『本尊問答抄』に関する日蓮正宗の解釈をネットで検索すると、日蓮正宗法華講連合会の機関誌『大白法』第658号の掲載論文が転載されていたので、利便性のためにそれを利用して検討してみよう。(「日蓮正宗法華講本部の現在の指導教師は八木日照(東京・法道院主管、総監)、水島公正(所沢・能安寺住職、宗務院教学部長)、阿部信彰(東京・常在寺住職、宗務院布教部長)の3名。」とあるので、機関誌『大白法』もその指導の下に発行されていると考えてよいだろう。)
「本抄の大意」として、次のように述べている。
「まず、末代悪世の凡夫が本尊とすべきものは法華経の題目であると標示せられ、法華経(『法師品』)や涅槃経(『如来性品』)、天台の『法華三昧懺儀』といった経釈を引用してこれを証明し、
『上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり』
と断言されています。
次いで、諸宗の本尊を一々に破折され、釈尊や天台大師が法華経を本尊とされた経釈に基づき、仏は所生で法華経は能生であることから、釈尊を本尊とはせずに、能生の法である法華経を本尊とすべきことを述べられています。(中略)
最後に、大聖人様の御図顕される御本尊が仏滅後未曾有にして末法弘通の本尊なることを教示せられると共に、父母と師匠と一切衆生に対し、法華弘通と謗法呵責の功徳を回向していくことの祈請をしていることを披瀝され、浄顕房にも他事を打ち捨てて授与の御本尊に後生を祈っていくことを強く勧められ、本抄を結ばれています。」
少なくともこの読解に関して私には異存はない。
次いで「拝読のポイント」として、まず「本門戒壇の大御本尊こそ成仏の根源」ということが次のように述べられている。
「第一に、末代悪世の私たち凡夫が尊崇すべき本尊とは、末法の法華経の行者・御本仏日蓮大聖人様が建立あそばされた、本門戒壇の大御本尊に在すということです。(中略)
また、『法華経の題目』こそ末法の法華経の行者の正意であるとの意は、まさに御本仏日蓮大聖人様によって、初めて建立弘通されるべき御本尊であるということです。
すなわち、それは『観心本尊抄』において、
『在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり』」(御書 656頁)
と、在世と末法との本門の異なりを判じ、末法流通の正体として示された、寿量文底・本因下種の南無妙法蓮華経を指すのであり、それが末法の一切衆生即身成仏のための本門の大曼荼羅本尊として建立されたのです。」
ここまでの解釈に関しては、「本門戒壇の大御本尊」「御本仏日蓮大聖人様」「寿量文底・本因下種の南無妙法蓮華経」という日蓮正宗の独特の見解を除けば、それほど問題はないだろう。しかしそれに続いて次のように述べられると急に違和感が生じる。
「さらに述べると、この南無妙法蓮華経の大漫荼羅本尊は、『御義口伝』に、
『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』(同 1773頁)
と御教示のとおり、人本尊たる末法下種の御本仏大聖人様の御当体として、その御魂を御図顕あそばされた、人法一箇・事の一念三千の法本尊に在すのです。
さらに大聖人様の御化導より拝すると、出世の本懐として建立御図顕された、弘安二(一二七九)年十月十二日の本門戒壇の大御本尊こそ、
『法華経の題目を以て本尊とすべし』
との仰せの本意であると知るべきです。」
ここの議論で『御義口伝』を引用することによって、能生・所生の議論が否定され、法本尊としての曼荼羅と人本尊としての「末法下種の御本仏大聖人様」が同格の本尊として位置づけられ、曼荼羅は「人法一箇・事の一念三千の法本尊」として、人本尊の意味も含むという議論展開となる。私は『御義口伝』を日蓮親撰とは認めていないが、その議論については、『漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討する』を参照していただきたい。さて「人法一箇論」が日蓮正宗において議論されたのが、いつ頃なのか、私にはよく分からないが、少なくとも日有の議論にはない。しかし日蓮宗全体で見れば、日有と同時代には既に存在していた。このことは既に『日興の教学思想の諸問題』で指摘しておいたが、以下に引用する。
「なお『本尊論資料』にはAN174の日朗門流の筆者不明の相伝書『御本尊相伝』があるが、そこには『問首題の下に必ず日蓮判と遊ばす義如何 答日向門徒には法華堂をば皆御影堂と習うなり。その故は首題の下に日蓮と遊ばしたるは妙法全く我が身なりといえる御心中なる旨なり。左右の脇士はまた日蓮聖人の脇士なり。諸堂みな御影堂なりと申す伝なり。また首題の下に御名を遊ばすは人法一体能弘所弘不二なることを顕すなり。真間流の人は大聖人の大の字を制して書くなり。定めて人法一体の意なり。その故は地湧の四大士と中央の首題と引き合わせて習うに、首題は空大なり、四菩薩は四大にて、その義通ずる故に空大妙法と聖人とは全く一体となれば、日蓮空聖人という意にて大聖人と書くなり。大は空の義の故なり。』(『本尊論資料』 p.314)とあり、後に日蓮正宗で主張される本尊の首題と日蓮を一体にして人法一体と解釈するという議論が既に日有の時代に日朗門流、日向門流、真間門流には存在していたことを示している。日有自身には人法一体の議論はまだない。」
あるいは三位日順の『誓文』に、「本尊総体の日蓮聖人」という用語があることをもって、人法一箇の思想が三位日順にあったという議論を日蓮正宗ではするが、この『誓文』が起請文と呼ばれる文書様式に沿った文献であり、誓約の具体的な神仏として「本尊総体の日蓮聖人」が勧請されたにすぎず、日蓮御影でも代行可能な表現であることは『漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討する』でも述べておいた。
また「本門戒壇の大御本尊」「種脱相対」の議論に関しては日蓮正宗の信仰の問題であって、学術的な議論を上記の「拝読のポイント」で行おうとしているわけではないので、ここで議論することは差し控えよう。
次いでもう一つの「拝読のポイント」として「本尊とは勝れたるを用ふべし」ということについて、次のように述べている。
「第二に、仏と経のどちらが勝れているか、との問いに対し、
『本尊とは勝れたるを用ふべし』
と示されていることです。(中略)
そして、大聖人様は、本尊とは勝れたるを用うるべき道理から、諸仏所生の根源である南無妙法蓮華経の法体を本尊と定め、そこから様々に生じた仏像等は本尊とすべきでないと決せられました。
したがって、諸宗で立てる爾前迹門の様々な仏像はもとより、第二祖日興上人が、
『聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり』(御書 1871頁)
と明確にお示しのとおり、他門日蓮宗等で立てる釈迦・多宝等の仏像も、本来、末法の法華経の行者・日蓮大聖人様の正意に背くものであることを知りましょう。」
これもほぼ『本尊問答抄』で述べていることなので、それほど問題がないが、最後の日興の見解として、『富士一跡門徒存知事』を引用しているが、日興にはここに見られる曼荼羅正意説以外の本尊論もあるので、これのみを挙げるのは片手落ちであろう。また曼荼羅以外の仏像を本尊として日蓮は容認したが、そのことには一言も触れず、日興の議論によって仏像造立を否定していることも興味深い。
また日蓮正宗には日蓮御影=久遠元初本因仏とする御影本尊論があったが、そのことに全く言及していないし、現在でも奉安堂には日蓮御影が安置されているが、その宗教的意義について全く説明されていないが、これは仏像安置になり、『本尊問答抄』の曼荼羅正意説には反するのではないか、という問題にも言及していない。まるで御影本尊論など日蓮正宗にはなかったことにしたいようであるが、しかし日蓮本仏論を日興が持っていたというときに文証として使用されるのが、日興が御影に供養を奉げ、その返書で御影について述べた表現なのである。日蓮正宗の見解では、日興は日蓮御影を仏像として、礼拝供養していたから日蓮本仏論を持っていたということになるが、そうなると日興は日蓮御影という仏像を本尊として認めていたということになり、曼荼羅正意説とは矛盾するのだが、この点に関する説明が全くない。しかも『富士一跡門徒存知事』には本尊とは別項でわざわざ日蓮御影について次のように述べている。
「一、聖人御影像の事。
或は五人と云い或は在家と云い絵像・木像に図し奉る事・在在所所に其の数を知らず而るに面面不同なり。
ここに日興が云く、御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり是に付け非に付け・有りの儘に図し奉る可きなり、之に依つて日興門徒の在家出家の輩・聖人を見奉る仁等・一同に評議して其の年月図し奉る所なり、全体異らずと雖も大概そ相に之を図す仍つて裏に書き付けを成すなり、但し彼の面面の図像一も相似ざる中に去る正和二年日順図絵の本有り、相似の分なけれども自余の像よりも少し面影有り、而る間・後輩に彼此是非を弁ぜしめんが為裏書に不似と之を付け置く。」
ここで明白に御影について「御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり」と述べて、本尊としての扱いをしないことを述べているが、このことに関しても十分な説明がない。
以上日蓮正宗の『本尊問答抄』に関する見解を見てきたが、日蓮本仏論を採用する立場から、日蓮を仏本尊として認めるための議論をするために、『御義口伝』を引用し、あたかも曼荼羅本尊が人法一箇の本尊であるかのような議論で済ませようとする最近の日蓮正宗の傾向が示された解釈であるが、日有、日寛、日亨と歴代に継承された御影本尊論を無視してはその議論の説得力を欠くことは明らかである。これについては拙論の『日有の教学思想の諸問題』を参照していただきたい。
日蓮宗が『本尊問答抄』と他の著作との関係をどのように考えているかを検討するためには、望月歓厚『日蓮教学の研究』あたりの議論を検討しなければならないのだろうが、個人的事情でそれができない。あまり体調がよくないので、原稿を書くことが、夏休み一ヶ月と春休み2ヶ月しかなく、授業が始まると授業の準備やら疲労やらで論文を書く体力、気力がなく、せいぜい前期は英語の宗教哲学関係の文献を読むことと、後期は牧口常三郎の価値論の英訳をするのが精一杯であるようだ。紙媒体の書籍を読んでそれについて論じる場合に、引用文を入力するということでは時間がかかりすぎ、またスキャナーで読み込む場合も、PDFファイルなら簡単だが、テキストファイルで読み込むとなると、誤りが多すぎて、その訂正にかなり時間がかかり、それで消耗し、論文を書く気力が残っていないということが多い。(どなたかテキストファイルに読み込むのに精度の高いソフトを使用している方がいれば教えていただきたい。特に仏教関係は、縦書き、漢字が多いという特徴があるので、それを横書きにうまく転換できるソフトがあれば、紙媒体の文献を使った議論が可能になるので、実際に使用して、お勧めのソフトがあれば教えていただきたい。)ネットで検索しても望月歓厚の本尊論に関する著作、論文について一部引用はあったが、全文は電子ファイルとしてUPされていないようなので、ネット検索で使用可能な日蓮宗の解釈として、村田征昭(ハンドルネーム川蝉)の論文を対象にさせていただく。なお彼の『本尊問答抄』に関する論文は、『法華仏教研究』第5号にも掲載されているので、紙媒体がお好みであれば、そちらのほうを読んでいただきたい。
