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『光瑞縦横談』と教育宗教革命問題(1936年3月号)

 

 一 昭和思想界の最高峰

 偉大なる人格とは一たい何を意味するか。殊更に人格主義の教育などは標榜せずとも、人格価値の創造を期待しての人格陶冶を目的とするに於て異論を挟む余地はないとする以上、人格概念の内容を闡明して、之を基本としなければならぬことはいふまでもない所である。
 所謂「人格」の名によって流通される概念の内容を分析してその人の「目的観」と「手段観」と「統一力」との三大要素を見出し、その「大小」と「明暗」と「強弱」とを標準となし、以って人格の大小、高低を判定すべしとは創価教育学の主唱であるが、無理はないか。本題の大谷光瑞師の如き人格に就て検討することは価値のあることでないか。(創価教育学体系第二巻「価値論」第六章「人格価値」参照)
 この標準に照して昭和の時代を飾るに足るであらう所の巨人、大谷光瑞師の薀蓄が、新年の「読売」紙上に連載されている。官僚も政党も木端微塵に吹き飛ばして剰さざるの慨がある。百獣を慴伏するが如き獅子吼とは此の如きをいふか。
 現代の混濁は、先代に播種した結果を収穫しなければならぬ当然の運命と吾々はあきらめねぱならぬとしても、次代にまで之を持ち越して、子孫をも同様の地獄に落したくないといふのが、何れの親心も同じとするならば、現代の結果に鑑み、現代を来たしたと同様の悪因を改めなければならぬ。この親心を代表使命として立って居る教育者達は、何をさしおいても、斯かる高所から大観したかゝる見識を精読して教育使命の指導精神としなければならぬ。そこで教育革命を以てこの現代の険悪の根源を救済せんとして立った吾々が、遂に究極根本にまで溯上して、宗教革命までをなさねばならぬと叫ぶ所以である。従って吾々が感謝を表はすと共に、聊か蛇足を加へんと試みる所以である。
 国際日本国民の代表者の一人として新渡戸博士を喪って、頗る寂莫の感に堪へざる折柄、大谷光瑞師のなほ健在し、老いて益々壮なるは、世界に向っても又意を強うするに足る。

 

 ニ、「縦横談」論策の一大体系 

 全体の発表はないが、真に縦横無尽の論策である。当時の日本は「選挙粛正」を以て、その全生活の如くに都鄙も上下も没頭し、他を顧るの余裕をもたぬかにも見える中に於て、遙に高所大所に立って達観し、朝野の向ふ所を指導せんとする熱烈なる忠君愛国の至情は熟読玩味の価値がある。
 国定教科書編纂の原拠などの、くだらない詳細事柄の詮索を以て、教材研究の最大事項の如く没頭してゐる連中にこれ等こそ重大関心事とすべき処でなければならぬ。
 先づ連載の目次を一覧すれば左の如し。
 一、日本は神国なり「明断の政府出でよ」(一・一)
 二、「胸中常に国策」首相職なら三ケ月(一・三)
 三、鼠を喰ふ。(一・四)
 四、植民地再分割論。老大英国先づ反省せよ(一・五)
 六、「憲政の常道」検討。西園寺公の立場(一・七)
 七、産児制限は不忠、我国土、人口三億を容るるに足る(一・八)
 八、農地に副業を起せ=働く日数が余り少ない。(一・九)
 九、満州の風土天候(上)牧畜以外農業に適せず。(一・一〇)
 十、満州の風土天候(下)匪賊撲滅・水利を開け。(一・一一)
 一一、厚葬国を亡ぽす。一切の競技場廃すべし。(一・一三)
 一二、サラリーマン=学枚教育へ頂門の一針(一・一四)
 一三、海産の世界制覇苦情が出ない漁夫の利(一・一五)
 一四、弱虫の喧嘩好き武備はって平和あり。(一・一七)
 一五、釈尊の骨(一・一八)
 一六、移民の条件、技術修行と相当の資本(一・一九)
 一七、「東西南北進」商業移民有利の所以(一・二〇)
 一八、餅・蕎麦・すし。(一・二一)
 一九、永久に目ざめぬ国。朝野に横行する匡徒(一・二三)
 二〇、交る者心せよ。十年一日排日は続く(一・二七)
 二一、特殊的な国民性。自尊心の一面に「没法子」(一・二八)
 全体の見通しはまだつかぬとしても、これだけでも、政治、経済、外交、教育、宗教、社交等の各方面に亘り、大日本帝国の将来を指導する重大論策たるに相違ない。教育実際家等にとっては国定教科書以上の注意を以て理解し、これを国民教育の資料としなければならない。
 その中にも教育、宗教革命に関する問題もあり、而して之れは吾々の主張を裏書するものが多いので、それは特に之を転載して紹介すると共に忌憚なき批評を加へて大方の判断に訴へんとするのである。

