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『本尊問答抄』について(2)

 

3 他の著作に見られる本尊論

 

 3−1 『唱法華題目抄』

 日蓮の他の著作で本尊についてどのような記述があるのかを、ネットでの検索が可能な創価学会版の御書全集から、真蹟、身延曽存、直弟子写本のみを取り上げ、「本尊」をキーワードにして検索し、重要だと思われる記述を取り上げると次のようになる。(ネット検索が容易にできるために、紙媒体のページ番号をつけることは面倒なのでしない。できれば『日蓮宗電子聖典』に収録されている『昭和定本日蓮聖人全集』を使用したかったのだが、まだ電子ファイルとしてネットでの公開がされていないため、一般の人が使用する上では障壁が高いので断念する。紙媒体の文章を電子ファイルに入力するというのは、非常に時間がかかるし、体力、気力を消耗させ、間違いも多くなる。できれば関係者に『大正蔵経』や『伝教大師全集』のようにネットでの公開をお願いしたい。)
 日蓮の初期の著作である『唱法華題目抄』には次のように述べている。

 

 「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、」

 

 ここで「法師品」は『本尊問答抄』の引用箇所を指していると推測できるが、「神力品」は多分結要付属の後半にある「若經卷所住之處。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。 若白衣舍。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆應起塔供養。所以者何。當知是處即是道場。諸佛於此得阿耨多羅三藐三菩提。」と述べている箇所であろう。この文章の意味は、経巻がある所は、いかなる所であれ、そこに塔を建て供養すべきだ、なぜならば経巻がある所は諸仏がそこで悟りを得た道場なのだから、ということであろう。これは『本尊問答抄』の能生・所生の議論に通じる箇所であるとも推定できる。
 もっとも神力品のその箇所の少し前に「礼拝供養。釈迦牟尼仏。」「南無釈迦牟尼仏」という表現もあり、「神力品」が経巻のみを礼拝供養の対象としているわけではない。神力品の近接した箇所に、釈迦仏を礼拝供養の対象とすることと、経巻を供養の対象とすることとを、別々に説いてあるのに、日蓮が釈迦仏を礼拝供養の対象とする記述を無視していることには、意味があるだろう。この『唱法華題目抄』は問答形式の叙述になっているが、本抄の読者で『法華経』についてそれなりの知識を持つ者ならば、当然持つ疑問であるのにもかかわらず、言及していない理由は、日蓮自身が、意図的に仏像よりも経巻を本尊として優先していることに関して、『法華経』の経文による根拠付けが不十分であることを自覚していたので、無視せざるをえなかったという推測も成り立つだろう。日蓮自身の意図は私には推測するしかないが、事実として神力品の「礼拝供養釈迦牟尼」を無視していることだけは残り、それに対する何らかの説明が必要だと思われる。また『法華経』には「経巻」とあり、「八巻一巻一品或は題目」とは述べられていないから、この部分は修行の易行化を積極的に認めようとする日蓮の個人的見解であろう。
 次の「又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし」は出典が明示されていない。『法華経』には「経巻」と「釈迦牟尼仏」を礼拝供養することを述べた別々の箇所はあるが、両者を一緒に礼拝せよという箇所はない。
 智の『法華三昧懺儀』によると「明初入道場正修行方法第四 行者初入道場。當具足十法。一者嚴淨道場。 二者淨身。三者三業供養。四者奉請三寶。五者讃歎三寶。六者禮佛。七者懺悔。八者行道旋遶。九者誦法華經。十者思惟一實境界。」とあり、ここでは「四者奉請三寶。五者讃歎三寶。六者禮佛。」と述べて、「三宝」を勧請、賛嘆し、「仏」を礼拝せよとある。「三宝」の中の、仏宝は仏像、法宝は経巻で、僧宝は法華経ゆかりの著名な僧侶などを指すと思われる。法華三昧の修行の道場として有名な延暦寺の法華堂をネット検査すると「かげまるくん行状集記」というHPに紹介記事として、法華三昧の儀式は「道場に高座を設けて法華経を安置し、二一日間、十方の三宝を礼し、釈迦・多宝などの仏を勧請し、法座をめぐりながら(半行)焼香散華して三帰依文および法華経の安楽行品を唱え、坐禅を行なう(半坐)ものである」と説明されていた。「法華経を安置し」「釈迦多宝を勧請する」という儀式は、『法華三昧懺儀』に書かれている儀式だから、鎌倉時代と現代とでそれほど大きくは変わっていないと思われるので、『唱法華題目抄』の記述は、日蓮自身も延暦寺で体験したであろう法華堂の経巻、仏像安置様式を念頭に置いた記述であろう。
 その次の「又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、」という箇所では、菩薩としては上行菩薩などの本化の菩薩は挙げられていないことに注意すればよいだろう。後の『観心本尊抄』では「権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す」とあるが、『唱法華題目抄』では「普賢菩薩」しか言及されていないのは、『法華三昧懺儀』が『普賢経』に基づく修行方法であることに影響を受けたのかもしれない。
 この『唱法華題目抄』という初期の日蓮の著作において、本尊として第一に経巻を挙げ、その省略形として題目を挙げ、ついで能力があれば(これは資力があればという意味だろうと思われる)釈迦多宝のニ仏を安置するように指示してあるが、題目の左右に釈迦多宝のニ仏を安置するという形式は後の曼荼羅を予兆させるが、日蓮が本抄において曼荼羅を予想していたかどうかは、明言していないので、当人にしか分からないとしか言いようがないであろう。当時の日蓮の布教対象は、主に僧侶と武士であったと考えられているが、彼らの資力では、経巻を購入することはできても、ある程度の大きさの仏像造立を仏師に依頼するほどではなかったろうと思われ、経巻を安置して、その前に座り、『法華経』を読誦、唱題するという修行形態をとっていたと私は推測している。
 では日蓮自身が本尊安置様式としてこの『唱法華題目抄』の指示を遵守していたかというと疑問符がつく。日蓮は竜の口法難を回想して『神国王御書』で次のように述べている。

