この時間は、ある一人の平凡な教師が少しずつ電脳化していく様子を綴った
継続的な補完報告書である。
未だにローマ字入力もブラインドタッチも、はたまたメールやインターネットも
不完全な状態から(未だ習得せず)失敗を繰り返しながらも、
電脳ハイパー化していくドキュメントタッチのヒストリーである。
ではここで、彼のここまでの簡単な電脳の歴史を振り返ってみよう。
高校教師電脳ハイパー化 補完計画報告書 レポート2
レポート1 第1回 俺にコンピューターは必要ない〜第10回 Windows3.1の「のろい」 はこちら
第11回 ペイントを使い倒す!
でもたったひとつだけ嬉しいことがあった。それはWindowsのコンピューターに色々なソフトが
ただでついてきたことだ。中でも彼を喜ばせたのは「ペイント」だった。今までコンピューターと
いうと、=ワープロという意識が強く(確かに当時90%はワープロとして使っていた)表計算に
しても、ちょっと使いづらい電卓...という意識だった。しかしこのお絵描きソフトは彼の
気持ちを一新させた。『そうかコンピューターはこういう創造的なこともできるのか』と彼の
芸術心をくすぐった。
しかしやってみてわかる難しさ。マウスで絵を描くのは...。だいたいドラッグしながら
思うような線を引くなんて出来るわけがない!消しゴムを使えば、やっちゃいけない線まで
消しちゃうし(泣)今時、小学生でもこんな下手な絵は描かない。そして極めつけは色塗り。
ペンキを流し込むアイコンをクリックしたは良いが、線が閉じていないため、全面に彩色され
全面、赤のサイケデリックなアートが完成した。直し方もわからない。へこむ。仕方なくまた
一からやる彼であった。芸術心が向上するどころか血圧を上げるばかりであった。そして何時間も
かけて出来上がった絵は、あまりに病んでいる彼の心を象徴するような、まるでロールシャッハの
精神分析テストのような絵であった。(それでも彼の絵を見たければ、というか笑いたい人は
ここ(5限 英語にある、ペイントで描いたアニメGIF)をクリック!)
プリンターがないとこんなに不便だとは思わなかった。彼の作ったものは全て箱の中。ここで再び
一念発起。『プリンター買うちゃる!』(なぜか買うときは大阪弁)この頃になってやっと
コンピューター関連のものは、定価と実売の差が激しいことに彼は気づいた。定価で買っている人
なんて、彼のような素人ばかりとは...。おまけに栄枯盛衰、この業界はサイクルが早く、
3、4ヶ月でモデルチェンジし、昨日の新製品は今日の型落ち品。値段も暴落するものだという
ことを知った。それにしてもサイクルが早過ぎる!この悲哀は買った人しかわからない。
それはさておきプリンター。どうせ買うなら出始めから少し経ち、値がこなれてきた
カラープリンター!色々とリサーチし、検討に検討を重ねた結果、エプソンのMJ-700V2Cと決定!
早速秋葉原に向かい、大型店で軽く相場を確認し、裏通りの小さな店を3、4軒はしごした。
どこで交渉しても1000円と開きがない。『むむっ?闇カルテルか?』と訝しむが、そうなれば
+αで決める現金な彼であった。
「このプリンター、もう少し安くならない?」
(電卓をパチパチはじきながら)「これぐらいまでなら...」
「もう一声!勉強してよ。これからも贔屓にするからさー。」
「うーん..じゃあ、ここまで!」(ふっふっふっ、ここまでは予定通り)
「じゃあ、それでいいけどプリンタケーブルはおまけしてよ。」
「えっ?それは...少しは値引きしますが、サービスは...」
「それにインクリボンひとつぐらいは当然...」
「えっ?」
「それからせっかくのカラープリンターなんだから、ファイン用紙もサービスしてよね。」
「お客さん、いくら何でもそれじゃあ商売には...」
という感じだったんだけど、何と見事GETしたのだ!(当時はまだ景気が良かったので、こんな
感じでやれたのだ。それが今となっては...(遠い目))でもこのプリンター、普段は年賀状で
しか使わず、おまけに予備のカラーインクはそんなに使わないので3年も封を切らずにそのままで
光沢ファイン用紙に至っては、全く用途がなく一度も開けずに、置きっぱなしになっていようとは
誰が予想しただろう。
この頃になるとあちこちのパソコン雑誌に様々なおまけCDがついてくるようになった。始めの頃は
フロッピィだったが、そのうち付録CDが主流となっていったのだ。すると途端に様々なデータ、
体験版がついてくるようになった。好奇心の強い彼は次から次へとインストールしてみた。『ほほう、
なるほどこういうソフトか...体験版っていっても印刷できないだけなのか...こっちは
30日間だけ使えるわけね。おおっ!このプログラムは面白そうだな。』と片っ端から入れまくった
のだ。でもインストールは簡単だがアンインストールの方法は、きちんと書いていないものが多かった。
ただ削除してもきれいに消せるわけでもなく、当然ゴミとしてくずファイルがたまり、だんだん
ハードディスクが一杯になってきた。そして様々なプログラムがレジストリィ(?)を書き換えて
だんだんバグることが多くなってきた。「なんだなんだ!どうやって消せばいいんだ?何か使わない
体験版ソフトのアイコンが、画面に30個以上もあって邪魔だし、スピードは遅くなるし...
