きょうかん−共感−してる?
 
共感、辞書には“他人と同じような感情(考え)になること”
とあります。
 
ひとは、共感して欲しい生き物ですよね。
「そうそう!」「ねーーーっ!」
これほど、人と心が通った、と思える瞬間はありませんね。
ほめられるのも嬉しいけど、人との関係の中で、ほめられるのとは別で、自分の存在にとても自信を持てますよね。
安心も出来る。そして共感できる人間とはとても距離が近く思える。
悪くすると、集団心理とかそっちにも近づいてしまいますが、人は、共感なしには生きていけないのではないでしょうか。
 
親と、子、も同じ、と思いませんか?
 
親はオトナになってしまい、オトナになったから子どもができ、初めての子ならオトナになって初めて、
生まれる前からずっとつきあうことになる子ども。
子ども、のことなんて忘れてる、というか、オトナになって初めて知る、子ども。
 
どうやって、接するべきなのか・・・。
泣いてしか感情を表せない赤ん坊の時に始まり、悩んだり、失敗したり、泣きたくなったり、しながら 本当に手探りで
子どもとつきあっていかなくちゃならない。
 
そんな中で・・・、子どもと接していてお互いにいいキモチになれたなあ、と思ったときって、やはり、共感しあえたとき
ですよね♪
子どもも、相手に自分の思いや言いたいことが通じて嬉しくて、おまけに、「そーだよねー!!」
と言ってもらえたら、どんなに嬉しいか。
オトナだって、自分の子のキモチが受け取れて、同じようなキモチになれたら、“おお、やはり我が子!”
なんて思えたりして。
 
でも、オトナはもう子どもではないので(のハズ・・・ん?)
子どもが、「おもしろーい!」「たのしーい!」
と思っていることに、必ずしも同じキモチにはなれなかったりする。
そこが、とーっても難しい!!
でも、とりあえず、食わず嫌いはやめて、一緒にやってみましょう!
一緒に動いて、一緒に歌って、一緒に騒いでみよう!
それだけで子どもは嬉しいはずだし、一緒にやってみたら案外、とっても面白くて、本当の“共感”が、生まれるかも
しれない!!!
 
人間社会に生きていく人間を育てるワケなので、自分の存在感を自信を持ってしっかりもてる人間に、そして、人と
共感し合える人間に。
そのためには、ほめる、ことよりもっと必要かもしれない、それが、子どもに“共感”すること、と、私は思います。
 
どうでしょう?
ご意見をお待ちしています。