 

 「小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて仏像経巻を諸人にふまするのみならず糞泥にふみ入れ日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしをとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ」

 

 ここでは『唱法華題目抄』の記述とは異なった本尊安置様式が述べられており、『法華経』が本尊として言及されず、釈尊(の木像)が本尊として言及されている。しかし「一切経を安置したりし」という表現は、単に一切経を釈迦仏像の周辺に置いておくという意味ではなく、何らかの宗教的意義を持ったものとして、釈尊像とともに礼拝の対象になっていた可能性も捨てきれない。いずれにせよ『唱法華題目抄』においては『法華経』の経巻が中心であったのに対して、鎌倉の松葉が谷の草庵では釈迦仏像が中心であったと『神国王御書』の文章からは推定でき、日蓮が『唱法華題目抄』の記述を遵守していないと推定できるだろう。

 

3−2−1 『観心本尊抄』

 佐渡流罪中に書かれた『観心本尊抄』には次ぎのような議論が展開されている。まず「木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり」と述べて、仏菩薩の木像、絵像を本尊として信仰対象にする理論的根拠は天台宗にあることを示す。そのうえで「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」と述べて、その理論的根拠とは「一念三千の仏種」であることを示す。さらにその「一念三千の仏種」について、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、」と述べて、それは、「釈尊の因行果徳の二法」であり、具体的には「妙法蓮華経の五字」であることを示す。
 そのうえで本尊について次のように述べる。

 

 「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏小乗権大乗爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す」

 

 この文章で「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」という表現は既に出てきた「妙法蓮華経の五字」の言い換えであろうが、それが地湧千界の菩薩に付属されたことを述べた後で、唐突に「其の本尊の為体」以下の文章へと展開されるが、「妙法蓮華経の五字」と「其の本尊」との関係はどうなっているのだろうか。「其の」は文脈上「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」すなわち「妙法蓮華経の五字」を指すのだろうが、するとそれは「妙法蓮華経の五字の本尊」という表現に置き換えることができる。「妙法蓮華経の五字」と「本尊」とを結ぶ「の」はどういう意味なのだろうか。素直な読解は、例えば「仏菩薩の木像」という語句の場合、「仏菩薩」と「木像」とは別物だが、「仏菩薩」を「木像」という様式で表現していると読解するのと同様に、「妙法蓮華経の五字」を「本尊」という様式で表現するという意味だと理解することだろう。そのように理解すると「其の本尊の為体」は「妙法蓮華経の五字を本尊として表現した場合の姿は」という意味になり、以下の文の「本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、」へと続き、「妙法蓮華経の五字」が中央に書かれている日蓮の図顕した曼荼羅の姿を説明していると読解できるだろう。つまり「妙法蓮華経の五字の本尊」とは日蓮の図顕した曼荼羅を意味していると理解するのが素直な読解であろう。

 