どうしたら元に戻るんだ?よーし、よくわからないけどこのdllってファイルはいらなそうだから
削除しちゃえ!えーいついでだ!これもこれもこれも、まとめて削除だー!」悲劇はここから
始まったのだ。彼は無謀ということばを知らなかったのだ(次回へ続く)
うんともすんとも言わぬ箱。何も映らぬ画面。初心者のの彼には永遠の闇と思えた。そう、彼はやって
しまったのだ。必要なプログラム・ファイルの削除という暴挙を。例のごとく師匠にヘルプを求めると
にやりと笑い「それはもう再インストールしかないね。」どういうこと?「全部中身を消してしまって
一から入れ直すこと。ふっふっふっ、これでO−TEACHERも一人前だね。そうそう、
ハードディスクに入っていたデータは、基本的にもうダメだから。ご愁傷様。」始めは何を言われて
いるのかよくわからなかったが、どうやら大変なことになったということはわかった。しかしいつもの
楽天的性格から『まっ、どうにかなるだろう。』と安易に考えていた。というか、全く壊れたと思い、
新しく買うしかないと思っていた彼にとって、自力で直せるとはラッキーと考えていたのである。
おまけに不幸中の幸いというか、ど素人の幸運というか、彼はハードディスクに保存するという
システムをちゃんと理解していなかった。だから必要なものは全部フロッピィに入っていたので実害は
少なかった。そしてこの後「バックアップ、しようと思うとハングアップ」という格言を身をもって
体験することになるとは...
そして彼は師匠からのメモと、意味不明なマニュアルを片手に復旧に取りかかった。「何々、
起動ディスクを入れてリセット?領域を解放?パーティーションを区切る?それからドライヴを指定して
初期化?システムをインストール?」はっきり言ってわかる言葉はひとつもなかった。これならまだ
アフリカの人とコミュニケーションを取る方がたやすいと彼は思った。しかしめげずに彼はただメモ通り、
マニュアル通り、ただ書いてある通りやった。悪戦苦闘3時間、なんとかやり遂げた。コンピューターが
起動してWindows3.1の画面が出たのだ!この時の感動ったら、まるでずーっとトイレを我慢して、やっと
たどり着いたときのような(べたな比喩)嬉しさだった。偉いぞ、俺!
「あれ?一○郎やロー○スは?」
彼はこの時、初期化というのはデータを全てフォーマットし、出荷状態に戻るということを知らなかった
のだ。この後、フロッピィをフォーマットしようとして再びハードディスクをフォーマットしたり、
プリンタドライバを入れ忘れて、2ヶ月プリンターが使えなかったり、と数々の困難が待ち受けて
いるとは、そして何よりもこの後、再インストールの達人の異名を取るとは予想だにできなかった
長い春の夜だった。
最近スピードがとみに遅くなった。やっぱメモリじゃん!16MBじゃ足りない!もっとグリグリ
動かしたい!という心の欲望の声にこたえ、またまた「買うちゃる!買うちゃる!なんぼでも
買うちゃるぞ!」と彼は宣言してしまった。だってパソコン雑誌は3ヶ月に一度は増設記事
載せてるし...
しかし当時の彼は、メモリはノーブランドの方が安いということさえ、というかノーブランド物が
あるということさえ知らなかった。だから当然秋葉原へ行ってもメルコ&I/Oデータの指名買い!
それにしても当時たった8MBで36000円とは...いや考えまい。
さていよいよメモリの増設だが、これは雑誌の指示通りやった。ドライバーでガワをはずし(おおっ!
