Yuzu
 翌朝、会社までの道を、悟浄とゆっくりゆっくり歩いた。
 コンビニの新製品の話とか、あそこの高層マンションのエントランスがいいからパクろうとか、今年の忘年会はどこでやるだとか、どうでもいいことを話しながら。何でも良いから喋っていないと落ち着かないとでもいうように悟浄は切れ目なく話し続けて、墓穴を掘った。
「朝一発目に捲簾と打ち合わせなんだけど、どういう顔して会えばいいわけ、俺」
「悩んでもないこと相談しないように」
「だな」
 悟浄は眠そうにとろんと笑った。
「俺で会うしかねーよな」
 朝起きて、悟浄が一番最初にしたことは、自分で壁に叩きつけたブルゾンをハンガーにかけて皺をとることだった。
 天蓬はどうしただろう。捲簾の家に泊まっただろうか。
 もし泊まったとしたら、その時は、つまり、そういう事になったということだ。僕と悟浄のように、玉砕しても一晩平気で一緒にいられるような人じゃないと思う、天蓬は。
「昨日さぁ、昨日さぁ、おまえさぁ、俺のおでこにちゅ…」
「あーはいはい泣き顔が可愛かったのでついついついつい、ああ、捲簾主任。おはようございます」
 会社の駐輪場にちょうどバイクを止めた捲簾が「おう」と軽く片手を上げた。またまた嘘ばっかり捲簾が都合良くいる訳ねーじゃん、あ、ほんとだ、などとひとりでぼけつっこみをこなした悟浄は捲簾の傍にズカズカ歩いて行き、いきなり捲簾の額を指で弾いた。
「いた!」
「昨日のお返し〜」
 ケラケラ笑って正面玄関に消えた悟浄を、捲簾は朝っぱらから幽霊でも見たように、多少青ざめて見送った。
「…何あいつ」
「はあ。ちょっとテンション上がったり下がったりで色々と参ってるようで。ほっといて平気ですよ。強いから」
「…ん。だな」
 捲簾がなかなか歩き出さず、何か言いたそうにメットを手の中で回していたので、僕は何となく突っ立ったまま待った。
 悪い、天蓬と付き合うことになっちゃった〜…とか。
 悪い、天蓬俺がもらっちゃっていい?…とか。
「悪い」
 うわ。
「悪かったな昨日。邪魔したみたいになって」
 なんだ。
「邪魔したのは僕も一緒ですよ」
 昨晩四角関係の実体を把握したらしい捲簾は、昨日の悟浄みたいな顔をしている。困ったような照れたような怒ったような思い詰めたような複雑な顔。天蓬に好かれて何を躊躇うことがあるかと思うが、なんとなく悟浄に構いたい捲簾の気持ちも分かる。というか分かってしまった。
「…おまえって、いい奴だな」
「また急ですね」
「俺のこと、邪魔なんじゃねえの」
 ストレートな人だ。
「それを言うなら貴方も僕が邪魔なんじゃないですか」
「ああ、そうか」
 仕方なく僕らは笑いあった。嫌いにはなれない。
「ところで八戒。服、昨日と一緒?」


天蓬は机の前に座って既に灰皿に山を作り、真剣な眼差しで図面と格闘していた。顔色は絶好調とは言い難いが、取り立てて普段と変わった様子はない。
 僕は鞄を席におくと、コーヒーを淹れて持っていき、ついでに天蓬の机の回りに落ちているロットや安全ピンを拾い集めて傍らに置いた。
 実はこの上司が几帳面に見えるのは顔だけで、普段のなりふり構わなさはちょっと注目に値する。仕事の腕は文句なしだが、しょっちゅう書類を溜め込んで上にあげるのを忘れ、会議の席で平気で熟睡し、何日も同じネクタイをして上に指摘されるまで気付かず、吸い殻で図面を焦がし、すぐに物をなくす。僭越ながら必死でフォローしまくっているが、それでも追いつかない。
 そのギャップが、たまらない。
「おはようございます、天蓬主任。お加減は如何です」
 誰でしたっけとでも言い放ってくれそうな無関心な視線が僕を突き抜けた。
「…ああ。おはようございます。おかげさまで快調ですよ」
「相性の悪い水族館はもう片づいたみたいですね。気ののらない仕事なら僕にふってくださって構いませんよ。これでも貴方の部下です。使ってください」
 相手をしようかしまいか迷った数秒の間のあと、天蓬は手元の矩計図に目をおとした。
「そうします」
「主任。あり得ないことなんてないですよ」
 何でそんなことを言ったのか分からないが、唐突に口から出た。今度はきちんと焦点の合った目がこちらを向いた。微かに、ほんの微かに充血していて、その事が何故だか切ない気分にさせた。
「何の話です」
「…いえ、何となく」

「貴方、変ですよ」

 驚いた。天蓬が微笑んだ。