 次の文の「是くの如き本尊」も「妙法蓮華経の五字の本尊」を文脈上指すと理解しても何の問題もない。しかしそれに続く文章では仏像とその脇士について議論され、「未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」と述べられて、「寿量の仏」すなわち久遠実成釈尊の仏像が末法に出現するという結論へと続き、同様なことを「余仏小乗権大乗爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す」と述べて、この文章中の「本門寿量品の本尊」は文脈上「寿量の仏」すなわち久遠実成釈尊を指し、その後の「並びに四大菩薩」はその脇士を指すと理解するしかないだろう。上記の引用文を検討する限り、この『観心本尊抄』では「妙法蓮華経の五字の本尊」と「寿量品の本尊」との両者について言及がなされ、しかもその両者の関係については何も述べていないのである。
 次に本尊について記述されているのは「今の自界叛逆西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀他方を以て本尊と為す、聖武天皇東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、」という箇所である。創価学会版御書では日蓮正宗の読解に従って上記のような書き下し文になっているが、日蓮宗の読解によれば「此の時地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて」という書き下し文になり、日本漢文の読解としては両者が可能であるが、地湧菩薩が久遠実成釈尊の脇士となるということは『観心本尊抄』の他の箇所で何度も言及されていたことであるから、それとの論理的整合性から考えれば、日蓮宗の読解に従うべきであろう。この引用文中の「一閻浮提第一の本尊」は前後の文脈から四菩薩を脇士とする法華経本門の教主釈尊すなわち久遠実成釈尊を意味すると思われる。
 さて『観心本尊抄』は「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う、四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり。」という文章で終わっているが、冒頭で「一念三千の仏種」について論じ、その「一念三千の仏種」が「釈尊の因行果徳の二法」さらに「妙法蓮華経の五字」であることを示したことに対応した末尾の文章であるが、この『観心本尊抄』で論じられなかったことは、「妙法蓮華経の五字」と「妙法蓮華経の五字の本尊」との関係であり、はたして「妙法蓮華経の五字」を信仰して、修行する場合に、「妙法蓮華経の五字の本尊」は必要不可欠なものかどうかについては何も説明されていない。さらには「妙法蓮華経の五字の本尊」すなわち日蓮が図顕した曼荼羅と「寿量品の本尊」すなわち地湧の四菩薩を脇士とする久遠実成釈尊(日蓮宗で主張する一尊四士)との関係についても何も述べられていない。

3−2−2 『顕仏未来記』

 『観心本尊抄』のまもなく後に書かれた『顕仏未来記』には次のように述べている。

 

 「仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、」

 

 ここでは「本門の本尊妙法蓮華経の五字」と述べて、「本門の本尊」と「妙法蓮華経の五字」を弘通すると読解するのが普通であると思われるが、その場合「本門の本尊」が「妙法蓮華経の五字の本尊」と「寿量品の本尊」との両方を含むのか、いずれか一方のみを指すのかは何も述べられていない。また「本門の本尊」と「妙法蓮華経の五字」との関係も明示されていない。あるいは別の解釈として「本門の本尊」である「妙法蓮華経の五字」と読解すれば、「本門の本尊妙法蓮華経の五字」は全体として「妙法蓮華経の五字の本尊」を意味すると解釈できないことはないが、『観心本尊抄』では本尊よりも「「妙法蓮華経の五字」が「一念三千の仏種」として強調されていたから、『顕仏未来記』でわざわざ「妙法蓮華経の五字の本尊」を重視していると解釈することには違和感を覚えるだろう。

 

3−3 三大秘法関係の著作

3−3−1 『法華行者逢難事』

 同じく佐渡流罪中に書かれた『法華行者逢難事』には次のように述べている。

 

 「竜樹天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて、本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と、之を残したもう、所詮一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、」

 

 この『法華行者逢難事』は「三大秘法」という言葉こそ使用していないが、三大秘法の内容を初めて明言した確実な文献とされているが、ここでは『観心本尊抄』で「一念三千の仏種」とされていた「妙法蓮華経の五字」が「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と、之を残したもう」と述べられて、「本門の本尊と四菩薩」、「戒壇」と並列的に位置づけられている。通常三大秘法の一つとしての「妙法蓮華経の五字」は題目(「南無妙法蓮華経」と口唱される)と呼ばれ、本尊、戒壇、題目の三大秘法全体で成仏という救済の秘儀を可能にするとされている。つまり『観心本尊抄』では「妙法蓮華経の五字」だけで「一念三千の仏種」でありえたが、『法華行者逢難事』では「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字」と述べられている三大秘法全体が「一念三千の仏種」であると日蓮が述べていると解釈することもできる。もっとも成仏という救済の秘儀には本尊、戒壇は必ずしも不可欠なものではなく、『観心本尊抄』で強調された「妙法蓮華経の五字」は三大秘法の題目を指し、それゆえ題目だけでも成仏が可能であるという解釈も可能であろう。「妙法蓮華経の五字」の定義が『観心本尊抄』と『法華行者逢難事』とでは異なっているのか、同じなのかという問題は日蓮自身が二つのテキストの関係について何も述べていないので、不明であるとするしかない。
 ただ本尊論に関しては、この『法華行者逢難事』においては、「本門の本尊と四菩薩」と述べているので、この部分全体で三大秘法の本尊について言及していると解釈すれば、ここの「本門の本尊」は『観心本尊抄』の「妙法蓮華経の五字の本尊」ではなく、「寿量品の本尊」すなわち法華経本門の教主である久遠実成釈尊を指し、「四菩薩」がその脇士を指すとみることができる。もしこの部分が「本門の本尊」と「四菩薩」に分けられ、「本門の本尊」が「妙法蓮華経の五字の本尊」を指していると解釈すれば、三大秘法ではなく四大秘法になると思われるから、この二つを分ける解釈は無理だと思う。