通っぽい)静電気も御法度ということで手も良く洗った(笑)そしていよいよはめ込む段になったのだが
差し込んでもあまり手応えがない。でも一応ささっている。『これでいいのか?』と彼は不安になった。
雑誌には「強く力を入れ、カチッっと音がするまで」と書いてある。そこでおそるおそるもう少し力を
入れてみる。でも音はしない。またよせばいいのに雑誌には「強くやりすぎて折れてしまった失敗例」
なんて体験談まで載せている。どうすりゃいいんだよ、カチッって音がしねぇぞ、しかし彼は男の子で
あった。意を決して力を込め...バキッ!!悪夢の音。その瞬間彼の脳裏には36000円が
飛んでいく幻影が映っていた。でも大丈夫だった。彼の悪運は尽きていなかった。
そしてメモリ増設で色々なソフトがサクサク動くようになった(それにしてもこの擬音って変だなぁ)
でも一番驚いたのはエロゲーの絵が替わるのに2分もかかっていたのが、瞬時に替わったことと
もっときれいな色だということだった(笑)そして極めつけはソリティアができたときのパラパラが
ダーッと早くなったことだった(笑)
筆○めというソフトが手に入ったので、畏れ多くもとうとう年賀状作りにまで手を出してしまった。
当然まずは住所データを入力するところから始まった。ところがこれが思ったより大変だったのだ。
多分50%ぐらいのユーザーがここで挫折するのではないかと彼は思った。まるで昔の
ファイナルファンタジーのラスボス前のような苦行だった。まず昨年の年賀状をどっかから見つけて
来なければならない。どこへしまったっけ?見つからない...どこだ?どうも真面目にやろうとすると
こんな初っぱなでやる気をなくすような状態になるのが彼の常だった。『えーっと、郵便番号、住所、
えっ?こんなに入力するデータがあるの?面倒くさーい!名字と名前の間に半角?連名の時?電話
まで?去年もらったかどうかのチェック?うおおおおおっ!』もちろんマニュアルを読めば最低限の
データだけでいいことがわかるのだが、変に律儀な彼はひとつひとつ入力していったのだ。そして
この入力だけで約2週間もかかってしまったのだ。しかも最後の方は「いいやこいつは。あまり
付き合いないし。こいつもパス。好きじゃないし...」と、だいぶ年賀状ソフトのせいで義理を
欠くことになった(笑)
そして宛名に関しても、意味なく毛筆体を使い「おおっ!素晴らしい!」と一人で悦には入っていた。
問題は裏面。テキスト入力と画像の貼り付け。サンプルでついてくる完成版を使えば簡単なのだが、
そこはチャレンジャーの彼、独力でやろうとこんな時だけやる気がみなぎる。ところがテキスト入力が
難しかった。思うようなバランス・大きさ・レイアウトになかなかならない。試行錯誤の連続。
(手で書いた方が早いという悪魔が何度囁いたことか)そして余力の残っていない彼は、画像に
ついてはサンプルについていたイラストをただ貼り込み、やっと完成。印刷してみるとちょっと
色合いが違うけど結構感動もの。その後の印刷でも時々紙詰まりを起こして何枚か年賀状をダメに
したり、郵便番号が枠からずれていたりと、色々あったが彼としては満足だった。その後自慢して
見せた親から、実家の分を頼まれたりと余談には事欠かないが、その中で最大のお笑いは、あまりに
早くできちゃったものだから、さっさと出しちゃったため、12月の中旬に届いてしまったという
ハプニングあり。(郵便屋さん、少しは考えてよ!)その上、彼がもらった年賀状の中に、彼の
使ったのと同じイラストが入ったものをもらったりと...いろいろあったのだ。それでも彼の
電脳化は止むことがない(笑)
表計算ソフトを使うのはもっぱら生徒の成績を扱うときである。特に学期末は、テストの点だけでなく
小テストの点、ノート提出の点、プリント提出の点、出席点、平常点...と様々な要素を加味して
総合的に成績をつけなければならない。例えば彼はこんな風にやっていた。(1学期の中間テストの
点+期末テストの点)×0.7+小テストの平均+提出点+平常点=100点という具合。そしてそれを
10段階の評価に換算する。だから関数も合計のSUMだけでなく、AVERAGE(平均)、COUNT(人数)、
ROUND(四捨五入)、IF(条件式、例えば30点以下のものは赤点とか)、VLOOKUP()等々。けっこう
いろいろなことをやっているのだ。でも毎度手計算よりも、最初に作ってしまえば後は楽勝なので
あった。しかしそれでも時々わからなくなるときがある。そしてまたまたいつものごとく師匠の出番。
「ねぇ、ここにさぁ、1学期から3学期までの成績を集計して、それを平均した評定を出したいん
だけど、どうすればいい?」
「それには...ここのセルにこうやって...」
カチカチ、カチカチ、プツーン!.....シーーーン(真っ黒な画面)
「あっ、あれ?」
「どうしたの?」
「なんかデータが飛んだ...」
「えっーー!またまた冗談言っちゃって.....元に戻んないの?」
「ていうか、フロッピィが死んだ。」
