haru
きっちりすかっとはっきりさせたい。

 悟浄は、そう言ったんだと思う。別に俺がどーのとか、八戒がどーのとか、天蓬がどーの以前に、あいつ自身がこういうグルグルグルグル回って一生出てこれなさそうな迷路にハマってるのが、嫌でたまらなかったんだろう。いや、どうかな。八戒のためかもしれない。
「あーチクショ…らしくねー俺…」
 気持ち悪くてたまらない。よく考えたら、俺はこんなことくらいでヘバる男でも、こんなことくらいで女々しく泣く男でもなかったはずだ。
「とりあえず、仕事だ仕事!」
 結局辿り着く場所はそこしかなくて、俺は昼間営業先を5件まわって、夜は接待に励んだ。3日、という短いタイムリミットは、仕事で潰すのが一番いい。天蓬のことも悟浄のことも、考えなくて済む。答えなんてどうせ考えたところで出ない。3日後、悟浄に会ったときに決める。その日の気分で。

 取引先の常務と、高級レストランで飯を食っていると(勿論接待)何と、何と、天蓬がやってきた。あいつは今ごろ事務所に缶詰のはずが一体全体どうなってる。天蓬は、それはそれは美人でスタイルもよくて女優かモデルかというような美女同伴だった。冗談じゃない。こんな展開、まさかの俺でも想像すらつかんかった。
「あっ、あれは藤林デザインの…」
 常務が美女を見ながら呟いた。
「え、藤林デザインってあの?」
 一級建築士が50人以上いる、多分関東一の建築事務所だ。超ビックネームってやつ。社長が女で、しかも若くて美人だと聞いたことはあるにはあるが。
「ああ、藤林素子だよ、あれ。やり手で超美人だって有名じゃないか」
「へえ、あれが噂の…」
 遠目じゃ20代後半、ってとこだけど、近くで見りゃそれ相応の顔なのかね。俺はどうでもいいことを思った。
「あれ?一緒にいるの、君のところの建築士じゃないのか?」
 先にそれに気づけよおっさん。
「建築家同士が接待なんて、珍しいねえ」
「いや、普通しませんって。マンツーマンなんて尚更…」
 待て、俺。普通しないってことは、これは普通じゃないということで、それはつまり。

 まさか、あいつ。

 それから俺は、自分が商談にこぎつけて契約を結ぶまでの間、意識はほとんど天蓬と美人社長のことに飛んでいた。それでミスするような俺ではないので、契約は無事成立し、今こうして岐路についてるわけだが。

 関東一のビッグネームの建築事務所の社長と、規模こそ小さけれど雑誌で紹介されたりなり何なりして新進気鋭の建築士として脚光を浴び始めている天蓬。この妙な組み合わせから想像できることはたったひとつだ。

 …引き抜きかよ。

 知らない。知るか。俺には関係ない。あいつの今の精神状態を考えると、どうも引き抜かれちゃいそうな気もするが、あいつの作るもん考えれば、うちなんかよりも藤林でやったほうがいいに決まってる。淋しいとか悲しいとかより以前に、悔しいくらいだ。あいつは自分のことを自分で決める男で、一時の感情だの人のせいだので決断をするような男じゃない。
 俺は、関係ない。
 …携帯鳴ってるし。着信は悟浄からだった。すげえなこいつ。昨日の今日で、よく俺に電話なんぞかけてこれるな。
「まだ決めてねえぞ」
「んなこと聞いてねえよ。今どこよ」
「家」
「ひとり?」
 確認すんな、そんなこと。俺がひとりだろーが誰といよーが、気にもしないくせに。
「ひとり。仕事中。何よ」
「ビッグニュース。あんた前から、教育機関系つくりてえって言ってたろ。体育館とか小学校とか」
「あー、夢な、夢。今の事務所じゃそんな」
「今富雄不動産の金子さんと呑んでんだけどさ、金子さんの叔父さんが筑波大の建築デザインの教授でさ、あーもう電話面倒臭ぇ!とにかく今すぐQUARTET来い!」
 言いたいことだけ言った悟浄からの電話は切れた。うちの事務所は若いので、地方公共団体とのパイプも細いし、俺ら営業もわりとそっち方面を頑張らなかったため、学校とかそういうのは大学のゼミで模擬設計しかやったことがなかった。でもずっと造りたい理想の小学校があって、趣味で色々描いたりしてた。悟浄はそれを知ってる。
「…さんきゅ。」
 そう呟いて、家を飛び出した。

