トップページ

教育者煩悶相談(1936年3月号)

 教育者の転任の問題 

 


 私は県の師範学枚を卒業してから今年で丁度満四ケ年になります。卒業の当時帝都を始めとして各地方に右翼、左翼の問題等が頻りに起り、実に騒がしかったのです。温室的に書生生活を終へて来た私にとっては此の実社会に飛び出して見て、唯唖然たらざるを得なかつたのです。>br>  幸な事には私には師範時代からの本当に心から話し合ふ友達が二人あったので、其の友達と行き来し、文通をしてお互に励まし合って居りました。友達等と種々話し合ったゞけではどうしても満足することが出来ず、何かしか確固たる信念の必要を痛感して居りました。ふとした事からマルキシズムの一青年と知り合ひ、その人の積極的実践性に打たれ、其の人の影響を受けて遂に弁証法的唯物論者に陥って仕舞ひました。そして通常職員室にも、或は同僚と語り合ふ場合にも、それの語句を用ひて凡ての事象の解釈をして行くやうになって来たのです。
 ところが次第に私の意識が進むに従って、表面的に現はすことの非を悟り、カモフラーヂのため酒を飲み、偽悪的姿態をしてゐました。校長は私の不遠慮な行為、云ひ分に恐れを抱いてゐたので、此の私の傾向に内心喜びを感じ、私のなした抹消的の悪事を指摘して、他校へ転任すること強要するのです。私は余りにもくだらぬ理由なので転任強要に対して、対抗してゐるのです。
 すると近頃では「君の後釜は定まってゐる、君の行くところが決らない、浮いて仕舞ふよ」と云ふ。
「私はあなたの勝手な処置にはどうしても賛同する事は出来ません」と云って校長の云ふ事を聞かないで居ります。このまま自分の職を失ふとも敢えて差支ありません。又理論としてマルキシズムの放棄はどうしても出来ません。先生どうしたらいいでせうか。


 県知事から辞令を貰って教職に就て居り、その内申権は学校長及び監督官庁にある以上、この命令を拒むことは出来ないものであるから、頑張って見たところで、何にもなるまい。賛同が出来なければ潔く退職して主義のために尽すより外に途はないでせう。が、またそこでの決心もつかない所にあなたの苦悩があるのでせう。
 さて之をどうするか。沢山の先輩友人共の親切なる忠告者はあっても、今のところ、そのマルキシズムを放棄されて、しかもあなたの折角の熱烈なる社会救済の志望を満足させるものもない所に所謂「転向」しきれない他の悩みがあらう。而して之に対してありふれた家庭上の煩悶や、空疎なる日本精神などでは耳にタコのよるほど聞かされた所として、却って反感を増大する位のものであらう。
 然らば今の世に君の如き、尖鋭なる思想家を動かすだけのものはないか。社会科学だけでは、恐らくはそれを克服させることは出来ないではあるまいか。それでもなほ何物かを求めなければならぬといふだけの余裕があるならば、茲に最後の一策があるが如何、それは某県有名なる教育界の赤化事件によって、首になり、又は処刑されたもの五氏が本会の仲間になって、完全に転向し、今では明朗に、当時の積極的な勇気も恢復し、進んで日本の教育宗教革命運動に精進しつゝある実例があることである。
 そしてその精神革命の根拠として「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」と、昨年十二月の本誌に発表し、なほ之れを「パンフレット」として印刷してあるが、一読されては如何。

BACK

NEXT

トップページ