村田はネット上に「『本尊問答抄』をめぐって」という論文をUPして、詳細な議論をしているが、全文紹介は読者にとって不必要であると思われるので、必要な箇所だけを引用して、議論を進めたい。
「一 証悟の重視」においては、「本抄述作に至って法重思想が確定したか否かを論究してみます。」として、次のように述べる。
「仏像では脇士を添えなければ如何なる仏格の釈尊か一見判別困難です。その点、法華経の題目なら、法華経の肝心・釈尊の~・事の一念三千の証悟を端的に示すことが出来ます。
『仏は身なり法華経は神なり』なので、釈尊像は~である法華経乃至題目が籠もってこそ釈尊像たり得ると云う視点から云えば、題目の方が直截に、法華経の肝心・釈尊の~・事の一念三千の証悟を表示出来ると言い得ます。」
一往は題目が仏像よりも優先するという法重思想があることを容認する。ただここの村田の議論で気になるところは『本尊問答抄』の冒頭にある「法華経の題目」という用語が「法華経の肝心・釈尊の~・事の一念三千の証悟」を表示していると解釈しているようだが、私は「釈尊の~」は言えても、「法華経の肝心・事の一念三千の証悟」という議論は『本尊問答抄』にはないので、両者の同一性については慎重に考えている。
しかし法重思想は必ずしも仏像を禁止したものではなく、「一念三千の証悟」を持った釈尊であることを示す四菩薩が脇士となる仏像であれば本尊として容認可能であることを次のように述べる。
「しかし、『本尊問答抄』にも『然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし』と、法華経で開眼すれば釈尊像は本尊となり得るとの考えが窺えます。故に『此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず』とあるのは、不空三蔵が宝塔品の文による釈尊を本尊としているが、寿量品の釈尊でないので、法華経の肝心・事の一念三千の証悟を~とした釈尊でないので、『法華経の正意にはあらず、』と評していると思われます。」
この議論で注目すべきことは「此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず」という『本尊問答抄』の文を、不空の釈尊=法華経の教主は迹門宝塔品の教主であって、本門寿量品の教主でないから「法華経の正意にはあらず」と述べているのだという解釈をしていることである。この解釈は後に述べる優陀那日輝の議論を前提にした解釈であるが、「法華経の正意にはあらず」という文の意味を『本尊問答抄』では何も述べていない本迹の教主の区別という議論を導入しなければ理解できないのであれば、この解釈も妥当だとは思うが、『本尊問答抄』内部の議論で理解可能であるならば、そのように解釈する必要はなくなるだろう。この問題は後で論じることにしよう。
次いで「二 本抄の『法華経の題目本尊』」において次のように述べる。
「『本尊問答抄』には『上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり』と、法華経の題目本尊が正意であるとしていますが、冒頭七行の記述『答ふ、法華経の第四法師品に云く、薬王在々処々に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住之処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし 復舎利を安んずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身有す等云云。涅槃経の第四如来性品に云く、復次に迦葉 諸仏の師とする所は所謂法なり。是の故に如来恭敬供養す。法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり云云。天台大師の法華三昧に云く、道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利竝びに余の経典を安ずべからず唯法華経一部を置く等云云。』によれば、『上に挙ぐる所の本尊』とは法華経二十八品の題目を指していることが分かります。」
しかし私にはこの議論がよく分からない。上記引用の冒頭七行の記述には「法華経」という言葉は使用されているが、「法華経の題目」は使用されていない。つまり「上に挙ぐる所の本尊」とは「法華経の題目」であると冒頭に書かれているが、「法華経二十八品の題目」とは書かれていず、引用された7行には「法華経」はあるが、「法華経の題目」はないのである。厳密に言えば、日蓮の議論は「法華経の題目」を本尊とすることを法華経の文章を引用することによって根拠付けることには何も成功していないのである。日蓮は読者に対して、「法華経」を本尊にすることと「法華経の題目」を本尊とすることとは、説明しない、あるいは説明できないけれども、同じことなのだよ、分かって欲しいなと言っているに過ぎないのであり、私は、それは違うだろうと思っているから、突っ込みを入れているのである。同じことは村田の「法華経の題目」を「法華経二十八品の題目」と言い換えていることにも当てはまる。この二つの表現が同じだとすると村田はなぜわざわざ原文にない「二十八品」を入れたのであろうか。論理的には不必要な言い換えであるとしか思えないが、このことも後で問題にしよう。
次いで「三 優陀那日輝師の本抄評価」において、次のように述べる。
「優陀那日輝上人が『本尊略弁』において、
『法師品の『塔を起てて供養すべし』の文や、涅槃経如来性品の『諸仏の師とする所はいわゆる、法なり』の文。天台大師の法華三昧の文を引証とし、『是れ私の義に非らず。上に挙げた経文と天台大師の釈を本にして、法華経の題目を以て本尊とすべと主張するのである』と書かれている。引証は迹の文を挙げて本門の文を引いていない。また迹化の天台大師の文を引いている。『迹門や天台の義に依るのみ』とは随他意語・未顕真実の趣である。『是れ私の義に非らず』との言葉は、随自意(本当の見解)でないと云う意を含んでいると見られる。『本尊問答抄』の末部に、大曼荼羅が御本尊であることを明示してあるので、寿量所顕の法体たる題目を密に示して居るが、分明に寿量品や神力品を引用して解説していない事は、ほぼ本化弘通の本法であることを示しているが、その実義は述べられていない。ただ迹仏に簡んで、本門の本尊を示して、その法体は本仏であることを明示されていない。浄顕房の機根が未だ熟していないので権実相対の立場から迹門ならびに天台の義によって解説されている御書である(取意)』
と述べ、『本尊問答抄』が随他意・未顕真実の法門である旨を指摘していますが、宜なるかなと思います。
大曼荼羅御本尊を説示するのに、天台大師の文や迹門の文をもとに法華経二十八品の題目として説明していることから『本尊問答抄』が対機説法的傾向が強い御書であると言えましょう。」
この優陀那日輝の議論がどれほど説得力を持つかは問題にされるべきである。宗学においては、優陀那日輝の主張は、宗派的には尊重されるべきものであるだろうが、文献資料を用いて日蓮思想を研究する場合には、優陀那日輝の江戸時代と現在の学者たちとでは、日蓮の文献として何を認めるかについて、大きな隔たりがあることは明らかであり、それゆえ優陀那日輝が日蓮の随自意と考える思想と、現在の学者たちが日蓮の根本思想と考えるものとが同じであるかどうかも分からず、「『本尊問答抄』が随他意・未顕真実の法門」であることが、学問的に認められるかどうかも分からないが、村田は「宜なるかな」と述べて、優陀那日輝の議論に賛同しているようだ。
優陀那日輝は『本尊問答抄』が「引証は迹の文を挙げて本門の文を引いていない。また迹化の天台大師の文を引いている。」ということを理由に、「未顕真実の趣」であると主張する。『本尊問答抄』では「本尊」としての「法華経の題目」を論じているが、これは『観心本尊抄』でいう「妙法蓮華経の五字の本尊」の議論とほぼ同じだと考えられるが、『観心本尊抄』においても「妙法蓮華経の五字の本尊」を法華経の文章によって根拠付けることはしていないし、少なくとも上記の「3 他の著作に見られる本尊論」の考察が及ぶ範囲においては、いずこにおいても「妙法蓮華経の五字の本尊」が法華経のどの文章に理論的根拠を持つのかは全く明示されていない。つまり「妙法蓮華経の五字の本尊」に関する限り「本門の文を引いていない」のは『観心本尊抄』や三大秘法関係の著作においても同じことが言えるのであり、そこから優陀那日輝は『観心本尊抄』や三大秘法関係の著作も「未顕真実の趣」という結論を下すのだろうか。優陀那日輝が「妙法蓮華経の五字の本尊」に関して「本門の文を引いて」議論していると考える日蓮の著作が何であるのか、私には分からないが、少なくとも真蹟、身延曽存、直弟子写本のある著作にはないと私は考えている。
また優陀那日輝は「『是れ私の義に非らず』との言葉は、随自意(本当の見解)でないと云う意を含んでいると見られる。」と解釈しているが、この解釈ははたして妥当な解釈なのだろうか。『本尊問答抄』では「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、」という文脈の中で「私の義にはあらず」と述べているのであり、日蓮自身が「法華経迹門」の引用や迹化の天台大師の『法華三昧懺儀』の議論に賛成しているのか、反対しているのかという点に関しては、明らかに賛成しているのであり、「私の義にはあらず」は「私の個人的考えだけではなく、釈尊も天台大師も同じ意見なのですよ」と述べていると読解するのが普通の読解だと思われるが、これを優陀那日輝のように「随自意」ではない、つまり「私の本当の意見ではないのですが」と読解するのは、余程の理由がなければならないと思われるが、優陀那日輝はそのことをどのように説明しているのだろうか。
