昭和40年生まれの私は、幼い頃、両親と一緒に絵本の世界を楽しんだ記憶があまりありません。
(少しは、読んでもらっていたとは思いますが…) 「はじめてのおつかい」は、上の娘が幼稚園に通っていたとき、福音館書店の定期購読していて 出合いました。娘が、幼稚園から持ち帰り、私がはじめて手にし、本を開いた時、とても、 なつかしい感じがしました。娘たち(特に上の子)にとっても、大切な1冊のようで今でもよく 「読んで!」と言われます。 5歳の「みいちゃん」がお母さんに頼まれて、近くのお店まで、はじめて牛乳を買いに行くという おはなしですが、時代背景や町なみが、私が幼い頃、当時によく似た感じでとてもなつかしい感じが して、この本を開くたび、幼い頃の自分にもどって、ドキドキしてしまいます。 娘たちも、読んでいる時はすっかり「みいちゃん」になりきって「みいちゃん」が途中で転んで お金を落としてしまう所では必死になって探しています。途中、いろいろありながらも、 やっと牛乳を買ってお母さんのもとへ帰ってくると、私たちも「ほっ」としてなんだか、 すがすがしい気持ちになります。
以来、筒井頼子さんと林明子さんのコンビの本はよく読みます。
※おまけ
(MARU) ※おまけのおまけ 数年前、筒井さんの講演会で涙ながらに話されてた事が思い出されます。 「はじめてのおつかい」から始まって「とんことり」までの6作のみでコンビは解消されました。 それは、林明子さんから「絵がおはなしを超える事はできない…他人の世界を描くことは、 どれほど大変か知った。」と言われたほど、最後になった「とんことり」の繊細な描写が苦痛で 大変なものだったか作者の苦悩を知らされました。 筒井さんが、3人の子供の母親として、生活体験の中から醸し出されるおはなしに対して、 その後の作品「こんとあき」にみるようなご自身が少女の頃の気持ちに戻って創られる林さんの世界 とは、あまりにも対照的だったようです。でも、できればもう一度このコンビによる作品を 見てみたい、復活してほしいと願うのは無理な話でしょうか? (え)
林 明子さん直筆によるQ&Aは
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私はすいかがあまり好きではありません。果物と言うにはどこかきゅうりのような青臭さがあり、 野菜と呼ぶには甘すぎる。特に、熟れ過ぎて種のまわりがふあふあになっていると、もういけない。 だから夏になっても、出されれば一切れくらいは美味しくいただきますが、自分で買って食べようなどとは夢にも思わないのです。 それでもこの絵本を読んで、金魚の柄の浴衣を着てたおかっぱ頭の頃、井戸で冷やしたすいかは、 確かに美味しかったなぁと懐かしく思い出しました。
…かっぱのガータロに誘われて水の世界のおまつりに行くおっきょちゃん。 ある日、頭の上を流れていく小さな布人形を見つけます。“三日というもの誰とも遊ばず、 人形を見つめてばかりいた”おっきょちゃんは、とうとう水の外の事を思い出し、 家に帰りたいとはじめて泣いたのです。 同じコンビで創られた『めっきらもっきらどおんどん』でも、不思議な世界に迷い込んだ “かんた”が《おかあさ〜ん》と言ったとたんに現実の世界に戻ってきます。 呪文は忘れてしまったものの、不思議な世界での事を憶えているかんたと違い、 ももたろうさながら、パッカーンと割れたすいかの真中で《う〜ん》と、 のびをしているおっきょちゃんは、川の中のことを何一つおぼえていませんでした。 その事を知ってかしらずか、ガータロが《たからをこめてかえさんしょ。たからをこめてかえさんしょ。》と唱え、 丸くなったすいかを“もう一度やさしくなでると、井戸の奥深くもぐって消えていった”場面がなんともせつないのです。 おっきょちゃんを人間の世界に帰すために“手でざくざくすくって食べた”すいかは、 ガータロにとって少ししょっぱかったのではないでしょうか? (そう言えば、昔、すいかに食塩をかけて食べていました。) この季節。店頭にすいかが並び始めると「確かに井戸で冷やしたすいかは美味しかった。」 と思いながらも、売り場の前を素通りします。もしわたしがおっきょちゃんだったら、 人間の世界に戻れず、一生カッパの子でいたかもしれません。 (い) |