどうしても夜はちょっと心細いっていうか」
大嘘だ。
「下宿に友達泊めるの夢だったんですよ。なんか大学生っぽいじゃないですか。酒のんで将来の夢なんか語っちゃったりして雑魚寝して」
言ってる途中で、悟浄はいきなりエンジンを切った。
ドカンと降ってきた静寂が、たっぷり30秒は続いた頃、ようやく悟浄が口をひらいた。
「…おまえさ」
「はい?」
「バレバレ」
「やっぱり」
「まあ努力は認めるけど」
バイクから飛び降りた悟浄は、縛った髪を解きながら八戒に向かってわざとらしく溜息をついた。
「布団って羽毛?」