私生活


act10



「分かるように説明しろっつんだよ!!」
 病院の外科病棟には、外傷こそあれ比較的元気な患者が多いが、麻酔が切れた途端にこんなに分かりやすく罵詈雑言を吐く患者もそうそういない。
「現代日本の一会社員である俺がよ!? 手取り21万の給料で慎ましく生きてる俺がなんで銃弾摘出手術なんて受けてんだ!?この期に及んで銃だぜ銃!! 俺は沙悟浄であって沙悟浄じゃねえのに!!」
「…訳の分からんこと抜かすな」
「だいたい付き添いがなんで部外者のてめえなんだ、八戒はどーした!!」
 確かに自分が出る幕ではないのを承知した上でここにいるだけに、三蔵は溜息をついただけで返事をしなかった。普段健康で怪我にも縁のない奴ほど、体の一部が破損したという現実にすぐさま対応できず軽くパニくる。破損と言っても、銃弾が右肩に食い込んだだけで、骨も割れてなきゃ中で弾が動き回った訳でもない。ただ3週間も包帯巻いて過ごす不自由や、今この瞬間病院にいるという事態そのものが悟浄にとっては大騒ぎなのだ。
「…まあ落ち着け」
「落ち着けるかっっっっっ!!」
「八戒は仕事。今日は平日だ。一昨日あんなことがあったから会社はひっくり返ってんだ。てめえが寝こけてる間は猿も八戒もずっといた。分かってやれそれぐらい。起きねえてめえが悪い」
 言われて壁の時計を見上げた。午後2時。
「…分かった。悪かった」
「早いな」
 三蔵は苦笑して、ベッドの傍らに腰かけた。自分のテンションに体力がついていかなかったせいもあるだろうが、たまに暴発してもすぐさま自分を取り戻す素直なところは、三蔵が唯一認める悟浄の長所だ。
「…三蔵様も営業途中で仕事さぼってきてくれてんだもんな」
「いや有給。八戒に頼まれてな。暇だったし」
「なーんだ」
 悟浄はしばらく宙を睨んでいたが、ようやく附におちたといった調子で笑った。
「なあ。三蔵に頼まなきゃいけねえってことは、会社の奴、八戒と悟空以外に誰も来る気ねえってこと?」
 口調の軽さが、かえって三蔵をためらわせた。
「あ、いい、いい。変なこと聞いたな。もう辞表出してる奴が怪我しようがどうしようが会社には関係ねえしな。…てことは労災は出ねえのかなあ…。ま、いいか。どうせこの怪我も八戒のせいなんだから八戒に治療費払わせよう。そうだ、そうしよう」
「悟浄」
「ん?」
「無理に喋るな。俺に気ぃ使う必要はねえから」
 言われて悟浄はふつっと黙った。やはり疲れたらしい。たっぷり5分間、ふたりとも黙りこくっていた。事件絡みの入院なので病室は個室だが、それがかえって寒々しい。悟浄が母親に死なれ、父親と兄が行方不明であることを、三蔵は八戒に聞いたばかりだった。表沙汰にできる怪我なら悟浄の女どもを呼んでやれるのに。ほんとに不運な奴。
「…三蔵よぉ、おめえ俺より八戒のこと知ってるよな?」
 悟浄がふと呟いた。
「どうだかな」
「…俺、八戒に会った時に何て言ったらいいか教えてくれる?」
「そりゃ八戒のセリフだろうが」
「だから、八戒は俺と会って対応に困るに決まってっから、俺から何か言ってやんないとダメじゃん? 笑ってやるほうがいいのか、かえって怒ったほうがあいつの気が楽になるのか、分かんねーんだ」