また優陀那日輝は「寿量所顕の法体たる題目」という用語を使用しているが、この用語が日蓮のどの著作に述べられているのかも分からない。少なくともネット検索した限りでは日蓮の用語ではなく、優陀那日輝の用語であるようだ。私なりに「寿量所顕の法体たる題目」を日蓮の用語に置き換えると、多分『観心本尊抄』の「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」になると思われるが、「妙法蓮華経の五字」の日蓮の説明に関して、「寿量品」「神力品」を使用して説明している箇所をネット検索すると、『観心本尊抄』で「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」に関する説明で、釈尊の「因行」と「果徳」について、寿量品を引用して説明しているが、これは妙法五字を直接説明しているわけではない。また同じく『観心本尊抄』では「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う」と述べて、八品には寿量品、神力品は含まれるが、どの文章かは具体的には述べられていない。
同じく『観心本尊抄』において、「神力品」の結要付属に関連して次のように述べている。
「『爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げ給わく諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり若し我れ是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祗劫に於て嘱累の為の故に此の経の功徳を説くとも猶尽すこと能わじ要を以て此を言わば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す』等云云、天台云く『爾時仏告上行より下は第三結要付属なり』云云、伝教云く『又神力品に云く以要言之如来一切所有之法乃至宣示顕説[已上][経文]明かに知んぬ果分の一切の所有の法果分の一切の自在の神力果分の一切の秘要の蔵果分の一切の甚深の事皆法華に於て宣示顕説するなり』等云云、此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て上行安立行浄行無辺行等の四大菩薩に授与し給うなり」
日蓮宗のどの宗派(日蓮正宗もこの点では同じだが)もここの部分を重要視して、「如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事」が「妙法蓮華経の五字」を指していると解釈しているが、この文章では明らかに「果分の一切の所有の法果分の一切の自在の神力果分の一切の秘要の蔵果分の一切の甚深の事」という最澄の解釈を同時に引用しているのであり、「妙法蓮華経の五字」が因行を含むという既に引用した『観心本尊抄』の記述とは矛盾するのであり、たとえ日蓮が両者を同じであると見なしたいと考えているとしても、上記の引用文を論理的に考察する限りは、同じであることの証明に成功しているとは言えない。
『曾谷入道殿許御書』では「爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり」と述べて神力品において、「妙法蓮華経の五字」が付属されたことを明確にしているが、同時に「名体宗用教の五重玄」と述べて、迹化の智の『法華玄義』の解釈によることも示している。
資料的には問題のある『御義口伝』には寿量品と「妙法蓮華経の五字」との関係について次のように述べている。
「御義口伝に云く此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り寿量品の時事顕れ神力属累の時事竟るなり、如来とは上の寿量品の如来なり神力とは十種の神力なり所詮妙法蓮華経の五字は神と力となり、神力とは上の寿量品の時の如来秘密神通之力の文と同じきなり、」
優陀那日輝が「妙法蓮華経の五字」を寿量品の文章によって説明しているとする箇所はこの『御義口伝』かもしれない。同様に寿量品の「如来秘密神通之力」に注目している箇所は『御義口伝』には「第廿五 建立御本尊等の事 御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。」と述べている。
「如来秘密神通之力」でネット検索してみると、同じく資料的には問題のある『諸法実相抄』には「されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし、釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時事相に二仏と顕れて宝塔の中にしてうなづき合い給ふ、・・・されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」とあり、寿量品の「如来秘密神通之力」を根拠にして「妙法蓮華経の五字」について説明している。
また同じく資料的には問題のある『三大秘法抄』に「三大秘法其の体如何、答て云く予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり、寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云」とある。その他に、『草木成仏口決』にも似たような文章がある。
このように「妙法蓮華経の五字」について寿量品を使用して説明している箇所はすべて「如来秘密神通之力」の文を挙げるのだが、その箇所がすべて資料的に問題のある、真蹟、身延曽存、直弟子写本以外の著作であるということは何を物語っているのであろうか。少なくとも「妙法蓮華経の五字」を、寿量品を使用して根拠付けている箇所は、江戸時代の文献学の基準ではどうかは分からないが、現在の文献学の基準ではどこにもないということであり、「妙法蓮華経の五字」を、寿量品を使用して説明していないから「未顕真実の趣」があるという議論は全く成立していない。
信頼できる資料では「妙法蓮華経の五字」についてどのように説明しているかを見てみるならば、『報恩抄』では「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心一切の諸仏菩薩二乗天人修羅竜神等の頂上の正法なり」と述べて、「妙法蓮華経の五字」が法華経のみならず「一切経の肝心」であり、『本尊問答抄』の能生に当たることを述べているが、寿量品、神力品を使用して説明しているわけではない。
同様のことは『四信五品抄』でも「問う何が故ぞ題目に万法を含むや、答う章安の云く『蓋し序王とは経の玄意を叙す玄意は文の心を述す文の心は迹本に過ぎたるは莫し』妙楽の云く『法華の文心を出して諸教の所以を弁ず』云云、濁水心無けれども月を得て自ら清めり草木雨を得豈覚有つて花さくならんや妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、」と述べられている。ここでは智の『法華玄義』に含まれている章安大師潅頂の「法華私記縁起」の文章を引用して「妙法蓮華経の五字」について説明しているが、優陀那日輝はこの『四信五品抄』も迹化の引用だから、「未顕真実の趣」と判断するのだろうか。
同様に『法華経題目抄』では「問うて云く題目計りを唱うる証文これありや、答えて云く妙法華経の第八に云く『法華の名を受持せん者福量る可からず』正法華経に云く『若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず』添品法華経に云く『法華の名を受持せん者福量る可からず』等云云、此等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみへぬ、一部八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、担一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり。」と述べているが、これは本門八品が終了した後の、陀羅尼品を引用して「題目」を説明している。本門八品以外の文を根拠にして「妙法蓮華経の五字」を説明している『法華経題目抄』も優陀那日輝は「「未顕真実の趣」と判断するのだろうか。
このように日蓮の著作を見てくると、「寿量品」の「如来秘密神通之力」によって「妙法蓮華経の五字」や「本尊」について説明している箇所はすべて資料的には問題のある箇所であり、「神力品」では上行付属と関連した箇所で「妙法蓮華経の五字」に言及された箇所はあるが、どの文章に「妙法蓮華経の五字」があるのかとなると『観心本尊抄』に結要付属の「如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事」が「妙法蓮華経の五字」に相当すると主張したいと思わせる表現があるが、それは「釈尊の果徳」だけを述べたという最澄の注釈も同時にあり、日蓮の両者を同じだとする議論は、もしあったとしても成功していない。したがって優陀那日輝が「寿量所顕の法体たる題目」を「分明に寿量品や神力品を引用して解説」している箇所とするものは、資料的に問題のある『御義口伝』などの寿量品の「如来秘密神通之力」を根拠とした箇所やその説得力に問題のある「神力品」の結要付属の箇所しかないのであり、寿量品や神力品を引用していないから『本尊問答抄』は「未顕真実の趣」があるという優陀那日輝の議論はそもそも成立していないと私には思えるが、村田も賛同してくれるだろうか。
村田は「四 法華経と釈尊との一体観」として次のように述べる。
「法華経の『法師品』には、『また舎利を安ずることを須ひず。所以は何ん、此の中には已に如来の全身います』と、法華経と釈尊を一体と見るべき事が明示され、日蓮聖人は、
『仏は身なり法華経は魂なり』(本尊問答抄・昭定一五七五頁)
『釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし』(四条金吾殿御返事・昭定六六六頁)
『色心不二なるがゆへに而二とあらはれて、仏の御意あらはれて法華の文字となれり』(木絵二像開眼之事・昭定七九二頁)
『今の法華経の文字は皆生身の仏なり』(法蓮抄・昭定九五〇頁)
等と、法華経と釈尊とは一体であると明示されています。
また、
『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す』(観心本尊抄・昭定七一一頁)
『六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて』(日妙聖人御書・昭定 六四四頁)
と、妙法蓮華経の五字は釈尊の智慧功徳そのものであると教示しています。
故に題目の方が法華経の肝心・事の一念三千の証悟を直截に表示出来るけれど、法華経の肝心・事の一念三千の証悟は久遠釈尊の~なので題目即久遠釈尊と宗祖は観じていたと言えます。」