3−3−2 『法華取要抄』

 同じく佐渡流罪中に『法華行者逢難事』の数ヶ月後に書かれた『法華取要抄』では、「問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、」と述べて、その少し後には「、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、」と述べている。ここでは『法華行者逢難事』にあった「四菩薩」が消去され、「南無妙法蓮華経の五字」が「題目」に置き換えられているが、この二つの文献は三大秘法について同じことを述べていると解釈すれば、「本門の本尊」は「寿量品の本尊」すなわち法華経本門の教主である久遠実成釈尊を指すが、もし「四菩薩」を消去したことに何か特別の理由があると解釈すれば、「本門の本尊」が「寿量品の本尊」のみを指すと解釈されるのは不本意だから「妙法蓮華経の五字の本尊」も指しうると解釈できるように、消去したと見なすこともできる。なぜそのように解釈可能かといえば、後段で述べている「所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字」は三大秘法の一つである題目を指すのではなく、『観心本尊抄』で「一念三千の仏種」とされていた「妙法蓮華経の五字」を指すと解釈するのが、これらのテキストの整合的な解釈の一つであるからだ。つまり「妙法蓮華経の五字」には、「三大秘法」全体と同義な「一念三千の仏種」という意味と、「三大秘法」の一つである「題目」という意味の二つがあり、文脈に応じて、適切に解釈していかなければならない。例えば『本尊問答抄』では「法華経の題目」という記述があるが、この『本尊問答抄』では「三大秘法」が議論されているわけではないから、「法華経の題目」は「一念三千の仏種」という意味をもつ「妙法蓮華経の五字」と同義だと解釈することも可能であるだろう。

3−3−3 『報恩抄』

 身延期に書かれた『報恩抄』には次のように述べている。

 

 「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、」

 

 この『報恩抄』では三大秘法の一つである題目が「南無妙法蓮華経と唱うべし」という修行形態を指すことが明示されている。本尊についての記述は非常に分かりにくい。「本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」とあるが、最初の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の部分は『観心本尊抄』の「寿量品の本尊」と同じく法華経本門の教主久遠実成釈尊を本尊とすることを指示していると思われる。ところが次の部分の「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」はどう読解したらよいのだろうか。「所謂宝塔の内の釈迦」はそれに先行する「本門の教主釈尊」と同じ対象を指示しているのか、それとも違うのか。そしてこの問題と関連するのは、「脇士となるべし」の主語は「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩」全体なのか、それとも「所謂宝塔の内の釈迦多宝」を除外して「外の諸仏並に上行等の四菩薩」だけなのか、あるいは「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏」を除外して「上行等の四菩薩」だけなのか。
 多分「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩」全体が「脇士となるべし」の主語となるというのが、古文の読解としては最も素直な読解であろう。しかしそうなれば「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の「本門の教主釈尊」と脇士となる「所謂宝塔の内の釈迦」とは同じ対象を指示すると考えることが困難になり、日蓮正宗のようにこの指示対象を別々の存在とし、「本門の教主釈尊」とは「久遠元初の本因仏=日蓮」を指示し、「所謂宝塔の内の釈迦」とは「久遠実成の本果仏」を指示するという解釈の余地を生じる。もし日蓮の真蹟、身延曽存、直弟子写本の文献資料の中に「久遠元初の本因仏」があれば、それなりに魅力的な解釈となるだろうが、なければ文献学的には架空の存在である「久遠元初の本因仏」を導入する学問的には根拠のない解釈となるだろう。
 もっと有力な解釈は「本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」という文章には省略が含まれているのではないか、という解釈である。「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」と似た文章を探すと、『観心本尊抄』の先に引用した「妙法蓮華協の五字の本尊」についての説明文に思い至るであろう。つまり『報恩抄』の「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」という文章は『観心本尊抄』の「妙法蓮華経の五字の本尊」を説明している文章の省略形であり、『観心本尊抄』の文章にしたがって、省略された部分を補うと「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏(は妙法蓮華経の左右にあり、)並に上行等の四菩薩(は塔中の末座に居して、)(釈尊の)脇士となるべし」という文章になるという読解も可能であろう。この読解においては前半部分の「教主釈尊」と「宝塔の内の釈迦」とを別の指示対象と考える必要がなくなり、日蓮正宗のような解釈を必要としない。ただこの読解では『報恩抄』では「本門の教主釈尊を本尊」とするということと「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」という文章によって指示される「妙法蓮華経の五字の本尊」との両方が主張されているということになり、私は『観心本尊抄』の議論をそれなりに重要視しているから、このような読解もありかなとは思うが、それにしても『報恩抄』の文章を読解するために、わざわざ『観心本尊抄』の文章によって補足するという読解方法は素直な読解とは言えないということは認めなければならないであろう。ただこの場合の読解でも本尊としての「本門の教主釈尊」と「妙法蓮華経の五字の本尊」との関係については何も述べられていない。