「撃たれたのがキミでなくて良かったな」
 社長の第一声がこれだった。
「あの何とかいうデザイナーには気の毒だったが、怪我はたいしたことないんだろ? どうせぼちぼち有給消化にはいるつもりだったんだろうし、仕事の引継もほとんど済んでる。ま、このまま退社ってことになるかな」
 八戒は、社長のよく動く唇を無表情で眺めていた。一社員に対して「何とかいうデザイナー」とは何という言い草だ。キミでなくて良かったとはどういう了見だ。だがとにかく八戒は、社長室に「事件の弁明」に訪れているのだ。話が済むまでは感情を抑えなければならない。
「…社長。このたびは誠に申し訳有りませんでした」
 きっちり45度、八戒は頭を下げた。
「例の事務所絡みだな? シーズンだっけか?」
 シーズンというのが八戒が過去に何度かもめたタレント事務所で、社長ほか役員はすべて、まあ、いわゆるヤクザだ。例えばシーズンのタレントを借りてグラビアを撮ったとする。その際に手違いでポラが一枚紛失したとか、悪天候でタレントが風邪をひいたとか、修正が薄くて乳首が見えたとか、そういうトラブルに対して事務所は莫大な金を要求してくる。その際の駆け引きがまた微妙だ。出さない訳にはいかないが、言われるまま払う訳にもいかない。八戒の手がける雑誌は業界一の売り部数でメディア方面にも伝手があるから、向こうも縁を切られるのは拙い。だいたいにおいて、八戒が口八丁手八丁で丸め込み駆け引きに勝利し言い値を通していた。したがって事務所は「会社が八戒を編集長職から外す」のを心待ちにしている訳だ。
「銃持って乱入する理由にはならんぞ。何か他にやらかしたろ、おまえ」
「…シーズン所属の女の子が一人行方不明になりまして」
「…遮って悪いが、よくあることだろ? 使いもんにならなくなって売られたとか、情報よそに流して沈められたとか」
「そうなんですけど、僕がその子の行方を探しているのが先方にばれて」
「あほか!!」
 社長の机の上で湯飲みが跳ね上がった。まだ50を過ぎたか過ぎないかの血気盛んな男だ。
「そりゃ仕事と関係ねえだろ!! ほっとけ、使い捨てのタレントひとり!! それとも何か、その子、おまえの女か」
「いえ」
 無意識に左手の指輪をくるくる回しながら、八戒は淡々と答えた。
「新人の頃から懐いてくれていた娘です。不注意でした」
「おまえにもそういう温かい心があった訳だ。驚いたな」
 皮肉たっぷりに社長は溜息をついた。
「まあいい。道理で編集4部のパソコンだけが綺麗に破壊されてるわけだ。処分は減給3ヶ月にしとく。仕事に戻れ」
「社長。僕からもお話が」
 八戒の声音が僅かに低くなった。
「悟浄の退職理由をお聞かせ願えますか」
「何故本人に聞かない?」
「聞き難いもので」
 社長は複雑な表情で八戒を見詰めた。その顔の真意を測りかねて微かに眉を顰めた八戒に、今度は社長が妙に抑揚のない声で言った。
「キミは再婚しないのか?」
「…は?」
 まったく場違いの話題についていけず、きょとんとした八戒に、社長は手の中でクルクル回していた万年筆で部下の背後の扉を指した。もう出て行けという合図だ。これ以上何を言っても無駄だと分かっていたが。
「…社長…あの…?」
「自分の胸に聞くんだな」
 混乱したまま押し出されるように廊下に出ると、悟空が所在なげに八戒を待っていた。
「…悟空」
「悟浄目ぇ覚ましたって!」
 飛びあがるように走り寄ってきた悟空は、まったく屈託なく八戒に笑顔を見せた。
「起きた途端ぎゃーぎゃー大騒ぎして大変だったって三蔵が泣いてたぜえ? 海鮮カレーまんが食いたいとかゆってっから、ソレ持ってお見舞い行かね? 1時間くらいなら仕事抜けられるだろ?」
 八戒は無言で無邪気な部下を見下ろした。
「三蔵に車で迎えに来てもらおーぜ! 銃で撃たれるなんて一生に何度もない経験だよなっすげえ! 悟浄にどんな感じだったか聞かなきゃ…」
「悟空」
 ようやく八戒の様子がただ事でない事に気がついて、悟空は弾かれたように黙った。
「悟浄の退社理由、貴方ご存じですよね」
 最初、何を言われたか分からないように大きな目を見開いていた悟空は、そのままゆっくり首を傾げた。
「独立するんだろ?前からそうしたいってゆってたじゃん」
 初めはそう思った。だから退社自体は意外でもなんでもない。問題は時期だ。八戒の計算では、少なくともあと2年先のはず。今の悟浄に独立資金があるとは思えない。退社しなければならない理由があるはずだ、早急に。
 悟浄の退職と、社長のあの言葉。