 

  三、偉大人物をどうして出すか

 現在の政界の行詰りと、政党官僚などの腐敗無力を慨歎して、偉大なる人物の出現を嘱望する辺は、此の人ならでは到底言ひ得ない所であらう。

   
 「政党の春は遠し=偉大なる人物出でよ

 五年ほど前のこと、政党は我帝国にたかる蒼蠅だといったことがある。蒼蠅は秋風が吹けば一掃されてしまふが、一体、政党を一掃する秋風は何時になったら吹くのかともいって置いた。
 それから間もなく、私の註文通り秋風が吹き出した。斎藤内閣の出現がこれである。事実、それまでの政党は全くの私党で、私利私欲のほかに何ものもなかった。廿四時間ただ自党を盛んにすることばかり考へて、国の存亡など念頭にないのだ。そして政権を得るためには、国家の存立も帝国の面目も反故紙を破る程にも思はない。政綱を見ると図々しくも国利民福を挙げてゐるが、これは看板だけで、少し困って来ると狡猾にも何々調査会などと誤魔化してしまうのだ。中には政党政治は民意だなどと飛んでもないことを言ひ出して政権を勝手にするものがあるかと思ふと、二大政党が憲政の常道だなどと乱暴なことを口にするものさへ飛び出してきた。
 こゝまではまだ黙ってゐることが出来るが、「政府は解散断行」と揚言するものあるに至っては、最早日本国民としてその不遜を許すことは出来ない。解散のことは大権に属する。政府は奏請することは出来ても、政府自らこれを行ふことの出来ないことは、苟くも日本国民なら誰でも知ってゐることだ。況して政治を職とするものが、これを忘れて何の面目があるのだ。
 国政も亦大命に属する。然るに憲政の常道と言ひ、国政を二政党の占有物と考へ、これ以外の人に大命の降下するのは間違ってゐるが如き素振を見せるとは、抑も何事であるか。およそ大命を私するものは国賊である。
 その昔、武士が政権を握った時は、専横に流れるといふが、今の政党には古武士ほどの勇気と明断のある人間がゐないから、専横には流れない代りに、腐敗はその極に達し、醜汚の風は遙に武門政治の上だ。我利々々亡者が、民衆を買収し、民衆に媚びて出来た政府だから、民衆を指導する能力のないのは勿論、反対に民衆から指導されるといふ醜悪さである。
 この二大政党が、政権をほしいままにしたために、我が帝国の国運がどれ程その進歩を妨げられたか分らない。九旬の会期は猿芝居の喧騒に終り、解散に次ぐ解散は国政を渋滞させるばかりだ。こんな政党を存立させたのは国民の罪であり、国民の恥辱である。
 併し、かやうな社会悪が永く続く筈もなく、浜口の弱腰から若槻の酔ばらひと来て、遂に私の待った秋風が吹いて来た。私の予言の的中と言ふよりも、当然に来るべきものが来たのである。
 政党は没落したが、これに代って起った挙国一致内聞の正体はどうか。私利私欲は政党の下にあるとしても、斎藤内閣の無能ぷりは、天下周知の事実であり、岡田内閣の屁ぴり腰も国民の信頼をつなぐに足りない。
 近頃、物笑ひの双壁は、岡田内閣の「国体明徴」と、関東軍の「断乎たる処置」であらう。一は「国体朦朧」と改むべく、他は「緩乎たる処置」と改むべきものだ。私は五十年漢籍の中で暮して来た人間だが、事実は漢語で表せばかうより致し方ないのである。斎藤、岡田とこれで挙国一致の正体も分ったし、その無能ぷりも試験ずみとなった。この次の次ぐらいには、また政党内聞が現はれるかも知れない。
 ところが、なぜこの次に政党内閣が現はれぬかと云ふと、これを受取れる人間がゐないからだ。
 政友会総裁の鈴木は近頃頗る健康を害してゐると聞くが、しかし彼の任期は七年である。その間鈴木が総裁をやめぬと云へば病体なりと云ふも誰もどうすることも出来まい。しかし鈴木の健康問題は別として次の内閣が政友会に廻つて来るとは思はれない。
 政友会で大命が拝受できないとすれば、民政党は尚更いかんといふことにならう。総裁の町田は、任期ではなしに推戴といふのだから、これは町田が自分からやめるといふまでは、続くわけである。
 このやうに今の政党には大命を拝受し得る人物がゐない。従って政党内閣は出来ないと云ふのだ。
 併し、総裁はその職にたへない場合辞職することもあり得るし、選挙の結果は、どう形勢が変るかも予測し難いから、その次の次ぐらいには政党内衝が現はれるかも知れないといふのだ。要は人だ。
 今の政党を見渡しても、日本を背負って立てる人物は見当らない。五年前の政党にはまだ我利があった。私利私欲もあった。金がつくれたのだ。
 併し、今の政党には、我利や私欲さへも、その影を没したのではないか。死人同様である。偉人が出なければ、をさまりがつかん。
 今の政府でいったら、まあ高橋一人ぐらいなものであらうか。官僚藤井などは、高橋が尻押しをするからやって見ろといはれても、持ち切れなくて斃れたではないか。
 我が帝国が強大になったのだ。英国が支那へ金を貸すのに、わが国に相談しないでは貸せないまでに大きくなったのだ。自分の金を人に貸すのに、いちいち他人に断ってから貸す馬鹿が何所の世界にあらうか、それ程強大になったのだ。
 だから、今原敬や加藤高明が出ても、あの当時のやうにはやってゆけまい。昔ほど偉い人物がゐなくなったのではない。国が大きくなりすぎたのだ。機械が大きくなって動力はいつまでたっても五十馬力と云ふのでは、機械の方で動けないのが当然だ。余程の大人物が出ないことには、この機械を動かすことは覚束ない。政党でも官僚でも軍部でも、それは問ふところでないのである。」