 

 3−4 その他の著作

 3−4−1 『新尼御前御返事』

 その他の本尊に関する著作はあまり大きな意義を持つとは思えないが、参考までに引用すると佐渡流罪の赦免後身延に入ってまもなくの文永期に書かれた『新尼御前御返事』には次のように述べている。

 

 「但大尼御前の御本尊の御事おほせつかはされておもひわづらひて候、今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、金色世界の文殊師利兜史多天宮の弥勒菩薩補陀落山の観世音日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士我も我もと望み給いしかども叶はず、是等は智慧いみじく才学ある人人とはひびけどもいまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし、我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、あなかしこあなかしこ我が滅度の後正法一千年像法一千年に弘通すべからず、」

 

 ここで「御本尊」として述べられているのは、日蓮の図顕した曼荼羅のことであるが、その「御本尊」とどういう関係があるかは明示されないままに法華経本門の「教主」である久遠実成「釈尊」が「真の弟子」である「上行菩薩等」に「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字」を譲り、末法時代に弘通させるということが述べられている。「御本尊」が「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字」と同じなのか、それとも「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字」の一部なのかは、文脈によっても判断しにくい。

 3−4−2 西山本『一代五時鶏図』

 次に著述年代が不明な(建治年間と推定されているようだが)西山本『一代五時鶏図』には諸宗の本尊と比較して天台宗の「御本尊」として次のように述べている。

 

 「華厳のるさな真言の大日等は皆此の仏の眷属たり
  久遠実成実修実証の仏
天台宗の釈迦如来
       応身  有始有終
始成の三身  報身  有始無終       真言の大日等
       法身  無始無終
       応身
久成の三身  報身  無始無終
       法身
華厳宗真言宗の無始無終の三身を立つるは天台の名目を盗み取つて自の依経に入れしなり。」

 

 天台宗の「御本尊」である「久遠実成実修実証の仏」について、「久成の三身」の「無始無終」を述べている。ただこの西山本『一代五時鶏図』では脇士の問題が全く言及されていないが、天台宗の釈尊の脇士は文殊・普賢菩薩などであり、本化の四菩薩が脇士となっているものは日蓮が生きていた時代にはなかったようであるから、脇士によって釈尊の位を判断するという日蓮の『観心本尊抄』の議論からすれば、天台宗の本尊は、理論としては法華経本門の久遠実成釈尊の位置づけではあっても、脇士の安置様式から判断するとまだ法華経迹門の始成の釈尊にすぎないとされるであろう。

 3−4−3 『四条金吾釈迦仏供養事』

 ちなみに仏像造立に関しては四条金吾に与えた建治期の書状である『四条金吾釈迦仏供養事』には、次のように述べている。

 

 「御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云、・・・されば画像木像の仏の開眼供養は法華経天台宗にかぎるべし・・・此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ、優填大王の木像と影顕王の木像と一分もたがうべからず、梵帝日月四天等必定して影の身に随うが如く貴辺をばまほらせ給うべし」

 