この文章も微妙な表現なので、いくつか確認しながら議論を進めていく必要があるだろう。法師品の経巻の中に如来の全身があるという表現は、法華経と釈尊が一体であるという議論と見なすことができ、日蓮も同じ考えであると見なしてよいだろう。ただその次の『本尊問答抄』の「仏は身なり法華経は神なり」を法華経と釈尊との一体観を示した文であると認めてよいかは疑問の余地がある。この文は「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、(中略)此等の経文仏は所生法華経は能生仏は身なり法華経は神なり、然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり。」という文章中に含まれる文なのであり、全体として能生・所生の議論をしている中で使用されている文だから、「仏は所生法華経は能生仏は身なり法華経は神なり」を一連の文章と見なして、仏=身=所生、法華経=神(魂)=能生と読解するのが普通の読解だと思うが、どうだろうか。そして『本尊問答抄』の上記引用文には「問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。」という文章が先行しているのだから、能生=勝、所生=劣という結論が論理的に導かれると思うのだが、この読解(先に引用した日蓮正宗も同じ読解をしている)は私には普通だと思われるが、どこかおかしいところがあるのだろうか。
その次の『四条金吾殿御返事』も引用文が曖昧だから、前後を引用してみると、次のようになる。
「其の中に法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり、たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。
釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし、」
ここでは釈迦仏と法華経は別物であるけれども、「心」が同じだから、両者は同じですよという議論をしている。「種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず」という場合、「種子と苗と草と稲と」の同一性を支える「心」とは何かということを現代の人ならば、DNAが共通だろうと答えるだろうが、日蓮が生きていた時代の人はこの同一性の根拠となる「心」をどのように考えていたのだろうか。植物の「心」のことなど私には理解不可能だからこの問題に突っ込むことはしないが、「釈迦仏と法華経の文字と」の場合は、前文にある「仏の御心はこの文字に備れり」ということが理解の鍵となっている。この文は「仏の主張したいことは法華経の文によって表現されている」というほどの意味であろうが、「仏の御心」とは「仏の主張したいこと」でもあり「法華経の文によって表現されていること」でもあるということになろう。この場合は釈迦仏と法華経との同一性の根拠としての「心」がそれなりに示されているが、次の『木絵二像開眼之事』においても「仏の御意あらはれて法華の文字となれり」とあるから、『四条金吾殿御返事』と同様の趣旨であると判断できよう。 次の『法蓮抄』の引用は簡潔すぎて、よく分からないで、前後を引用してみると、次のようになる。
「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し、今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、・・・今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見菩薩は種種の色と見仏種純熟せる人は仏と見奉る、」
ここでは、「法華経の文字」を「生身の仏」と見るのは「仏種純熟せる人」だけであり、多くの人にとっては「我等は肉眼なれば文字と見るなり」という状態であり、必ずしも「法華経と釈尊との一体観」を示すものではなく、引用部分の前の箇所ではむしろ能生・所生の議論となっている。
その次の「妙法蓮華経の五字は釈尊の智慧功徳そのものである」という結論もどうして導かれたのか、私にはよく分からない。『観心本尊抄』は「釈尊の因行果徳の二法」が「妙法蓮華経の五字に具足す」ということだけが述べられているのであり、「釈尊の因行果徳の二法」が「釈尊の智慧」だとは述べていない。釈尊の「因行果徳の二法」により釈尊が修行し、証得したとしても、それがどうして「釈尊の智恵」になるのだろうか。寿量品では釈尊の因行を「我本行菩薩道」と述べているが、その菩薩行を誰かに教わったのかどうかは何も書いていない。既に述べた西山本『一代五時鶏図』では久遠実成釈尊を無始無終の三身と規定しているから、それより先に久遠実成釈尊に菩薩道を教えた人はいないだろうと推測されているが、日蓮正宗では久遠実成釈尊に菩薩道を教えた仏が久遠元初仏であると解釈しているし、八品派の日隆は『私新抄』で「本門顕本トハ久遠ノ仏凡夫ニテ名字即ニ居シ、或従知識或従経巻シテ知識ノ口ヨリ南無妙法蓮華経妙と受持受戒シ玉ヘリ」と述べて、本因の修行のときに、その修行を教える経巻や知識(僧侶)が存在したという繰り返し顕本を前提とした議論をしているから、この辺の議論は宗学の領域であり、「無始無終」という哲学的には概念規定できない用語を含んだ問題を学問的に議論することはできないようだ。つまり「妙法蓮華経の五字」が「釈尊の因行」を含んでいたとしても、その修行が釈尊自身のオリジナルな知恵なのか、それともオリジナルな智恵ではなく誰か釈尊に教えた別の仏なり経巻なり知識がいたのか、宗学が異なれば、異なった回答となるから、「釈尊の」という形容詞をつけることにどんな意味があるのか不明である。「釈尊の智恵」なんだけれど、実はその知恵は他の人から教えてもらったものなんだよということも許容する意味で「釈尊の智恵」と表現しているなら、私も突っ込むことはしないが、どうも村田は後で述べる山川智応の議論を援用して、そのような幅広い意味を許容しているとは思えない。
また既に上述の議論で私は「仏は身なり法華経は神なり」は「釈迦仏と法華経の一体観」を示す文ではなく、むしろ釈迦仏=所生、法華経=能生を示す文だと読解しているから、「法華経の肝心・事の一念三千の証悟は久遠釈尊の~なので題目即久遠釈尊と宗祖は観じていたと言えます。」という村田の議論には同意することはできない。
また日蓮が「釈迦仏と法華経の一体観」をもっていることを容認したとしても、『四条金吾殿御返事』『木絵二像開眼之事』の場合は両者の同一性の根拠について述べられているし、『法蓮抄』ではその一体観は特殊な事例であり、多くの人には一体観は生じないとしており、また文脈的には能生・所生の議論を引き継いでいるとも解釈できるので、無条件に両者の一体観を容認するわけにはいかない。さらにこれらの一体観の議論は最初の法師品の引用を除けば、本尊論とは直接関係がないことも明らかである。本尊論について言及した3の議論において、「妙法蓮華経の五字の本尊」=曼荼羅と「本門寿量品の本尊」=四菩薩を脇士とする法華経本門の教主との関係について、優劣があると述べている箇所も、一体であると述べている箇所も、どこにもないのである。
次に村田は「五 法重を語る御書類」という議論を展開するが、その議論は「『本尊問答抄』述作時分に至って、宗祖のお考えが法重に定まった事が推せられる旨の見解を述べる人」を批判する意図を持って展開されたものであり、私は日蓮の考えが法重に定まったとは思っていず、むしろ曖昧な状態が続くと思っているので、この部分の議論は割愛する。
しかし最後の部分で次のように述べていることに関しては、少し補足がいるだろう。
「なお、『本尊問答抄』の『今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり。其の故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり』(一五七四頁)や、『兄弟抄』の『さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。』(昭定九二〇頁)との文に拠って、『法華経は釈迦の本師、能生である。法の方が釈迦より尊い、と宗祖は認識していた』と言う人が居ます。
そこで、久遠釈尊が先仏所説の法華経を本師としたか否かを検討する必要が有ります。」
ここで、「法華経は釈迦の本師、能生である。法の方が釈迦より尊い、と宗祖は認識していた」と言えるかどうかは、他の著作との関係を考察しなければ「宗祖の認識」は分からないが、少なくとも『本尊問答抄』では「法華経は釈迦の本師、能生である。法の方が釈迦より尊い」という議論をしているということは、私も、村田も認めるところであろう。
次に村田は山川智応の『本門本尊論』に収録されている「本門本尊唯一精義」の議論を紹介しつつ、「六 無始古仏と法華経」という議論を次のように述べている。
「本化妙宗の山川智応博士が、
『『本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし、(開目抄)』とあって、法界に無始の十界の存在をいはれています。
無始の無明縁起を認めれば、真の円教は『一起一切起』でなければなりませぬから、無始の法性縁起をも認めねばなりませぬ。
即ち無始の九界縁起と同時に、無始の仏界の縁起をも認めねばなりますまい。
これは法界の自然任運の縁起で、決して造作によったものでないのですから『無作』といはねばなりませぬし、無始の縁起とすれば『本有』といはねばなりませぬ。
経に『我本行菩薩道』といはれ、『我実成仏已来無量無辺』とあるのはそれです。
そうすると本因の時にも、すでに法身のみではなく、報身の智慧功徳と、応身の慈悲喜捨もともに動いておりますが、いまだ全分を円満化せられたのではありませぬ。
そこに三身始めより事実に存在はしたが、報応は全分的に動いて居いないから、横に並有していたのではないことが分かり、而も始めは無明縁起で迷っていたといふのでなく、無始の始めから法性縁起で、菩薩行をせられていたのですから、始めは法身のみで、次に報・応と縦に出て来たともいへませぬ。即ち不縦不横の三身があります。
そこでこれについて明らかにせねばならぬのは、法性縁起の仏界の本因の菩薩行の境界と、無明縁起の菩薩界の縁起の境界との相違で、これをここでいっておかぬと、この二つの差別がつきませぬ。
法性縁起の仏界の本因行では、前表に出した本有十界の理法を、法性縁起の自然法爾として、全体的に円満に覚知するのです。覚知はしても未だ実践されていませぬ。そこでその覚知によって本因の菩薩行を起こされます。それは事の一念三千の智慧慈悲行です。三身に約すれば法身の全面を覚ると、同分に報応の智慈が行ぜられるのです。
然るに無明縁起の菩薩界は、無明縁起の故に法性の全体理法の全体を円満に先ず覚ることができず、部分的にしか偏にしか法界の理法を、見る事ができませぬ。
かの法華経開顕以前の二乗に対立したる権大乗経の菩薩行が無明縁起の菩薩行を代表したもので、『無量義経』に『無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず』(十功徳品)とあるのはこれです。