 さてその偉大人物を如何にして出現せしめるか。先づ以て偉人とは何ぞといふことに想倒しなければならぬ。而して結局は教育、宗教革命問題に至らなければ、千百の名言も畢竟枝葉末節の小言に過ぎないことゝなるでないか。
 ナポレオン型の偉人とワシントン型の偉人とを仮りに想像して試に対比して御覧。その行った仕事振りや、仕事の分量ではない。一代の計画、実践の原動力たる目的意識をいふのである。
 昔の偉人は大多数の群衆か無教育であるのを引率するのだから、縦横無尽の術策を弄してもそれを圧伏して、その命に従はしめるだけの知略と勇気とを兼有した豪傑を要したが、教育の進歩して普及した今日は全く趣が違ふ。

  四、半日学校制度論の裏書

 職業技術の練習と、勤労能力の涵養とは人間一生中の時機を逸してならないといふが、創価教育学に於ける半日学校論の骨子である。左の「光瑞縦横談」の八は正に同工異曲ともいふべきである。

          
  「農村に副業を起せ 働く日数が余り少い

 買はず売らずといふのが、農の建前である。もし余剰ができたら、その分だけを売るといふ程度でなければいけない。今日の農村問題は、すべてこの建前を忘れたところから出てゐる。
 土と日光を相手に、じっくりと腰を据えて物を作る農業者が、商人の真似をして、投機をやれば失敗するに決まってゐる。何が売れるから何を作るといふのでは自分の食物もなくならうし、作物の出来た頃には、多すぎて値の下るのは分り切ってゐる。今の農村窮乏は自分の分を忘れた人間の自業自得である。
 農業者の立場は、工業者と正反対だ。工業者は、安い原料を安い生産費で優良な品とするのが目的だが、農業者は、自分の土地でできた物で生活して行くのが目的で、他の物を入れぬ、また出さぬと云ふのが農の立場である。買わぬやうに作るのが第一だから、工業者とは正反対になるわけだ。
 次に資金の融通だが、これがまた農と商工では、ガラリと変って居る。商工業者の借りた金は流動資本だが、農業者の借りた金は固定資本である。流動資本は仕入れた品物を売れば返せるし、また製品を売り出せば返せるが、農業者が借りた金を返へさうとすれば、買った土地を売ってしまはなければ返せない。これでは農業をやめるのと同じだから、結局借りた金は返せぬといふことになる。利息だけはどうやら払へるが、元金は返せぬといふことになるのだ。会社が資本金を返へしたのでは、会社は成り立たない。そこで農工銀行のやうに長期にするとしても、利子が高くなるから結局農村は潰れることになるのだ。
 二宮尊徳の教へは、農業に関する限りは永遠の真理である。農業土木は排水でも灌漑でも、皆な自分でやらねばならぬ。月給取りを雇ふのは間違ひのもとである。
 売れますから作りますといふのをやめて、自分が要るから作るといふ原則へ帰らなければ駄目である。紡績会社が安いものを織るのに今更手織木綿ができますかといふ人もゐるかも知れんが、そんなら手織木綿にあたるだけの棉花なり麻なりを作ったらよいではないか。
 食物は勿論買ふ必要がない。農業者が食物を買ふといふことは最大の恥辱である。自給自足の開山がそんな馬鹿なことをして、よいものではない。前にもいった通り、余力があったら売るといふ程度であるべきだ。