 四条金吾に授与された曼荼羅は、後述する妻の日眼女と同時期の弘安三年の曼荼羅が現存しているが、上述した文永期の『新尼御前御返事』には在家信者の新尼に曼荼羅が授与され、その母親の大尼の曼荼羅授与の希望を拒否していることなどから推測すると、現存する曼荼羅以前に、鎌倉在住の在家信者の中心者であった四条金吾にも早い時期に曼荼羅授与がなされていたとも想像できるが、四条金吾関連の書状は、真蹟、直弟子写本が残っていないものが多く、確定的なことは言いにくい。もし曼荼羅が授与されていたとするならば、四条金吾は仏像造立以前には、曼荼羅を安置して、それに対して唱題をしていたと思われるが、それに満足することなく釈尊像を造立したことに対して、日蓮が賞賛していると読解できる。ここでは在家信者が仏像造立することを日蓮が賞賛している事実だけは確認できる。

 3−4−4 『日眼女造立釈迦仏供養事』

 また弘安期に書かれた『日眼女造立釈迦仏供養事』には、次ぎのように述べている。

 

 「御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女御供養の御布施前に二貫今一貫云云・・・釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり、・・・今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし」

 

 ここで「御守」と書かれているのは現存する日眼女に授与した曼荼羅(1紙)のことである。四条金吾の妻の日眼女が三寸(約9cm)の大きさの「三界の主教主釈尊」の木像を一体造立したことに対して「今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし」と誉めていると素直に読解できるだろう。ここで注目すべきは曼荼羅を「御守」と表現していることと、日蓮が日眼女の釈尊像造立を知りながら、あえて「御守」と表現されている曼荼羅を与えたことである。しかもこの書状の中では曼荼羅のことについては何も言及せずに、ひたすら釈尊像造立の功徳を賞賛しているのである。日眼女の信仰生活において、造立された小さな仏像が安置され、それを本尊として唱題することが推測されるのに、それに対して否定的な見解を述べることなく、賞賛しているのだから、在家信者が釈尊像を造立することに対して、積極的に容認していると思われるが、それにもかかわらず御守としての曼荼羅を授与していることにどのような意味があるのかは不明である。この曼荼羅を釈尊像とともに安置すべきであるとも指示されていないので、この「御守」としての曼荼羅には、「本尊」としての機能、すなわち室内に安置し、それを対象にして唱題するという機能があるのか、それとも「御守」としての機能、すなわち日常的に携帯して、身の安全を祈るという機能しかないのであろうか、これもよく分からない問題である。現存する四条金吾に授与された曼荼羅は3枚継であるのに対して日眼女に授与された曼荼羅は1紙で大きさがかなり違い、その違いが、集会などで本尊として奉掲すべき曼荼羅と、御守として携行、所持する曼荼羅の相違を生み出したのだろうか。

 3−4−5 『真間釈迦仏御供養逐状』

 また寺院に安置された釈迦仏として、日蓮が竜の口の法難直後に相模の依智において[これは私の単純ミスによる誤り。系年は文永7年、あるいは建治年間とされていて、私は創価学会版、『昭和定本』ともに、文永7年に係けていたので、そのようにしたが、そのときSOKANETの検索画面で次の「土木殿御返事」が一緒に掲載されているのを誤って『真間釈迦仏御供養逐状』の追加項目だと勘違いして上記のように記述してしまった。文永7年は竜の口法難の前年である。ここで訂正させていただく。(2012/2/27)]冨木常忍に与えた『真間釈迦仏御供養逐状』に「釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや」と言及があり、やはり賞賛している。
 なお身延期の本尊安置様式に関しては、『忘持経事』において、「室に入り教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し歓喜身に余り心の苦み忽ち息む」とあるから、釈迦仏像を本尊としていたことは確認できるが、「妙法蓮華経の五字の本尊」に関しては明確な記述はないが、多くの弟子・檀那に曼荼羅を授与しながら、身延の庵室に曼荼羅が安置されていなかったとは想定しにくいとされている。信者の供養を「法華経の御宝前」に供えたという記述はそれなりに見られるが、この「法華経」が法華経の経巻を指すのか、それとも曼荼羅を指すのか、何も明確なことは分からない。

 

