私生活
act10
楽しかったよ。忘れてねえよ。
ほんのちょっと生活を荒らしてみる。ぶっ倒れるまで呑んだり、寝ずに遊び回って翌日から何日もひたすら寝こけてみたり、手当たり次第人を食い散らかしてみたり、時速140キロで首都高ぶっとばして追っかけ回されたり、気にくわねえ奴立てなくなるまでボコボコにしたり、こっちもボロボロになって路地裏で朝まで寝てその間に雨が降って死にかけたり、そういう滅茶苦茶な真似。後先考えずに自分を思いっきり放り投げるような真似。
子供じゃなきゃできない。怖い物も守る物もない子供でないと、いつか必ず自分にツケが回ってくるのを知っていてそんな真似はできない。気持ちも体も耐えられない。
弱くなったからじゃない。
「あんたさぁ、俺らのこと馬鹿だと思ってんだろ?」
アルコールと煙草とクスリ特有の甘ったるい匂いがごっちゃになった息が顔にかかるのを、悟浄は避けなかった。昔の自分と同じ匂いだ。
「毎晩毎晩夜遊びと女漁りばっかしてる俺らのことさあ、ガキとか馬鹿とか思ってんだろ?あんたは立派な社会人だもんなぁ。もう俺らみたいなお子様の気持ちなんか分かんねえよなあ。なんでこんな無茶苦茶すっか分かんねえよなぁ」
分かるよ。楽しいんだろ。
口に出したところで余計絡みに熱が入るだけだ。右肩をこづかれるまま後退するうち、背中が壁に突き当たった。ホールを巡る紫色の照明が不規則に悟浄の目を眩ませる。
「もー悟浄さんさあ、違うもん。てめえらみてえな馬鹿とは違う人種って顔してるもん。あんた目障りだよ。似合わねんだよ、こんなとこに。昔は俺らと一緒にいたのにさぁ」
男の声はだんだん大きくなるが、周囲をぎっしり取り囲む少年少女たちはチラチラ振り返るくらいで、すぐさま自分の世界に戻っていく。どちらかというと、足下も危うい酔っぱらいより悟浄に冷たいその視線。普段は実年齢より下に見られる悟浄だが、ノータイとはいえ今はスーツだ。悟浄は襟を掴んだ男の手を軽く捻った。
「気ぃすんだらどけ。おまえと遊びに来たんじゃねえんだ」
腹が立った訳でもなんでもなかったが、時間もないわ気のはる手荷物をさっさとどうにかしたいわで、悟浄はようやく押し殺した声をだした。
「へえ〜じゃあ何しにきたの?また緑の目のおにーちゃんと遊びに来たのー?クスリ目当て?俺にも紹介してよ〜悟浄さん」
溜息をついて男の体を押し退けると凄い力で肩を掴まれた。
「なんなんだよ、あんた何してんだよ!友達だったろ!?なんで俺には何も言えねえんだよ、なあ!あのにーちゃんそんな偉いのかよ!金もってんのがそんな偉いのかよ!どうせまともな仕事してねえくせ」
ストンと男が膝から崩れ落ちた。本格的に倒れる寸前に腕を掴んで壁に凭せ掛けると、悟浄は腹にいれた拳を軽くふって、急に静まりかえった自分の3メートル周囲を見渡した。怯えるような、期待するような、媚びるような10代の子供達の顔。
このクラブの写真集を作りたいという話はまだ生きていた。というより小田切が勝手に返事を保留していた。今ならやってもいい。同じ時に同じように子供だった俺や八戒や、その他大勢の思い出に。
悟浄は「荷物」を抱えなおしてVIPルームへの階段を上がった。
八戒。
無駄に年くってんじゃねえよ。
今更馬鹿な真似しやがって。とんでもねえこと口走りやがって。
殺してえ。
これが済んだら、本気で殺す。
俺はどんなに馬鹿やったことでも、どんなに悔やんだことも、どんなにどんなに幼稚な幸福でも必ず覚えていて、その時の気持ちを覚えていて、遅れて同じ道を通る奴の気持ちを少しでも掬いあげてやりてえし、絶対に同じ道を戻ったりしない。でなきゃ意味ねえだろ。泣いた意味ねえだろ。
一生友達でいいって、特別ならいいって、そう言ったのおまえじゃん。
今、そうなってんじゃん。
俺は10年かけて、おまえの願いを叶えたんじゃねえのか。おまえが俺のこと好きになりかけたり、俺がおまえをまた好きになりかけたら離れたし、誘われたらさくっとヤってやったじゃん。軽口たたきながら、遊びで女抱くのと同じやり方で。望まれれば何度でも助ける。何だってしてやる。俺より大事にしてやれる。鬼畜でも犯罪者でも、おまえを尊敬してる。おまえに惚れたことを誇りに思ってる。心の底から、いつまでも。
それを、何で全部ぶち壊すんだよ。
10年間、俺、何してたんだよ。
おまえの10年間は何だったんだよ。
おまえに膝なんかつかれたくねえよ。
おまえのそんなとこ見たくねえよ。
何でそんなことができるんだよ。
何でおまえだけ10年前のままなんだよ。
いつもいつも、俺の嫌がることばかり。
一番嫌がることばかり、いつも。
階段を上がりきったところで、悟浄は思わず立ち止まった。八戒が、そこにいた。
