Yuzu
「捲簾主任って料理巧いんですね」
 悟浄と夕食を食べていなかったらもっと美味しかっただろうに、惜しいことをした。
 天蓬は土鍋の底を泳いでいるえのき茸を箸で追いかけ回しながらつまらなそうに呟いた。
「…そうですね。巧いですね。何でもできるんです、あの人は」
「何でもってことはないでしょう」
「何でもです」
 天蓬が捲簾を好きなのは間違いないとして、この好きになりようは、屈折しすぎなような気がする。何でもできるのが不愉快だとしか聞こえない。悟浄と比べると誰でも屈折しているように見えるだろうが。
「天蓬主任。差し出がましいことを言うようですが」
「貴方が差し出がましくなかったことなんて一度もありません。どうぞ仰ってください」
 申し訳ないがこの程度で傷つくようならこの人と付き合っていられない。
「告白なさればいいのに」
 捲簾がテーブルの上に残していった取り皿の、その上に置いてあった箸がガランと落ちた。
「…は?」
「…告白です。捲簾主任だったら、答えがどうでも気まずくはならないような気がするんですけど。今日見てて、なんとなくそういう男気あるタイプの人に見えたものですから。…勿論、僕は貴方ほど捲簾主任と親しい訳じゃないので、無責任だと思われたら忘れて下さい」
 悟浄の「天蓬があまり好きじゃない」発言は、やはり心に引っかかった。自分の好きな人を好きな友人に良く思われたいのは当然のことだ。
「貴方、変ですよ」
 やはり変か。
 悟浄に言われるのは何ともないが、天蓬に眼鏡越しに見据えられて宣告されると、まったくもってそのとおりという神妙な気になる。天蓬には、そういうところがある。
「まあ、僕が捲簾にふられてしまえば貴方はしてやったりというところなんでしょうけども」
「それは勿論そうなんですけど、僕が知ってて貴方も知ってて悟浄も知ってることを、捲簾主任だけ知らないっていうのがフェアじゃない気がしませんか。当事者なのに」
 悟浄の名前が出た途端、天蓬はみるみる眉間に皺を寄せた。
「なんで悟浄が知ってるんです」
「貴方がブルゾンの件で悟浄を睨んだからです」
 プラス僕が言ったからでーす。
 天蓬は肩に羽織った厚手のシャツの前をかき合わせて、深々と溜息をついた。忘れていたが、天蓬は具合が悪いんだった。明日も会社に天蓬がいないなんてことになったら…なったらまた捲簾主任に頼んで家に一緒に入れてもらおう。そうしよう。
「八戒。もしですよ。あり得ませんけど、もしかしてですよ。僕が捲簾とうまくどうかなったら、貴方どうするんです」
 別にあり得なくはないと思うが。
「僕とは関係ありませんからどうもしません。相変わらず貴方を好きでいます。勿論貴方の部下として貴方の経歴に傷をつけるような事はしませんし、それどころか貴方の株をあげる自信もあります。それでも我慢できないんならクビにでもなんでもなさってください。上司に言い寄るからにはそれくらいの覚悟、とうにできてます。キレイゴトはいいって、貴方仰ったじゃないですか」
 僕はいきなり天蓬の手を握った。別にそうしようと思ったわけじゃないが、勝手に手が延びた。勿論悟浄のようにスマートにはいかず、天蓬は一瞬引きかけて、一瞬で諦め、結局握られた手はピクリと波打っただけだった。
 とにかく触りたくて触りたくて今すぐそうしたくてたまらないこの衝動を天蓬も知ってるはずなのに、堪えてるんだろうか。毎日毎日。あの捲簾を前にして。
「天蓬主任。これから先も僕以上に貴方のことを好きになれる人はいません。絶対に」

 僕は、結構弱い。
 その僕が誇れるただひとつの想いを、誰にも譲ったりしない。
 僕のために。悟浄のために。

天蓬の家と僕の家は方向が正反対で、終電などもうなかった。
 タクシーを捕まえようと国道沿いに出てきたところで、携帯が鳴った。こんな時間に遠慮無く鳴らしてくれる相手などひとりしかいない。
「どうしたんですか悟浄。呑んでるんじゃないでしょうね。道路に飛び込んじゃいますよ」
「……呑んで…ないけど。そっちはうまくいったの?」
 間に挟まったしゃっくりは何だ。
「…どうかしました?」
「何か俺、分かんなくなってきちゃった。ていうか怖くなってきた」
 分からなくて怖いのはこっちだが。
「おまえ知ってる?よな。知ってる?俺、なんか、何か見落としてる?」
「深呼吸して落ち着いてください。何の話で誰の話です」
「捲簾」

 ああ。…四角になった。