 租税のことは、行政になるから、云はぬこととするが、たとへ無税になったとしても、今のままのやり方なら同じことである。若し税が高くて困るならば、商工業者が負担すべきものだと思ふ。
 次は経営法だが、東北地方を除き、南部では一日も早く収穫出来るやうなものを植えなければいけない。速い方が利益が上るからだ。三月目にとれば年四回利益も四倍するわけだ。廻転のできぬ所は致し方ないが、温暖なところでは二廻転、三廻転、台湾では所によって四廻転も出来る。このやうに出来るだけ土地を遊ばさぬやうにすることだ。
 商業には保険がつくが、農業にはつかぬ。農作物は生き物だから、水害、風害、虫害があって安全率が少いからである。それ故利益の廻転率を速くする。それも自給自足の範囲内でやらなければいけない。
 かうすれば、台湾は満州の十分の一しかないが、廻転率が速いから決して小さい島だと云って馬鹿にならぬ。その上、京阪地方の蔬菜栽培のやうにあっちに大根、こっちに人参といふ風に輪作をして行けば、儲からぬといふ道理がないのだ。土地はあるし、日光は只だから、それで儲からぬのは天災の場合だけである。
 次に農業者ほど、怠けるものはない。田舎で米や麦を作ってゐるもので、一年百五十日働けば勤勉な方である。怠け者になると百日か百廿日ぐらいしか働かない。地ならしをして種子を蒔いたら、もうお終ひである。一週たって芽が出ても芽が出たなと思ふだけのこと。場合によっては分けて植えるとか間引きするとか除草する位のもので、肥料は種蒔き前と中間に一度次の仕事は収穫となる。
 大根なら九十日かゝるが、実際に仕事をするのは十日である。あとの八十日は遊んでゐる。だから旦に星を頂いて出て、夕に月を踏んで帰ると云っても、毎日のことではない。精々一年二百日である。三百六十五日休みなく働いてゐる小売商から見たら、農業者の収入が少いのは当然だ。
 怠けるといふと語弊があるが、農は仕事の性質上さうなってゐるのだから商工業と対抗するためには、遊ぶ時間の利用を考へなければならぬ。副業奨励といふことがここに出て来るのだ。
 副業として家畜をいふのは申すまでもない、家畜は餌をやらねばならぬから三百六十五日の仕事ができる。どうしても二百日の仕事を考へぬと商工との太刀打ちがむづかしいのである。スイスの時計のやうに、農村の副業が盛になったら大したものだが、それでなくとも手工業の方に、まだ開拓の余地があると思ふ。
 最近、軍部がこの点に気をつけてゐるのはよいと思ふが、大きな工業会社でも、手工業でなければ出来ぬものは沢山にあるから、これを農村の副業に出して頂きたい。
 そして、大資本家がうまくリ−ドしさへしたら、副業はもっと盛になることゝ思ふし、農村の疲弊も、これ程にならずに済むことと考へる。」

 宗教に於ける作法に於ては、同意し得ざる節はあるが、既成宗教宗派に於ける僧侶などは、今では何の役にも立たぬことを惰性によってやって居るに過ぎない。これは痛烈なる言として肯けられる。左の中学校全廃論の如きは、これ又今の状態は尤の議論であるが、さて実際上の問題としては半日学校が尤も時勢に適した方法といふことに帰結するであらう。