 やっぱ俺、悟浄好きだわ。

「あ、捲簾!こっちこっち!」
「金子さーん、どーもー」
 とりあえずの営業スマイル。
「いやね、いきなりなんだけどね、捲簾さんの腕を見込んでの依頼なんだけどね」
 金子さんは酔っているらしく、いきなり本題に入った。
「うちの叔父貴が筑波大の教授でね、あなたの描いた設計やれ企画書やれを見せて欲しいって言うもんだからさ、ほら、こういうのって企業秘密だからホントはダメなんだけどね、俺もほら、叔父貴には色々と世話になっててね」
 本題にいきなり入ってくれたと思ったら、やはり酔っ払いのトークというものは得てして長く、やたらと身の上話などを絡めてきて、結局俺たちは金子さんが叔父さんのコネで会社に入ってどうのこうのという話を小一時間ほど聞かされた。勿論俺たちは、これでシビレを切らす営業マンではない。
「まあ、そういうわけでね、叔父貴はあなたに是非、ゼミの講師として来てもらいたいそうなんだ」
「は…?」
 話が違うぞ、と、悟浄を睨んでやったら、悟浄も驚いているようだった。
「いやね、それからね、筑波大付属小学校の全面改築工事が予定されてるらしくてね、それの設計をあなたに頼みたいらしくてね」
 本題はここか!遅い!
 俺は悟浄と向き合って、小さくガッツポーズを作った。
「ちなみに、捲簾さんって大学どこでしたっけ?」
「東京工大すけど」
「わ、さっすが。エリートは違うね、俺なんかさあ」
 金子さんの愚痴を親身な顔で聞き流しながら、脳内スケジュール表を整理した。大丈夫、できる。可能だ。講師だろーが何だろーが引き受けて、叔父さんにいい顔しまくって、そんで。
 そんで、小学校設計だ。

「サンキュー!お前、やっぱ最高!いいやつ!愛してるぜ!わっはっはー!」
 金子さんをタクシーに乗せて見送った後、悟浄の肩をビシバシ殴ってそして抱擁した。
「やっぱさあ」
「んー?」
 上機嫌な俺は、久しぶりにうまい酒を呑んだ。
「やっぱあんた、仕事してるときが一番いー顔してんな」
「何それ、惚れた?」
「惚れさせろよ」
「お前が八戒のこと忘れたらな」
 悟浄が変な顔をした。
「お前、俺が天蓬フッたら、全部俺のもんになってやるっつったろ。あれ嘘だろ。しかも全部なんていらねえし。俺別にお前とヤリてーわけでも、お前とずっと一緒にいてーわけでもねえんだよ」
「何だそりゃ」
「お前が俺以上に好きなヤツいるっつー圧倒的事実が気に食わんの。俺はずっとお前だけ見てたわけで、お前が一番幸せんなってくれればいーと思ってたわけで、何かっつーと悟浄悟浄悟浄だったわけで、それでもお前は八戒で。そーゆーのが異様にムカつくっちゅーか、ま、要するに独占欲?独り占めしたかったのかもな。弟とられたみてえで嫉妬してる兄貴気分。あ、ちなみにこれ口説いてるわけじゃねえから。下手だって思われて嫌われんのも癪だから、一応言っとく」
「弟とられた兄貴口調で言われたって、全然勃たねえよ」
 悟浄が久しぶりにちゃんと笑った。

 何つーか、やっぱり、俺らはこーゆーのがよくて、こーやって一緒に仕事して、飯食って、笑って、怒って、たまに殴り合って、んでまた笑って、って、そーゆーのがいい。好きだの嫌いだの愛だの恋だの四角だの三角だのやってるより、兄貴と弟で、でも俺は悟浄が俺を見てないと嫌で。
 要するに俺は、欲張りなんだよ。欲しいもんは全部欲しい。そうやってずっと生きてきた。曲げるつもりはないし、誰にも曲げさせてやらない。でもそれでいい。これが俺だ。

「天蓬に明日言うわ。お前に惚れることはこの先多分あり得ることだけど、俺の中でのナンバーワンが沙悟浄だっつーことは、この先絶対変わらねえって。死ぬまで、死んでも、変わらねえって」

 本当の兄弟だったらこんなに胸、痛くなかったのにな。