「まじでー?だって1学期からの成績が全部入っているのに...もちろんバックアップなんか
取ってないし、何とか...」
「ならない。多分無理。ハハハッ。」
「ひょえええええええええ!」
たとえ達人といえどもフロッピィの自殺には対処なし。バックアップは取りましょうという教訓は
こういうときに聞く神の神託であると、彼は身をもって実感した。しかしそれでも彼はまだ、
こんな不確実でいらつく機械の呪縛に見切りをつけようとはしなかった。そしてまだまだ試練は
続くのである。
Windows3.1が全く流行らないまま、あっという間にWindows95の時代が到来した。猫も杓子も95。
どの雑誌を見ても「究極のOS!」「新コンピューター時代到来!」煽りに煽っていた。しかし彼は
冷静だった。『そんなに簡単に替わるわけがない。この3.1だってまだまだ浸透していないのに..』
もちろん彼の目論見ははずれた。瞬く間に95が席巻したのだ、ちまたでは。しかし現場では
相も変わらずDOSソフトの独壇場。新しい物好きの彼はとても95に興味があったが、職場の強者や
師匠たちは口をそろえて「マシンが非力なら95なんて意味がない。それにDOSの方が動作が軽いし
95用にマシンもソフトも買い直すなんて無理に決まっている。」とのたまう。ごもっとも。でも
興味がある。この頃からだろう、彼がパソコンの流行病である「新しい物欲しい欲しい病」に罹りつつ
あったのは。この病気の亜種に「最速クロックじゃなきゃいやだもんね病」とか「ハードディスクとか
周辺機器増設病」などがあるが、これに彼が罹るのはもう少し後の話。そんなわけで彼は雑誌から
だけの知識をため込む日々が続いた。そのおかげか触ったこともないのにやたら詳しくなり、色々な
人に「このマイコンピュータってさぁ...」「それは3.1でいうところのディレクトリィで..」
などと生半可の知識で、多くの人を煙に巻いていたのは言うまでもない。
そうこうしている間にあっという間にウィンドウズ95が席巻した。このあまりのブームに
彼も翻弄されたのだ。そしてとうとう学校でもWindows95を入れる話が持ち上がった。そして
なぜか彼が機種選定の第一人者に選ばれたのだ。それはとりもなおさず、知識だけは一人前
だったからである。さて、まず教務室に入るコンピュータの選定を任されたのだが、彼は考えた。
『うーむ、果たしてどこのメーカのものが良いか?』これが当時としては究極の命題だったのだ。
今ではどこのメーカでもほとんど中味的には代わりがなく、どこも似たようなものだが、当時は
まだまだ群雄割拠の時代、メーカーによってだいぶ差があったのだ。しかし当時はまだまだ
NECの独壇場。学校のコンピューターも99%がNEC製だった。だから彼もIBMや富士通と
いう名前も知ってはいたが『同じコンピューターでもやっぱりブランド威力!シェアが命!
NECにしておけば間違いなし!みんなこの98シリーズにあわせてソフトを作っているんだ。
windows95も、NECにしておけばソフトもバンバン追随して出るだろう!DOS/V機が
世界の標準?ここは日本で、日本ではNECが一番なんだから98シリーズでしょう。
世界標準なんだかどうなんだか知らないけれど、98シリーズはなくなること無し!NECで
決まり!』そう彼は誰に対しても豪語していた。あと1、2年で彼が嘘つき呼ばわりされるとは
想像だにしなかった、幸福な時代の彼だったのだ。
そしてやっと彼がWindows95を使う日がやってきた。でも初めて使う彼には目から鱗がゴロゴロ
落ちた。今まで使っていたWindows3.1とは、はっきり言って全然別のコンピュータ。今までの
経験なんてへのつっぱりにもならなかった。だいたいディレクトリとかがない...。どう
なってんの、このコンピュータ?壊れているの?まず最初はフォルダという概念がどうしても
理解できなかったのだ。そして何よりもソフトがどうすれば使えるのか?それが全然わから
なかった。教えてもらってはじめて、スータトボタンからプログラムで、メニューが出る...
それすらわからなかったのだ。そしてとりあえず95用の一太郎をインストールするも、
アイコンが出ないため、「どこだー!消えたー!ちゃんとインストールしたのに一太郎が
出ないー!」と叫びまくったのだ。何のことはないプログラムの中にちゃんとあったのだけれど。
そんなわけで今まで、95に慣れるまで、実は大変苦労したのだ。なまじ3.1で手慣れていた
だけに、そのギャップが大きかった。かえって95からはじめてコンピュータにさわった人の
方がスイスイやっていたりして...。でも彼が一番ストレスを感じたこと...。それは
DOS時代と比べて、呆れるほど起動に時間がかかるということ。このため何度イライラした
ことか。ディスプレイの前で待っているのももどかしく、立ち上がるまでちょっと他の仕事を
やろうと席を外し、そのまますっかり忘れて、何度そのままの状態で、無人のコンピュータが
放置されたことか。彼は短気な人でもあったのだ(笑)