捲簾が、何やら楽しそうに笑いながら悟浄と事務所へ戻ってきた。
「わかりました、仕事は何とか切り上げます」
「お手伝いします」
妙に心が冷えて行くのがわかった。僕には大したことでも、あの男にしてみれば道端に落ちてる石ころのような出来事だったというわけだ。だから、あんな風に笑える。あんな自然に。僕は食事が終わったら会社にすぐに帰れるため、『QUARTET』でいいと発案したのに、悟浄に都会に繰り出したいと言って押し切られた。とことん、嫌われているようだ。別にそのほうがいい。自分の好きな男に好かれてる男に、好かれてるほうが気持ち悪い。
「とりあえず生でいーよな!」
六本木にあるこ洒落た多国籍レストランバーに入り、席についた瞬間悟浄が言った。
「僕はウーロン茶を」
「は?」
「仕事が残ってるもので」
厭味ったらしい口調で言ったら、
「すみません、無理矢理お誘いして。ほら悟浄、貴方のせいですよ」
と、すかさず八戒のフォローが入った。やっぱり、お似合いじゃないかこの二人。
「俺タンカレーストレート」
捲簾の注文に、悟浄と八戒が同時に驚いた顔をした。
「え、いきなり!?何よ、5日酔いに自らなりてえわけ?」
うまくもない酒を5日連続呑む、ってことか。しかもいきなりジンをストレート。
…あてつけにしか聞こえない。
「あ、すいませーん、ウーロン茶ふたつ、生ひとつ、タンカレーひとつお願いします」
「は?ウーロン茶ふたつぅ?」
「主任がお仕事されるんでしたら、部下が手伝わないわけにはいかないでしょうが」
「お前なんてシラけること言うの。今日は呑もうっつったじゃん」
「それは、貴方が言っただけ。おふたりで呑めばいいじゃないですか」
よくよく考えてみれば、悟浄も辛い立場だ。四角なんだから当たり前だけど。親友である自分よりも、あからさまにノリが悪く不機嫌炸裂の僕を気遣う八戒の姿なんて、シラフで見ていたくないだろう。
だからと言って、悟浄の恋を応援する気なんてない。
「捲簾、ダメだこいつらシケシケ。でも王様ゲームはやるもんな〜?」
「あったりめえだろ。何のために集まったんだっちゅーの」
…王様ゲーム?
「勝ったヤツが八戒の目薬代払うっつーことんなってんだけどさー」ダメだ。
やっぱり、普通じゃないこんなの。
「…天蓬?」
僕は立ち上がっていた。3人の視線が突き刺さる。
「帰ります」
「は!?」
見たくはなかった。見たくはなかったが、見えてしまった。
僕を真っ先に追いかけようとした八戒の腕を、引っ掴んだ捲簾が。わからない。さっぱりわからない。あの男のことも、全身を襲う痛みの理由も。
わかるのは、今にも泣きそうなことだけだった。「天蓬!」
店を出て、早足で歩く僕の背中に投げられた低音の声。
「待てって!」
待てと言われて素直に待つやつがどこにいる。
腕を掴まれるのが癪だったので、というか今あの男に触れたら自分がどうにかなってしまいそうだったので、脇をしめてスラックスのポケットに手を突っ込んだまま歩いた。
あっという間に追い越されて、目の前に立たれてしまったのだけれど。
走ったせいで乱れた呼吸を落ち着かせながら、捲簾は僕を睨みつけるみたいに見据えた。
「…何なの」
肩で息をしながら、捲簾はボソリと言った。この男と会話などする気は毛頭ないので、無視して再び歩き出そうとしたが、また前に立たれた。それを5回繰り返した。
「何か喋れよ…」
頼むから、と、捲簾は続ける。何で貴方がそんな辛そうな顔するんですか。
「…悟浄と八戒、ふたりきりにしていいんですか?今ごろいちゃいちゃしてるかもしれませんよ」
やっと言葉が出たと思ったら、これか。自分が自分で嫌でたまらない。
「って、ガラでもないこと言いましたね。すみません、仕事がやっぱり気になるんですよ。中毒ですから」
無理矢理笑顔を作ろうとして失敗した。みじめだ。不意に強い力に引き寄せられ、数秒間僕の視線は宙を泳いだ。