Yuzu
 「なぁ今日って金曜日だろ。遊び行こーぜ麻布六本木ひさびさ三宿〜」
 悟浄がトイレで鏡を覗き込み、目を瞬かせながら言った。
「捲簾と天蓬誘ってさ。もうさあ、俺、こういう、なんか、なんつーの?ぐじゃぐじゃしたの嫌いだしさ。4人が4人とも仲良くってことで明るくダブルデート」
「…あなたって恋愛ドラマでいうと一番貧乏くじ引くタイプですね。あちこちくっつけようとしてセッティングしてるうちに自分だけあぶれる、みたいな。悟浄くんありがとう、あなたのおかげで私たち幸せになれたわ、みたいな」
「いいもん別に」
 言うと思った。
「主任ふたり、今朝何やらもめてましたよ?」
「もめてるったって痴話喧嘩みたいなもんでしょ。捲簾はへーき、あいつ馬鹿だからもう忘れてる。俺ら3人が一緒に遊ぶって言えば天蓬くるだろ。お前、誘ってみな。断られたら俺が捲簾と行って目の前でいちゃついてやらぁ、すっ飛んでくるぜ。……なんか目ぇ痛いんだけど目薬ある?」
 人がいいのか悪いのか。
 充血していてもぱっと見分からない悟浄に目薬を手渡して、僕はトイレの窓を少し開けた。もうすぐ冬が来る。冬は寒くて人恋しくなるし、夏は頭がぼっとして惚れっぽくなる、季節につられて勘違いするから浮気は夏冬、恋愛は春秋。
 …って、誰が言ったんだっけ。悟浄か。
「王様ゲームして、勝ったやつが好きなやつに目薬盛っていいってのはどう!?」
「…なんでそんなことばっか思いつきますかね」
「のった!」
 トイレのドアがバンと開いて、事もあろうにやたら上機嫌の捲簾が入ってきた。
「なんだおまえら、アフターファイブのOLみたく延々連れションしやがって仲良しだな!王様ゲーム!いいね!目薬!大好き!」
「いいよなぁ目薬!そのへんの妙な媚薬より余程イイぜ、さすが捲簾、話分かる!」
「まあ待て成分表見せろ。物によってはひと瓶じゃ効かねえからな。どれどれ」
 お巡りさん、この兄弟病気です。
「あのー捲簾主任。僕の薬なんですけどね、それ」
「じゃあ勝ってイイ目みた奴がおまえに目薬代を払うってのはどうよ」
「それよか王様ゲーム用に徳用購入して呑み会の備品にしようぜ」
 どんな呑み会だ。
「僕をアンダーグラウンドに引きずり込まないでくださいよ!だいたい悟浄、負けたら飲む気ですか貴方」
「負けたらしょうがねえ、これは男のバトルだ。案ずるな、体は捲簾にやっても心は永遠におまえのものだ」
「ほっほう。ちなみに俺は王様ゲームで負けたことがねぇぞ」
 何だか素面でとんでしまった兄弟をトイレに置いて、僕はふらふら机に戻った。何となく、捲簾にも悟浄にも勝てる気がしない。いや王様ゲームにではなく、色々とすべてに。

 僕の心のオアシス常識人の天蓬は、微かに光の残った窓に向かって定規を翳したまま静止している。知らない人が見たら頭がどうかしちゃったかと思うような不気味な光景だが、多分明かり取りの大きさだか角度だかをイメージしているんだろう。さっき僕が見たのは悪魔どもの悪夢だ。に違いない。
「天蓬主任。今晩お暇でしたら…」
「暇じゃありません。来週コンペが4つ重なって僕史上歴史に残る忙しさです」
「4人で食事がてら呑みにでもどうかって悟浄が言ってました」
 天蓬は定規を握ったまま椅子ごとくるりと回ってこちらを向いた。
「八戒。もうこうなったら率直に言いますが、今日はとても捲簾と顔を合わせる気分じゃありません。ご遠慮します」
 捲簾と何かあったんだろうが、何かあったんですかと聞いて答えられるようなら彼も僕ももっと要領よく人生渡ってる。
「そうですか?でも貴方がいないと」
 ドラッグパーティーの餌食になっちゃいます。
「…3人になっちゃいますよ」
 言わんとすることは伝わったようだ。天蓬は定規でぽんぽんと自分の肩を叩きながら考え込んでいる。綺麗に四角になった以上、誰かひとり欠けると均衡が崩れてどこかとんでもない方向に話が進んでしまいそうだ。
「…捲簾には話しました?」
 話したというか勝手に聞かれたというか。
「ええ。…えーと…控えめに言って、大変乗り気でした」
 天蓬は定規を放り出し、溜息混じりに呟いた。
「…あの馬鹿」
 何だか本気で天蓬が可哀相になってきた。