ですからそこには法身の体のみあって、円満な覚知すらなく況(ま)して報応二身は存在しないのです。
本因の菩薩行では、始めから理法の全体を覚って乗法において分分に修因得果して行かれるのですから、法身の全体を覚るのみでなく、直ちに全体に即する部分的活動を開かれているので 報・応二身もすでに始めから存在することになるのでして、そこに『三世に於いて等しく三身あり』。而も最初から不横の三身の常住を説くことができるのです。』(本門本尊論収録・本門本尊唯一精義四六頁)
と久遠釈尊の本有について説明しています。
山川智応博士の指摘のように、久遠釈尊が無始仏とすれば先仏所説の法華経を受けて開覚成道した仏ではないと云うことになります。」
初めに明確にしておきたいことは私には「無始」という概念は全く理解できないということである。「無始」という言葉はどうやら時間に関係ある概念らしいが、それは例えば現代の宇宙物理学が理論的前提とするビッグ・バンとどのように関係しているのだろうか。多分日蓮はビッグ・バンなど何も知らなかったであろうから、両者の関係も分かるはずがない。山川智応の時代の自然科学もビッグ・バンなどは想定していないから、これも当然分かるはずもない。しかし村田は現代に生きているのだから、それなりに回答可能かもしれない。ビッグ・バンはその標準理論によれば137億年前に生じたと推定されている。ちなみに仏教の時間概念である「劫」をネット検索すると、wikipediaにはヒンドゥ教では「1劫 = 43億2000万年」とされるが仏教では具体的な定義はされず、大乗仏教の論書である『大智度論』には「1辺40里(現代中国の換算比で20km。漢訳時も大きくは違わない)の岩を3年に1度(100年に1度という説もある)、天女が舞い降りて羽衣でなで、岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間を指す」というたとえ話が載っているとあり、このたとえ話から1劫が何億年になるのか、私は物理学者ではないので計算できない。
しかし『法華経』寿量品で説かれる五百塵点劫は1劫よりもはるかに長い時間を指すようだから、どうやらビッグ・バン以前の出来事と計算されてしまい、自然科学的には無意味な概念となるだろう。もちろんこれまで述べてきたことは冗談に過ぎず、だれも五百塵点劫が具体的にはいつかなどとは問うことすらしないだろう。それは「五百塵点劫」という用語が宗教用語であり、現実の世界の出来事を説明する用語ではないとお互いに了解しているから、具体的にはいつかなどと問うことがないのである。そして重要なことは『法華経』には「無始」という用語は使われておらず、釈尊の成仏した時も、たとえ話で説かれ、そのたとえ話の時間を「五百塵点劫」と後の注釈者が呼んだだけのことである。当然『法華経』の中では釈尊が成仏する以前の修行のことが書かれているから、釈尊が成仏したのは「無始」ではなく「五百塵点劫」という昔の時点である。つまり厳密に『法華経』を読むと「無始」ではなく「有始」であることは明白であり、無始に関する議論は『法華経』とは直接関係ない。
だから日蓮が「本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし、」と『開目抄』で述べていることも、『法華経』とは直接関係ない議論なのである。『法華経』で説かれる「五百塵点劫」も日蓮が説く「無始」の議論も、現実の時間とは無関係であるという点で、アニメのガンダムの宇宙世紀79年にジオン独立戦争が生じたというお話と、同じなのである。事実に関して何も述べていない用語を使って、「無始の無明縁起を認めれば、真の円教は『一起一切起』でなければなりませぬから、無始の法性縁起をも認めねばなりませぬ。」と述べる山川智応の言葉を私はどのように理解したらいいのだろうか。無始という時に、無明縁起が生じているのかどうかも分からないのに、「法性縁起を認めねばならない」と言われても、そうなの、としか言いようがない。『法華経』に書かれていることならば、『法華経』の用語法を調べて、ある種の議論がその用語法に適切であるかどうかを判断できるが、『法華経』にない用語ではどうしようもない。
この山川智応の議論を読んでいると、私は後期ハイデガーの「Seyn」という言葉を想起する。ハイデガーは『存在と時間』においては、すべての存在者を存在者たらしめている存在(Sein)が存在者の根底にあり、存在について現存在(Dasein、人間)はそれなりに存在了解しているという立場をとったが、後期になると存在は、顕わしつつ隠れるという議論を展開し、存在の背後にはSeynがあるという議論を展開する。日本の翻訳者はこの「Seyn」を「存在・」と翻訳しているようだが、私には後期ハイデガーの議論自体が言語使用のルールを逸脱していると見なしているので、「存在・」は単にハイデガーの「Seyn」という用語を置き換えただけで、どんな意味があるか分かりませんということを示しているだけである。山川智応も「無始」というよく分からない言葉を使用して、よく分からない議論を展開しているが、言葉を並べて分かったつもりになるというのが形而上学的議論の特徴であり、論理実証主義なら、「無始」という言葉が有意味に使用されるための真理条件を示してみよと批判するところだろう。
あるいは日蓮の用語法に限って検討してみても、「無始」の「縁起」あるいは「因果」で検索すると『開目抄』の「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし、」という用例がヒットする。この文章は『法華経』寿量品で久遠実成釈尊の本因と本果とを明かす議論と関連することが分かるが、それを「無始」の因果と述べているのだとすると五百塵点劫の「我本行菩薩道」と「我実成仏已来無量無辺」がその因果になることになり、これは「無始」ではないだろうと思われる。
さらに「無作」は『開目抄』にはない用語だし、真蹟、身延曽存、直弟子写本の中には使用されない用語であり、孫弟子写本になってようやく「無作」が引用文の中にでてくるぐらいである。そのような日蓮の用語でない言葉を使って、日蓮の「無始」「無作」の三身論を議論されても、どのように判断していいのかすら分からない。
「本有」に関してもネット検索すると信頼できる資料の中では、唯一『観心本尊抄』で「華厳経大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん、」で使用されるだけで、ここでもこれ以上の詳しい説明はない。「本有」が使用される他の資料は『御義口伝』『御講聞書』『百六箇抄』『本因妙抄』『三大秘法抄』『日女御前御返事(御本尊相貌抄)』『最蓮房御返事』『諸法実相抄』『十八円満抄』などいずれも明治時代まではどの日蓮宗の宗派でも重要視された著作であるが、現在の文献学では疑問符がつく資料ばかりである。しかもそれらの資料の多くに共通に使用されるのが「実相の深理本有の妙法蓮華経」という妙楽大師湛然の言葉であるが、SATで検索してもヒットせず、またネット検索してもこの言葉が湛然のどの著作に書かれているのか明示したものは見当たらず、湛然に仮託された文献に記載されているものを後世の日蓮信奉者が使用したものである可能性を疑わせる。
あるいは「無始」に関しても、『観心本尊抄』で「寿量品に云く『然るに我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり』等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く『我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり』等云云、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、」と述べているが、日蓮正宗では「五百塵点乃至」を「五百塵点劫よりも前に」と読み、「無始の古仏」とは久遠実成本果釈尊ではなく、久遠元初本因仏=日蓮であると解釈している。私は、この解釈は文脈を無視した解釈であり、「五百塵点乃至」はその前の引用文の「我実成仏已来」を指す、すなわち「五百塵点劫」を指すと読解するのが素直な読みであると思っている。(ただし学問とは無関係な信仰に基づく宗派的な読み方を否定するものではない。)「無始の古仏」とは『法華経』を引用しているこの文脈では久遠実成釈尊のことであると解釈するしかないだろう。
そうなるといろいろと山川智応が日蓮にはない用語を使って無始の三身について議論しているが、日蓮の『開目抄』『観心本尊抄』ならびにそこで引用されている『法華経』寿量品の本因の修行と本果の成道のことのみが、日蓮ならびに『法華経』が許容する「お話の世界」(universe of discourse 論議領域)であり、そこに山川智応のようにごちゃごちゃと別の話を混入させれば別の「お話の世界」になるしかない。桃太郎の「お話の世界」に金太郎を登場させたら、桃太郎の「お話の世界」でもなければ、金太郎の「お話の世界」でもなくなる。つまり私が言いたいのは、山川智応は自覚していないだろうが、「本有」「無作」という用語を使用することによって、日蓮とも『法華経』とも無縁の「お話の世界」を構成しているということなのだ。だから「山川智応博士の指摘のように、久遠釈尊が無始仏とすれば先仏所説の法華経を受けて開覚成道した仏ではないと云うことになります。」という村田の結論は、山川智応の「お話の世界」では「久遠釈尊が無始仏とすれば先仏所説の法華経を受けて開覚成道した仏ではない」というのに過ぎず、日蓮正宗の「お話の世界」では「久遠元初仏が久遠実成釈尊を教えた」ということになり、八品派の日隆の「お話の世界」では久遠実成釈尊は「凡夫ニテ名字即ニ居シ、或従知識或従経巻シテ知識ノ口ヨリ南無妙法蓮華経妙と受持受戒シ玉ヘリ」ということになる。どの「お話の世界」も『法華経』で説かれた「お話の世界」とは微妙に異なっており、日蓮の『開目抄』や『観心本尊抄』の「お話の世界」とも異なっている。学問には学問なりの「お話の世界」の構成の方法が定められており、それは信仰に基づく「お話の世界」とは異なることもあるだろうし、どの「お話の世界」が魅力的で、有用かは一概には言えないのである。
次いで村田は「七 始成仏と法華経」として、『兄弟抄』の「さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。」のように、一見して法重と思われる箇所をどのように解釈すべきかについて、検討する。方便品や常不軽品に説かれる始成仏の修行や、智の『法華玄義』の議論などを引用して、次のように述べる。
「諸経や法華経迹門、涌出寿量の二品を除いた本門に見える釈尊の因行は、釈尊が久成後に方便的に示した迹因であると云う意味です。
ですから、『兄弟抄』に『法華経を修行して成仏したのだから、法華経は釈尊の本師である』と書かれているのは、法華経に背いたり捨てる事の罪の重さを強く示す為めに、釈尊も先仏の法華経を修行したと説くところの迹門の教相を用いたものと考えるべきです。