手摺りに背中を預けて、退屈そうに悟浄を待っていた。洗いに洗って色の落ちまくり、元が何色だか分からないような(悟浄にはベージュに見えた)長袖Tシャツに、異様に寝心地のよさそうな、というか、ジャージ。
今日は校了日だから、八戒は会社に泊まりのはずだ。ちゃんと悟空に確かめた。この時間は仮眠室で仮眠中であろうことも確かめた。
「…何でてめえがここにいやがる」
あの休日から今日までの3日間で、軽く100回は頭の中で殴り倒した男。
「子供相手に何を本気になってんだか」
欠伸混じりに、八戒が呟いた。さっきの当て身を目撃したらしい。
「…子供には子供の仁義があんだろ。男の子はダチへの悪口を許しちゃいけねーの」
「ダチって僕ですか」
「そう思いたいなら思えば?」
「すっごい逃げ口上。何企んでんだか知りませんがVIPルームにはご一緒しますよ。何せ15分前まで布団の中にいたんで、かっこは多少あれですが、ご親切な方が貴方がここにいて何かやらかすと連絡くださったので」
悟浄はわざとらしく溜息をついた。
「邪魔すんなよ」
立場が完全に逆転した。スーツの悟浄が先に立ってVIPルームの扉を開けた。八戒は伸び上がって悟浄の肩越しに中を覗いた。何故この場から自分がはじかれる。
柳井。
…と、何故か小田切。
他、5,6名。
悟浄は八戒が思わず飛び退くような勢いでドアを閉めると、あろうことかグラスの並んだテーブルの上に手にもったアタッシュケースを放り投げた。
「どーぞ」
グラスが割れた音で一瞬殺気だつ男達の真ん中で、柳井と小田切だけは無表情で悟浄を眺めている。
状況がさっぱり掴めなかったが、八戒はとりあえず思った通りを言った。
「…悟浄、あのアタッシュケースは貴方のでしょうか」
「訳分かんねえこと言うな、三蔵に借りた。持ってるわけねえじゃん、あんな使い道のない鞄」
「仕事道具じゃないですか。あんな扱いしたら破片で傷が」
「いいじゃねえか、やってみたかったんだから!変なとこに反応すんな。黙ってろ。喋るな」
ケースにぎっしり札束。とまではいかないが、右半分は確かに札束、その他にはビニール袋やクラフト紙の塊、輪ゴムで束ねられた証書の山。
「現金は500万くらいしかねえけど、小切手で500万。クスリは分かんねえ」
「…2、300万。安ものです」
八戒が眼鏡を押し上げてポツリと呟いた。適当なかっこうなのが、かえって得体の知れない凄みがある。いかにもソレっぽい奴より、そのへんのオヤジにいきなり銃を突きつけられるほうが怖いのと一緒だ。
「…2、300万だとよ。あとは不動産関係と顧客リスト。足んないなら俺に値段つけろ。殺人以外は何でもやる。その代わり1回きりだ。俺も八戒も、きっぱりすっぱり円満に縁を切りてえんだ、あんたらとは。永遠に」
柳井は、ケースの中味をチンピラたちに広げさせて、しばらく化石と対峙する学者のように真剣な目でそれらを眺めていた。きっと、大差ない。八戒が会社でエロ雑誌を眺める時もあんな顔をしている。やがて、柳井はチンピラたちに合図して、元通り荷物をケースに詰めさせた。
「…先生の借金を何であんたが返すんだか」
「それは超プライベートな問題だから秘密っておい、ケースまで持ってくな、借りもんだから」
「後でこいつに預けとく」
柳井は顎で小田切をしゃくった。
「きっぱりすっぱり縁を切るっつったろ、明日宅急便で事務所に送れ。世話になったがおまえもクビだ、小田切。悪いな」
小田切は軽く頷いて、悟浄ではなく八戒を見た。そして柔らかく微笑った。
「僕に御礼くらい言ってもいい立場じゃないですか?貴方は」
盗ませた。
自分が悟浄の手を汚した。
わざわざ自分を蚊帳の外においたまま、柳井と悟浄に取引させたのは小田切だ。柳井が欲しい物を、悟浄が取ってくる。おそらくどこかの事務所のどこかの部屋にあったものをそのまま。自分をここに呼んだのも小田切だ。
「行くぜ」
八戒が小田切から視線を外せないまま口を開こうとした途端、悟浄に腕を掴まれた。
「悟浄」
「終わりだ、もう」
何が?
背中で「先生、元気でな」という柳井の声と、小田切のクスクス笑う声を聞いた、ような気がした。どっちでも同じ事だが。
「…せっかくひとりできっちり片つけてから、おまえに報告と思ったのによ」
悟浄が口を開いたのは、地上に上がってからだった。
「柳井は小田切のオヤジなんだと、実の。両親離婚してるらしいけど」
「そうですか」
それだけ言うのがやっとだ。
いいけど。
それが、悟浄の返事だった。
そばにいるのが願いなら別にいいけど、俺、今、世界で一番おまえのこと嫌いだぜ。
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