     キミは再婚しないのか?
     自分の胸に聞くんだな。

 再婚…。
 やっぱり気になる。知らずに悟浄に会えない。
 悟空に引っ張られて歩き出していた廊下の途中で足が止まった。
「…ごめんなさい悟空。先に行っててもらえますか。僕は社長ともう少しお話がありますから」
 意外にも、悟空は首を振った。
「社長に聞かなくても俺に聞けば? どうせ社長ははっきりは言わないよ」
「…悟空?」
「自主退社じゃなくて退職勧告。クビになったの。その方が失業保険が早く出て助かるって悟浄言ってたから、別にいいじゃん。お見舞い行こうぜ?」
「退職…勧告?」
 一瞬「リストラ」という言葉がよぎったが、あの若さで技術職の悟浄がそんな網にかかるわけがない。動かない八戒に焦れて、悟空は溜息をついた。
「八戒、行くの? 行かねえの? 撃たれたのだって、けーさついるの分かってて潜り込んだ悟浄が悪いんだし、クビだって悟浄がいいかげんだから悪いんだろ? もし八戒が悪いと思ってんだったらかえって悟浄に悪いよ」 
「…いいかげんって、どういうことです」
「だってあいつエロ河童じゃん…」
 悟空は不意に「あ」と声を漏らした。
「三蔵が、ぜってー八戒と悟浄できてるっつってたけど、ほんと?」
 途端に八戒は踵を返して走り出し、ノックもせずに社長室の扉を押し開けた。
「社長!!」
「おう、まだ何か用か」
 大して驚いた様子もなく、煙草をふかしながら書類の束に目をおとしていた社長がちらっと視線をあげた。
「誤解です!」
「おまえは馬鹿か」
 パタンとファイルが閉じられた。
「編集4部の編集長はエロ雑誌作っといて女に興味がないだとか? 堂々と昔の男を会社に引っ張り込んだとか? 社内中に流れまくってる下世話な噂の真偽に俺は一切興味はないが、誤解ですとはそのことか? 問題にしてるのは」
 卓上で鳴った電話を取って「ああ、分かった」と短く告げると、社長は再び八戒を正面から見た。
「…噂の真偽じゃなく噂の存在だ。おまえの性癖に興味もないし聞きたくもない。社内の噂になるってことは社外の噂になるってことだ。そもそも奴の女癖は、女性役員が多い我が社に置いとくには難ありとしか言えん。個人的には愛せるがな。その上に三誌任せてるうちの大事な編集長の妙な噂たてられちゃ叶わんから責任とって退職していただく。退職金に見舞金名目で色もつける。元々が会社勤めに向いてないんだ、誤解とかなんとか言う問題じゃない。仮に悪いのが百パーセントおまえであってもだ。おまえも管理職なら個人的な感情ヌキにして答えろ。どこが納得いかない。余計な処置だと思うか?」
 そこまでほとんど一息で喋って、社長は息をついた。八戒は彼が嫌いではなかった。必ず本音を話す。部長に過ぎない八戒相手に必ず本音を話す。そして今も、嫌いじゃない。
「…………」
「思うか?」
「……いいえ」
「見舞いに行ってやれ。悟空から内線だ」

 悟浄。
 僕は貴方に会わないほうが良かった。

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