宗祖は対機説法のために爾前・迹門的教示、則ち流通還迹の教示をされることがあるのです。
『本尊問答抄』の『法華経は釈尊の父母、釈迦は法華経より出生し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり』(一五七四頁)との教示は、対機説法のための流通還迹の教示であり、宗祖随自意の教示とは言えないと思います。
『十章抄』に『阿弥陀釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり』(昭定四九〇頁)とあるのも、『化城喩品』の『十六王子』の修行譚を採用しているものと見るべきと思います。」
しかし村田は『兄弟抄』が迹門の教相を説いているという解釈を『兄弟抄』の文章によって根拠付けることをしない。これは優陀那日輝を批判した場合に述べたことでもあるが、あるテキストを理解する場合、できるだけテキストに述べていること以外の情報を使用しないでテキストを読解するということが、テキスト理解において第一に要請されることである。テキストをそのテキスト以外の情報によって理解するならば(代表的には日蓮正宗の文底読みが挙げられるであろう)恣意的な解釈が生じ、いかなる情報を使用するかは、解釈者に任されるということになれば、学問的にテキスト理解に関する合意は得られないからだ。テキストの読解と解釈とは区別されなければならない。
村田は『兄弟抄』は迹門の教相を説いたものだと主張するが、『兄弟抄』を丁寧に読んでいくと、そうは言えない箇所が見えてくる。今それを引用すると、まず冒頭で「夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり、三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ、」と法重と思われる主張をしたあとで、「別して経文に入つて此れを見奉れば二十の大事あり、第一第二の大事は三千塵点劫五百塵点劫と申す二つの法門なり、」と述べて、迹門の「三千塵点劫」と本門の「五百塵点劫」に言及し、「一仏二仏十仏百仏千仏万仏乃至億万仏を殺したりともいかんが五百塵点劫をば経候べき、しかるに法華経をすて候いけるつみによりて三周の声聞が三千塵点劫を経諸大菩薩の五百塵点劫を経候けることをびただしくをぼへ候」と述べて、法華経を捨てる行為は五百塵点劫にわたる影響を及ぼすことを述べ、「さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候けるゆへに三五の塵点をば経候けるなり、」と再び冒頭の主張を繰り返し述べているのである。ここから『兄弟抄』の議論は本門寿量品の教相を踏まえたうえで、「さればこの法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、」と述べていることは明らかであると私は読んでいるが、この点に関して村田はどのように理解しているのだろうか。
『本尊問答抄』の読解については既に述べたので繰り返さないが、『十章抄』の読解に関しても問題がある。『十章抄』の必要な箇所を引用すると、次のようになる。
「止観に十章あり大意釈名体相摂法偏円方便正観果報起教旨帰なり、前六重は修多羅に依ると申して大意より方便までの六重は先四巻に限る、これは妙解迹門の心をのべたり、今妙解に依つて以て正行を立つと申すは第七の正観十境十乗の観法本門の心なり、一念三千此れよりはじまる、一念三千と申す事は迹門にすらなを許されず何に況や爾前に分たへたる事なり、一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る爾前は迹門の依義判文迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし、されば円の行まちまちなり沙をかずへ大海をみるなを円の行なり、何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。
但これらは時時の行なるべし、真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり、法華経に十七種の名ありこれ通名なり別名は三世の諸仏皆南無妙法蓮華経とつけさせ給いしなり、阿弥陀釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり、」
ここでは、一念三千は「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」と明確に一念三千と本門との関係を示し、そのうえで「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、」と述べて、在家信者が唱題することは一念三千に対応した修行であることを述べた後で、「阿弥陀釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり」という今扱っている文へと続いている。私にはこの文を、日蓮が一念三千、本門との関係を意識して述べているとしか理解できないのだが、村田はこれをどのように理解しているのだろうか。
次に村田は身延の本尊安置様式についての考察をするが、私は『忘持経事』に「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し」と述べていることから、村田と同様に、釈迦仏像と法華経、さらには曼荼羅が安置されていたであろうと推測しているので、実際の本尊安置様式から判断する限り、「法とか人とか偏重は無いように窺えます」という村田の結論には同意する。
最後に村田は「八 一体表裏観が基本思想」として次のように述べる。
「以上のように考察すると、題目と久遠釈尊と一体表裏の関係と云う認識が宗祖の生涯一貫した考えで有ったとすべきと思われます。
山川智応博士が『観心本尊抄講話』に於いて、
『四十五字の法体は本仏果上の一念三千であり、真の仏智内証の境界である。四十五字の法体を迹門十四品に之れを説かずとことわって、直ちに『此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於いては』とあるから、四十五字の法体と南無妙法蓮華経とは、その内容が同一のものであるはず』(四五〇頁の取意)
と述べており、
また、本化妙宗の高橋智遍居士著『六難九易の法門』に於いて、
『『観心本尊抄』の四十五字法体段は『本仏の一念の三千』であり、『開目抄』の『まことの一念三千』であり、八品儀相は本仏の一念三千を身土の相を示している。『報恩抄』の『本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂、宝塔の中の釈迦・多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩、脇士となるべし』とあって、『八品儀相』をもって『教主釈尊』としている。故に大曼荼羅こそは久遠本仏・教主釈尊の『自受用身・一念三千』の尊容である』(二八〇〜二八五頁の取意)
と論述してありますが、宗祖の大曼荼羅観を穿ち得ていると思います。本仏の一念の三千と本門の肝心南無妙法蓮華経の五字とは同体異相の関係であり、また本門の教主釈尊と大曼荼羅も同体異相であると両師とも見ています。
『観心本尊抄』に窺える法仏一体・同体異相の認識は『本尊問答抄』述作当時に至っても変わってないと思うので、『本尊問答抄』に至って、法重に立場を確定したとは断定できないと思います。
法華経の『寿量品自我偈』に『常に此に住して法を説く』『我もまたこれ世の父 諸の苦患を救う者なり』等と、釈尊は教主であり救護者であることを明言しています。
法(法華経)を尊び重んじる事は、法華経の所説を尊び重んじることですから、法華経の教示を信順して、釈尊と法華経とを同様に重んじなければならない道理なので、宗祖が法重に傾くことは無かったとすべきだと思います。
序でですが、インターネット上で大石寺系信徒が本抄の『法華経を以て本尊とするなり』の文を重用し『大聖人弘宣の妙法五字は法華経二十八品本門の肝要ではない。大聖人弘宣の妙法五字は釈尊および法華経二十八品に基づいて居ない。釈尊が説いたものではない』などと主張する場合があります。しかし、本抄冒頭で云う『本尊とすべき題目』とは、二十八品の法華経一部の題目を指しているので、大石寺系信徒の主張の文証にはならないものです。」
まず冒頭に「題目」という言葉が出てくるが、この言葉はどういう意味で使用しているのだろうか。少なくとも「題目」「妙法蓮華経の五字」をネット検索すると「題目」という言葉には4つの用法があるようだ。
第一の用法は多分ここで村田が使用していると推測される用法、すなわち久遠釈尊によって上行菩薩に付属された「妙法蓮華経の五字」という意味を持った用法である。もっとも例えば『唱法華題目抄』のように初期の著作で、上行付属が語られる前にも「妙法蓮華経の五字」が使われる場合があるが、この場合には「法華経の肝心たる方便寿量の一念三千久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり」などという文脈において使用されているから、第一の用法であることが分かる。いずれにせよ「題目」並びに「妙法蓮華経の五字」にさまざまな修飾語(「本門の肝心」など)や、特有の文脈(上行付属など)があるから、この用法であると理解できる場合が多い。
第二の用法は典型的には三大秘法の一つとしての「題目」であり、唱題という形態で実行される行為である。日蓮は初期の頃から唱題を修行のひとつとして勧めていたから、唱題行を「題目」という表現で使用することも多い。
第三の用法は経典の名称という意味で、『報恩抄』で「阿含経の題目」という用例や『法華経題目抄』に「大方広仏華厳経大集経大品経大涅槃経等は題目に大の字のみありて妙の字なし」という用例があるが、この場合は文脈で判断できるだろう。
第四の用法は『本尊問答抄』の冒頭で出てくる「法華経の題目」を本尊とせよという場合の「題目」のようによく分からない用法である。どうやら「法華経の題目」を本尊としたものは、『本尊問答抄』の末尾に出てくる日蓮が図顕した曼荼羅のようであるが、曼荼羅には中央に「南無妙法蓮華経」と書いてあり、その他に釈迦多宝のニ仏、上行等の四菩薩、並びに日蓮の署名と花押、さらに「仏滅後」云々の讃文などが書かれているのが通例であるが、曼荼羅全体が法華経の題目を指すのか、それとも「南無妙法蓮華経」のみをさすのか、それとも「妙法蓮華経」のみを指すのか、あるいは日蓮正宗の解釈のように「南無妙法蓮華経日蓮」を指すのか、全く言及されていない。また法華経と「法華経の題目」との関係も述べられていないので、第一の用法とも判断できず、また文脈から第二、第三の用法とも判断できない、つまり意味規定がなされない「題目」という用法があるのである。