 「元来、宗教といふものは、生きてゐる人間にこそ必要なのであって、死んだ人間に宗教もへちまも要ったものでない。
 それ故に、人の死んだ時に坊主をよぷのも贅沢である。死んだ人間に使ふ金があったら、生きてゐる人間のために使った方が国家の為でもあり、それでこそ死者も浮かばれるといふものだ。
 私は止むを得ない場合、枕経といふのをやる。まだ生命のあるうちに医者を排し、枕許で仏の教へを説くのである。
 近頃はまたゴルフが流行するといふので恐ろしく大きなリンクまで作ってゐるが、あんなものはよろしくつぷして畑にすべきである。無用を変じて有用とすることは大いに歓迎するが、有用を変じて無用とすることは、如何なる場合も許すべからざることだ。
 運動の目的は、体育にあって競技にはない。田畑を耕すことは、心身を強健にする上に於いて申分のない体育である。運動場を田畑にして、農業を教へれば、自然と体育の目的を達した上に、貴重な生産物を得ることができるから一挙両得である。
 英国では不毛の地をゴルフ・リンクに使ってゐるからまだ許すことも出来るが、我が国では、立派な生産地をゴルフに使ってゐるのだから許せないのだ。奢侈には重税を課するのが当然である。ゴルフ・リンクにも思ひ切った重税を以って臨むのが宜しい。
 墓地から見ると、運動場などは必要の度が更に薄い。我が国には殆ど一平方メートルも不毛の地はないのである.高山の嶺を除けば悉く生産地だ。この生産を捨てて不生産とするのは許すべきでない。墓地はしばらく止むを得ないとしても、競技場の如きは、暫らくも待つ必要はない。直ちに田畑として、国家百年の計を立てるのが、帝国臣民としての義務である。
 畑が競技場と変る間は、不景気の益々深くなる時であって、競技場が畑となるときこそ、景気の曙光が射す時である。墓地と運動場とを変じて畑にした時こそ、我が帝国の繁栄する時であるのを知らねばならぬ。
 中学校は、全廃しろといふのが、私の持論であるが、若し急にできないなら農科を必須科目として運動場を全部畑にしろといひたい。
 そして農業の技術を教へたならば、我が国の富は、数年のうちに四五倍するだらう。工に重きを置いて、農を軽んじた為に、いろいろな病弊が出て来たのだ。このことは、改めて説くとして、差しあたり農業にグンと力をいれなければ、我が国の産業は、不具者になってしまうといふことだけを茲にいって置きたい.」

  

  五、教育方針の間違ひ

                                                          

 学校教育方針の間違ひを指摘して余す所なきことは、今までの教育界に対して、真に頂門の一針に相違ない。光瑞師の如き見識を以てして、実業界に身を置き、しかも教育の理解を怠らざるものにして初めて云ふことを得る所で、この両者、その一を欠くものには到底考へ及ばない所であらう。

