ももいろのきりん  中川李枝子 作 / 中川宗弥 絵  

るるこは、お母さんからとても大きなももいろの紙をもらいました。部屋いっぱ いの紙の上に立つなり「まあ、きれい!」とさけびました。

ほんとうに、部屋中やわらかなももいろの光でいっぱいでした。

るるこは、のりとはさみとクレヨンを持ってきて、この大きなももいろの紙で世界一きれいなきりん のキリカを作りました。

すると・・・キリカが口を開けてしゃべり始めました。

キリカはるるこを背中に乗せて、むこうの山のてっぺんのクレヨンの木まで連れ て行ってくれるというのです。キリカの速いことといったら。

キリカは、まるでももいろの風のように走って行きました。そのクレヨンの木の 下で、るることキリカは・・・。

1965年に発行されたこの本を、私は大人になってから子供といっしょに初めて読 んだのですが、小さい頃自分のほしいものを画用紙に何枚も何枚も描いて「これが  ほんものになったら いいな」と真面目に魔法をかけていたことを思い出しました。 それは、全く叶わない夢だったのに、今でも時々魔法をかける癖は残っているのです。

自分の子供には、たくさんの本と出合ってほしいと思っていた私は今、ゆっく りと子供と同じ早さで絵本の世界を楽しんでいます。そして、ひとりでも多くの 子ども達に、おはなしを楽しんでほしいという気持ちでいっぱいです。

大人も子供も、るることいっしょに大きな紙を広げて,クレヨンを持ってわくわ くしたいものです。

(ヒ)



るるこちゃんの きりん
  きりんの キリカ
  キリカは ももいろ
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適当にメロディーを付けて、私も子供と一緒に歌った、思い出深い大好きなお話です。
色の固定観念を打ち破ることのできる子供は、柔軟な頭と天才的な発想を持っているからでしょう。
そんな子供の心を大人になっても持ち続けられる大人(中川夫妻)はステキです。
(ぇ)

 

春のわかれ  槇佐知子 再話 / 赤羽末吉 画

 毎年、春も終わりの頃になるとこの本を読んでみたくなります。特に今年は、昨年秋頃から私事で心労な事が続き、世の中はイラク戦争の中、犠牲者のニュース、悲惨な事件、事故、度重なる児童虐待、児童の残虐な殺傷事件に胸が痛みました。人間は本能で生きる動物ではない筈なのに、何かが狂っている事を感じる時、日本人として忘れ去られた本来の姿がここにあると感じられる1冊。それが『春のわかれ』です。私はこれまでに何のために中学から古典を習うかと深く考えた事がなかったように思います。古典嫌いの多くが「読み方が難しい」「読みが精一杯で内容までは理解しかねる」という理由が多いようです。その点、この『春のわかれ』は無理なく読める感動の1冊なのです。こういった古典傑作本がもっとシリーズとして世に出ることを願わずにはいられません。


これは、今昔物語をもとに書かれたもので、物語の流れに赤羽末吉さんの画が素敵に散りばめられています。(1980年度国際アンデルセン賞画家賞)

 物語は「今は昔、村上帝の御代のことでございます。」という一文で静かに始まります。
ある左大臣の姫君の婚礼が近づき、婚礼道具の中に、家宝としてきた美しい漆塗りの硯があり、左大臣はこの硯をお輿入れの日まで、召使いの若者に注意しておくようにと命じます。しかし、若者は堪えきれず、硯を手にとって見とれていましたが、近づく足音に思わず硯を落とし、割ってしまいます。足音の主は姫君の弟である13歳の若君でした。

 若君は、自分がしたことにした方がお咎めは少ないだろうからと、若者の罪をかぶります。
ところが、大臣は怒り、若君を屋敷から追い出してしまいます。若君は、真実を決して話さず若者をかばい通しますが、心労のあまり、病に伏せるようになり、とうとう危篤状態となり大臣があわてて駆けつけた時はすでに遅く、泣き苦しむ大臣に抱かれて、若君は亡くなってしまいます。
春の桜が咲いても深い悲しみの中、喪服を着た若者が現れ、真実を告白します。
大臣は怒り狂って若者を切り殺そうと刀を持ちますが・・・


  今こうしている間にも、悲しいことに、尊い命が失われていってます。
このお話は、命を愛しみ培う事、祈りの気持ちを思い起こさせてくれます。
私も今春、我が子と初めて別れて暮らすという経験をしましたが、この春の日の別れが新しい始まりになればと願いつつ、この本に触れました。真に、古典傑作本です。

(え)