私がここで「題目」の用法にこだわったのは、分析哲学の基本的考えに、1、言葉が違っていたら意味も違っている可能性が高い、2、言葉が同じでも意味が複数あって、それが適切に分析されていないために、議論が混乱している可能性がある、ということがあり、特に宗教言語は事実に関する言語と異なり、その言語が使用される文脈に応じてその意味規定がなされるために、多義的になりやすく、議論が混乱しやすいという特徴があるので、言語分析の必要があるという考えによっている。宗教言語を使用した文は事実との関係で真偽を定めることができない文が多く、その場合にはその文がその宗教が許容する「お話の世界」に基づいて適切に使用されているかどうかを基準にして、妥当な議論かどうかを判断するしかない。「お話の世界」に基づいて適切に使用されているかどうかは、その宗教が認める聖典(それは創唱者の作成した聖典に限られる必要はないことは、大乗仏教の事例、キリスト教の福音書の作成過程を見れば理解されるだろう。日蓮正宗のように日蓮親撰ではないと学問的に認められている著作を聖典とすることも宗教的には十分な理由がある。)ならびに解釈の伝統によるのであり、宗派が異なっていたり、学問的研究をする場合では「お話の世界」そのものが異なってしまい、異なった「お話の世界」を前提にしていては、トーマス・クーンが『科学革命の構造』の中で主張したように異なったパラダイムに基づくならば、相互の議論に共約可能性が生じない、つまりお互いの議論がかみ合わないので、妥当な議論が成立しないことも多いのである。
さてそれではあらためて村田の「題目と久遠釈尊と一体表裏の関係と云う認識が宗祖の生涯一貫した考えで有った」という結論について、考察してみよう。村田は「四 法華経と釈尊との一体観」という議論をしていたが、そのときには「一体観」という用語を使用し、「八 一体表裏観が基本思想」では「一体表裏観」という用語を使用している。この両者に意味の相違があるのかどうか、文脈上では特に違いがなさそうであるが、それではなぜわざわざ異なった用語を使用したのか、私にはよく分からない。もし同じ意味であれば、異なる用語を使用することは議論の混乱を招く原因となるから、避けたほうがいいというのも、分析哲学の基本的考えのひとつである。ここでは「題目と久遠釈尊との一体表裏観」が主題となっており、「四 法華経と釈尊との一体観」とは異なっているかのような印象を与えるが、「四 法華経と釈尊との一体観」の議論を見ると、「法華経」は「法華経八巻」のことではなく、「法華経の肝心・事の一念三千の証悟は久遠釈尊の~なので題目即久遠釈尊と宗祖は観じていた」という結論から判断すると、「法華経の肝心」としての「題目」、つまり上述の第一の用法のことであり、「釈尊」も「久遠釈尊」のことであるから、この「八 一体表裏観が基本思想」は基本的には「四 法華経と釈尊との一体観」と同様の主題を別の形で述べていることになる。
そして4−2−4で私は「また既に上述の議論で私は『仏は身なり法華経は神なり』は『釈迦仏と法華経の一体観』を示す文ではなく、むしろ釈迦仏=所生、法華経=能生を示す文だと読解しているから、『法華経の肝心・事の一念三千の証悟は久遠釈尊の~なので題目即久遠釈尊と宗祖は観じていたと言えます。』という村田の議論には同意することはできない。」と述べたように、「八 一体表裏観が基本思想」での「題目と久遠釈尊と一体表裏の関係と云う認識が宗祖の生涯一貫した考えで有った」という結論にも同様に同意できない。その同意できない点はこの文に「生涯一貫した」という用語があるからである。少なくとも『本尊問答抄』では「釈迦仏=所生、法華経=能生」と主張し、この釈迦仏が「久遠釈尊」を指すか、「始成釈尊」を指すかは明言されていないのであり、「題目」と「久遠釈尊」が一体であるかどうか不明な箇所があることは明確であるからだ。また4−2−7で述べたように、『兄弟抄』『十章抄』では本門の教説を踏まえたうえで、法重の立場を主張していると読解できるから、「生涯一貫した」というのは著作から判断する限り、成立しない議論であろう。正確には「日蓮には法重の著作もあるし、一体観を示す著作もあるし、両者の関係が不明な著作もある」ということになるだろう。
次に山川智応の議論の引用であるが、ここにも注釈が必要であろう。山川は「四十五字の法体は本仏果上の一念三千であり、真の仏智内証の境界である」と述べているが、ここで日蓮宗教学に詳しくない人のために説明しておくと、「四十五字の法体」とは『観心本尊抄』の「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足三種の世間なり」の部分のことを言う。そして「四十五字の法体」でネット検索すると「立正大学の学長清水竜山教授と国柱会の山川智応博士」の論争が紹介されており、問題は「己心」が凡夫である信仰者すなわち「行者の己心」でもあるのか(清水説)、それとも「仏の己心」に限られるのか(山川説)ということに関わり、さらに「所化以て同体なり」で言うところの「所化」とは誰のことかということにも関わるということが明らかになる。「所化」とあるからには「能化」すなわち仏ではなく、修行者のことを指すことは明確であり、「所化以て同体なり」とは、素直に読めば「所化」である修行者も「能化」である仏と同体、同じなのですよ、ということになるだろうが、当然修行者と仏が同じなら、なんでわざわざ修行者が仏になろうとして修行しなければならないのか、あるいは同じならなぜわざわざ「仏」とされる存在を措定しなければならないのか、などという問題が生じてくる。
この『観心本尊抄』の議論は当然『開目抄』の「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし」という議論との関わりが想定され、「無始」が「今本時の」に対応し、「九界も無始の仏界に具し」という部分が『観心本尊抄』の「所化以て同体なり」と同趣旨であると解釈しうる。そうすると『開目抄』では「本門の十界の因果」「本因本果の法門」とあるから、「四十五字の法体」も「所化以て同体なり」を含むから、山川智応の主張するような「本仏果上の一念三千」ではなく、『開目抄』の用語も使用して表現すれば「本仏の本因本果の一念三千」になるのではないか、という疑問も当然生じるだろう。
もし「四十五字の法体」が「本仏果上の一念三千」であるならば、「四十五字の法体」に「因行」が含まれていないと解釈され、「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」は釈尊の「因行果徳の二法」であると規定されているから、「四十五字の法体と南無妙法蓮華経とは、その内容が同一のものであるはず」という山川智応の結論は論理的に導き出すことはできない。だが「四十五字の法体」を「本仏の本因本果の一念三千」と解釈すれば、「四十五字の法体」と「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」とは同体、同じとなる。この解釈では『開目抄』の「仏界も無始の九界に備りて」という箇所を考慮に入れれば、「己心」は「行者の己心」でもありうるという清水説も成立可能となるだろう。
次に高橋智遍の『六難九易の法門』の議論であるが、『報恩抄』の「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂、宝塔の中の釈迦・多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩、脇士となるべし」という読解が非常に難しい箇所について、「『八品儀相』をもって『教主釈尊』としている。故に大曼荼羅こそは久遠本仏・教主釈尊の『自受用身・一念三千』の尊容である」と述べている。どうして『報恩抄』の文章が高橋智遍のように解釈できるのか、よく分からないが、多分『報恩抄』の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」という文と「所謂、宝塔の中の釈迦・多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩、脇士となるべし」という文とを「即ち」という接続詞で結ばれると解釈し、両者は同じことを指していると解釈しているようだ。
しかしながらこの二つの文の間に接続詞がないことは明白であり、日蓮は両者の関係については何も述べていないのである。二つの文を「そして、かつ (and)」(論理学でいう連言、∧)、「または (or)」(選言、∨)、「ならば(if ,then )」(条件法、⇒)、「即ち (only if ,then )」(双条件法、⇔)のどの論理的接続詞で結合するかによって、その接続詞で結合された複合文の真理値は大きく異なるということは、命題論理学の基本であるが、高橋智遍は「即ち」という双条件法で結合されていると解釈しているが、その解釈の根拠を少なくともこの箇所では示していない。
だから山川智応や高橋智遍の議論を援用して「本仏の一念三千と本門の肝心南無妙法蓮華経の五字とは同体異相の関係であり、また本門の教主釈尊と大曼荼羅も同体異相であると両師とも見ています。」という文に関して、両者が「同体異相」であると見なしていることは正しいが、その見解が正しいとは言えないことも明らかである。
次に「『観心本尊抄』に窺える法仏一体・同体異相の認識は『本尊問答抄』述作当時に至っても変わってないと思うので、『本尊問答抄』に至って、法重に立場を確定したとは断定できないと思います。」と村田が述べていることに関しては、まず『観心本尊抄』では「本仏の一念三千」と「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」とが同体異相であることは容認したとしても、そこから本尊論において、「妙法蓮華経の五字の本尊」と「寿量品の本尊」、すなわち曼荼羅と四菩薩を脇士とする久遠実成釈尊との同体異相については何も述べていないし、また論理的に「本仏の一念三千」と「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」との同体異相から、導き出されると考えることもまだできない。それは「妙法蓮華経の五字」と曼荼羅とがどのような関係にあるかを、日蓮はどの著作においても明示していないからだ。ましてや久遠実成釈尊の木像が仏像になるためには「法華経による開眼供養」が必要なことが明言されているのだから、「本仏の一念三千」と「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」とは同体異相の関係にあるのかもしれないが、同じ関係が並行的に「寿量品の本尊」と「妙法蓮華経の五字の本尊」との間に成立しているとは言えないことも明らかである。