                                       
   「サラリー・マン 学校教育へ頂門の一針

 人間の生活方法の中で、サラリー・マンの生活ほど不安定にして危険なものを私は知らない。
 唐の詩人白香山は、「人生婦女の身となる勿れ、百年の苦楽他人にあり。」といったが、今日のサラリー・マンは、他人のために苦楽どころか、生死を自由にされてゐるのだ。こんな危険な生活が又とあらうか。
 なぜ危険かと云へば、他人から受ける俸給によって衣食する生活だからだ。こっちがいくら欲しがってても、呉れる方で厭だと云へばそれまでの話である。呉れる呉れないは、他人の意志にあって、自分の意思にはないからだ。
 若し年期奉公のやうに、一定年間の契約をしてくれるのならば、少しは安定だが、それでも相手が破産した場合は、文句の持って行きどころがないのである。
 法律上では確かに権利が保証されてゐるが、実質的には反古紙にひとしい契約でしかない。相手が政府や大会社の場合には、やや安全に近いと言へるが、お気の毒なことには、そんな大きい相手は、一定年間の契約なんかしてくれないのだ。サラリー・マンの生活が風前の灯だといふのもこの為である。
 然るに天下の青年は滔々としてサラリー・マンを志望する。しかも現在のやうな就職難の時代には、選ばれた少数のものしか、この危換な生活にさへ入ることが許されない有様だ。
 なぜ此のやうに好き好んで危険を冒し、また競ってこの不安な生活にあやからうと努力するのか。そこに二つの大きな理由があるのだ。現代青年の怯懦な精神と虚栄心とが是れである。
 今の世の中で独立自活して行くには、絶大の勇気が必要である。周囲全体を敵に廻して奮戦するだけの勇気と覚悟がなければ、到底独立自活することは不可能である。
 ところがサラリー・マンになれば、それほどの勇気や覚悟がなくとも、団体の力によって、保護を受け、背景となす官省や大会社を楯に大きな顔ができるから卑怯者の避難所として屈竟の安全地帯である。
 刻苦精霊しても、その割にサラリーが上らない代りに、要領よく怠けてゐても、著しくサラリーの減る心配もない。骨惜しみしてゆっくり執務しても、時簡を長くコツコツ仕事をしても、呉れるサラリーに大差がないといふのだから才能のない人間や卑怯者にとっては、これが無上の楽天地と思はれるに違ひない。
 世の中に卑怯者が多くて、勇気のあるものが少いから、サラリー・マンを志望する青年が絶えないのだ。
 第二の虚栄心は、自分を実力以上に見せて、世の中を欺かうとするところから起るのだ。貧乏な癖にいい着物を着たがったり、金もない癖に旨いものを喰いたがったりするのがこれだ。
 自分には何の力も才能もないのに、自分の属する会社が大きいといふので虎の威を借りて威張り、贅沢な服装をして、勤務時間以外はブラブラと遊んでゐるサラリー・マンは実に多い。
 そして口を開けば、自分の家庭さへ治らぬのに、天下の政経を論じ、ポケットに十円の金もない癖に、数億、数千万円の巨額を自分の事のやうにしゃべりたてるのだ。これは皆虚栄心から来ることで、サラリー・マンはこの種の目的を達するのに、極めて便利な地位に置かれてゐる。
 これに反して、独立自活者はどうかと云ふと、朝早くから晩遅くまでポロを着て少しの休みもなく、身と心を労しなければ成功出来ないから、虚栄心の強い卑怯者には到底できる芸当でない。
 独立自活者は、勤勉に比例して報いられるところも多い代りに、忍ぶべからざるを忍ぷ勇気も必要である。自活者の成功は、この勇気と正比例するのだ、世の大成功者と云はれる者は、俸給生活者になくて、この独立自活者に多い。
 人と生まれたら独立するのが当然で、禽獣でさへ皆な自活してゐるではないか。これの出来ないやうなものは、自然淘汰されてよいのである。家畜は人に飼はれるから、いつ殺されるか分からないのだ。サラリー・マンは家畜である。どんな世の中でも独立自活できないといふ世の中はない筈だ。人間が独立自活できない時は、死滅する時である。幸か不幸か人間には道徳心があるために、自活できないものでも、他からの同情ですぐ死ぬといふことはないが、それが常態だと思ったら大間違ひである。こんなことを考へるものが多いから、就職難や失業者の出るのは怪しむに足りない。
 職を得ようとすれば困難でやっと職にありついたかと思ふと、今度は危険である。困難と危険とを得るためた、争ひ騒いでゐるのが現代の青年である。>br>  口癖のやうに自由解放を叫ぷ青年が、最も不自由、不解放のサラリー・マンを理想とするに至っては、あきれて物が言へないではないか。
 十有余年、無用な学問に貴重な時間と勢力を浪費して、やっと卒業したかと思へば、他人に死命を制せられるサラリー・マン生活を望み、どうやら家畜の真似ができると、周囲がお祝ひをする。こんな馬鹿なことがあっていいものだらうか。
 学枚当局も大切な人の子をして危難に赴かせることに努めずに独立自活できるやうに努力してはどうか。為政者がサラリー・マンを増やして置いて、それで失業救済とか何とか云ふよりは、寧ろ初めからさうした危難に赴かせぬがよろしい。官も民も世を挙げて、危難に奔走してゐるのが現状である。驚かざるを得ない。皆な質実の風を嫌ふからで、サラリー・マンとは怯者の非難所、勇者は決してそんな唾棄すべき生活態度はとらないのだ。」

 六、教育宗教革命の要諦

 光瑞師の「弱虫の喧嘩好き」の一項の如きは正に本誌が提唱しつつある教育宗教革命の要諦である。吾々の之は心としつつあることを、これほど剴切に痛論されるものは恐らくは、師以外には滅多にあるまい。繁を厭はず長に失する嫌があっても引用する。