 3−5 まとめ

 ここまでの他の著作に見られる本尊論をまとめてみれば、初期の著作である『唱法華題目抄』では『法華経』法師品、神力品を文献的根拠として、法華経、題目を本尊とし、経済的余力があれば、その左右に釈迦多宝のニ仏を安置し、さらに余力があれば十方の諸仏、普賢菩薩等を安置するよう指示している。神力品には釈迦を礼拝供養することを述べた文章もあるが、それを無視して、第一に法華経を安置するように指示していることは興味深い。また法華経のみならず、題目をも本尊としてよいという指示は文献的根拠がないだけに、日蓮の易行化への傾向を示すものとして注目すべきだろう。日蓮が曼荼羅を図顕する以前にどのような本尊安置様式をとっていたかは、『神国王御書』によれば、釈迦仏像の周囲に一切経を安置していたようで、『唱法華題目抄』の指示を日蓮自身が遵守していないことが分かる。
 『観心本尊抄』では仏像が本尊となる理論的根拠は「一念三千の仏種」であり、それは「釈尊の因行果徳の二法」と言い換えられ、末法においては「妙法蓮華経の五字」であるとされ、次いで「妙法蓮華経の五字の本尊」として曼荼羅の相貌が示される。その後仏像の脇士の問題をとりあげ、「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」への言及がなされ、文脈から「本門寿量品の本尊」は久遠実成釈尊を指していると思われる。『観心本尊抄』では「一念三千の仏種」=「釈尊の因行果徳の二法」=「妙法蓮華経の五字」が根本の法として述べられ、その根本の法と本尊との関係については説明されずに、「妙法蓮華経の五字の本尊」と「本門寿量品の本尊」が言及され、また両者の関係についても説明されることがない。『顕仏未来記』においては「本門の本尊妙法蓮華経の五字」が流布されるべき法として挙げられ、「本門の本尊」と「妙法蓮華経の五字」との関係については相変わらず何も説明されず、また「本門の本尊」についての具体的な説明もない。
 三大秘法について述べた『法華行者逢難事』においては「本門の本尊と四菩薩」が三大秘法の一つとして言及され、これは『観心本尊抄』との整合性から「本門の本尊」は久遠実成釈尊を指示していると解釈できる。『法華取要抄』では『法華行者逢難事』において「本門の本尊と四菩薩」と表現されていた部分が「本門の本尊」という表現に変更されている。この変更により「本門の本尊」が具体的には何を指すのかは不明瞭になるが、「妙法蓮華経の五字の本尊」も「本門の本尊」として解釈可能になる。
 『報恩抄』には「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」とあり、前半の文により「本門の教主」=久遠実成釈尊が本尊となることは明らかであるが、後半の文の読解意が難しい。「脇士」となるのは直前の「四菩薩」だけなのか、それとも「並びに」があるから「外の諸仏」も「四菩薩」と同格になり「脇士」になるのか、また「宝塔の内の釈迦多宝」には述語がないから、これも「脇士」の主語になるのか、この文だけを素直に読解するなら述語は一つしかないから、「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩」全体が主語となり、「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩」が「脇士となるべし」と読むしかないだろう。しかし前文で「本門教主釈尊」が本尊となることが明示されているのにもかかわらず、後文の「釈迦」が同じ対象を指示しているなら、それが「脇士」となることは論理的に矛盾している。前文の「本門教主釈尊」と後文の「釈迦」とは異なった対象を指示しているとするのが日蓮正宗の解釈である。これに対して後文は不完全な文であり、多くの語句が省略されているという解釈もあり、似たような文章である『観心本尊抄』の「妙法蓮華経の五字の本尊」について述べた文章から省略部分を補うと「所謂宝塔の内の釈迦多宝(は妙法蓮華経の左右にあり、)外の諸仏(は大地の上に処し給い、)並に上行等の四菩薩(は塔中の末座に居して、)(釈尊の)脇士となるべし」となり、論理的矛盾は解消するが、この解釈によれば『報恩抄』では前文で「本門教主釈尊」を、後文で「妙法蓮華経の五字の本尊」を、本尊として認めているということになる。だがここでも二種類の本尊の関係は説明されていない。
 その他の著作では『新尼御前御返事』では曼荼羅のことが「御本尊」と表現されているが、その後の文中に出てくる「妙法蓮華経の五字」との関係は説明されていない。西山本『一代五時鶏図』には天台宗の「御本尊」として「天台宗の釈迦如来」が「久遠実成実修実証の仏」として表現され、「無始無終」の「久成の三身」とは記述されているが、この著作では脇士の問題が全く言及されていないので、「天台宗の釈迦如来」は理論的には久遠実成仏であっても、脇士から判断するとまだ法華経迹門の始成仏となるだろう。その他に日蓮の生前に仏像造立をした四条金吾とその妻日眼女に与えた書簡から、日蓮が曼荼羅授与とは無関係に釈迦仏造立を賞賛していたことを確認し、次いで曼荼羅にも大きさの違いから、集会に奉掲する本尊としての曼荼羅と、身に携帯する御守としての曼荼羅がありそうだということを示した。また寺院に釈迦仏像を安置することを日蓮は賞賛していた。
 以上見てきたように、日蓮の本尊論は『唱法華題目抄』では本尊として『法華経』の経巻を最初に挙げ、次いで「釈迦多宝」の仏像を挙げ、また『観心本尊抄』では「妙法蓮華経の五字の本尊」がまず示され、次いで「本門寿量品の本尊」として四菩薩を脇士とする法華経本門教主の久遠実成仏が示される。両者とも法本尊を先に説き、後で仏本尊を説くという論理展開になっているが、その理由については何も説明していない。特に『唱法華題目抄』では文献として挙げられた神力品には釈迦を礼拝供養の対象とすることが述べられているのに、その記述を無視する理由も挙げていない。三大秘法関係の著作では久遠実成仏を本尊とする記述が多いが、『報恩抄』のように多様な読解を許容する表現もある。その他の著作では曼荼羅を本尊と表現しているものもあるが、釈迦仏の造立を賞賛している箇所もある。日蓮の松葉が谷の草案では釈迦仏像が中心に安置されていて、『唱法華題目抄』の指示は遵守されていない。これらのことから分かることは、日蓮自身は法本尊と仏本尊の両方を積極的に容認していたことであり、たとえ法本尊を優先するかのような表現があっても、その表現は仏本尊を排除することを含意するわけではないということである。ただ両者の関係について述べた箇所は全くない。
 また『観心本尊抄』では「一念三千の仏種」=「釈尊の因行果徳の二法」=「妙法蓮華経の五字」が根本の法として述べられたが、その法と本尊との関係についても説明されることがない。成仏という救済の秘儀を示す「妙法蓮華経の五字」の修行には一体何が必要なのだろうか。私がここで「救済の秘儀」という用語を使用したのは、キリスト教カトリック派では7つの秘儀(サクラメント)(洗礼 聖体(ミサ) 婚姻 叙階(聖別) 堅信 告解 終油)が救済のために必要だとしたのに対してプロテスタント派では2つの秘儀(ミサと洗礼)のみで十分だと主張したという論争を念頭においている。日蓮は初期においては『唱法華題目抄』で本尊並びに日常的な修行について次のように述べている。