明らかに村田は結論を急ぎすぎている。日蓮はその著作においてさまざまなことを述べているが、そこに何か整合的な、首尾一貫した論理があるに違いないと想定することは、信仰者としては当然の態度であるかもしれないが、人間の考えることは絶えず揺れ動き、十分に考え抜いて発言することは稀だし、当人は整合的であると考えていても、よく検討すると矛盾があるという事例を見出すことは数多いし、他者に指摘されて初めて自分の誤解に気づくということも私の経験上数多くあったのだから、日蓮だって必ずしも整合的な思想展開をしているわけではないと想定するほうが、学者としてはふさわしい態度かもしれない。もし日蓮が、研究時間も研究資料もたっぷりある学者であったら、自分の過去の著作を参照して、整合的な思想展開をしたかもしれないが、日蓮が自覚していたように「仏滅後二千余年」に「未曾有」の「本尊」を図顕するという宗教的には革命的行為を行ったのであるから、そこには前代未聞の事業を展開する場合に生じる、さまざまな試行錯誤、説明不足があったと考えるのが当然であろう。日蓮に整合性を性急に求めるのではなく、それぞれの著作において日蓮が何を述べているのかを、できるだけ先入見を持たずに解読し、その上で他の著作で述べていることとどのような関係にあるかを、丁寧に見ていく必要があるだろう。私は学問には研究方法と研究対象の相違による学派の対立はあっても、宗派的な対立はありえないと思っている。私がナンシー・マーフィの紹介をした中で「リベラリズムと原理主義との対立は宗派の間の対立ではなく、むしろどの宗派の内部にも生じている研究方法による対立であり、それゆえ根が深い」という趣旨のことを述べたが、私も村田も宗派は異なっていても、日蓮の思想がどのようなものであったのかを日蓮の著作を資料として探求したいという学問的関心が同じであれば、それなりに合意可能な部分はあるだろうと楽観している。
(なお村田は法明教会のHPに「宮田教授への再説明」という長文の議論を展開している。この問題に関心のある方はそちらを読んでいただきたい。私が理解した範囲では村田と私の見解の相違は、次の三点になるようだ。第一に『観心本尊抄』と『本尊問答抄』との関係について、村田は本尊論に関しては『観心本尊抄』が基本であり、『本尊問答抄』は補助的なものに過ぎないという見解を採っているが、私は『観心本尊抄』が基本であることは認めるが、そこでまだ十分に述べられていないことを後に『本尊問答抄』で補足したという見解を採っている。私がこのような見解を採っているのは、日興が『本尊問答抄』を重視して、事実上一尊四士の仏像を建立をせず、曼荼羅のみを本尊として作成したということに影響されているし、また「依法不依人」という日蓮、牧口常三郎が重視した思想にも影響されている。日蓮自身が両者の関係をどのように考えていたかについては、判断する資料がないので、村田の見解を否定することはできない。第二に『観心本尊抄』で曼荼羅本尊と一尊四士の仏像本尊との関係について明示されていないことについて、村田は日蓮が両者を一体と考えていたから明示する必要がなかったという見解を採っているが、私は明示されていないのだから、『観心本尊抄』ではこの問題が不明瞭なままにされており、後に『本尊問答抄』で両者の関係が明示されたという見解を採っている。この見解の相違は次の第三の論点として、『本尊問答抄』では曼荼羅本尊と久遠実成釈尊本尊との優劣関係が示されているのかという問題につながる。
村田は『本尊問答抄』では「法華経」が能生であり、「仏」が所生であることを認めるが、その仏とは法華経を修行して仏となった仏(第二番成道以後の仏)であり、既に教法としての法華経を前提としており、そのかぎりにおいては教法としての法華経を説いた教主として別の仏を理論的に前提としており、理論的に教法としての法華経を前提としない最初仏、久遠実成釈尊と法華経との能生、所生関係を論じているのではないと主張する。私は『本尊問答抄』が法勝人劣の議論をしていると思い込んでいたから、法本尊=曼荼羅本尊が人本尊=久遠実成釈尊本尊よりも勝れているということが『本尊問答抄』で述べられていると理解していたが、村田の指摘を受けて、改めて『本尊問答抄』を読むと、「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、問う其証拠如何、答う普賢経に云く『此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり』等云云、又云く『此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり仏の三種の身は方等より生ず是れ大法印にして涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田応供の中の最なり』等云云、此等の経文仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神なり、」とある。
私は4−2−2では、この箇所を、日蓮が「法華経」を本尊とすることことは論証しているが、「法華経の題目」を本尊とすることについては論証していないとして、引用していたのだが、ここでは「法」と「仏」の関係ではなく、「法華経」と「仏」の関係しか述べられていないことに気づいた。法華経が教法であるかぎりは、教主が先在することは理論的に含意されるし、その教主が「法華経」を修行したということは八品派の開祖日隆の繰り返し顕本論の主張ではあるが、村田はその説には賛成せず、久遠実成釈尊は教法なしに成道したと解釈しているようであり、それゆえ『本尊問答抄』の「法華経」と「仏」との勝劣関係は、曼荼羅本尊と久遠実成釈尊本尊との勝劣関係を意味しないという主張はそのかぎりにおいては説得力がある。
しかし私は「法華経」と「法華経の題目」とは同一視できないと考えている。(これについては、4−2−2で指摘している。)『本尊問答抄』の上記引用文では初めの部分で「法華経の題目」が本尊として挙げられるが、その後は「法華経の題目」ではなく、「法華経」が論じられている。だから村田が両者を同一視して、「法華経」が教法であるから「法華経の題目」も教法であり、それと教主久遠実成釈尊との能生所生関係は論じられていないという解釈もありうるだろう。
村田は「最初成道の仏は、先仏所説の法華経に依らないで、実相の法に則り修行して成仏したことになりましょう。法(実相)が仏を生んだ関係になるので、法(実相真如)勝仏劣の関係だと言えます、また、二番以後の仏はいずれも先仏所説の法華経(法)を修行して成仏したと云う理屈になるので法勝仏劣の関係になります。しかし、二番以後の仏の場合、法勝と云っても、その法は、最初仏(先仏)所説の法華経・題目です。能説者の最初仏が居たから、法華経及び法華経の題目があるので、仏勝法(法華経・その題目)劣と云う関係はついて回ることになります。で、一概に法勝仏劣だと決めつけられないことになります。故に、「法華経の題目本尊が正意」の旨が述べられていても、一概に法勝仏劣の立場であると言えない事を表す意図をもって、『(もとは最初成道の仏が説いた教法である)法華経二十八品の題目』と表現したのです。」と述べて、「法華経の題目」が教法であることを主張し、最初仏が修行した「実相真如」の法(「理法」と私は名づけているが)ではないとしている。村田は「法華経の題目」が最初仏である久遠実成釈尊の教法であることを主張するが、そうすると久遠実成釈尊の修行した「実相真如」の法が「法華経の題目」であるということを否定するしかない。なぜなら最初仏においては法勝仏劣の関係が生じることを認めるかぎりは、その法を「法華経の題目」としたら、「法華経の題目」=勝、「久遠実成釈尊」=劣という関係が生じてしまうからだ。
それでは一体久遠実成釈尊はどのような法を修行したのだろうか。村田は「久遠釈尊を無始古仏とするについて、諸先師の考え方があります。私のHPに、幾人かの先師の説明を抽出して掲示してあります。私自身まだ考え中であり、理解し切れていないので、私自身の考えはまとまっていません。しかし、久遠釈尊を十方諸仏の根本仏と仮定する以上、少なくとも、要法寺日辰師のように、寿量品の釈尊は第一番最初成道の仏であり、無教得道(先仏所説の法華経に因らないで成仏した)の仏と釈尊であると仮定する必要がありましょう。また、文字通りの無始仏と仮定した場合には論理上、山川智応居士のような解釈する必要があろうと思っています。私が仏と法との勝劣関係を述べるについて、釈尊が無始の古仏であり、『十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる』(唱法華題目抄13頁)『華厳経の台上十方阿含経の小釈迦方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを』(開目抄197頁)『総じて一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず』(同210頁)とあるように、十方諸仏の根本仏とすれば、先仏(過去仏)所説の法華経に依って成仏した仏でないことになるから、『経法としての法華経が能生で無始の古仏の釈尊は所生である』と言う論理は成り立たないと言うことを述べるためでした。」と述べて、「法華経」「法華経の題目」は教法にすぎないから、無始の古仏である久遠実成釈尊の修行した法ではありえないことを主張するだけで、この問題に答えようとはしない。
私は5−4−4において日蓮信奉者が作成した『当体義抄』を利用しながら、「妙法蓮華」が最初仏が修行した実相真如の理法であると主張したが、その主張が日蓮の主張であるとは考えていない。なぜなら日蓮は久遠実成釈尊が修行した法とは何かについて、明言していないと考えているからだ。しかし後代の日蓮信奉者はこの問題に取り組み、『当体義抄』において、「妙法蓮華」を最初仏が修行した究極の能生の法であると述べたが、その「妙法蓮華」が「法華経の題目」と同じであるかどうかは不明であるが、『当体義抄』作成者は少なくともその法が最初仏によって、「法華経の題目」として衆生に教示されたと考えている。つまり「法華経の題目」は単に教主久遠実成釈尊によって教示された教法であるのみならず、久遠実成釈尊が自ら修行した理法でもあると『当体義抄』作成者は考えているのである。私は「法華経の題目」を本尊とするということは、久遠実成釈尊が修行した究極の能生の法である「法華経の題目」を本尊とするということだと解釈しているから、「法華経の題目」=勝、「久遠実成釈尊」=劣という関係が生じていると解釈している。もちろんこの解釈が日蓮の文献資料によって正当化されるとは考えないが、否定されるとも考えていない。この解釈は日蓮が曖昧にしておいたことを、それなりに明確にしようとする日蓮からインスピレイションを受けた一つの発展形態に過ぎない。) (2012.1.30 付加)