「私は平和を愛するが故に活動するのだ。世の平和論者は逸楽主義者だから大嫌ひである。
 宗教家、教育家と称する輩の中には、この種の不都合な平和論者が多い。ただもう戦争といふ字が嫌ひなのだ。そして平和といふ字が好きなばっかりに、どんな悪魔がはびこっても国が危なくなっても、口に平和を唱へてゐさへしたらよいと心得てゐるから、救ひ難き亡者共である。
 私は仏教信者だが、大涅槃経を見ると、「愛念の故にその命根を絶つ、悪心に非るなり」と書いてある。愛するが故にその生命を絶つといふのだ。此所まで来なければ大慈大悲とはいへない。一人や二人の不幸に同情するのは、小慈小悲である。
 この大慈大悲を護るものは刀であり、剣である。武器を以って守れと経典は吾々に教える。武を以ってしなければ、この正法を護持することは出来ないのだ。平和を攪乱し、平和を妨害するものに対しては、何所までも降魔の剣を振はなければならぬ。遠くは、日清、日露の両役、近くは満州事変、上海事変みな武器を以って正法を護ったのだ。
 武といふ字を解剖すると、止と戈の二字からできてゐる。即ち干戈を止むることを武といふのだ。干戈を用ふるのは武ではない。暴を誅し凶を懲すのが武で全く自衛の義だ。
 武は用ふべし、用ふべからず。剣に殺人と活人とがあるやうに、武にも殺と活がある。武が殺となれば?武、活となれば揚武である。武は必らず揚武でなければならぬが、それには文を学ばねばならん。文によって理非を明にし、それから武を用ふれば必ず揚武となる。文と武とは車の両輪の如きものだ。馬鹿に金を持たせると、すぐ費ってしまふやうに、狂者に剣を持たせると直ぐ人を斬る。
 戦争は悪事で、教育は善事だといふ過った考へ方が盛んになったのは、明治の末期からである。その結果、要りもしない学校が林の如く建って、必要な軍備は縮小されるばかりであった。
 教育を以って戦争を防止しようといふ愚論は、水を以って火を救はうといふ愚と選ぶところがない。火を恐れて家を水でかこめば、火の起らないうちに家は腐ってしまうのを知らないのか。国家も同じこと、教育を盛んにした結果は、官立の大学から国家を破るやうな暴悪な徒を出し、就職難を激増させた位が関の山である。やがて我が帝国も家と同じく腐ってしまふであらう。
 火を恐れたら燃えない家を作るのが第一である。戦争は悪事だとしても軍備は少しも悪事ではない。軍備を厳にし、力が強ければ他国に侮られる心配はない。我が青少年の軍事教育に反対するものは、悉く不正義を黙認し、甚だしきは自ら不正義にならうとするものである。
 国民が武道を励むほど結構なことはない。小にしては我が帝国を正義にし、大にしては世界から不正義を追ひ出すこととなる。わが国民は益々武道を励まねばならん。
 日本人を好戦国民といふものは、我が国の歴史を知らぬ馬鹿者だけである。日本ほど平和を愛する国民は世界中にあるまい。なぜ平和を愛するかと云ふと自分に力を持ってゐるからだ。力のある者は戦ひを好まない。戦わずとも自分の威力だけで立って居られるからだ。弱い犬は吠えるが、強い犬は吠えない。弱虫が却って喧嘩したがるのは、勇気がないからだ。勇気があれば、克己心も自制心もできるから、忍ぶべからざる所までは忍ぶ。
 勇者は平和を愛し、平和を実行する。弱虫は平和を実行せず、矢鱈に吠え立てる。強い犬は精々唸りつける位のものだ。私も唸りつける位のことはするが決して吠えない。大谷は決っしてそんな腰抜けではないのである。」

 光瑞師の識見と名望を以てして比の問題の提唱に当らしめる事が出来たならば、大風の小枝を払ふの如く、社会は翕然として、その言に服する事、たとへ一部知識階級に怨嫉の多いことは法華経の文証の如くなるにせよ、なほ吾々の如き無位無名のものゝ云ふに比して、百千倍の効能はあらう。蓋し師の明晰高邁なる識見を以てして思ひここに至らぬ筈はあるまい。何となれば枝葉末節の百千万語は根本の一語に如かぬ位は、気の付かれぬ事はあり得ないことであり、現にその発表の経世済民の大策も、結局、群小大衆を相手に、くだらない喝采を博して、忘れられんよりは少数でも熟慮断行の勇者に向って訴へて居る所であるからである。

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