haru
 朝起きたら、昨夜の記憶がない。なんてことが、最近多い。疲れがピークに達して来ているのだろうか。

「あったまイッテェ…」
 煙草を咥えて、バイクにキーを差し込みながら欠伸をした。典型的な二日酔いだ。
「クライアントとの待ち合わせが11時からだから…あと2時間かよ」
 資料をまとめるために一旦事務所に行く必要があるので、1分のロスタイムもないというわけだ。確か昨日、上司が彼女にフラれたやのなんやので3件も付き合わされたせいで、こうなったんだっけ。この仕事落としても、俺悪くねぇんじゃねぇの。
 無責任なことを考えようとした矢先、長い足がバイクのケツをまたぐのが見えた。

 朝っぱらから、嫌な野郎に会ってしまった。
「会社行くんでしょ、乗っけてって」
 足の持ち主は、真っ赤な髪を風にはらませながら、上目遣いで俺を見遣った。赤い髪の男の名は沙悟浄。同じ建築事務所の後輩で、何故か同じマンションの住人でもあり、何故か出身大学も同じで、何故か出身小学校も同じという、いわゆる幼馴染というヤツだ。
 実家も近所で、上京してからも同じマンションという奇跡的な奇遇。何だか妙に波長もノリも合うので、会社で顔を付き合わせてるというのに、休日も一緒に居ることが多い。
「悟浄、バイク貸してやっから、ついでにお前が欲しがってたクロムのチョーカーもやるから、この資料今から1時間半以内にまとめて、富雄不動産まで持って来い」
「はあ?」
 不可解そうな声を出しながらも、クリアファイルを受け取ってくれる悟浄。持つべきものは仕事のできる部下と、話のわかる友人だ。
「二日酔いで死にそーなんだよ。パソのモニタ見ただけで電磁波に殺される、って思うくらいのレベルの」
「富雄不動産、って結構でかいクライアントじゃなかったっけ」
「3番手。頼む、ミスったらクビだけど」
「ナンバーナインのブルゾンで手ェ打つ」
 この仕事がポシャれば、5000万の損害。8万5000円のブルゾンくらい、何のその。
「わかった。10時半に富雄不動産な。遅れたらお前もクビ」
「死ねよ」
 俺の愛車のドラッグスターにまたがって、赤い髪を揺らしながら悟浄は走り去った。

 約束の時間の10分前に、悟浄は富雄不動産に現れた。普段は遅刻大魔王のこの男も、さすがに仕事はきっちりしている。すぐさま、クリアファイルを受け取って中身をチェックして、10分ほど打ち合わせをすると、サイフからVISAカードを取り出して悟浄に手渡した。
「は?」
 何これ、という顔で悟浄は俺を見上げた。
「ナンバーナインのブルゾン。俺今現金、全っ然ねぇのよ」
「俺がくれ、っつったの、あんたのブルゾン」
「は?俺の?」
「色落ちてるし。サイズ合うし」
 妙な感じがした。自分の着ていたものを欲しいと言われるのは、嬉しいと感じてもいいところなんだろうか。そんなことにさえ、戸惑った。カードを俺に突っ返して、悟浄は再びバイクにまたがった。
「契約、バッチシとって来いよ」
 そう言って、笑った。胸の当たりに、また妙な感覚が過ぎった。無視したかった。

 悟浄の作成した資料と、俺の話術によって契約を無事結ぶことが叶い、事務所に戻ったときはもう昼過ぎだった。ガラス張りの事務所なので、外からは丸見えだ。悟浄の姿はなかった。飯もう行ったのかな。おごってやろうと思ってたのに。
 仕方がないので一人で飯を食いに行こうと踵を返そうとしたところ、同僚の天蓬と後輩の八戒が話をしている場面が目に止まった。なにやら、不穏な空気が漂っている。  八戒は、天蓬に惚れてる。見てりゃわかる。そりゃ天蓬は、男から見てもキレーなツラはしてると思うけど、口も性格も態度も悪いので、八戒の趣味は最悪だな、と思う。おまけに天蓬は、あからさまに八戒を拒絶しているように見える。でも俺は八戒に同情などしない。あんな男に惚れたあいつが悪いのだ。
 自分に、言い聞かせているような気になってきた。

 天蓬を昼飯に誘ったとき、八戒に凄い目で睨まれてしまった。本気なんだろう。別に止めるつもりはないけれど、超不毛だな、と思う。俺も人のこと言えないところが、虚しい。
 晩飯も、天蓬を誘った。八戒が、ご一緒してもいいですか、と言ってきた。正直面白そうだったので、承諾した。天蓬が、死ぬほど不機嫌そうな顔をしていた。
「悟浄も、誘いませんか」
 八戒のその一言で、事務所内に奇妙な風が通り過ぎたような気がした。八戒はにっこりと俺に笑いかけていた。この男、実は性格最悪なんじゃ、という俺の懸念はさておき、天蓬は相変わらず不機嫌そうだった。というか、どこか思いつめたような面持ちですらあった。
 そんなわけで、俺たち4人は事務所のビルの地下にあるレストランバー『QUARTET』に向かうことになった。