 

 「行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈一句をも読み奉る可し助縁には南無釈迦牟尼仏多宝仏十方諸仏一切の諸菩薩二乗天人竜神八部等心に随うべし愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」

 

 常の所行として「題目を南無妙法蓮華経と唱うべし」ことを強調していたから、成仏するためには唱題が必要であることは当然としても、本尊までうるさく教導したかどうかは不明である。しかしながら『唱法華題目抄』では「法華経を信じ侍るはさせる解なけれども三悪道には堕すべからず候六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか」と述べて、「法華経を信じ侍る」ことには唱題が含まれるであろうが、その功徳は「三悪道には堕すべからず」であり、「六道を出る」には「一分のさとり」が必要であるという天台教学の当然の立場も主張されている。この立場では成仏するためには、唱題のみならず、「一分のさとり」も救済の秘儀として要求されている。
 『観心本尊抄』になれば「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と述べて、成仏のためには「一分のさとり」はもはや不必要となり、「妙法蓮華経の五字」の修行だけで十分とされるが、その「妙法蓮華経の五字」の修行が唱題だけでよいのか、それとも他の秘儀、例えば本尊が必要なのかということは全く説明がなされていない。三大秘法が強調される頃には、「妙法蓮華経の五字」の修行には、「本尊」に向かって題目を唱えることが必要とされると想定されるが、「戒壇」がどのように「妙法蓮華経の五字」の修行に関わってくるのか不明である。日蓮の生前には日蓮系の戒壇は存在していなかったから、「戒壇」がなければ成仏できないという意味ではないだろう。せいぜい言えることは、戒壇建立目指して、布教活動しながら、本尊に向かって唱題するということが三大秘法の修行ということになるだろう。
 それにしても真蹟、身延曽存、直弟子写本以外の文献にそれなりにこれらの問題について明確なものが多く、例えば『三大秘法抄』には「正法には天親菩薩竜樹菩薩題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」とあり、題目の修行に「自行」としての唱題と化他行=布教活動がふくまれることを明示し、「戒壇」についても具体的に言及している。私はこれらの文献が、日蓮自身の著作に含まれると考えることに対しては慎重であるが、日蓮仏法を日蓮個人の著作と、そこから抽出される思想とに限定することに対しては反対している。日蓮が明確にしなかったことは数多くあるので、後世の日蓮の信奉者が、その不明確な問題に対して、自分の信仰に基づいて、何らかの回答を提案し、それを日蓮に仮託することは、少なくとも不明確な問題を何とか説明しようとする努力が見られる点で、宗教としては大いに望ましいことであると思う。このことは後で再び論じよう。

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